〔前編〕
建国は、日本国憲法の発布のとき、それが2月11日
5月の憲法記念日は別の意味、はっきりしたことの聞き覚えはありませんが、憲法制定にとって重要な日であることにちがいはありません。
新生国の建国と、永久の最高法規(に値する)憲法の施行開始は同じこと。
現在、ここが国であると思うほうが無理あるってことだったんだなあ😅
国民は必ずしも単一民族ではないけれど、昔からの生活を現地で認め、ひとり残らず見捨てることなく体制を整え、継続させる運びが10ヵ月(今じゃ2年くらいか)かかったということでしょう。
起死回生をねらって、全力疾走で総力をあげてうちたてた日本国憲法も、
ローマは一日にして成らず
万全と想定された通信状態完全アウトを知ったときはもちろん、最初から戦争をくい止めるための奔走は始まっていたことであるし、
その10ヶ月の集中奮闘のみならず、
戦前の教育勅語は、国民に憲法を広めるリハーサルの位置付けでした。
私は、例にもれず(?)教育勅語の主要部分を確認できて、
なんと!これは素晴らしい!
と心の底から思えたにもかかわらず、あっさり忘れている⋯
教育勅語の普及(憲法の普及のための試行)は、理由さまざまな惨憺たる失敗という結果が出ていたところへ、
教科書の黒塗りが大量全量発生、
そのムリヤリで悪がもちこみたがっていた戦争(状態)に。
幕末からつづく良かれの政策が意図がくまれず逆のことが起きていた…理解されうまくいくには、教育は欠かせないとの第一歩
そのための学習の必要性を念頭においてもらうべくの教育勅語の普及失敗の理由には、
・物が変えられてダメになったことがあったり、
・なにか強制に反発心や忌避感情にも似たものが出たり、
・肝腎なところはほとんど覚えられていなかったり等々、
ちゃんとそう聞いてはいても、そのときはまるで何のことか わかりませんでした。
でも苦すぎる体験後、なるほど教育勅語の失敗が分析されての、国の全力投球がここに及んでいたのだったと、
思い至ったときには、たった一人で各種同じ失敗を繰り返そうとしているのに 気付くのが関の山か💦
教育勅語の失敗の代表例が、丸暗記。
聞いたときは、それこそ半信半疑だったのが、ここ何年かで、自分や人間にとって重要なことは、文章や一時的なことでは覚えられない悪作用が必ず入るということが自他にはっきりしたのです。
やはりの、基本的人権と 天皇は国民の象徴と 国民主権をふくむ日本国憲法の主文、
とうぜんすぐ暗記できていましたのに。
あ、こいつ暗記しようとしてる💦と私をみた6年の担任の先生が好ましくないと慌てる様子があったのに気付きつつ。そのときはいついつまでも覚えているとふんでいた自分。
大学でも瞬間、読まれたくらいだったか…そのときは、まあ覚えているなという感覚だったのが。
いまは
文章としての再現はすでにあきらめています。
ではなぜ真髄の主張ができるかというと、先生の言わんとすることをそのまま受け入れ、家庭や学校など、生活においてこれならば安心という自分で分別していたことと照らし合わせ、自分の求むことと一致していたことを確認し、いかなる場でも意識していくものだと心得たから、それと、いったいどうすれば忘れられずに伝わるかということを 先人が練りに練っていたからだと思います。
明日香村で、私が自分で納得して実践したり引き継ぎたかった自分でまとめた2つの文章は、ずっと覚えておく気満々で
現場を去る前にも心で復唱して、これで十分!一生とどめおくと誓ったことの残存が、見事なまでのゼロ、すっぽ抜けです。
あのときも、覚えといてと言ったのは担当の現地出身の教授で、丸暗記的なことがダメだという意識が私のように無かったとみられ、国からの例の方は、私が頭で文章をまとめている様子を見抜くように やめさせようとしていたのですが、わかっていない私は頓着していませんでした。
試験対策では当然、覚えます。しかしこの行為のこだわりがあればあるほど いかにダメだったかということが、よくわかります。
悪に関する重要なことには、必ず
脳の仕組みを悪用した 悪影響があるからだと!
