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報告ときどきピアノ

事実継承した時代証言者/永い目のリアルタイムでご覧を

がんば

2025-08-29 17:55:49 | 日記

    自慢じゃないけど、我慢強い私です。

妹sも、しっかり我慢強いけれど、条件などそろえば負けてない。

小学校中学年のころ、慣れれば誰でもできる三角頭立というので試されたとき、私以外の最長が2人くらいで、数分もいってないところ、私だけドクターストップの16分でした。

つまり、自分に何の得にもならないのに、自分の意志で どれだけ耐えられるかで、ダントツ(のバカ)だったわけ。

マラソンのタイムは 郷ひろみに まったく負けちゃってたけど。

   それに昔から、遠慮上等、できる限り控えめにし、自分のことは極力我慢、正確にとらえたことだけを言おうとしている気質については、引けを取らないよう自己制御は毎度意識してました。

そのことを誤解させるようなことが起きるからギョッとしてたけど。

 

    この基準をもって、私の言う「堪忍袋の緒が・・」とか「生きていたくもない」を推しはかっていただきたい。

それに私だって通常、あえてけむたがられたい、いやがられたいなんて思わない。

一刻も早く火の手を止めたい が一心だし、そう託されてます。

 

奈良には 飛火野(とびひの)という、奥の奥まで続く広大な場所がありました。

熊本にも不知火(しらぬい)という地帯があった。

どちらも火にまつわる地名だけれど、どうやらこの国土の無常の出来事を、瞬時に変えてしまう火という言葉で伝えているととれます。

「こちらと同じが 遠くあちらにも」を飛び火の現象と言っていたし、

「あれは、どうしてああなった?誰も知らぬ 不知火」のように伝わっています。

大ニュースでも、べつにニュースとして あがることもない。平成から現代にかけて、音に聞こえる聞こえない関係なく、大激変をしてしまったのを見過ごすのが当たり前になっているけれど、変化の限られた昔は 、昔からの地名に残して後世に伝えようとしていたんですね。

このもっとも大事な局面に、言い伝えの真意を受け止め、ふんばってください。

急降下を止めるのは、少人数ではムリですので。

 

先人たちは、第二次世界大戦に向かわせた原因が、せっかく教育を広めるべく用意していた教科書が 黒くつぶされた出来事 にあると見ていました。

大事な教育が狙われていることが重大なんだと。

  平和、つまり悪影響に惑わされることなく ちゃんと生きていけるためには、正しい教育が無いと無理なのだと、悟られていてからの

教科書の黒塗り被害は、

(主犯特定せずとも、)だれもが 戦意高揚のため と受けとっていたことでもあります。

 

国民のほとんどが何もかも誤解させられて、大衆 自ら第二次世界大戦を招いてしまったことに。しかも、その後もほとんど、戦後の未成年者には理解されていなかったところ、

    何とか憲法で必死に建て直し協力を得たけれど…

の その後。

教育は、私自身の知る歴史としては

小学校のあいだに、校長や教師など要人や有望な人が狙われ、中学では憲法教育が廃止になり、高校では日本史や世界史の授業に異変があり、わかりやすい生物の授業に中断があり、高3の3学期には物理も古文も数学も世界史も化学も、さらに倫理も、確かに教科書改ざんを見ました。大学の法学の授業は、終盤、何事か大事件があったと知らされました。

思えば、各種テレビの規定が破られ始め、

私の歩んできた足元から教育が崩れ落ちていたのに、つい、

まだ何とか先人頼りに 皆で問題にとりくんでいってもらえるだろうと楽観(したかった)…

甘すぎました。

「平和ではなくなる!」との のろしの合図を受けたことになるのは、思えば法学の授業の異変のあったあたりの時期。

やはり、戦争が何であるかを知っていた先人たちにすれば、せめて教育だけでも との思いがあったのでしょうけど、

この私も、自分が想像絶して さんざんな目に合うまで実体として理解できていなかった。

 

戦争のことを、各種聞かされると、幼少期から起こっていた避けられなく強烈な出来事の数々から、性質として ぜんぶ当てはまってきた私の経験です。

 

重要さ、何にも増しての真剣を、申し上げておきます。

 

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昨日の記事から(追記 2/29 6:50)

2025-08-28 18:01:27 | 日記

   昨日の記事 歴史 おきて! では、日本の歴史の根本を示せたかなと ⋯万人に知っていただきたいことです。

現代に悲痛な苦労あれど、

聖徳太子のころには すでに四苦八苦させられていたことがわかってくる…。

 

 さて、変えられていなかった言い伝えとは、必ず深い意味を持っているらしい。

子供の頃、聖徳太子のことを知らされたときに有名なエピソードを聞いて受けた印象と、現在とでは 受け取りが同じではありません。

とくに考察しない子どものときは、大人から適確な示唆を受けていても、どうしてもピンとこなかったり は私にもありました。

でも 今なら、なぜ わざわざ伝えようとしたかが 相当はっきりとしてきました。

 

たとえば、うまやどのみこ っていうは、お馬さんが寝起きする場で生まれたからですが、

子供の頃は、人間の住処ではないってことは、何やら不遇だったのかなあ

なんて思うわけです。

でも、実際を考えたら、お馬さんの入るくらいの建物は、すごく大きいでしょ?

資材を運び、山も川もどこでもかしこでも連れていってくれたお馬さんは、めちゃくちゃ大きい 人間のありがたい相棒で、機嫌よく元気にやってくれるためにはちゃんと風雨を防げるところ(入るには高い天井の2階分は必要)で休まないと。自然の状態では 本当のお馬さんという生きものは、足が4本とも元気でないと苦しんで死んでしまうことがわかっているし、寝るときは立ったまま寝るんだ⋯立つのをやめるときというのは死んでしまう以外では まず見ることがなかったんだって。

大きさはきりんさんほどじゃないけど、(競走馬より)かなり大きな存在。

馬の宿は立派なんだよと言われても全然ピンとこなかったのが、こういうこと全部まとめてさらに、このブログを書きながら よーく考えてみると、

母の実家は、まさに馬の宿でもあった!

