パダンで私はだいたい「センセイ」と呼ばれてます。日本で知り合った連中とその周辺では、名字に「さん」付けか、呼び捨てが多い。呼び方を「ジョージ」に変えようと企んではいるのですが、なかなか上手くいきません。
直接の生徒からならともかく、特に何かを教えてるわけでもないのに、先生なんて呼ばれ方はしたくないのですけれど、そういうことを分かってもらうのは、ちょっとできそうにありません。
高校の第2外国語で日本語をかじったとか、何かしら日本語を学んだことがあれば、センセイと呼んでくることが多いようです。例えば、例の町会長のようなおっちゃんの娘さん。今年の6月に高校を卒業したんですけど、中学で日本語を勉強したことがあるらしく、知り合った時からセンセイと呼ぶんですね。そこから広まったようで、近所ではほぼ私の呼び方はセンセイになってしまってます。
しかたないので、「先生」ではなく、「sensei」と呼ばれているのだと思うことにしています。
ところで、senseiこと私のインドネシア語です。パダンに来てから、もう8か月になります。「そろそろ日常会話ぐらいは問題なくなってきてるんじゃないの?」と思われているかもしれませんね。
ところが、私のインドネシア語は遅々としてあまり進歩がないようです。来月、日本語能力試験があるのですが、3級を受ける学生の日本語の方が、私のインドネシア語よりも上なんですね。私は英語だってたいしたレベルではないんですけど、100%英語を使う環境の方が、まだ言葉の不自由は少ないかもしれません。
なんでそんなに上達が遅いんだ?と思われるでしょうね。最大の理由はいたって単純。私の勉強不足。単語を覚えてなくて、語彙が足りないのです。
どうも私は、単純なものの記憶というのが苦手で、何かしら理屈がくっついて、他のものとリンクしていくようなのでないと、なかなか覚えられないのです。人の顔と名前を覚えるのも、誰々の家族とか友人という「関係」の部分はすぐ覚えるのに、肝心の名前はすぐ忘れてしまったりします。
私の英語能力のネックになったのも、結局は語彙が少ないせいです。大学のゼミで、帰国子女でTOEIC890点という人が一緒でしたが、彼女に「ジョージは発音がきれいだから英語が得意そうに思えるのに、なんで苦手意識があるの?」と聞かれたことがあります。
発音がいいのは、洋楽で英語を覚えたためでしょう。鳥の口真似と同じですね。でも、語彙も歌詞のレベルにとどまったままなのです。
英語のネイティブや彼女のように堪能な人としゃべると、なまじ発音が良くて「この人は英語で大丈夫そう」と思われるのでしょうね。ばーっとしゃべられて、ある程度は聞き取れたとしても、返答に困るのです。言葉が出てこない。
どういう答えを返すか考えて、それからそれを頭の中で英作文するので、すごく時間がかかってしまう。もし単語が出てこないと、そこで停止してしまうのです。
いまの私のインドネシア語もそんな感じでしょうか。英語の方がまだいけそうと思えるのは、語彙の差でしょう。
自分の勉強不足はさておき、ここから、インドネシア語が上達しない言い訳をしていきます。
まず、パダンでは、インドネシア語はあまり使われてないのです。主に、ミナンカバウ族の言葉、ミナン語が話されています。方言と独立した一つの言語との差がどこにあるか、私は知りませんが、日本語に対して大阪弁というような関係ではないはずです。
インドネシアは多民族国家で、各民族ごとに固有の言語を持ってるのが普通です。それぞれに似たところもあるでしょうけど、方言ではないですね。だから、インドネシア語のイメージとしては、ヨーロッパで英語が共通語のようになってるのに近いかもしれません。
ですから、例えば、日本語学習のために外国人が沖縄(それも田舎)に来たとして、周りは琉球語でしゃべってる、という感じでしょうか。
テレビや、学校教育などでは、インドネシア語が使われていますが、我が家にテレビはありませんし、私はインドネシア語をどこかで習ったこともないのです。
デキの家で、テレビでアニメをやってて、字幕が付いているのがありました。見てるとほとんど同じだけど、しゃべってるのと微妙に違うのがある。何語なの?と聞くと、お隣のマレーシアのアニメで、マレー語だそう。
私にはインドネシア語とマレー語は区別できません。ですが、ミナン語かインドネシア語かはすぐにわかります。だから、誰かに話しかけられると「インドネシア語でゆっくり話して下さい」が決まり文句。
長くなったので、続きは次回にします。
直接の生徒からならともかく、特に何かを教えてるわけでもないのに、先生なんて呼ばれ方はしたくないのですけれど、そういうことを分かってもらうのは、ちょっとできそうにありません。
