前号で書いた宇久須での合宿が終わった翌日、早稲田大学の学生のK君と二人で、群馬県高崎市の若田浄水場を見学に行きました。K君はAIESECの活動で以前パダンに来て、我が家の浄水実験装置を見て生物浄化法について興味を持ったようでした。
若田浄水場は、生物浄化法(緩速ろ過)の第一人者、中本信忠さんも研究のフィールドとされていた浄水場です。私は本やネットで得た知識を頼りに、自宅で浄水実験していたわけですけど、本物(?)を見るのはこれが初めて。
グーグルアースで見てみると、浄水場の敷地は、きれいな四角形ではないけれど、およそ250m四方ぐらい。けっこう広いんですけれど、施設は至ってシンプルで、建物と言えば管理棟ぐらいなもので、他には砂を洗うプレハブ小屋があるぐらい。
敷地の大部分は沈殿池とろ過池で占められています。ろ過池は31m×41mのが10池。現在は4m/日という速さでろ過しているそうなので、ろ過池1つで5000t/日。フル稼働すれば5万t/日ですが、若田浄水場からの給水は4万tなのだそう。
生物浄化法であれば、施設はとてもシンプルになります。ですから、場所や需要に応じて、大きさを変えることも簡単にできます。
小さくすれば、私がやっていたような、0.2t/日ぐらいのだって作れるし、イギリスでは標準ろ過速度を10m/日にしているそうなので、若田浄水場のろ過池1つで12,500t/日にも出来るはずです。
急速ろ過では多数の付属施設が要るために、簡単には小さくできません。
最近、特に食なんかに関して、「地産地消」という言葉がよく使われますが、食に限らず、生活の基礎になるもの、ライフラインに関しては、大きなものを一か所に固めて作るのではなく、小さなものをたくさん分散して作るというのが、常識的と言っていい基本的な考え方でしょう。
水道を例に考えてみましょう。
分散すれば、それだけ配水管が短くなります。長い配管をめぐらせれば、それだけでもお金がかかります。新設だけではなく、耐用年数に達した配管の更新もあり、各地の自治体の財政に大きな負担となっています。
配管が長くなれば、途中で漏水やその他のトラブルも増えるでしょう。さらに、何かしらのトラブルがあった場合、その影響が及ぶ範囲が広くなる。つまり、災害に弱くもなるわけです。
大規模にしようとすれば、それに見合うだけの水源も要ります。
私の住む神戸市では、自己水源はわずか4分の1ほど。大半の水は、はるか淀川から引っぱってきています。確かに、神戸には大河川はなく、ある程度仕方のないことではあるようにも思えますが、生物浄化の処理場であれば、水源の大きさに応じたものを作ることが可能でしょう。水源が小さくても利用できるようになるはずです。
小規模のものであれば、地下水の利用も考えられます。大量の地下水の汲み上げは地盤沈下などの問題を引き起こしますが、地下水が涵養される範囲内の利用であれば、あまり問題はないように考えられます。
人の心理だって違ってくるものです。
はるか遠くからやって来る、どこでどう処理されたかも知らないような水の源になんて、そうそう気が向くものではありませんからね。
それが、もし水源が家から歩いていけるような場所にあって、その水を毎日使っているとなればどうか。
下水だって、基本は同じことです。なるべく発生源に近いところで処理した方がいい。
「地産地消」の地消ですが、糞尿やゴミを捨てるという発想こそを捨てたいですね。雨水だって、すぐに下水に流してしまうのは、いかにももったいない。日本は資源小国だと言われますが、それならば、なぜ資源になるものをエネルギーを使って捨てるようなことを続けているのでしょうか。
水処理の技術にしろ、いわゆる省エネ技術にしろ、一つ一つを見れば、日本は非常に高度な技術を持ってることは確かでしょう。けれども、全体として見た時に、あきれるほどオソマツなことをしてはいないでしょうか。
「理に適えども悟りに非ず」では、何をやっているのか、わからなくなります。