母は 時を急いで現代の大人でありたかったようで、まったくお馬さんの出入りのことを私に言ったことがないけど、私ら子供には絶対に行かせなかった場所のことでの反応と、学校などで 馬糞の扱いを習ったり、稲を刈る実習で使う大きな鎌でなんかあっただの話していた様子とを結び付けると、察しがついた😜

あそこには西郷隆盛も泊まったのでして。日本の歴史も刻まれていて、この年齢になるまでおアズケに しすぎていたことに、ようやく気付いて、からの

聖徳太子のお生まれを同じ言葉で聞けば・・・

あら不思議。ぜんぜんイメージちがう。

  それに、聖徳太子は 我々と共にあった、れっきとしたご先祖様だよって思える。

 

聖徳太子には、10人が同時に話したのを全部 聞きわけて答えた という逸話がありますが、

これ、私が小さい子供の頃、クラスの中で休み時間、音の妨害など不自然なことなく10人がしゃべっているときに自分で試したことあって、「できた、まだもう少しいけそう」と確認したことがあります。

これは、いろんな条件で変わるから、もう試す機会を持とうなどとはまったく思いませんし、条件も含めて、子供のころとは能力が落ちてしまっていることは察しがつきます。

人間は、生まれてからも、進化をたどっていて、年をとっているほど脳は優れていたつい100年ほど前

から現代までに、悪影響の'ムリヤリ'が 優れたことほど増やされていることで、

進化とは逆現象に変えられていると、社会でも自分でも実感します。

こういうことは、深刻な過ちを引き起こすことになってしまうあの一言にまとめず、自分ですべてを繊細に分析すべし。

 

そうそう、「少年よ大志を抱け」の クラーク博士には、まだ大事なことがあったけど⋯と、思い出せずにいたら、これはネットでヒントを確認できました。

生物学者だったのです。

古来、日本で根付いてきた 家 の制度、長男、長女が引き継ぎにおいて重要となることに関しては、生物学的にも 理にかなっていたというような お墨付きがあって、日本国憲法にも参考にされています。

国民が生きていく社会の最小単位である 家 のことは、社会の核(要所)です。

悪に狙われるキーマンが、長女などであったことも、社会現象であったこと。(具体例は省略)

ポイントである基礎をきちんとふまえて、家のことの決定権は長男や長女にあるという定義に近い決まりを示すのが、法が破られる前の相続配分(以前示したけどここでは省略)。

   相続に税をくっつけるなぞ、弱り目に お家取り潰し方向 で、もってのほか。

さらに、法定と称している配分は、上記根拠からして違憲もの。

こちらが、ガバガバ盗まれるばかりだったという事情などなければ、法が違うところを指摘するだけだったかもしれません。

ひどい事情でも、長女である立場から 相続配分を自ら決める(ただの相続放棄ではない) ということで本来のあるべき姿に近づけようとすれば、

とんでもない極悪の横やり(家族等への影響つき)が猛威増し、ずかずか入ってこられたわけです。

まだ、過去形にはできていなさそうですか💧

私事とはいえ、ターゲット化された1つの顕著なことでもあります。

 

やはり、昔の学者の言うは、まったくもって正しかった実感に対し、

二世代以上前からの つながり整合性が自らとれていない物事が、いかに違っているかは、100%以上の警戒をすべきだと、はっきりわかることだらけです。

 

  人間の感覚についても、もとの基準を常に据えておかないと。

我々人間は、人間社会を形成してやってくるまでに、

危険がいっぱいの自然のなかで生き残ってくるだけの能力があって当然だったんです。

でも現在は 無いと思わされているか、閉ざしを受けている。

そして従来なら、動物は種によって それぞれ特徴がはっきり分かれていたし、同じ種なら共通点のほうが多い。(こういうことは、昔を知る大人のほうがまだ想起しやすいかと。なぜなら現在ではまるでごちゃ混ぜで、スッキリ受けとれない環境に変わってきてますもん。 )

分断したり、個々人をぶちぶちに分けてしまって極悪に向かされる考え方すれば、偏見の巣窟が増えるばかり。

みんな一緒、同じ家で寝泊まりしていれば同じ穴のむじな

同じクラスや職場仲間になれば、自動的にずっと友達、

大変なことになっている地球にいても同じ穴のむじな 

そのことを、はずしてはいけない。

 

何も 区別に苦労して、解決策を失っていくことないじゃん と。

    特殊な区別を作る考えや手間は、たばこより百害あって一利なし。

通じ合えることを大事にすれば、問題を少なくしたり防げる。

 

憲法は、万年万人の同意事項のことです。

   (えっと、聴覚のことは ちょっとだけ入ってますよね)

 

※ 古来の"制度”という言葉は、大事なことに焦点を当て強調するときに使われていて、(広く情報や優れたやり方を求める)外様大名制度など、功を奏して良い イメージがありますが、日本国憲法では、それらの良いことはすべて含んで(推奨して)あるため、制度を作る必要がありません。必要もないのに強制力を狙って付けてくるということには、良くない意図が含まれると言うことができます。

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歴史 おきて!

2025-08-27 14:44:53 | 日記

    なんだかんだ言って、我々は動物なんです。

宇宙人ですって言ってるようなものですか

じゃなくて、地球上で生き延びてきた者。

地球の歴史のなかで、人類の歴史はとるにたらないけど、

おそらく、

日本の国土も、陸地として かなり後になって(昔見た記述によれば、気まぐれな神様があーだこーだとつくって)できた所で、

さらに縄文時代も弥生時代も とてつもなく長く、

文字や書が  残ってきていた最古が、古事記。

それから、日本書紀。

こうぞ、みつまた から作られる和紙は、とても強度に優れ、いったんしたためた墨の文字は浸食なく、無事に残そうと思えばいくらでも保ったわけです。

    世界最古の木造建築とされた法隆寺が建立(こんりゅう)されるまでには、

聖徳太子の十四条憲法が。

古事記、日本書紀、聖徳太子

この三つは、そんなに年数も開いていません。

    日本の国土が創生され この民族らが このお国を母体として生きてきてから 聖徳太子までの  長大な時代からすると、

仏教を国として導入したりもした聖徳太子より以降は、

さほど長いとは言えません。

日本の有史とされる始まりは、世界の有史からすれば ひよっこ。

 

ですが日本の歴史は、物として残せた和紙とともにあるようなこと。

おそらく古代人が 仏教の教えのひとつ、どんなものも、形あるものは必ず~

を知っていて、明日香の山深くにあった人間では加工不可のビリヤード状の岩を、現地の人々が代々、変わらぬことを、古代より昭和末ころまで見届けてきたところ、

平成からいつぞやより、なくなったか変わり果てた姿になっていました。

歴史は(残っていない)途切れてしまっているサインと受け取れます。

  ただ 物として残そうとするだけでなく、

きちんと 読み(音読含む)書き、確認能力磨いてこそ、伝えられるものだと、

聖徳太子の時代あたりは 心得ていたようなんです。

 

人間社会の根幹を考えてくださった 聖徳太子さま、

和紙さま、墨さま、漢字さま  の  よんさま です。

(女性文字と言われる ひらがなは、その後の平安時代からだったと。)

 

条文をひと通り読んだときは、聖徳太子の憲法とは優れたものだと つくづく感じたものです。

のちにワイマール憲法を読んだときも、"理にかなってる"と感服し、

そして、明治天皇のもと、明治憲法ができ(明治維新で文明開化、裸で外を出歩いちゃダメになった以外は国民が世界の自由を満喫するがごとく)、それを前身とし、

さらにすべてのよいことを残し、

武力を持ってろくなことはないの反省を入れた日本国憲法が、猛スピードで打ちたてられた・・

知る限り、人類史上、憲法は この4つしかありません。

そのうちの3つが日本で、最初の聖徳太子の憲法は、脈々と受け継がれていたわけです。

人間だけでなく法をとりしまる番人である憲法は、世界史の中でも異才を放っていますし、

憲法意識こそが日本らしさと、こんなことからも言えます。

 

