国会でもどこでも、本当に正しい向きの事を言えなくなってきているはずです。
もうチャンス与えているかに見えて、罠にしかなってない感じだし。
私自身の人生の財産だけでなく、人生のアリバイが建てられなくなるよう次々
と運ばれたのだと、ここ7,8年で痛感してきました。
言葉にするしかありません。しかし、
何とか 言葉を つないで、相手にわかるように表現したいと思っても、
関係する言葉を これまた次から次に、
(わかってての)誤用、愚かな使い方な話題(事件ごと)になり、
ほんのわずかに言える場ができたに見えて、伝えられる言語状態にない
ということがあります。
広辞苑にせよ、国語辞典にせよ、予告にはありましたが、その単語のイメージだけでは済まない、大々的なやられようです。
でも怖さは盗まれるだけではないのだと、経験上感じてもいました。
というのも やはり、
改竄やページ替え、盗んでしまったりで使用者引き離したりができるから、
いくら誤用を公然とやっても、「ばか言うな、ほれ」と、だれも指摘できなくなるのです。
けっきょく、何度も大きく触れさせたほうが権利を得ていってしまいます。
いま、お題と感じている「倫理」関連を、また記事にします。
(もう息切れ!?・・・)
タイトル「意味を失った言葉と、もう存在してはいけない言葉」に関しては、書くべきテーマが多すぎて、ヤッチャッタ的😅
🙇引き続き、よろしくお願いします🙇