アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

来寝麻呂伝

2016-12-03 19:34:01 | 物語
 昔、欽明天皇の御世に三之国大之郡(美濃国大野郡の人、妻とすべき嬢を求めて路を乗りて行き。時に廣野の中にして妹(麗しい)しき女遇へり。其の女、壮に媚び懐き、壮目配せしつつ言はく。「何処に行く雅嬢ぞ」
 嬢答へらく、「能き縁を求めてめむとしてして行く女なり」といふ。壮も亦語りて言はく、「我が妻と成らむや」といふ。女、「聴くかむ」と答へ言ひて、即ち家に将て交通ぎて相住みき。【家までついて行って、その男に抱かれて住み着いてしまった】
 此の頃、懐妊して一の男子を生みき。時に其の家の犬、十二月の十五日に子を生みき。彼の犬の子、家室(彼の女の事)に向ふ毎に、期尅ひ睨み吼えかかった。家室 脅え怖れて、家長に、「此の犬を打ち殺せ」と告ぐ。然れでも、患え告げて猶し殺さず。二月三月の頃に、設けし年米を春はし時に、その家室、稲春女などに間食を充てむとして碓屋に入りき。即ち彼の犬、家室を拒はむとして追ひて吠ゆ。即ち驚き恐れ戦き、野干(狐)と成りて籠の上に上りて居り。家長見て言はく、「汝と我との中に子を相生めるが故に、吾は忘れじ、毎に来たりて相寝よ」といふ。
 そんなわけで(ここから先は和訳で行きますのでご容赦下さい) 、妻狐は夫の言葉をおぼえていて、いつも来ては寝ていくのであった。それで来つ寝(狐)と呼ばれた。
 その妻は裾を紅に染めた裳を着け、しとやかに裾を棚引かせて去って行った。夫は来つ寝を恋い忍んで歌を詠んだ。
 恋という物が皆私の上に落ちてきてしまった。少しの間現れて、どこかに行ってしまったあの娘故に。
 そんな訳で、二人の間に生まれた子供の名を来つ寝と名付け、その性を狐の直とつけた。この子は、強くて力持ちであった。走れば鳥のようだった。美濃国の「狐の直」は、以上のごときものである。(日本霊異記より)
 日本霊異記は日本最古の仏教説話で、薬師寺の僧侶が書いた物だ。この話は仏教とは何の関係も無いが、仏教伝来以前の伝説を伝えた物である。
 結構面白いので紹介致しますが、もちろん、何らかの下心があっての事です。私はこの子、狐塚来寝麻呂を主人公にした話を書くつもりだからです。ご期待下さい。
2016年12月3日   Gorou
 

出羽の騒乱

2016-12-03 09:36:57 | 物語
『出羽の騒乱』  

 一  日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや聖徳太子が遣隋使小野妹子に託した国書の一節である。 この国書を見た隋の煬帝は嫌悪感を顕 にして、蛮夷の書、無礼なる者あり、また以て聞するなかれ。 と、鴻臚卿に命じた。東海の小国、倭国の王が中華の天子に対等の国書を送ってきたこと自体が不愉快だったに違いない。以来百年もの間、倭国は文明国家たらんと懸命の努力をした。仏教を奨励し、中華たる隋唐帝国に遣使と留学生を派遣し続けた。大宝元年、西暦七百一年、粟田真人を主席とした第八次遣唐使が派遣された時、初めて正式に日本という国号を使った。
 旧唐書日本伝に曰く、真人好んで経史を読み、文を属るを解し、容止温雅なり。粟田真人の容姿と振る舞いが優雅で中華的な教養に溢れていたのである。以後、遣唐使の主席の選考には位階と教養だけでなく、容姿そのものが重要な要素と成った。
 倭、漢音でワ、和音でヤマト。元来日本列島の一地方を指す言葉でしかなかったが、大和を根拠とした王を中華の帝が倭王に任じた。人偏がつくものの、中華の概念では人より獣に近かった。粟田真人は中華帝国に人と認められた始めての日本人、と言えるかも知れない。 しかし、日本という国も人もまだ外交的な立場の概念でしかなく、一方的に日本と称しただけの事であった。日本と日本人の出発点は、子から母へ、母から娘へと引き継がれた皇位が、光り輝く太陽の帝国をこの世に実現すべく、祖母と叔母と姑、阿閇と氷高と橘美千代に養育された首 皇太子に引き継がれた時と言える。養老八年、西暦七百二十四年二月四日、首皇太子は叔母氷高女帝に天皇の位を譲られ、大極殿で即位。天下に大赦を行い、神亀と改元した。後に天平と呼ばれた時代の始まりである。病に付している生母、藤原宮子の顔も知らず、三人の賢女に育てられた首の心は余りにも脆弱であった。が、三人が皇后として養育した同い年の夫人が首の翳りを補って余りある輝きと強い心を持っていた。妻の名を光明子と伝う、藤原不比等と橘美千代の子である。彼女はこの世に光り輝く華厳の世界、一の中に一切を含み、一切の中に一が拡がり、宇宙の全ては互いに交わり流動しているという華厳の仏教思想を現世に展開すべく生まれてきたような女性であった。  この年の夏、壮絶な嵐が出羽国を蹂躙した。端は陸奥の小さな叛乱だった。  
三月二十七日、海道(太平洋沿岸)の蝦夷が叛乱を起こして郡司佐伯宿禰児屋麻呂を殺害。  四月七日、式部卿・正四位上藤原朝臣宇合が特節大将軍に任命されて坂東の兵三万と共に陸奥に派遣された。叛乱は瞬く間に平定されたが、宇合軍は陸奥に留まって多賀城の建設に関わった。  五月二十四日、従五位上小野朝臣牛養が出羽の蝦夷討伐の為に鎮狄将軍に任命された。七月四日、牛養軍二万が出羽柵の兵士と共に最上川の南岸に布陣した時、蝦夷側は二万五千を以て北岸に陣を構えていた。  陸奥の戦いは大和朝廷に帰順していた蝦夷の叛乱であった為、蝦夷の各部族は救助の手を差し伸べなかったが、出羽への遠征は明らかに侵略行為である。その為、盟主毛賀美公の元に蝦夷の各部族が集結した。
 毛賀美公は蝦夷の各部族から文殊菩薩の化身、文殊王と称えられる英傑であったが、大和朝廷側からは、悪意と恐れを込めて大 墓公悪霊王と呼ばれていた。その文殊王の下に朝廷軍の情報が続々と齎 されていた。 「陸奥の宇合軍は未だ動く気配を見せておりません」「山々の木々を伐採して陸奥に城を築いております」「陸奥の森林だけでなく、出羽の山々の木々も、剥げるほどに伐り尽くしております」  それを聞いた文殊王の幕僚は皆、「陸奥に巨大な城を築く積もりなのだ」と思った。「城という概念を超えた、都市を建築する積もりなのかもしれない」と邪推した。「出羽の木々を何処に運んでいますか?」「大石田の方に運んでいるようです」  大石田、最上川の上流である。  宇合は何をしようとしているのだろう? 文殊王の脳裏に不安が走った。  何かを探るようにして遠方を眺める文殊王。その視線の彼方で狼煙が上がっている。「本当に宇合軍は動く気配を見せてはいないのですね」と、斥候に念を押す文殊王。「はい、二日前の報告ですが」「宇合軍は昨夜、出羽に向けて進軍を開始したようです」「えっ!」とばかりに驚いて文殊王を見る幕僚達。「烽の狼煙の色と容 が昨夕から変わりました」かたち  大和朝廷の重要な伝達手段は烽 と呼ばれる狼煙台である。その色と形が変わった事を文殊王の鋭い眼が逃さなかった。三万を越える宇合軍は三日後にこの戦場に到着するだろう、その前に戦機を開かなければ負ける、だけでなく滅んでしまうかも知れない。己を信頼して集まってくれた十数もの部族が蝦夷と蔑まされたまま滅んでしまうのだ。文殊王は叡智の限りを尽くして戦略を練った。  元来、最上川のような大河を挟んだ戦闘は、仕掛けた方が、河を渡ろうとした方が負けである。この十年の間に三度、最上川を挟んで対陣したが、小競り合い程度の戦闘だけで、双方とも動かずに講和を成立させた。が、今回はこれまでとは違う、と文殊王は思っていた。渡るとしたら今かも知れない。数年続きの日照りで、さしもの最上川の水量が大幅に減っている。広い範囲で河原が出現し、中州まで出来ている。両軍はその河原に布陣していた。  その日の午後、文殊王は占拠されていた中州の奪回を命じた。中州の位置が南岸より北岸に近く、作戦上障りがあったからだ。  中洲を巡る戦闘を一刻ほどで終わらせ、蝦夷側は小さな要塞を築いた。  その夜、文殊王は決戦を決意し、密かに側近だけを連れて上流から最上川を渡った。鉄騎兵団を含む主力の一万は既に最上川を渡り、神秘の原始林に潜んでいる。渡ると見せかけ、牛養軍を最上川に誘い込んで背後を襲う。牛養軍に背水の陣を引かせる作戦である。  文殊王は無敵の鉄騎兵団故に、悪霊王と恐れられていた。人馬共に、大量の鉄を仕込んだ皮鎧で武装した鉄騎兵団、日本在来の馬ではその重量をとてもささえ切れない、ましてや人馬一体となった突撃など不可能である。祖先が日本に渡来した時に連れてきた西域産の駿馬を改良し続けて強く大きな馬を育てたのだ。悪霊王の鉄騎兵団は悪魔の如く恐れられていた。その数一万、朝廷側の推測である。が、実数は五千に満たなかった、五千が一万と伝わるほど凄まじい破壊力を持っていたのだ。  