聖徳太子の生まれた頃は、国が そうとう荒れていたと。

これを解決するに、聖徳太子は幼少期から救世主のように期待されて育てられ、じっさい、功を奏したことになりますが、

持ち直した社会を維持するのは、冠位のある人々の書きものによる習得等、むちゃくちゃ 大変なことだったらしい。

空気のような存在感で、守られていて当然の憲法なのに。

人間社会の維持が並大抵でないことにおいて 効力あったのが、西洋でのスパルタ教育。

厳しい教育の代名詞ですね。

なんだかんだ言っても、教育を施す側が、物事を知ってなきゃ教材の判断もつかないわけです。

ちなみに、教材をちゃんとチェックしている優れた教師たちを、勝手な噂を立てながら廃業に追い込んでいったりと、教育の引き継ぎを なぎ倒していったのは、諸悪のヤツラです。

 

'国として存続するためには、憲法が守られていなければならない'

と、

'どうしたって守らなければならないことを示した、とことん自由を認めた憲法'

は、言い方かえての同義です。

究極の法の 一理といえましょう。

 

憲法をしかなければならないということは、将来が非常に危ぶまれる状態でもあった共通点があります… 

 

    ちゃんと守る必要にせまられている ところ、

日本国憲法の真髄が周知されていない

という、論外の危険にさらされていたと、各所で知らせてくれました。

 

日本国憲法は、一種の 自然の掟(おきて)。

文明と共にあった人間が人間であるのも、地球本来の生物、物理

である自然に従ってのこと。

 

ちなみに、もともと文は、理系を含んだ 学(がく)全般のことです。

文武両道は、武を広く言いかえて、学と 体育 の両方とも ということ。

    人間として ながーくやってきたこと によって、人間が人間でいられた⋯

 

自然の 程度を維持すること⋯

見えづらくされている先の自然循環を自ら意識することこそ

予防策になりうる…

    人間にかこつけて、あらぬ 怖しい悪さを してくる相手に対して。

 

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レモネードに

2025-08-27 09:32:29 | 日記

これ、自慢された日本製のレモン搾り器。

あわれ、150円で売られていたので購入。

宣伝文句は、しぼりカスが混じらずクリーンなレモン汁

やってみるとたしかに。にがみが出ない。

テコの原理で、軽い力でもしっかり最後まで押せる。

どの方向からも しぼり汁を垂らせるので、どの角度からも無駄なくまとめられる。

洗い物など、あと始末が楽。

  by 日本国憲法のまわし者

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正しいか判別

2025-08-26 05:06:36 | 日記

※丁寧文ではありませんが ご了承ください。

   

   海に入っていくと 行きはよいよい♪ で、気がつけば陸から遠く海底深い沖合いに至り、戻るに戻れないようなところにあっという間に来てしまうらしい。

これは、社会風潮に流されてしまうことと非常によく似ている。

現在を当てはめてみるなら、もう一寸先は、闇ならぬ、陸地がどの方向かわからなくなってきている状況といえる。

無政府状態というより、ほぼ、傀儡(かいらい)政権状態。

傀儡政権 の定義を 正してみると、

政治の最高権力者が、悪いものにとってかわられ操られているような 状態。

    歴史では、中国最後の皇帝、プウギが幼くして皇帝の座についてからのこと。詳しくは教えられていないが ; 先代までにかなり圧力のかかった出来事で、無理やりのやむなしの早期即位であった。国難を予期して対応画策する人々、つまり本来の中国施政にあたる側は、日本と理解のあった関係。台湾に渡った人々でもある。(台湾には元々複数の部族がいたり、日本とも関わりは古かったり、中国系も一様ではなく民族のルーツは複雑。私の滞在当時などは、中華民国 台湾省 としていて、大陸との関係や主張は 現在聞かれる事とは 反対に近い構図。)

歴史を知っていれば、傀儡政権の状態は、まさかにあってはならない社会の転落の兆しであり、転落そのものとしか受けとれない。

傀儡政権の実態は具体的には習っておらず、示せない。しかし、覚える気も起こらなかった漢字のごとく とにかく怖しい有り様で、見かけの政権の意図とは全く異なる悪政が次々と発令されている状態であったと、伝えられている。

お上と民が食い違う‥それをいえば、幕末や 他の国の歴史でも同様のことが起きていたと考えられるけど、

皇帝や国王の治政の意図が実際はどうであったかを知れた第三者の立場の日本あっての歴証として、貴重。

 

    日本国憲法で、国民主権としたのは、民とのくい違いや誤解で起こされた戦争(第二次世界大戦)や、これと同類の 傀儡政権を防ぐための、おかみと民の同化策と思える。

そういう意味でも、他人まかせ だったり、人を理不尽にせめたり、争ったり、排除的に考えるのは、対策に逆行することであり、道徳や人格的にもあってはならないこと。

    でも、そうせざるを得なくなるまでの、極悪からの突きあげや しつこい追い撃ちが存在するのは、自分の経験からしても想像にかたくなく、せめるような気は殆ど無い。ただ私としては、事の本質は提示し、考え方の改めで少しでも諸事の悪化が防げるなら と、可能性を提供したいだけ。そう理解しなくなってしまう人は、この記事を読まなくなるようなことと比例するけど…。

改ざんに左右されるようなことも含む、不可抗力 ;

私も不可抗力だらけ。あとから分析して違い等に気づくから、ケース把握が多くなって、ほかの場合の推測が成り立ったりするわけで。

老若男女問わぬ経験者の言うことに耳を貸さないまねだけはしてほしくないものだけど。

一人じゃ改ざんも防げないし、むずかしい。

    さて、

なかなか主語にできない相手から影響されないため、

江戸時代などには関所を設けて入国審査のようなことをやっていたわけだし、日本国憲法の発布までにはとにかく、誰もが家の名字を持つようにして戸籍を整えておくことで、極悪犯と区別できるようにされていたわけだ。

戦後によくあった、いきなり現れては「ここを誰の土地だと思ってるんだ」 と、脅迫的に勝手な所有権をかざされ、国民のほうの生きる つてや落ち着き先を奪われること

を防ぐためと習ったけど、

そういう事をする大抵の素性は、大衆洗脳、扇動を得意とし、戦争に持ちこませ、人間を根絶やしにしようとするものと同じ。

    昨年も、私をあてつけに現れ、心も人間関係も大いに傷つけていった者のやりようと、素性で直結する。

「見てろよ」「おぼえとけ」と脅してくる程度で終わればよいほうで、極悪目的を果たすまで粘られ(被催眠術者も操られて同様の行為が出る)、がんばって対処するこちらの消耗は半端ない。