親や社会を通して、幼少期から深く必要を感じてブレなく培ったことでもなければ、悪からぬきとられてしまうのです。
悪から投入される造語は、前の記事までに説明しておりますが、危険で悪質、
これに対し、昭和に新たに発生し昭和57年ころまでに分類された言葉は、人間が確たる分析経緯を持ち、かつ、後に理解できるように事実を端的に表した名称のつけ方でした。
すべては、悪のやってきていることが対象なのでしょうけど。露骨になってきていることが、各々への悪からの騙しでわからぬようにされているのでしょう。
けっこうな無理がある事にすらつく悪の波及力に対し、人間の命をかけてもの普及努力は、かげろうのようだと、先人も言いたかったのでしょうか。
それと、
人間、よほど安全に暮らせているか、よほど必要にせまられるかの機会でもなければ、
しっかり念じていたことすら思い出してこないのでしょう。
10年以上前のネット上で、昔の戦争への流れの実際に近い知識のある方は、これは戦争となったときと同じ大衆の状態だ😱と。
それからの私は通信ごとを取り上げられ、ふたをあけてみれば、もうそんな本質的な動向を正面から懸念したような文面は見あたらないことに。
それはもう、第一陣の津波が去った後だったのか。
〔後編〕
もうこの身からしか示せないほんものの日本国憲法とその教育は、
厳密に、 万人に反しない事実のすべてを基として、言っていたことのみ。
私が申していることも当然、自他における事実と事実がそのまま示すことです。
なににつけ、どうにも伝わり続かないとはいえ。
厳密に事実しかない‥これは、政教分離(宗教の自由ながら、戒律などをもつことの多い宗教を政治にはめないこと)の言わずもがななこと、各宗教においては必ずしも万人に共通の事実を元にはしていないことからも結びつきます。
先生方の様子から、
1970年代前半までは、集まる情報は、新たに発生をする問題や、事実を裏づけることが主流でした。
しかし その後、通信操作していた"悪にしか言えぬ" 事柄の "あと出しもの" が混じりだし、わりとちゃんと学べていたはずの元生徒にまで、政府への誤解扇動へと絶妙なタイミングでメディア変遷していました。つまり、悪にゃエイジング入替えいともたやすい書物やメディアつっこみの回を追うごとに、どんどん事実と違えていってるわけです。ちゃんと習えていないと疑心暗鬼を生じさせる人が出てもおかしくありません。
「これは 私でなきゃだまされてるだろう」が、見ただけでもどれだけあったことか。(まあ、私も騙されようとしている1人だったわけですから)
それにしても、どんなにハチャメチャな歴史でも、それを何とも思わぬ人の多いこと⁈、ハチャメチャで結局なんとも残らないならまだよいけど、私などがいくらちゃんと説明しても本質的に理解ができなくなってくる洗脳になっているかと思うと、ためいき100回じゃ足らない。
あれほど慎重に厳密に本当の事実だけ が、
ぜんぶおじゃんにまで到達したのが現代。
いまさらに私の「物は全部騙しごと!危険だ」という警報発信を退けては、どう見ても怪しいだけの情報を讃辞しての享受になる人達。逆にこっちには、実際につばまではいてくるような態度。
事実はまったく裏返してばかりの情報には簡単になびいてその次がそら怖しい偽情報は、たやすく受け入れられ広まっていく…。
宇宙規模の単細胞な強さは、あまりにも強すぎた。
教科書の黒塗りだけでも防げないのだから、そりゃ立ちむかうだけ無理、
被催眠術で悪そのものになるだけの相手に、対処も限りなく無理。
いったいどうしたら、せいぜい現実に近づいてくれるのでしょう。
たいてい どなたとお会いしても、何かがうまくいかぬ強制力と、洗脳ものの強さからくるねじ曲がったとらえ方(本人は逆だと思ってる)による相互理解の遠くなるばかりを感じずにはおれない、今後もなのかなあ。
人類の歴史が地球ごと変えられた(改ざんされた)のと同じく、
事実経緯
見せられる物では、本質的に逆にとらえることにしかならない
・・・これは、可能な限り原因究明もされた科学で言えること。
万物に適用されるんだから・・・一事が万事。
悪の意図の虚実をひきいれたら、あとはもう地獄なんですよ
ストップ! (願かけ)