高校の第2外国語で日本語をかじったとか、何かしら日本語を学んだことがあれば、センセイと呼んでくることが多いようです。例えば、例の町会長のようなおっちゃんの娘さん。今年の6月に高校を卒業したんですけど、中学で日本語を勉強したことがあるらしく、知り合った時からセンセイと呼ぶんですね。そこから広まったようで、近所ではほぼ私の呼び方はセンセイになってしまってます。
しかたないので、「先生」ではなく、「sensei」と呼ばれているのだと思うことにしています。
ところで、senseiこと私のインドネシア語です。パダンに来てから、もう8か月になります。「そろそろ日常会話ぐらいは問題なくなってきてるんじゃないの?」と思われているかもしれませんね。
ところが、私のインドネシア語は遅々としてあまり進歩がないようです。来月、日本語能力試験があるのですが、3級を受ける学生の日本語の方が、私のインドネシア語よりも上なんですね。私は英語だってたいしたレベルではないんですけど、100%英語を使う環境の方が、まだ言葉の不自由は少ないかもしれません。
なんでそんなに上達が遅いんだ?と思われるでしょうね。最大の理由はいたって単純。私の勉強不足。単語を覚えてなくて、語彙が足りないのです。
どうも私は、単純なものの記憶というのが苦手で、何かしら理屈がくっついて、他のものとリンクしていくようなのでないと、なかなか覚えられないのです。人の顔と名前を覚えるのも、誰々の家族とか友人という「関係」の部分はすぐ覚えるのに、肝心の名前はすぐ忘れてしまったりします。
私の英語能力のネックになったのも、結局は語彙が少ないせいです。大学のゼミで、帰国子女でTOEIC890点という人が一緒でしたが、彼女に「ジョージは発音がきれいだから英語が得意そうに思えるのに、なんで苦手意識があるの?」と聞かれたことがあります。
発音がいいのは、洋楽で英語を覚えたためでしょう。鳥の口真似と同じですね。でも、語彙も歌詞のレベルにとどまったままなのです。
英語のネイティブや彼女のように堪能な人としゃべると、なまじ発音が良くて「この人は英語で大丈夫そう」と思われるのでしょうね。ばーっとしゃべられて、ある程度は聞き取れたとしても、返答に困るのです。言葉が出てこない。
どういう答えを返すか考えて、それからそれを頭の中で英作文するので、すごく時間がかかってしまう。もし単語が出てこないと、そこで停止してしまうのです。
いまの私のインドネシア語もそんな感じでしょうか。英語の方がまだいけそうと思えるのは、語彙の差でしょう。
自分の勉強不足はさておき、ここから、インドネシア語が上達しない言い訳をしていきます。
まず、パダンでは、インドネシア語はあまり使われてないのです。主に、ミナンカバウ族の言葉、ミナン語が話されています。方言と独立した一つの言語との差がどこにあるか、私は知りませんが、日本語に対して大阪弁というような関係ではないはずです。
インドネシアは多民族国家で、各民族ごとに固有の言語を持ってるのが普通です。それぞれに似たところもあるでしょうけど、方言ではないですね。だから、インドネシア語のイメージとしては、ヨーロッパで英語が共通語のようになってるのに近いかもしれません。
ですから、例えば、日本語学習のために外国人が沖縄(それも田舎)に来たとして、周りは琉球語でしゃべってる、という感じでしょうか。
テレビや、学校教育などでは、インドネシア語が使われていますが、我が家にテレビはありませんし、私はインドネシア語をどこかで習ったこともないのです。
デキの家で、テレビでアニメをやってて、字幕が付いているのがありました。見てるとほとんど同じだけど、しゃべってるのと微妙に違うのがある。何語なの?と聞くと、お隣のマレーシアのアニメで、マレー語だそう。
私にはインドネシア語とマレー語は区別できません。ですが、ミナン語かインドネシア語かはすぐにわかります。だから、誰かに話しかけられると「インドネシア語でゆっくり話して下さい」が決まり文句。
長くなったので、続きは次回にします。
ジョージさんの英会話,今度聞かせてくださいね!
ちょっとひねくれてるかもしれないけれど,
そもそもジョージさんは日本語でも,単語がでてこないと,ときどき会話が停止していることはありませんこと?
というのも,主人はしょっちゅう,日本語で停止するんです。
主人は第二言語が話せても,母語でのコミュニケーションがそもそも苦手だから,上達するのに苦労するんだ~といってます。私からみれば第二言語の発音がとってもきれいなのに,苦手意識は消えないそうです。
私は頭より先に口が動くようなことはないのです。パダンの人は口が脳から独立してるような人がたくさんいますけどね^^;