そんな相手の素性は、私なら さまざまな観点でわかったりするけれども、社会の洗脳進み、憲法離れが顕著になれば、 たいがいでも判別できない人が出てきそう。

ちなみに、そいつらの名乗りは、「財務(省)の指示で、財務は 国だ」と語気強い 上から口調。

 

    小学校で ちゃんと次のように、わざわざ習っている。

「省庁、なかんづく省の名称は、ぜったいに変えてはならない。

省庁を示した表札は、日本国憲法の発布に併せて公式に作成されており、常に厳重管理していて変わらぬことを確認される。

この二つを破ることは(憲法違反で)超重罪」 と。

 

憲法違反ということは、この国、日本国ではない ことも示す。

 

国の 省は、

大蔵省、国土交通省、厚生省、通産省、文部省、農林水産省、郵政省

 

これで、必要不可欠 にして 必要十分

    補足として、

大蔵省には 日銀の関係だけでなく、大切な役割があるとだけうかがった。

 

    名称崩れた分だけ悪しき異変の出ているところであり、

極悪の意図、傀儡政権ごと、

あるいは、極悪犯の偽りごと であることは明確。

 

    皆様で 日本国(正しい憲法、人間のこと)を守っていただきたい。

 

 

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視力転換期 i

2025-08-25 12:35:38 | 日記

    近視眼的になる とは、自分のそばのことしか物事をとらえなくなることです。かたや機能的に 遠くが見えづらくなる視力を 近視といいますね。

どちらが先 というわけでもなさそうです。

早い話、悪影響にかかわることは両者同じと考えています。意味としては全然違うことを、じゅうじゅう承知のうえで。

なにしろ私自身と自分の周囲のことではっきりしていることが多いもので。

  でも  ここでは 保留に。

時代を大きくとれば、昔は近視の人はいなかったところ、次第に増えていました。

 あの黒い輪の上下左右の1箇所抜けたあれ(名称がすっ飛んでしまいました💦悔しい)で測る あるべき視力の基準は、どんどん下がってきました。

一定の距離をとって片目ずつ光を閉ざしての測り方。あれは、自己申告ものだけど、自分でも実際の見え方が把握できるから優れていました。かたや、1点のぞき込むだけのものは、あとで数字を聞いても 数字に明確な根拠ががつかめたためしがありません。各所、妙な現象も増えているし。

思い起こせば1972年頃、1つの転換期があります。

方向を示すことができるようになる(はずの)小学生になってから、視力表と日本製のスプーン状の目にあてるやつを使用した 視力検査が行われましたが、このときの視力表って、2.4くらいまではあったかな。大きいほうはたぶん0.1、こんなでっかいの、見れないとかあるわけ?‥って思った覚えがあります。

最初の視力検査では、一番下の小さいもの以外は、両目とも際限なく見えていました。

2回めか3回めに、1.5で検査を終えてしまうので、検査をした女性に疑問を呈したことがあります。すると「1.5が見えてたら十分だからいいの! 」…と。

何かにコチンと当たったかに感じました。

数値を測る のではなかったのか⁉

   たしかに、大戦前までの「産めよ増やせよ」の続きで生まれた人々の 子供世代(まだ一人っ子が珍しいくらい)の我々、マンモス校と言われた典型の小学校でしたが、この視力検査は、3校にバイバイ分校したあとだったので、人数的な負担はむしろ減ったばかりだったはずです。検査者が学校の先生だけでもないわけで。

問題の有無だけで物事を処すのは、個々人への繊細さのかけらもなく、非合理の入り口。

しかもその後の人生、身体検査や薬事において、あきらかに極悪な偽者にあたるケースが他者に分からないようにされて起きていたことを思えば、そのときの検査者も どちらかと言えば その方面に分類できます。

繊細なことや、正確性に 反すること は、すなわち

憲法の精神に反します。

    さて、あとを追うように、視力の関心の中心となる数値が 2.0くらいだった頃から約3年後には、1.5で検査を終えてもおかしくない風潮と、全体標準になっていました。

多少は年齢とともに視力範囲がせばまるとはいえ、まだ小学生の間での全体変化です。

 

レンズといえば、いにしへは、微細なものを拡大するためにありました。

顕微鏡や、時計職人が片目にはめるような用いかた。

音楽家のシューベルトがしているような、顔をあげていても常時ついているメガネは、シューベルトより以前にはなかったとみてよいでしょう。

レンズ(グラス)が2つある用い方が、メガネ。

 

メガネの肌への接触部分になど、よく樹脂(現在石油製品のこと)が使われてきました。

石油は古代の恐竜など動物由来の物質(化石)なだけに、なじむのかも。

ちなみに石油の前世代のエネルギー源は 木炭で、古代の(の化石)、植物由来ってことになります。蒸気機関車に代表される、当時は斬新なエネルギー源。しかし、炭坑の仕事は非常に危険で非常に過酷。(石油の掘り当ても採掘も想像絶して危険なようでした。)

長年走っていた汽車で、木炭をくべるところを見学させていただいたことがあります(炭鉱の閉鎖が続き、もう蒸気機関車の運航も終わりになる年ですが、そんなに遠い昔ではありません)が、文字通り重労働でありながら繊細な人間の感覚を生かせるよう、相当経験を積まないと いけない(火を絶やしてはならず、何かあれば危険な状態になる命がけ、結構な犠牲者が出ていた)そうです。

樹脂を成形すること‥これは非常に高度な技術を要し、人間がするとなれば各種コストもでしょうが、そう簡単にはできあがらないようです。

それを知っても知らなくても、最悪に瞬時に変遷する物を見るのは、何でもいやなことですが。

 

視力の話が、関連して、エネルギー源のことにもいきました。

自然とともにあって長く長く生き残ってきた民族、人間が、(昭和でいうところの)近代化 するにあたって、大変な代償がついていて、安全維持のために関わる必要な努力も 必ずどこかについてきている歴史があり、それは次第に偏り、見失っては(恩を忘れては)人類の支えを失ってきました。

それがもう、恩などを覚えておくのが1時間ともたず、

わけわからず仇にまでなってる世だ😱

 

つづく

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五感‥ぼちぼち

2025-08-24 09:28:44 | 日記

人間の感覚を5つ にすると、

視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚

・・・

   どうも、途方もないことに着手しようとしてた ⋯

学校で習うようなことからカッコつけようかと思ったけど、やめまして

とりいそぎ  ;

 

つまり、悪影響に関わってくることです。

悪影響によると思わせないように、誤魔化してある常套手段で、次のようなものがあります。

a. (目の)錯覚

b.  個人差

c.   感じかたの違い

d.  特殊な病気がある

e.   大げさに言ってる

f.   気にし過ぎ

g.  わざわざ騒ぎを起こしている等

というところでしょうか

    絶対に無いとまでは言い切れない程度のことなのに

安易で野蛮な偏見かたづけ として持ち出されたりしていないでしょうか。

なんか、

人が死ななきゃ 気付かない とおりこして、

   死んでも気付かない  に なってるほどに。

創作のお話「ピーターと狼」の元々の話のほうで、細かい描写や流れを読みとらず、死人に口なし、レッテル貼られた死人だけにすべてを押しつけになっていったことに、残酷さや気持ち悪さを感じないほどに。

   それだけ、洗脳ごとがまんえん しているのでしょう。

 

(憲法教育であったような)本来の 物の性質や 人間の

受け継がれた基本を知っておくこと

  は、

悪影響の存在をわりだすこと  と 表裏一体でした。

 

   このことだけで およそ理解いただけるかも。

 

関連記事をいくつか 続けるつもりです。網羅は困難かもしれませんが、

常に残していかねばならない知識や 特徴的な事例で、

      偏見情報対抗にお役にたてるように

 

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克服してもらうべきがぎょうさん?💧

2025-08-23 13:18:10 | 日記

 本日2投稿め  是非ご覧ください。


  これまでイイカゲンで間違っていても済まされていたことを、心して正していかないと、地獄化は止まりません。

洗脳ごとって、何か?