二      

日本一の弓馬の名手と謳われながら、飾り弓でしかない自分が悲しかった。
 今、最上川を挟んで大軍が布陣している。  神亀元年、西暦七百二十四年七月五日の夜明け、初位新羅訳語高梓を乗せた能登水軍が最上河口の戦場に到着した。 平城の梓の元に、出羽への従軍命令が陸奥の宇合将軍から届いたのが七日前だった。武将としてではなく、講和交渉の為の文官、新羅訳語としての役目でしかなかった。陸路馬を走らせても間に合わないと判断した梓は、能登の軍船に便乗させて貰ってようやく戦場に辿り着いたのだ。  梓の軍船に独木舟が横付けにされ、家人の疾風麻呂が乗船して来た。従軍が決まった時、日本一と噂の早足、疾風麻呂を斥候に放ったのだ。  疾風麻呂は三日で平城から出羽へと駆け抜け、今報告の為に帰還した。が疾風麻呂を斥候に選んだ理由は早足というだけではなかった。彼自身が蝦夷だったからだ。奴となっていたのを梓が家人として雇い、奴隷の身分から開放したのだ。梓は出羽の従軍である決意をしていた。もし、己が将軍であったなら、軍師であったなら、いかに文殊王と戦うか、いかにして勝利を得るかを模索しよう、と。  
疾風麻呂が梓の傍らに恭しく跪いた。  梓は、肩を抱きかかえるようにして立たせ、耳元で囁いた。「なぜ戻ってきたのだ? あれほど報告だけが届けば良い、と言うたではないか」  梓の心は悲しみに沈んだ。疾風麻呂の真の信頼を得ていなかったのだ。また、己に言葉が足らなかった事を悔やんだ。疾風麻呂は京師の妻子を案じて戻ってきたに違いない。出羽に平穏が戻った時、妻子を疾風麻呂の許に送り届ける積もりだったのだ。その事をはっきり言わなかった事を後悔した。  
二人の傍に能登水軍の指揮官熊来継人がよってきた。「ほーう、疾風のお人で御座いますな」  恭しく礼を継人に捧げる疾風麻呂。「梓殿は、疾風、疾風、と私に貴方の早足を自慢していました。素晴らしい家臣を持つ梓殿に妬心を覚えた程です」「さあ、聴こうか、疾風」  継人を見やりながら躊躇っている疾風麻呂。「構わぬ、話してくれ」と、笑顔を浮かべる梓。  梓の笑顔に応えて、疾風麻呂が重い口をようやく開いた。  疾風麻呂の報告は詳細を極めていた。梓の期待を遥かに越える偵察能力を持っていたのだ。  鉄騎兵団を含む主力は既に最上川を越えてどこかに潜伏していると言い、今北岸に布陣しているのは、女子供老人が殆どの、弱兵とも言えぬ偽装兵だという。更に、文殊王そのものが消えた事まで偵察していた。  疾風麻呂を休ませた後、二人だけで方策をねった。「果敢にも決戦を挑むつもりでしょうか?」「恐らく、渡河したのは鉄騎兵の指揮をとる為でしょう」  河口から僅か半里ほどの河原で両軍が睨み合っている。「鎮狄将軍に早く知らせなければ大変な事になるかも知れませんな」「止めた方が良いかと」

