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弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

公正な裁判には何が必要か

2012年05月17日 | 生き方・人生

日本の裁判官は、審理の過程で、心証を話すことをしません。

ですから、何を考えているのかさっぱりわかりません。

判決をみて初めて、何を考えていたのかがわかります。
当事者は最初からそう言ってくれればと悔しい思いをしたはずです。
そして、たとえば高裁でその点について反論すると、
今更そういう主張をするのはおかしい、つまり嘘ではないかというわけです。

でもそれは間違っています。
相手が何を考えているかによって説得の仕方はかわります。
ですから当然考えていることを言うべきなのです。

今、2008年の大統領選挙の民主党候補だったジョン・エドワードの裁判が
進行中であることはお知らせしました。
いよいよ大詰めにさしかかったようです。
検察、弁護側の立証が終わりました。
さて、次は日本でいえば論告、最終弁論が行われるのですが、
その前に、判事が解釈の基準を示しています。
選挙用資金の使い方についての解釈ですが、
選挙目的だけでなければいけないのか、選挙目的以外の目的も
あってもいいのか、についてです。
日本なら、こういうのは判決の中で初めて示されます。
ところが、アメリカでは最終的なまとめの弁論をする前に判事が考えを
示したのです。
ですから双方はその考えの上に則って最後の主張をすればいいのです。
弁護側は「選挙目的だけ」を考えていたようですが、それ以外の目的があっても
刑罰の対象になるということになると
選挙目的とそれ以外の目的とのバランスとかどちらが主であったかなど
争点が異なってきますからそれを前提に弁論をまとめなければなりません。
でも、事前に基準が示されたので、その準備ができます。
公正な扱いと思います。
日本のように、先に示してくれていたら、対応ができたのになどという後悔は
しなくて済みます。
やはり、裁判はこうあるべきです。

勿論、争点はそのほか多岐にわたります。
ですから、これが決定的というわけではありませんが、しかし、この部分は
双方ともに重要な争点としていました。

これは陪審裁判の影響もあります。
法律については判事の責任です。
陪審員はその法律の基準に該当する事実があるかどうかを判断するだけです。
ですから、陪審員が評議に入る前にその基準を明確に陪審員に示す必要があるのです。
素人の陪審員が判断するからこそ、間違いがないように
判事が明確にその考えを示す必要があるのです。

これはABCのWEBサイトからとってきました。
参考にしてください。

英米法では「実質的公正」とか「実質的公平」ということを最優先事項と考えています。

それは日本でも同じだと思います。

Edwards' lawyers hoped the case would rest in part on Judge Catherine Eagles' interpretation of the word "the."

The statute governing illegal receipt of campaign contributions "means any gift, subscription, loan, advance, or deposit of money... for the purpose of influencing any election for federal office."

The words "the purpose" suggests that in order for a conviction, the sole reason for the money would have to be to finance a presidential campaign.

Edwards' legal team argued that his main reason for hiding his mistress was to keep her secret from his wife, Elizabeth, who was dying of breast cancer.

The judge, however, decided the government will not have to prove that sole and only purpose of the hush money was to influence the election. It could be to keep it from his wife and to influence his political chances.


橋下市長といれずみ職員との戦いについて思うこと

2012年05月16日 | 生き方・人生

橋下市長は、あらためて感じるのは、いわゆる古き良き時代の
庶民の正義です。
そういえば、今の日本には庶民はいなくなりました。

そして素晴らしいのは、それを公言し実行に移すことです。
物凄い勇気です。

ただ、今していることは行政です。政治ではありません。
政治と行政は違います。

できるだけ早く国政に挑戦してほしいですね。そうでなければチャンスがなくなります。
ただ、どういう形で挑戦していくか?
良い悪いは別にして2大政党の形になっています。
第三極では何もできません。

難しい道ですが、期待しています。
政治はやはり庶民の正義だけではなく、リーダーの理想がなければできません。
今の政治家にはそれが欠けています。
私には群衆のようにしか見えません。ピカッと光るものがありません。