一見して たいそうなことではなく、ちまたに必ず存在していて、無意識に強めていってる類のこと。

それがある局面で津波に バける から、洗脳は怖いんです。

 

    地球上の生物であったら、主語(だれが)を特定すれば済むし、文章にしやすいけれど、宇宙規模の極悪は、通常、主語にできず、どうしても要らぬ臆測(←この漢字?あちゃ~間違ってた)が入ってしまう。

せっかくの努力が 一瞬で 水の泡に くつがえされるのも、おそらく洗脳(誤りを起こすよう誘導された脳の状態)が あるから。

   洗脳され期間は、(第二次世界大)戦中 から始まり、強まり、これは年数で80年、積み重なってしまったわけです。

 

  決めつけずに すばやく判断すべき局面を余さず誤っていない こと

をずっと続けられている人が 一体どれだけおられるか💦(自分に問うています)

 

ついに洗脳情報しか残されなくなった世で

どう情報を扱い判断していくか

これは、たしかに大変になってしまった

 

見極められる力を、悪の風潮の力に さからって強く意識していかないと。

 

単純に

「これだから、こうだから こうなった 」と、策略で差し出されたあたかもな事や、機嫌のよしあしで 判断材料にせず、

総合的に長い目で 見て、

端的に

(本筋が通っていることがふまえられた原因と結果によって)判断すること

を、守っていくようにしてください。

 

   (人間では不足の)物理的な力のみ を人間以外に頼るのは よい

けれども、

人間の脳に関する事だけは、絶対にサボっては(ショッカーになることは)いけません!

 

    正しい教育や社会の流れであれば、当然のことなのに

洗脳状態にあれば、ものすごく大儀なことに感じるのかも。

さらに逆風が起きますものね 💧

 

観測的に言っても、1970年頃からの最強は、戦後影をひそめたかもしれない悪いほう(地球外意図)の策略に転じていってます。

   その主語が無い最強の仕向けに従えば(脳が、さぼり続けば)

主語のある者 自身の 極悪へと、変わるわけです。

 

   多くの宗教で 力に たよればよいと勘違いをする信者が存在するので、どんな優れた宗教も 急所(弱点)となる と習っておりますし、さもありなん と思えます。

 

じゃあ、宗教にこだわらない日本人は‥

何にでも物(各々用に悪くされた言葉)に言われるがまま従っちゃってました。

   つまり、みんなして法律違反にばかり 従っちゃっていて、完全破壊寸前でした。

歴史を希薄にしていて、埋め込まれる逆歴史を信じちゃっていました。

通信は、肝腎なところ ごとに、肝腎なタイミングでぶち切られました。

 

これを、どうすれば食い止められるのか、

この先どうか各人考えていってくださるよう、憲法は望みます。

 


   このブログでは、申すのが保留になったままの、感覚に関すること

で指摘しておきたいことを申していったり、

   農業から離れているかたの割合が多くなった職業のことは、私も考察しようと思います。

(材料的になど 書けなくなるかもしれませんが)

 

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おもう

2025-08-23 08:45:28 | 日記

   いちるののぞみ

というものをかけて書いてきたブログ。

本当は、どなたにも 必ず理解されなくてはいけない内容ばかりだけど

過去には 少なからずの人々が 獅子奮闘で 改ざん変えにあらがい、

伝えようとしても滅したこと ⋯

すべてを危うくされた私1人に できようはずも ないのは わからぬでもない。

 

でも、お一人でも必要とする(ちゃんとした人間であろうとする)かたがおられるなら

できる限りのことはしておきたいと。

いろいろな現象を見れば、とんでもなく無駄なことと 思わされるけど。

 

やろうとしていることが、弔いの要素でしかない

それでも

弔いというのは とくに人間には、古代からみられた 特徴でね。

 

あったことを ちゃんと把握しておく欲は、本来の人間関係の源。

先人への弔いの心は、自分たちの 心を整理して 次なる種をまくことになるんだと思います。

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最初はエネルギーを使わずとも

2025-08-22 11:30:10 | 日記

   昨日アップの記事の補足追記で、獅子舞の作りについて さらに補足しますと、獅子舞の獅子の大きな口(あご)はパーク  パークと開きます。 これは、日本製ならではでしょう。

あごの付け根にあたる部分は、見たこともない形。

どうやら内部にも秘密があるのか、残念ながらメカに馴染みない私には、どんな構造をしているのか見当もつきません。

いわば、蝶番(ちょうつがい)の技術ですね。

あれだけ大きなものが、まったく何かに触れるような感じもなく自然に開け閉めできるのは、やはりただごとではありませんでした。

 

江戸時代からつづいていた技術は驚異的です。

からくり人形 は代表的。(見ることはもうできないでしょう)

二度ほど目にする機会がありました。

    一度は岐阜の高山だったかな、お祭で。2階建てほどの高さのある山車(だし)の上の先頭には、からくり人形。各 山車で技術を競っていたと聞きましたが、ある山車の からくり人形の様子をじっくり見せていただきました。まだ私が子どもの頃。

まさに感動という言葉がぴったりでした。

手足や頭の動き、そして目や口の動きがあまりにも繊細に連動していて、魂も感情も生命も、じかに伝わるがごとく。もう、生きているとしか思えないくらい。

本来のからくり人形とは、日本にあった自然素材からだけでできていて、電機などのエネルギーは一切 使っていないんで、感動はひとしおです。

とてもとても 優しいまなざしなど、唯一無二のところがまた親しみや感動のゆえん。 

    からくり人形の もう一つは、お茶を運ぶ童子。これも ぜんまい だけで動くのですが、目がくぎ付けになるほど細やかな動きなのに、お茶をお盆に乗せられて向きを変えしっかり方向と距離をまちがわずに目の前で止まり、お茶を受けるまでじっとしていて、飲み終わって茶碗をお盆に戻すと、ほどなく動きを開始し、向きを変えてお茶碗を返しに戻っていく‥

