村田蓮舫は会見で"差別の犠牲者"を装っていた。
しかし、若いころは二重国籍を売りにキャスターをしていた。
特徴を打ち出して売り出す商法を"差別化"という。
差別はタブー視され、差別化は推奨される。奇怪至極。
人も物も個性がある。個性に応じた扱いは当然だ。
才能、勤勉さ、信用度などで人は差別(異なる扱い)される。
国籍による差別も国籍制度が存在する以上当然である。
外国人であることがメリットになる場合もあるのだから。
"差別"の悪イメージは黒人差別や女性差別から来ていると思う。
しかしこれは黒人や女性であることを理由にした不当な扱いの事。
黒人でも女性でも無能な人を解雇するのは差別ではない。
「差別」はレッテル。「不当な扱い」が正しい。
"不当"は相対的概念で何が不当かを明らかにする必要がある。
"差別"と言えば採用拒否も求婚拒絶も一応それに含まれる。
劣等感の強い人の場合あらゆる欲求不満が差別のせいにできる。
すべての失敗を差別に転嫁し自己正当化して虚栄心を満たす。
日本人の場合「差別に負けず成功した」で使うことが多い。
一方「差別ニダ。謝罪と賠償しろ」で使うのが朝鮮人。
価値観真逆。"不当"は相対的。日本人は価値観を押し付けない。
価値観の押し付けは文明国では明らかに"不当な扱い"なのだが。