 意外な梓の言葉に首を傾げる継人、「疾風の苦労を考えると心苦しいのですが、あのような機密が簡単に探り出せるでしょうか?」「余りにも猜疑心が強すぎます。日頃の梓殿とも思えません」「文殊王はわざと探らせたと思えてなりません」「何の為に」 「最上川を渡らせる為に。この事を知らせれば、鎮狄将軍は必ず川を渡って攻め込みます」「そうかも知れませんが。ぐずぐずしていたら、悪魔の鉄騎兵団に背後から襲われ、悪くすれば全滅」「土手が衝撃を和らげて呉れます。しかし、最悪の事態に備えて上陸の準備だけはしておいた方が良いかと」  継人の指令が次々と軍船に行き渡り、五千の能登水軍が上陸態勢を整えた。  戦闘そのものが能登水軍の目的ではなかった。一万名の陸兵と物資を蝦夷軍の背後に輸送するために三十艘の軍船を連ねて出羽に出撃してきたのだ。  弓馬の名手、高梓の盛名は能登にまで轟いていた。文官の梓が大伴氏の衛士に混じって大射礼や薬猟で見せた妙技が尾ひれをつけて駆け巡ったのだ。三本の矢を同時に射て的や獲物に当てると云う。梓の弓は風に乗って遥か彼方の的を貫くとも云う。「所詮は飾りの梓弓、どんなに妙技を尽くしても実戦の役になど立つものか」、などと陰口を叩かれたりしていた。  三日間の交流で継人は梓にすっかり心酔していた。噂に聞く妙技だけのお人ではない、将軍や軍師が務まる武人であると見ていた。今では密かに能登水軍の陰の軍師として遇していた。  三  この日、早朝から蝦夷軍はしきりと牛養軍を挑発してきた。  弓隊が南岸に向かって、届く筈も無い矢を放ち、騎馬隊が流れの中になだれ込んで、そのまま南岸にまで攻め込む勢いを示した。が、流れの中ほどまでも行けずに引き返し、また流れに飛び込む。まるで子供が戯れるようにして侮辱し、罵声を浴びせて来る。誘っているのだ。  どんなに挑発されても、牛養軍は一人として動かなかった。牛養将軍から戦闘行為を禁じられていたのだ。牛養将軍もまた、宇合将軍からそう命じられていた。  正午を過ぎると、蝦夷の兵士たちは挑発行為に疲れ果てて河原に座り込んでしまった。真夏の暑い日差しを避けて木や土手の陰に逃げ込んで武装を解く兵士たち、兜や頭巾から出てきた顔、その殆どが女子供老人だった。  そんな様子は対岸の牛養軍の兵たちにもはっきりと確認出来た筈だ。それでも牛養軍の兵たちは熱い陽光に耐えながら立ち続けた。

 この日は朝から風は全く吹かず、軍旗までも項垂れたままだ。  方々の森から蝉の鳴き声が聞こえてきた。極度の緊張と恐怖に耐える牛養軍の兵士の神経を逆なでしながら、時雨となって降って来た。  ここに集う兵士たちの殆どが、文殊王の鉄騎兵団にずたずたに蹂躙された記憶に慄いていた。彼等は畏怖の念を込めて罵倒する、悪霊王、悪路王と。  あの悪霊王と悪魔の鉄騎兵団なら、最上川の急流をものともせずに襲い掛かってくるに違いない。  どのくらいの時が流れたのだろうか?  緊張に耐え切れずに一人の兵士が鳴いた。蝉のように、「ミーンミーンミーン」と鳴いた。何かを叫ばなければ耐え切れなかったのだ。数人が続き、やがて蝉と人との大合唱になった。  夕暮れが迫り、山々から海に向かって風が吹いてきた。  ようやく軍旗が翻り、はためいた。  本物の蝉の鳴き声がピタリと止んだ。風に乗って陽気な管弦の音が上流から漂ってきたのだ。  人はまだその音に気付かずに鳴いていた。  管弦の音がだんだん近付いてくる。続いて勇壮な太鼓の連打と僧侶群の大声明が聞こえてきた。  兵士の顔に精気が蘇った。宇合軍がこの戦場に到着したのだ。  歓喜の雄叫びが南岸に拡がった。  ウオーッ! 拳を天に突き上げて歓声を上げる兵士たち。  ザッザッ! ザッザッ! 足を踏み鳴らし、盾や武具を叩いて溢れる喜びを表した。  騎馬の指揮官たちが太刀を翳し、「エイエイオーッ!」と、時の声を先導し、全軍がそれに応えた。  最初に上流から姿を見せたのは、数艘の軍船に先導された、巫女の集団を乗せた巨大な筏だった。巫女たちは不気味な化粧を施して北岸の蝦夷に罵声と呪いを浴びせた。顔の半分ほどの真っ赤な口を描いた巫女、額に眼を描いた三つ目の巫女、それぞれが赤い口を開けて呪いの言葉を蝦夷に投げつけた。  一人の巫女が口から炎を吹き出して威嚇した。  恐ろしさの余りに逃げ惑う蝦夷。  己たちの呪いだけで勝利出来ると錯覚した数人の巫女が、舵を取る兵士を唆 して北岸近くに進路を変えさせた。そそのか  近付いてくる不気味な巫女集団に怯えて逃げ散る蝦夷。逃げたのは女子供老人だけで、正規の兵が大挙して筏に殺到した。  弓隊が一斉に矢を放った。今度は巫女たちが逃げ惑い、護衛兵の盾の中に逃げ込んだ。  騎馬兵が流れの中に飛び込んで筏に向かって殺到して来た。いち早く泳ぎ着いた騎兵が綱を丸太に絡めた。瞬く間に数ほんの綱に絡まれる巫女の筏。その綱の先で蝦夷の兵が綱を引き、筏を岸へと引きずり込んでいく。筏に乗り込んだ蝦夷と護衛兵の死闘が始まり、護衛兵が次々と倒され、流れに放り込まれた。  もはや巫女の筏は捕獲されたも同然だった。が、危機一髪で二艘の軍船が駆けつけ、蝦夷の兵を追い払い、綱を切り裂いてようやく巫女の筏を救助した。  太鼓の連打と勇壮な法螺貝に合わせて戦勝祈願の読経をする僧侶の大集団が巫女に続いて現れた。死者と敗者への大鎮魂歌、これは大和朝廷の東北侵略の一つの方法である、死者の魂を弔い、地獄のようなこの世から安息の極楽浄土へと誘うのだ。  僧侶の次に現れたのは、管弦楽士の集団だった。軍団所属の鼓吹司たち、雅楽寮所属の楽師と楽 生、宇合はこの戦の勝利と凱旋に多数の管弦の奏者を必要としたのだ。首天皇元年、神亀元年、後世から見やれば華厳元年とも言える、歴史的なこの年の凱旋歌にはこれほどの奏者が必要だったのだ。う た り ょ うがくしょう  続いて主役が登場した。儀仗騎兵を従えた宇合将軍が煌びやかな甲冑を纏い、颯爽と河龍の背中に君臨してこの戦場に到着した。  次々と河原に上陸する宇合軍。  空になった大筏を縦に三つ連結しながら横に数珠繋ぎにして、瞬く間に奪還していた中洲までの橋を完成させた。対岸までの橋が出来上がるのは最早時間の問題。と、誰もが考えた。  が、意外にも架橋作業を中止して中洲になにやら建築し始めた。どうやら臨時の敷舞台を造る積もりのようだ。宇合将軍自作主演の楽劇の完成には舞台が必要らしい。  その間、能登水軍は河口付近を迷いながら漂っていた。上陸して参戦すべきかどうか? 上陸するなら何処に? 文殊王の主力、鉄騎兵団の動向が分からなければ決められないのだ。迷いあぐねた継人は梓に決断を預けた。「北岸に上陸すればほんの数刻で占領出来ます。それとも、鉄騎兵団が現れると思える、最上川と出羽柵の間でしょうか?」「上陸する必要などないようです」  その梓の指差す先に白旗を掲げた和平の使者が現れた。三人の蝦夷騎兵が平装でゆっくりと土手に向かって馬を歩ませていたのだ。  使者が土手の上に馬を乗り上げても河原の朝廷軍は誰も気が付かなかった。  使者は土手の上から朝廷軍を睥睨しながら法螺貝を拭いた。へいげい  一斉に振り返った全軍の将と兵、ようやく使者と翻る白旗に気が付いた。  驚く宇合将軍。そろそろ使者が来る頃だと思い、対岸に眼を凝らしていたのだ。その使者が背後から現れた。驚いた次の瞬間、ドッと冷や汗が吹き出した。使者が背後から現れたという事は、蝦夷軍の主力部隊が背後に忍び寄っているという事である。