すべてが愛らしい。

   こんな喜ばしいことも、再現不能物の保存のための口止め的にか 特別な事として体験させてもらったので、申し訳なかったかな。でもそういったこと以外は全部妹が優先になっていったし😅  自分の感動の基準は、上がりまくった には違いありませんが、幸か不幸か 感動センサーはなくなっていないつもりですよ。

 

   昔から日本で 技術磨かれてきた 蝶つがいの つなぎ目は、電車など車両の連結に活かされたようです。

   汽車 ディーゼル車 電車が走りだしてから、車両を渡るときに、むき出しの連結での転落事故が(世界でも)けっこう、あったそうですが、日本の水平を保つ技術やジャバラ状の覆いで 解決したんですよね。

   以前に触れた風力発電の連結も、とんでもなく大きなものなのに、摩擦をほぼゼロにした驚異的な技術で造られていました。素材の丈夫さ軽さももちろん極めてありますが。(そういえば、かざぐるま。ずっと見てないな。)

1基(本)は巨大ですから、1基ごとに間隔を大きく開けており、見渡そうとしても3基めから先は、大きさが同じでも遠さで小さく見えづらくなるほどでしたよ!

 

   新幹線は、はじめから、スピードに無駄を出さない形でした。あのかわいい顔で。

もう、合成写真で偽りばかり出ていたので、若い方はご存知ないかもしれません💧

のぞみ のときから出ている先頭車両、あれでは かなり無駄が出ます。(なぜなら浮力をまったく生かしていないから。)

エネルギーを使ってスピードを出すことはできることになっているのに、昔の 新幹線 ひかり より、たしかにスピードが遅くなっていました。 国土を狭められている関係で、レールにも問題が出だしたようですし。それなりの別の技術があのカバ顔車両に隠されてたりして。

   開業からずっと、まったく異変なく無事故だった世界隋一の新幹線。(当時、スピードで同等はヨーロッパのテージェービーだけ)

起きだした国土や気象の異変によってか、急にストップすることになったりと 運行に異変が出だしたのは平成5年頃からでした。

(新幹線のよりによってカーブのところで2,3時間止まったかたからうかがうと、非常にきつかったと。わかります、ななめに傾いたまま⋯拷問にも近いでしょう。)

 

ところで 省エネといえば、自然や自然循環。人体もですね。

昔の日本人は 悪影響も少なく 自然から学べたので、高度に到達できたのだと、私には思われます。

 

 

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その場その場(補足18:11、追記 8/22 5:23)

2025-08-21 14:12:13 | 日記

(補足)下記に出てくる長崎の出島とは長崎県の西の海に向けて陸つなぎの道で出入りするきれいな扇形の土地、幕府直轄地で、江戸時代の鎖国のとき外国との貿易などの出入りをそこだけに限ったユニークな場所。外国人の居留もその出島に限ったと 習っています。特別に通されると(すでに平成、社会人のころ)、かなりの広さで住居も綺麗に何列か整然と残っていました。建物はシンプルなデザインで、コミュニティを考えた建物もあり、オランダ人であろうが中国人であろうがゆっくり過ごせたはずです。

同じとき、古くから続いている獅子舞いの様子を見せていただきました。ものすごく熟練して力持ちでないとできないそうです。江戸時代から同じ獅子舞を使っているのに、ピカピカ新品のように美しかった。獅子舞はいかにも中国からでありながら、日本車というか、日本的な特徴も見られました。残念ながらあまり明確に思い出せませんが、私の正面に来てくれたときのイメージ画です。スケッチに残したかったけど、たいてい消えてしまい絵がまともに残ったものはまずありません。それに絵は、社会人になってから滅多に描いておらず、それまでも見ながらしか描く習慣のなかった私。ぜひ、獅子舞をしている様子を絵にしたらよかったのですが、自信なさすぎて断念です。また、絵では足だとわかるようにくずして描いていますが、実際に静止するときなどは幅同じくしてつねにピタッとまっすぐしていました。各説明不足等、失礼しました。


   今また、激しく抜きとられてしまった地図を見て、…言葉もありません。


ところ変われば品(しな)変わる

との、言葉通り、基本的に現地調達、デザインも現地の風土に合わせて

が、日本のやり方でした。

こっちのみーずはあーまいぞ♪

と、繊細に判断して造りあげる んです。

日本の建築基準法を確認してはいませんが、おそらくある程度地域によって規定や基準は設けられていたのかなと推測できる発言がきかれました。

ただ、ドイツなどヨーロッパの街は屋根や壁の色を完全に定めていて(窓辺に花を飾らなくてはいけないとかも)、すっかり統一してあり、美しい景観が維持できていますが、そこまでは厳しくないけどと。

しかし、平成に入ってから、輸入住宅が入りだしたことで、100%の現地調達ではなくなりました。

さらに、まだ関西にいたころ、突如 どこのものともつかぬ、不釣り合いでがめつい大きさの個人邸宅がいきなり姿をみせることが次々起き、見るからによからぬ儲けで建てて幅をきかしている眺めは、奇異。

見たときは漠然としか気付かなかったけど、やはり、現れ方や形からして原子改ざんテクニックやらでできたものです。

昭和のころでは、大邸宅や いかにも個性あるデザインでも、細やかな工夫や快適さ、優れた長年のわざが光る つくり手の気持ちのこもった建物ばかりでした。

たとえば、かつての大使館街(多くの国も消滅してしまったのでしょう😭)や、かつての長崎の出島に建てられたもの(きれいな扇形の出島はもう目にしません😭)も、完全に原材料からmade in Japanなのですが、まったく外国の特質を意識しながら、頑丈で、細部まで丁寧、随所に格式ある素敵なこだわりがあり、唯一無二の建築なのです。

丹精込めて作られた半永久的にもってもおかしくない建物は、あの手この手で、悪影響でやられていきます。

前にも申したかな、コンクリートとは、永久にもつと確認されてのネーミング、これにムリヤリが入りだしたのも平成に入ってから。

私は、若い頃、汚れもないコンクリートの大きな柱を見てその日 半日もたたないうちに、何ら気象影響もないのに、同箇所で不自然なひび割れや錆びついて広がった箇所が 急に現れたのを確認したことがあります!