早めに次の舞台の飛び出してください。

違った意味で、日本はギリシャ化しています。


敢て見ない、目をつぶるという選択

2012年05月13日 | 生き方・人生

どこでも同じだなと思うことがあります。

小沢事件の問題は、要は秘書任せにしていて本人は知らなかったというものです。

イギリスでは、ニューズ・ウィークの電話盗聴問題で混乱しています。そのトップで世界のマスコミ王、
マードック氏がイギリスの公聴会で質問を受けました。
要点は「見逃してしまった。自分の事業のわずかな所で起こったことだから」というものでした。
いずれにしても申し訳なかったというものです。
本人が知らないというので、知っていたとは結論としていいがたいというので、
公聴会が出した答えは「意図的に目をつぶったのだ」「自分のところでそういう不正が
行われていることを知らなかったというのでは、そもそも世界的な大企業を経営する
資格がない」というものでした。
(多数決です。勿論、政治絡みですので、マードックに近い与党の関係者はこういうことは
いいません。)

また、今、これは進行中ですが、2008年の大統領選挙の民主党候補者だったエドワードが
選挙資金として寄付を受けたものを私的に流用したのではないかということで
刑事事件になっています。
ミストレスを隠すためですが、それが選挙のためか、それとも妻から隠すためかが
争われています。
もうひとつ、そのお金は選挙用ではなく、個人的な贈与だとも主張しています。
そこでも検察官は全く何もしらないうぶな候補ではなく、みずからも上院議員の経験が
あり、事情を知り尽くした人間が知らないなどおかしい、
刑事事件を逃れるために敢て意図的に知らないようにしている
“conscious avoidance,” deliberately avoiding knowledge to try to
escape criminal culpability
と主張しています。
全部側近に責任をかぶせてです。
(なお、選挙期間中に、自分のミストレス、そしてその子供を、部下のミストレス、
子供だと嘘を言わせたのです。スキャンダルが公になったときに、公に嘘をつかせていたのですが)
これもどうなるのかわかりません。
刑事事件というのは、「合理的な疑いをこえなければ」いけないという高いハードルが
あるので、「知らない」と本人がいいきってしまうと、
そして関係者も知らないと言い切ってしまうと、いくら知っているはずだと
思っても「知っていた」とは判断しずらいということです。
本人は別にしても関係者のだれかがはっきりといわなきゃ難しいということです。

だから、こういう構造のところでは、監督責任を定めることになるのですが、
そういう規定がなければ、事実上難しいです。
イギリスの議会が世界的な大事業家に対して「経営者の資格がない」などとまで
言い切ったのは、そういう法的構造に対するいら立ちなのでしょう。
小沢事件でいえば、政治家としての資格がないと言い切ったようなものです。

ちょっとおもしろいですね。

 


行動のとき

2012年05月12日 | 生き方・人生

オバマの同性婚支持表明の後、保守派の反対はあるにしても
やはり、その決断に多くの人が刺激をうけているように感じます。
彼の場合は、自ら思索したうえでの、決断です。
つまり、彼そのものなわけです。

そして思うのは、歴代の大統領と違って、軍や警察や消防といった
しかも第一線で命をかけて働いている名もない人たちに対に対する感謝やねぎらいの
機会が多いことに気づきました。

日本の人権派や進歩派と言われる人たちは、こういう人たちに心を寄せることは
ありません。
しかし、こういう人たちは、まさしく国の国民の命、安全、国土を守っているのです。
私たちがそういうことを考えずに生きていられるのは、彼らがその役割を担っているからです。

個々の人間が生きていくには、一人の人間としての部分とそれを支える共通部分とが
あります。
そのいづれが欠けても、一人の人間としての生はありません。
同性婚の部分が一人一人の人間としての部分(これをプライバシーというのだと思います)であり、
警察や軍に対する感謝は共通部分なのだと思います。

なお、オバマは特に一兵卒にあたるような軍の関係者に対して、教育を受けるチャンスを
充実させています。
一兵卒にとって軍隊は一時期なものです。
使い捨てにされるのではなく、国や国民のために働いた後に、大学等で教育を
受けることができるように奨学金制度を設けているのです。

彼は、自分の行動でそれを世界に示しています。
だから、みんながインスパイアーされるのです。

そう・・・・
行動です。
行動するときです。