 もし、背後から襲われていたら? 身の毛もよだつような恐ろしい惨劇が待っていたかも知れない。天佑を味方にすればそれでも勝てたかもしれないが、どれだけの兵を失う事になったかも知れなかった。宇合は、背後から現れたのが講和の使者だった事に感謝を捧げた。  四  翌六日早朝、梓の軍船に軍装のままの宇合将軍と朝服の講和使節団が乗船してきた。北岸河口の湾口で講和会談が持たれるのだ。  使節団を上陸させた後も継人の旗艦は錨をあげずに留まった。沖合いには、万が一の事態に備えて陸兵を満載した水軍が集結していた。  新羅訳語として使節団に加わる梓、新羅語が通じなかった時に備えて疾風麻呂を同行させた。  桟橋の先に幔幕が張り巡らされていた。会談の会場に違いない。その手前にたった一人で佇む馬上の偉丈夫。  梓はその文殊王と思しき武人に篤い視線を向けて観察をした。  文殊王は真夏に相応しい軽装で涼しげに佇んでいた。その馬は日本在来種となんら代わりがなく、大きな文殊王がその上に跨っていると、まるで埴輪の馬のように見えた。  遂に噂の鉄騎兵の大きく強い馬をこの眼で見れると期待していた梓は少しがっかりした。  文殊王は、近付く使節団と宇合将軍を無視するように、居住まいを正した美しい姿勢で馬上から彼方を見やっていた。その視線の先で水軍が漂い展開している。  微かに微笑んだ後、ようやく鋭い眼で宇合将軍を見た。  立ち止まり、文殊王への視線はそのままでゆっくりと顔だけを右に向ける宇合。観ろと誘っているのだ。  まるでそれを合図にしたかのように、中洲の敷舞台で舞楽が始まった。演目は太平楽。漢の高祖劉邦と楚の覇王項羽、両雄の会見を題材とした左方の四人舞である。対等の会見ではなく、劉邦がただひたすら項羽に跪いて許しを請った故事にこの日の会見を例えて選んだ。「蝦夷に分かるだろうか?」、宇合だけでなく使節団の誰もが思ったに違いない。  舞楽を見詰める文殊王に微かな反応が浮かんだのを梓だけが見逃さなかった。  下馬する文殊王。ゆっくりと大股で宇合に近付くと、いきなり平伏をした。地にひれ伏して恭順の意を表したのだ。「絹千疋、真綿六千屯、麻布一万端、」  梓が蝦夷への贈呈品の目録を新羅語で読み上げていった。全てを読み上げても蝦夷側に反応が無かった。新羅語が通じぬと見た梓は傍らの疾風麻呂に蝦夷語でもう一度読み上げさせた。  疾風麻呂の蝦夷語にも誰も反応しない。いや一人の族長らしい蝦夷が理解したらしく、文殊王の傍らで何やら耳打ちした。  文殊王の意向を受けた族長が疾風麻呂に向かって何か言った。  族長を見た疾風麻呂に緊張が走った。彼が属していた、陸奥最大の蝦夷の族長だったのだ。疾風麻呂にとって神に等しい王だったのだ。  動揺を隠せない疾風麻呂、伏し目がちに王を窺った。  王が微笑みで疾風麻呂に応えた。かっての臣下を覚えていたようだ。  梓に小声で報告する疾風麻呂。  宇合の傍らに進み出る梓。「文殊王が申しております。高貴な品々大変有り難いのですが、数年続きの飢饉で陸奥、出羽、渡島の民が餓えております。大量の財宝より一握りの食料の方がありがたい。と」わたりのしま 「合い分かった」即座に答える宇合。「この宇合、命に代えて大量の食料を贈呈致す。直ぐにはそれほど集める事が出来ぬが、平城の正倉から運ばせる。・・・こう申せ」  梓が文殊王の方に振り返って迷った。新羅語に訳してもしかたが無い、矢張り疾風麻呂に蝦夷語に訳させるしか無い、と。  案ずる事など何も無かった。「さすがは音に聞こえた宇合大将軍。お心が広い」  何のことは無い、少なくとも文殊王には、新羅語は愚か、大和朝廷の日本語が通じていたのだ。  歩み合って手を握り合う二人の英雄。「ご英断忝く存知ます」  満面笑みを称える宇合に、文殊王は影を含んだ微妙な微笑みで応えた。  巨利を与える。これもまた、大和朝廷の東北経営の一端である。帰順を承諾した時、毛皮や薬草などの品が代わりに献呈される。交易を持って講和としたのだ。  直ぐに贈呈品が満載された十艘の独木舟が北岸に運ばれてきた。言うまでも無く、可能な限りの穀物食料も積まれていた。翌朝文殊王からの献呈品が南岸に届けば、正式な講和の成立である。  その後、細かい講和条件が話し合われた。というより一方的に宣告されただけだ。  屯田兵が蝦夷の荒土を開拓し、耕地の一部を蝦夷に与えるという。それが実現すれば、出羽に日本最大の稲作平野が出来上がる筈だ。「十に一つでは酷すぎます」  文殊王が異議を唱えた。「征服された我等に抗議する権利が無い事は重々承知しておりますが。せめて十に三という訳には参らないでしょうか」  いくら豊かな耕地に変わるとはいえ、支配地が十分の一に減っては生きてはいけない。耕地の変わりに毛皮と食肉を与えてくれる神々の森まで失ってしまうのだから。と文殊王は訴えた