人工的ならぬ悪工的に出没したわけです。その頃あたりから急速に古い建築に経年劣化懸念が 世間で騒がれるようになりました。

まだ長い時間のころ、育った家は百年は十分もつと建てられた住宅でした。私もそのつもりでしたが、地震でもないのに急に不自然に大きな乖離が起こった など!など!、悪影響による変遷。

地盤沈下だって、悪影響確率高いですが、オバケはいないと決めつける人(つまりかつてのわが親。ごく最初はもっと柔軟性があったりしましたが、誘導は強かったか)は 全部、 そんな安易な ただの言葉や人のせいにして片付けていってしまうよくない癖があるんです。

 

   人が そのまま真剣に言うことを判断材料にするほうは、合理的で科学的。

 

反対に

過去にあったり、人の口にのぼっていることを 可能性から 排除してしまうのは、とんでもなく うかつなことで、非合理かつ 非科学的。

 

ちなみにテストには 悪影響のことが出題されることは まず ありませんから、テストの点数が そこそこ とれていたからといって、合理的で科学的な考えかたができるとは限りません。

 

    ところ変われば品変わる

これ、悪影響ごとでも 言えてしまいました。ぜんぜん違う意味になります💦

旅行先の韓国で飲んでいたお酒がおいしかったと、同じもの(缶)を日本に持って帰った人たちが、日本で飲むとおいしくなかったって‥ 雰囲気や食べ合わせでこんなに違うかな と言ってましたが、

その後、日本国内で、日本酒のはずが、開封すぐ、まったく飲めない ただのアルコールだったことなどで、ああ、それは

品変わる ならぬ 品入れかえられてる んだ💧 と。

(↑ 最後の話のほうの意味は忘れてください)

 

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今は今後

2025-08-20 13:32:37 | 日記

ヨーロッパ言語はラテン語から派生してますよね。でも本体のラテン語で話している人々は、とっくにいない。ラテン語が難しいから。

中国語も、広いから、各地でずいぶんと違ってくる‥でも漢字は共通なんです。

そのことを思えば、日本だって、一部 中国語。かつて台湾では、相手が(日本語教育を受けていないかたでも)北京語であろうが広東語であろうが、筆談でだいたい通じると、母が言ってました。

ここでは余談ですが、かつて台湾にわたって最初はピアノができないかもしれなかったところ、アメリカ製のピアノを入手してもらい(思えば 御大層なことだったんだなシクシク)、ようやくピアノを教えてくれる日本語を話せる先生の所へ通うことに。先生のお子さんか教え子だったかが、ある日宿題のノートをテーブルに広げてあったのを見たときは結構驚きました。ひらがなが無いので当然ですが、難しい漢字(日本で昔扱われていた簡略化していない漢字)で 整然とびっしりページをうめてあり、学年を確かめて日本と比較すれば、当時はまだゆとり教育の前だったにも関わらず、日本より多くのことを覚えているんだなと。

その1, 2年後から、大陸のほう、中華人民共和国では、簡体字が出始めました。私がこれを見たとき、なんじゃこりゃ~な、心底ガッカリするとともに、そこはかとなく危惧したものです。荒れた光景に、しきりにでかでかと出ている様子は一種の悪魔的な感覚も覚えました。

日本のように、楷書(かいしょ)でしっかり学ぶことを、多くの民が省いてしまうことになれば、文字が学問を伴わなくなる。漢字で深く理解しあえた民族の結びつきもなくなってしまうのではと。

日本の場合、草書(そうしょ)とは区別してあり、なんとなく助かったと言えます。

読みをひらがなにするように、中国語ではピンイン、ツーインフーハオという文字で習いますが、もう台湾でもこれを使わずに無理矢理ローマ字表記らしい。個人的にはしっくりきません。

日本も誰に断ることなく送り仮名などを変えまくってあるように、最初に覚える時点で楽をさせれば、本来、秘めている必要あっての規則や書き言葉としての持つ意味が だだ落ち してしまう気がします。

しかも近年では、本来の漢字の由来に反すること(悪観点)の メディア乗せ(させ)多発していたので、そういう意味でも言語はそうとう危機に瀕しているでしょう。

自然と共存してきたのが従来の日本の姿で、

日本国憲法ではその根本を今後もなおも重視することを求めているのに、けっこういい年した方が、自然に由来する言葉も知らない、通じない始末。

人間、国の間にとって大切な、自分たちを守る国の中枢が存在するためには 国独自の言語のあり方が、いかに大切かすら理解していない人は多くなってしまった。このへん、急がば回れならぬ、急がば今のうちにちゃんと戻れ でしょうか💦

 

最高法規は、根本を大事にし、広く長い観点により、論理的で正しいことを求めています。

 

個々人単位で、たとえば 部分的にアクが強いとかがあってもよいけど、契約に関する場面や 国に関する事、ほか互いの人間にとって大事なこと、将来に関することでは、最高法規の求めに沿わねばなりません。

憲法を誤らないことこそは、大人の当然の資格、責任ですよね。

さて、

アクロポリスは、ギリシャでいう政治、この言葉に含まれるポリス、警察は、政治のありかたの要素です。

アグリカルチャーは農業、には  カルチャー、文化 に派生する基礎が農業にあるとみられます。

最高法規は、(心身ともに)「健康で文化的な生活」を、この観点の両立が保たれていることで求めます。 

環境および人間が、悪影響によって常に同じでなくなったから、

なおさら考慮すべき基本を離してはいけない。(憲法を発揮しなくてはならない)

まず、洗脳ごとを自覚してもらわねば。(高い壁ですが)

 

    被雇用者には、団体交渉権が 認められています。

通常、企業に当てはめられていますが、ストは極力避けるにしても、きちんと憲法を見直すための議論の場くらいは、現在、どちらにも新たに設けられるべきです。

本当は 言わずもがな、国民全員が、事実に基いた本当の憲法を守る団体側 なのですが、力関係がもう逆になっているわけですから、とっかかり上、ひねり出した案です。

現場人数にかかわらず、正当な直伝憲法にかなっている側には、法的に 日本国民である全員分が団体構成人数です。

目には届いてこない実態が本当の改革。

改革と呼べるかは、後の成果で決まります。

 

正しい憲法とは と、伝承を持っている者への打診や確認があるべきでした。それを誰もが堂々とできる世を、せめて見たかったものです。

 

 

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老中六十

2025-08-20 02:16:40 | 日記

    ちょっと頭痛やらでサボり、休憩優先しました。

主婦や勤め人だと無理してしまうところでしょう、気楽ですみません。

勤務していて思ったのは、お昼寝タイムがあればいいのに…でした。

(とくに女性は体調のブレが大きいんじゃないかな、男性的な勤務のしかたが向いていない場合が少なくありません。)

でも難しいですね、ああすればこうなるの世。

一般的な勤務時の私の実態はお昼の休憩が30分を割ることが結構多かったわけで。悪い手本にしかうつらなかったよう。皆が悠々と昼休みに入っている中、15分割るのが当たり前に毎日続いていたころ、なんだか涙ちょちょぎれちゃったりしたっけ。心身消耗して帰る元気が残ってないとか変な時期も⁈こうなると、いけない奴隷ですね~

    その点、実態把握しやすかったり融通きかせてくれるようなところは働きやすいかもしれませんが⋯

どう考えても、人間にとって大事な人間の理解者が安全にいれる世でなかったなと、重い口をわらねばなりません。

こんな意味で、昭和の年功序列というのは利点の多い仕組みでした。

まずは人生経験(済み)でものを見れる

質を高める先を見れる

1年が長かったころの勤務経験の差はとても大きく、指導立場がしっかりとれる

のに加え、人間と社会の理解ができる 上の立場というのは、危険があったわけだったのです。

命の危険のある職務には、高額報酬という考え方が、ここにもある程度 当てはまっていたのだな

と。

しかし、家や企業の継承というのは、途絶えていきます。

これにじかに気づく人は、そんなにいないはず。(物を残して伝えたつもりの人も気付かないし、伝えられてはいない人も気付かないし、疑心暗鬼ごとを発生させられては断絶になるし)