若田浄水場は、生物浄化法(緩速ろ過)の第一人者、中本信忠さんも研究のフィールドとされていた浄水場です。私は本やネットで得た知識を頼りに、自宅で浄水実験していたわけですけど、本物(?)を見るのはこれが初めて。
グーグルアースで見てみると、浄水場の敷地は、きれいな四角形ではないけれど、およそ250m四方ぐらい。けっこう広いんですけれど、施設は至ってシンプルで、建物と言えば管理棟ぐらいなもので、他には砂を洗うプレハブ小屋があるぐらい。
敷地の大部分は沈殿池とろ過池で占められています。ろ過池は31m×41mのが10池。現在は4m/日という速さでろ過しているそうなので、ろ過池1つで5000t/日。フル稼働すれば5万t/日ですが、若田浄水場からの給水は4万tなのだそう。
生物浄化法であれば、施設はとてもシンプルになります。ですから、場所や需要に応じて、大きさを変えることも簡単にできます。
小さくすれば、私がやっていたような、0.2t/日ぐらいのだって作れるし、イギリスでは標準ろ過速度を10m/日にしているそうなので、若田浄水場のろ過池1つで12,500t/日にも出来るはずです。
急速ろ過では多数の付属施設が要るために、簡単には小さくできません。
最近、特に食なんかに関して、「地産地消」という言葉がよく使われますが、食に限らず、生活の基礎になるもの、ライフラインに関しては、大きなものを一か所に固めて作るのではなく、小さなものをたくさん分散して作るというのが、常識的と言っていい基本的な考え方でしょう。
水道を例に考えてみましょう。
分散すれば、それだけ配水管が短くなります。長い配管をめぐらせれば、それだけでもお金がかかります。新設だけではなく、耐用年数に達した配管の更新もあり、各地の自治体の財政に大きな負担となっています。
配管が長くなれば、途中で漏水やその他のトラブルも増えるでしょう。さらに、何かしらのトラブルがあった場合、その影響が及ぶ範囲が広くなる。つまり、災害に弱くもなるわけです。
大規模にしようとすれば、それに見合うだけの水源も要ります。
私の住む神戸市では、自己水源はわずか4分の1ほど。大半の水は、はるか淀川から引っぱってきています。確かに、神戸には大河川はなく、ある程度仕方のないことではあるようにも思えますが、生物浄化の処理場であれば、水源の大きさに応じたものを作ることが可能でしょう。水源が小さくても利用できるようになるはずです。
小規模のものであれば、地下水の利用も考えられます。大量の地下水の汲み上げは地盤沈下などの問題を引き起こしますが、地下水が涵養される範囲内の利用であれば、あまり問題はないように考えられます。
人の心理だって違ってくるものです。
はるか遠くからやって来る、どこでどう処理されたかも知らないような水の源になんて、そうそう気が向くものではありませんからね。
それが、もし水源が家から歩いていけるような場所にあって、その水を毎日使っているとなればどうか。
下水だって、基本は同じことです。なるべく発生源に近いところで処理した方がいい。
「地産地消」の地消ですが、糞尿やゴミを捨てるという発想こそを捨てたいですね。雨水だって、すぐに下水に流してしまうのは、いかにももったいない。日本は資源小国だと言われますが、それならば、なぜ資源になるものをエネルギーを使って捨てるようなことを続けているのでしょうか。
水処理の技術にしろ、いわゆる省エネ技術にしろ、一つ一つを見れば、日本は非常に高度な技術を持ってることは確かでしょう。けれども、全体として見た時に、あきれるほどオソマツなことをしてはいないでしょうか。
「理に適えども悟りに非ず」では、何をやっているのか、わからなくなります。
コメントありがとうございます。まさかこのブログが先生の目に留まることがあるとは、驚きです。
またジャカルタへ行く機会が得られれば、先生がヤマハのCSR事業に協力されて作られたKarawangの浄水施設の見学を、次こそは実現したいと思います。