「分かりました。ここで即答する事は私には出来ませんが、必ず文殊王の願いが叶うように首の天皇に嘆願致します」  宇合の手を握り締め、何度も何度も頭を下げる文殊王。  誇りと名誉をかなぐり捨てて蝦夷の民に尽くす英傑文殊王の姿に感動する梓。  文殊王の固く握る手を解いた宇合。「文殊王、貴方に出会えた事を嬉しく思っています」  感極まった文殊王が宇合に何か言おうとしているが、中々言葉が出てこなかった。「おさらばで御座います」と、振り返った宇合が、そのまま西の彼方を見やった。  烽に狼煙が上がっていた。そのまた彼方を望む宇合。遥か彼方の山々の向こうの空に群雲がわいている。「文殊の君、何とは申す事は叶いませんが、私は貴方と貴方の民にもう一つ贈り物が出来る。かも知れません」  文殊王も、梓も西の彼方を望んだ。  狼煙の色と容がまた代わっていた。  文殊王の眼が微かに煌めいた事を梓は見逃さなかった。  遥か彼方に湧き上がる群雲の如く、梓の心に不安が広がった。  蝦夷とは、決して民族名ではない。ましてや特定の部族を指す言葉でもない。  大和朝廷に帰順していない東北地方の部族を敵意と侮蔑を込めて、蝦夷、と呼んだ。東北地方に割拠している夷狄の事を勝手にそう呼んでいただけだ。扶余(朝鮮族)系の部族もいれば靺鞨(満州族)系の部族も、縄文人の子孫、そしてアイヌもいた。  疾風麻呂の蝦夷語が殆ど通じなかったのは別に不思議ではなかったのだ。疾風麻呂が属していた蝦夷の部族は、六世紀初頭に高句麗の圧制から逃れてこの日本に渡ってきた靺鞨だった。津軽に上陸した彼等は、安住の地を求めて南下し、太平洋沿岸の陸奥に定住した。  対して文殊王の部族は高句麗滅亡後、高句麗の貴族を首領に戴いた人々が新天地を求め、出羽の海岸に漂着した。この物語の僅か半世紀ほど前でしかない。彼等は大和朝廷に帰化する事も、支配と保護も求めずに、独自で安住の地を求めて流離った。  より温暖な土地を目指して山々に分け入った時、眼前に故国に瓜二つの盆地が広がった。文殊王の祖父に当たる族長はその地を新しい郷とすることを決めた。その盆地には少数の靺鞨とアイヌ族が仲良く暮らしており、高句麗の遺族もまた友好的に彼等と過ごして来た。靺鞨族はこの地を珍しい石の多い土地、毛賀美と呼び、アイヌは静かなる神、モォカミュイの創った、モモ(崖)カミ(上)の地と呼んでいた。


 五  講和が決定的になった時、安全な物陰で息を潜めていた野次馬たちがぞろぞろと最上川土手に現れた。後に出羽三山と呼ばれる山々の修験者たちである。  戦場により近い羽黒山の修験者たちが真っ先に現れ、ついで月山、そして湯殿山。それぞれが土手に護摩壇を造って、三山を代表する松聖たちが戦勝祈願の祈祷を始めた。朝廷軍の勝利を彼等の呪力で呼び込むようにと真言を唱えた。  小聖たちは火渡りの業を行い。鳥跳びで験を競い合った。鳥になりきって空中を飛び、鳴声で大気を切り裂く。鳥に化る事で超能力の験 競べをするのだ。げんくらべ  修験者たちに誘発されたとでもいうのだろうか? 中洲の敷舞台で伊勢の斎 宮が雨乞いの祈祷を始めた。宇合が哀願したのだ。伊勢神宮の斎宮に命令する権限は持節大将軍の宇合にも無かった。額を地に擦り付けるようにして祈祷を願った。春日大社の巫女たちを戦場に帯同させていたが、妹の首夫人光明子に強請って、伊勢神宮大神官の内親王を巫女頭として連れてきたのだ。いつきのみや  幼き斎宮は名を井上といい、母は後に斎宮の后と云われ、三人の斎宮を生んだ橘広刀自であった。い か み  井上は己に雨を降らせる超能力が有るとはとても思えなかったが、皇室と民の為に祈り、占う事が己の使命である事を良く理解していたので、心を無心にして祈りを捧げた。  この日照り続きの最中の雨乞いなど、正気の沙汰とは到底思えなかった。雨など降るわけが無い。誰もが思った。雨が降らなければ嘲笑の嵐の中に晒され、物笑いの種となってしまう。万が一、雨が降ってきたとしたら、効果は絶大だ。しかし、「宇合将軍というお方は余程芝居がかった事がお好きなのでしょうか?」  梓はまだ軍船に留まっていた。「講和がほぼ成立したこの時に、雨乞いなどと、そんな賭けをする必要があるのでしょうか?」  確かに継人の言うように馬鹿げている。と、梓は思った。会談の後に沸いた懸念をどうしても振り払う事が出来ない。宇合の言う贈り物が雨乞いの祈祷そのものなのか、祈祷による恵みの雨なのか、宇合の本心が見えてこない。  疑念と闘うように西の空を望む梓。あの時沸いてきた群雲は消え、雲ひとつない快晴になっていた。ただ風がかなり強くなっている。  夕暮れが迫っても、雨乞いの効果は現れなかった。  祈祷を助ける為に僧侶たちが河原に集合して読経を始めた。松聖たちも火炎を天高く燃え上がらせて懸命に祈祷している。それでも雨は一滴も降らず、風だけが強くなった。  強風を避けて能登水軍は入り江に避難した。



るのは自滅行為以外の何物でもない。「正気とは考えられません。本当なのですか?」  叫ぶように吐き捨てる継人。「天はわが軍に幸運を与えて下さいました。不思議なことに水嵩は殆ど変わっておりませんでした。宇合将軍は水嵩が増える前にと、決戦の命を下しました」「まさか全軍では無いでしょうね」  半ば呟く梓に軍監が答えた。「渡河作戦は牛養軍に託され、宇合軍は河畔で陣を構えて戦機に備えております」「ああーッ!」と、半ば嘆き、半ば胸を撫で下ろす梓。「残念ながら挟撃する事はできませんでしたが、北岸の蝦夷を掃討するのにそれほど時間が掛かるとは思えません」  瞑想するようにして深い思考に沈んでいる継人。能登軍団の取るべき作戦が思いつかないのだ。そろそろ宇合の指令が届くはずだ、その指令を忠実に実行するしか仕方がないと腹を括ってようやく目を開けた。  梓が継人を睨むようにして見詰めていた。「継人殿、お指図を待っていては手遅れになります。上陸しましょう」「やむおえません。もはやこの嵐を持ちこたえる事は不可能。上陸します。で?」  最上河畔に進軍するのか、出羽の柵に籠もるのか、それとも? 継人には決断出来なかった。「あの文殊王が徒 に成立しかけていた和平を覆すでしょうか? 十分な勝算なしに反旗を翻すでしょうか? これは個人的な見解ですが、負け戦になった時の供えをするべきではないでしょうか」いたずら  梓の言葉に軍監が色めきたった。「今、負け戦と申されたか!」「いかにも。例えばということです」「おのれ! 我等は神の軍隊である。天兵である我軍が負けるわけがあるものか。これ以上虚言を申すと捨てては置けませんぞ!」  血相を変えて梓に詰め寄る軍監。  二人の間に割って入った継人が穏やかな口調で梓に真意を質した。ただ 「梓殿のご意見お伺いいたしましょう」「私とて、負け戦を想定するのは心苦しいのですが。今は最悪の事態に備えた作戦、行動を取るべきです」「もし、貴方の想定が外れたとしたら、お咎めを受けるは必定」「外れた方が良いのです。こんな目出度い事が有るでしょうか。外れた時の咎は我が身一つで受けましょう、と申したい所ですが、残念ながら責任の大部分は能登軍団の長たる貴方が背負う事になってしまいます」乱ー13  夜半を過ぎても雨は降らず、僧侶も修験者も皆諦めて河原と土手から消えた。  中洲では篝火が煌煌と炊かれていたが、護衛兵たちは歩哨を残し眠り込んでいた。  半日ほど祈り続けていただろうか? 斎宮の体力と気力は限界を超えていた。懸命に睡魔と戦いながら祈祷する斎宮。  激しく雲が流れ、満月が現れては消え、下界を照らしては雲の中に隠れた。  疲れが増すごとに、感覚だけが冴えてくる。篝火が風と闘う音、神聖な川の流れ、兵士の寝息までも聞こえてきた。  立ち上がる斎宮、鈴を鳴らしながら舞った。赤い肩布が風に棚引いて頬に戯れてきた。舞いながら床を左の素足で三度叩いた。  トン、トン、トン、と。  篝火がジュウジュウと鳴き始めた。  天を仰ぐ斎宮の頬が濡れている。奇跡を起こしたのだ。  次の瞬間、天が晦冥したかのごとく、豪雨が落ちてきた。  斎宮は床にひれ伏して天に感謝を捧げ、恍惚の中でずぶ濡れになって床を転げ回った。  この夜、出羽を夏の嵐が襲った。  夜明けの時刻、南岸に十艘の独木舟が届けられていた。積み荷を確認させると宇合が贈呈した品々が見つかっただけだった。突然講和を拒否してきたのだ。  激怒する宇合、「おのれ悪路王! 後悔させずにはおくものか!」と叫んで、全軍に戦闘態勢をとらせた。  幸い最上川の水量は夜半からの物凄い雨量にも関わらず殆ど変わらなかった。  渡河を決意し命令を下す宇合。河原から河畔に陣を移していた牛養の全軍が河原に殺到した。  宇合は牛養軍二万で十分に勝利出来ると確信していた。それでも多すぎるくらいだと思った。その侮りが不運を呼んだ。  熊来継人の許に出撃命令が来た。宇合軍五千と能登軍団五千で蝦夷軍の後方を遮断し、渡河する牛養軍とで挟撃せよと言うのだ。「無茶です、この風雨では入り江を出た瞬間に全軍が海の藻屑と消えてしまいます」  事情を知らせる早馬を宇合に走らせる継人。  宇合軍軍監を交えた軍議が開かれた。「今頃渡河作戦が始まっている筈です」  軍監の言葉に驚く梓と継人。昨夜からの豪雨で水嵩のました最上川の急流を、嵐の最中に渡


「分かりました。覚悟は出来ております。詳しい話をお聞きしましょう」「大石田からの川くだりといい、嵐を予測した雨乞いといい、真に宇合将軍の戦略は鮮やかと言えます。このような奇想天外な機略を操る将軍が、かっていたでしょうか?」  満足げに頷く軍監、ようやく怒りを静めて梓の言葉に耳を傾けた。「我等が悪霊王と蔑み、恐れる、彼の毛賀美公が何故文殊王と敬れているのでしょうか。文殊菩薩が如き知恵と、計り知れない慈悲の御心を持っているからです。予測より早く現れた宇合軍を見て、屈辱的な講和を蝦夷への御心で決意しました。が、雨乞いを見て知恵が湧いて来たのです、文殊王は宇合将軍が遥か彼方の狼煙を見やった時、すでにこの嵐を予感していたのかも知れません。奇想天外な戦略を打ち破る大きく恐ろしい戦術があったからこそ、反旗を翻したとは考えられないでしょうか」「分かりました。全てを貴方に託します。どうすれば良いのか仰ってください」  と、同意を促すように軍監を見詰める。  ゆっくりと、大きく頷く軍監。「もし、」  大きく溜め息を付いて彼方の平城を望んで深々と敬礼をする梓。  続いて二人が平城の宮城と天皇に最敬礼を捧げた。「口にするのもおぞましい限りでは御座いますが。もし負けたとしても、宇合将軍一人だけでもお助けしなければ成りません。宇合将軍と天皇からお預かりした神の将兵たちを一人でも多く落ち延びさせる為に、我等は死兵となって文殊王に挑まなければなりません」  恐怖の中で背走する殿軍と違って、無傷のこの一万の軍団は強い。何よりも心強いのは、少なくとも能登軍団に鉄騎兵団への恐怖心が無い事。と、継人は思った。「我等進んで死兵となり殿軍となって宇合将軍をお助け致します。何処に陣を構えれば良いのでしょうか?」  絵図を広げる梓、最上川と出羽柵のほぼ中間の草原を指差した。「さあ、一刻の猶予もなりません、直ぐに上陸して堅固な陣地を構築し、文殊王に一泡吹かせましょうぞ」  最悪でも宇合将軍一人でも出羽柵まで落ち延びさせれば、最後の勝利は朝廷軍が握ると、梓は信じていた。文殊王が十戦のうち九勝を得ても、最後の一戦は朝廷軍が勝つ。決して妄想とは思っていなかった。文化と人と物資の量が違った。無敵の鉄騎兵団一つをとっても、九勝する間に悪くすれば二三割ぐらいまで減ってしまう、兵はともかく馬の補充がきかないはずだ。対して朝廷軍の徴兵能力は蝦夷側から見れば無尽蔵なのだ。  梓の脳裏に最後の決戦に将軍として臨む己の姿が浮かんだ。幻想、というより妄想に近かった。梓自身が文官のまま、この出羽で草生す屍と成り果てる覚悟をしていたのだから
 六  いま、能登軍は暗い森の中を強行軍している。  雨も風もようやく収まって来た。常陸に上陸した台風は出羽を直撃して海に抜けたが、もう一つの恐ろしい嵐が出羽を蹂躙している。  暗い森を抜けると、赤い夕陽に照らされた広い野原が開けていた。その先にもう一つ森があった。梓は南北の森に挟まれた広野を文殊王との決戦の場に選んだのだ。  既に朝廷軍の敗走が始まっていた。全軍総崩れであった。逃げてくる兵の殆どが武器すら持っていなかった。  怯える兵の話を繋ぎ合わせると、牛養軍が北岸の蝦夷軍に殺到した時、物凄い轟音と共に大津波が襲ってきたという。逆巻く濁流に飲み込まれ、牛養軍は壊滅したという。命からがら南岸に逃げ延びた兵たちが見たのは、蝦夷の鉄騎兵団にずたずたに蹂躙されている宇合軍だった。それはもう戦闘などと呼べるものではなかったと云う。恐怖に怯えながら、懸命に逃げた、出羽柵目掛けてただひたすらに逃げた。  その報告を受けた梓はようやく文殊王の恐ろしい戦術が読めた。何年もの間準備していたのだ。津波の筈が無い、天災などでは決して無いのだ。最上川の上流を堰き止めて巨大な貯水池を造り、それを決壊させたに違いない。  宇合将軍の無事を祈りながら、梓と継人は堅固な陣地の構築に奔走した。  十分な準備には余りにも時間が少なかった、。次々と逃げてくる兵士たち、その一部が気力を振り絞って共に闘うと志願してきた。  梓の張った陣は独創的なものだった。左右の森に弓兵を伏せた。大木の陰、そして枝の上に弓兵を配置させたのだ。主力歩兵は横に並べず、鋭い鏃のような形に配置させ、鏃の底に騎兵隊を待機させた。鉄騎兵団の衝撃を左右に削いで弓兵で攻撃、勝機を見つけて騎兵で一気に勝負をかける。成功するかどうかは分からない、まともにぶつかって勝てる相手ではないのだから、一か八かの賭けに出ざるを得なかったのだ。  現れるのは敗走する味方の兵だけで、一向に蝦夷軍は現れなかった。追激戦を諦めたのだろうか?  彼方から二十騎ほどの集団が姿を現した。宇合将軍とその護衛兵かも知れない。  梓と継人が胸を撫で下ろす間もなく、追撃の鉄騎兵団が現れ、瞬く間に宇合軍を追い抜き、逃げ場を阻んだ。宇合将軍を捕虜にする積もりなのだ。  立ち往生する宇合軍を更なる不幸が襲ってきた。背後に蝦夷の大軍が迫っていたのだ。  このままでは全員が捕虜になるのは必定。幸い鉄騎兵団は百名程だ、即座に宇合救出を決意する梓。全騎兵二百に突撃体制を取らせた。  愛馬に跨る梓、左腕から鞆を取り、両手から諸弓懸を外して槍を疾風麻呂から受け取った。
 梓の横に馬を並ばせる継人。「継人殿は、・・・」「こればかりは梓殿にも止められませぬぞ」  軍監もまた馬を並ばせた。「貴方はいけません。残された兵の指揮を誰が取るのです」  梓の言葉に渋々馬を下りる軍監。「継人殿、それでは参りましょうか」「おう、一泡吹かせてやりましょうぞ」  能登騎兵団には鉄騎兵団への恐れは無く、しかも眼前の敵は半分しかいない。雄叫びも勇ましく突撃を開始した。  背後の救援部隊に気付いた鉄騎兵団が突撃してきた。  近付くに連れてその姿が大きくなって来た。まるで天馬のように駆けている。  もの凄い衝撃音とともにぶつかり合う両軍。  半数の蝦夷軍に最初の一撃だけで壊滅的な損傷を受ける能登軍。まともにぶつかり合ったものは殆ど落馬したのだ。聞きしに勝る破壊力である。  ようやく落馬を免れた梓と継人を中心に五十騎ほどが宇合の許に駆け寄った。「能登の者であるか」  思い掛けない救援部隊の出現に胸を撫で下ろす宇合。「はい、われらが盾と成りますゆえ、どうかお落ちになって下さい」  継人に促された宇合が鐙を蹴ったその時、蝦夷の大軍が進撃を開始した。  宇合将軍を囲んで逃走を開始する能登軍。難を逃れた者が加わり百五十騎ほどが一塊になって馬を走らせた。  行く手を阻んで鉄騎兵団が突撃してくる。  先頭に出る梓と継人。  継人が槍を頭上で大きく回して叫んだ。「固まれーッ!」  継人の合図で更に密度を上げて固まる能登軍、鏃のような形で一体となった。  梓の魚鱗の陣形が初めて鉄騎兵団を突き破った。勝利というほどのものではなかったが、とりあえず陣地まで辿り着いた。「忝い、どうやら一命だけは取り止めたようだ。汝の名は?」「私は能登軍団大毅熊来継人と申します。このお人は、」た い き  宇合に梓を覚えさせようとする継人。が、横に居ると思った梓が消えていた。早くも迎劇の為に働き回っていたのだ。
負け戦では有ったが、戦功第一である。覚えておくぞ」「戦功第一の手柄は初位新羅訳語高梓殿に御座います」  継人が声を張り上げた時既に宇合は脱兎の如く駆け去り、夜の闇の中に消えていた。  出羽柵まで逃げ延びた宇合は、恐怖を忘れ、気力の充実を待つために、この一夜を休息に当てた。将兵も続々と逃げ込んできた。既に一万ほどの軍団を編成出来るという。朝までに二万まで増えているに違いない。「門は決して閉めるでない。道標となるように篝火を煌煌と焚き、駆け込んだものにはたらふく食わせて十分な睡眠を与えよ」  と、命じる宇合。斎宮の安否に心を痛めていたが、能登軍団のお陰で今夜一晩だけでも時間が稼げる。不憫ながら捨て駒にする積もりだった。ただ、このまま引き下がっては藤原の名が廃る。明朝、全軍撃って出て乾坤一擲の勝負を悪路王に挑まねば、と想った。その為に、己にも将兵にも、十分な休息が必要だった。  その夜、蝦夷軍は広野の能登軍を攻めては来なかった。兵の集結を待っていたのだ。  継人と梓は、十分過ぎるほどの警戒態勢を取りながら、出来るだけ兵士に休息を取らせた。  梓は武器を失って逃げ込んだものたちに奇妙な事を命じた。盾という盾の金属部分を磨かせ、ピカピカに光らせたのだ。  七  夜明けとともに蝦夷軍の進撃が始まった。  真夏の陽光が燦々と降り注ぐ荒野を整然と行軍して来る。  ザッ! ザッ! ザッ! 軍靴を轟かせて歩兵隊が行進し、背後に集結した鉄騎兵団が文殊王の突撃命令を待っていた。「悪霊王何する者ぞ! ものども! 良く聞け!」  馬上の継人が太刀を翳して兵士を鼓舞した。「悪霊王が文殊菩薩の化身ならば、我等とともに戦う軍師高梓殿は八幡大菩薩の生まれ変わりである。梓の弓には神の御心が籠もっておるぞーッ!」  太刀を蝦夷軍に向けて突きつけて叫ぶ継人。「ウオーッ!」  ウオーッ! 全軍が雄叫びで応えた。
え! 蝦夷の大軍何する者ぞ。敵はこれがすべてである。我等には援軍が控えているぞ! 今頃は宇合将軍が進撃を始めておる。更に藤原、安倍、大伴、能登の大軍が出羽に殺到してくるであろう。武運つたなく滅びたならば、篤き血潮の隅々まで記憶させて冥土の土産とせよ。生き延びた者は、如何に戦ったか、子々孫々にまで語り伝えよ」  鉄騎兵団が突撃を開始した。  蝦夷の弓隊が虚空に矢を放って左右に分かれた。  能登軍の弓兵も応射し、夏の空に無数の矢羽が交錯した。この距離の矢戦に敵を倒す力など無く、大部分が虚しく荒野に転がった。  悪魔の鉄騎兵団が眼前に迫ってきた、その時、盾を裏返しに構えていた能登兵がくるりと回転させて朝日に翳した。  光の洪水の中に姿を隠す能登軍。  軍馬が光に怯えて立ち竦み、一列目の半数ほどが落馬した。  続いて突撃して来た二列目。物凄い衝撃を能登軍最強の最前列に与えたが、なんとか陣形を持ちこたえた。  二列目の鉄騎兵団は無理をせずに左右に流れ、崩れた一列目とともに、用心深く森を避けながら迂回し、最後尾で再び突撃体制を整えた。  左右の森に向かった蝦夷の歩兵隊は、盾を二人の兵士が頭上に掲げ、その下に槍兵を保護しながら行軍している。雨あられと降ってくる弓矢を盾で防ぐためだ。  至近距離まで忍び寄った蝦夷軍、盾の陰から槍兵が森の中に踊りこんだ。  三列目の鉄騎兵団が陣形を破って乱入してきた。  その数二百騎余り、殲滅しなければ命取りになる。継人の指揮する能登騎兵一千が突撃した。  高所を見付けた梓が愛用の塗 籠藤弓で矢継ぎ早に矢を放った。正確に的を捉える梓の弓、当に神業としか思えなかっ  広野と森で乱戦が繰り広げられている。善戦むなしく次第に押されて来る能登軍団。三倍の敵を相手にしているのだから仕方が無い。  継人と梓の奮戦もむなしく、前線を突破した鉄騎兵の数が千を超えた。  後退を余儀なくされる継人。梓の周りに集結して態勢を整える八百に減った能登騎兵。  梓がようやく文殊王の姿を見付け、弓を引き絞って狙いを定めた。  察知した数名の鉄騎兵が文殊王の前に立ちはだかった。文殊王もまた、己に狙いを定めている梓に気付き、槍を地面に突き立て、右親指に筒状の玉を付け、弓を引き絞った。
「忝い」  太刀を鞘に収め、槍を構える梓。さしもの梓も肩で激しく息をしている。馬の資質が違いすぎるのだ。  悠然と構える文殊王、余裕綽々として微笑を浮かべながらも眼光鋭く梓を見詰めている。  梓を睨む文殊王の顔から微笑みが消え、一騎打ちの相手、梓の遥か後方を見やった。  ウオーッ! 能登軍団の兵士たちが物凄い歓声を上げた。  ウオーッ! 一斉に武器を天に突き上げて雄叫びを上げている。  何事かと振り返る梓の目に進軍してくる大軍が飛び込んできた。宇合将軍が戦場に到着したのだ。  ウオーッ! 天地をも揺るがす大歓声が沸き起こっている。現に大地が揺れた。文殊王の姿がゆらゆらと揺れている。  追突の衝撃で動転しているのだろうか? と思い、目を細め精神を集中する梓。  まだ揺れている。ゆっくりと、大きく横に二度三度とゆれている。次の瞬間、今度は轟音とともに縦に激しく揺れた。  たまらず転倒する愛馬。もんどりうって転がる梓。まるで天と地が逆さになったようだ。あたり一面から砂煙があがり、視界を奪った。  ようやくゆれが収まり、やっとのことで立ち上がる梓。広野の陣から文殊王も蝦夷軍も消えていた。  呆然と振り返る梓。蝦夷全軍が宇合軍に向かって進軍していた。  兵を纏める継人と梓。宇合軍を挟撃すれば勝てる。  能登軍団が挟撃態勢を整えたその時、背後から大軍が迫ってきた。ゆっくり、というよりのろのろと歩いている。  戦鼓の音も勇ましく、宇合軍が突撃体制を整えた。  粛然と整列している蝦夷の鉄騎兵団と歩兵隊。そのなかから僅か数騎だけが出てきた。文殊王とその幕僚が二人、ゆっくりと宇合軍に向かって馬を歩ませて来た。  三十間ほど手前で立ち止まる文殊王、悠然と宇合軍を睥睨した。  講和か? 降伏か?  宇合将軍もまた軍監二人を連れ、文殊王に馬を歩ませた。「毛賀美公、これだけ暴れればよかろう。降伏なされよ、悪いようには致さぬ」「左様、もともと我等に宇合将軍と対等に渡り合う、器量も度胸も有りませぬ。是非もない、刃を交える事が出来ただけで本望」  大きな馬と文殊王に威圧されるような気がした宇合が下馬した。  文殊王もまた下馬した。  

 見上げながら降伏を勧めるのを嫌い、宇合が草の上で胡坐をかいた。  数歩下がって跪伏の礼を取る文殊王。「かくなる上は、ただただ将軍の広き御心に縋るだけで御座います」「顔を上げて下さい。御気楽になされよ」「御免」と、顔を上げる文殊王。「聞きしに勝る智勇、感服致しました」「不徳の致すところで御座います。悔いても仕方が有りませんが、出羽を襲った嵐と地震といわれ無き戦、立ち直るのにどれほどの時が掛かるのか分かりません。一から出直しです」「文殊王、今この国は一つにまとまろうとしています。倭国から日出国へと、日出国から日本へと、共に力を合わせて良い国造りに励みましょうぞ」  顔を合わせて清々しく笑う二人。「ところで将軍、貴方様からの恵みの雨の御礼までに、私奴からも贈り物が御座います」  立ち上がる文殊王、振り返って最上川の方を大きな身振りで示した。  蝦夷軍の中から大集団が出てきた。  能登軍団の背後を襲うと見えた大軍は捕虜の集団だったのだ。  殺さずに生け捕れ。という文殊王の命で大量の捕虜を得、それを土産に講和をする算段なのだ。  捕虜は兵士だけでなく、逃げ遅れた僧侶や修験者、巫女たちも混じっていた。彼等は捕虜というより保護されたといった方が正しいかも知れない。  その中に能登騎兵に守られた葱花輦が見えた。そ う か れ ん  文殊王はこんな物まで造らせていたのかと驚く宇合、逸る心を抑えて駆け寄った。「奴 宇合で御座います」やっこ  葱花輦の御簾から斎宮が顔を出して可憐に微笑んだ。「ご不自由は御座いませんでしょうか?」「私は大切にされておりました」  継人と梓が葱花輦の横で轡を並べて警護の指揮を取っていた。  顔を曇らせた文殊王が馬に跨り、悄然と当たりを見回した。方々で煙が上がっていた。大地震で火事が発生したに違いない。  天を仰ぐ文殊王。ポツリと小さな声で呟いた。「天道是非」              
(出羽の騒乱 完)