図らずも(図られて⁈)一般標準とは、ずれまくりの立場をとらされてきた私だから、なんでも気付くようなことになっているのかも。

人間にとって合理的に優れていた儒教の教えは、やはり、親子などの継承を重視していたものです。まだ未成熟の子供としては、親のことを 杓子定規(しゃくしじょうぎ、四角四面)でとらえるよりも篤く(あつく)すべきだということのようです。

    あちらさま は、あの手この手で、親子や師弟 関係を軽視させ(儒教の教えを軽視させ)、人間の維持発展に欠かせない継承を 絶たせてきた としか思えません。

 

さて、江戸時代には、3度の飢饉という人間存続の大危機がありましたが、

3度の、有効な 改革がありました。年号をとって ○○の改革 と呼びますが、それぞれ、老中(幕府の最高職)の一人が中心となって行われ、それぞれ名前を習っています。(名称ごとは…いつまでの記憶だったでしょうね💧 新井白石しか出てこないや。さすがに見ればあってるかどうかくらいは言えるはずですが)

  八代将軍 吉宗によっては、目安箱の設置(広く庶民から情報を得る :当時は文章を書ける人だと見識眼が備わっている確率が高いし、特定もしやすかったとみられます)や 将軍自ら率先した 倹約令 によって、社会は安定、

良い治政の代表格となり、人気の将軍 吉宗を文字ったかの「暴れん坊将軍」は、ロングラン。ちなみに吉宗の顔立ちはなかなか端正で、暴れそうにはありませんし、ドラマの「やむをえん(で刀チャッ)」はやらなかったでしょうし。でもドラマのその場面では "みねうちぎり"といって相手を気絶させるだけの技であったと。火消しのめ組とつながりがあるのも、ドラマどおりのふぜいではないけど、近いものがあったのだとか。(あ、もうテレビもドラマも知らない人が多いくらいですね。失礼つかまつった。)

話が脱線しまくりだけど、吉宗が楽しぃマツケンサンバは踊ってないことまでは言ってないよ!?

 

最高職の老中は、文字どおり老人ほどの高齢者で構成され(ほぼ例外もなく)、老中を中心とした改革なければ、江戸時代だってそんなにもたなかったのです。

しかし、幕末に近づくにつれ、安政の大獄、桜田門外の変 のような、怪しい郎党からキーマンである老中が命を狙われている状況になってきます。

昭和の二二六事件も、けっきょく同種のことと、とらえられます。

   昭和前半までの 外国人も政治家も、似たような方法で命を狙われることが多かったようです。これが平成のころは次第に形を変えてきて、逆に死因などに頓着していないような時期もありましたが、さすがにそれを疑うようになるころ、さらに、死人に口なし化、相討ち的の悪質化が、近年起きたムリヤリ(元安倍首相の倒れたこと)とその後です。

幕末の志士は、高杉晋作など、二十歳ほどで 命を落としており、

おそらく、有望な若い人々が短命に終わることを憂慮した意味でも、年功序列の意義としていたものでしょう。

1年が早く過ぎ、単に金もうけや出世ごと、職務細切れにして人間のすることが無意味化していけば、機能的だった年功序列は形骸化し、いぶかしく思われても仕方ないかもしれません。

それにしても、老人がありがたい存在だったのに、老人って言葉がいやがられ、高齢者ってなって それもいやがられているところへ 後期~ だなんて、

やめんかい って。

そして、いつまで生きるつもり?の選択なんか させるな  って。

そんな賭け事に 手を出した覚えは ねえ!

命の洗濯 ならぬ 命の選択 なんか。

どうせ はずしてくるくせに⁈

 

つい、言い過ぎましたか⋯。

 


15日に仕上がらずじっさいは18日にアップしていた記事がコチラ💦

ショパン ノクターン 13 ショパン ノクターン Op.48 -1 gfp

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情報警報だなあ

2025-08-18 23:58:33 | 日記

  なにをみても物に従うよう 仕向けてあって、ものすごい!

それに、

あたかも定説みたいな口調や見せかたで、嘘八百を垂れ流しされているんだから、みんな頭がおかしくなっても おかしくない😟。。。

こんなとき、とっくに戒厳令でも出るのではないか だけど、

そんな 国の力はぷっつん だろうなあ。

つい、聞いたままに見たままに受け入れてしまう人が大勢と思うまでもなく、

まっさきに、嘘が出ていることに、はらわたがにえくりかえる。

そう、戒厳令といえば、ポーランド。

キュリー夫人とか、コペルニクス(だったかな?)とか、いかにも知能優れた人を輩出していた国だけれど、私が憲法のテコ入れ教育を受けている1977年頃には、けっこう国が荒れていたとみられ、戒厳令が出る という、歴史的なニュースが聞かれた。

たしか、キュリー夫人の父上も、強国に挟まれて かげを薄められがちな祖国を思い、ここは我々の土地だと足で地面を踏みたたくタイプの人だとされてたっけ。最初に読んだ子供の頃には、共感までには理解できていなかったところ、まさに今、自分は そういうタイプだとなってる・・・そして、国の中でのタイプってことは、さほど共感しないタイプも少なくなかった、国民によって熱が違っていた という、行間も よめてなかったなと。

子供の頃は、家で泣きじゃくると顔がはれてしまってバレバレだったので、感情の強さって、怒りより悲しみが強いかなって、思っていたけれど、

ややおちついたときにやっとできる涙を思えば、必ずしもそうは思えなくなってきたことがある。 それからは、どちらもつよくなるいっぽうで、交錯や合体となり⋯ って、比較してる場合じゃないか。

戒厳令とは‥たしかのおそらく、外出禁止などの行動制限だけでなく、情報を止める ということがあったはず。

けして短くない期間で、2回は発令されていたかと。

この日本がまだ国として存在の望みを持つなら、

こんなに、過去のことを嘘だらけにまき散らし、重要な局面はひた隠す 情報状態ともなれば もう、いっときでも流出を止める措置をとるのは、一つの手だと思う。

現在までに、ちゃんと知っている人は、もう発言できていないし、情報をしん酌(正しく判断)できてきたような人すら、情報発信の場からはずされているわけで。(継続が大事なのに。極力すばやく静然と元どおりにすべき。)

生きて確認がとれることと そのつなぎを確保していき、

そうでない物情報は、必ず大噓が含まれているのだから、注意喚起する。

 

誰もが、生きて全体確認がとれている状態ではないものには影響されぬよう、影響させぬよう、ふんばる努力をしてもらわないと。

物に頼ってきてしまった発言しかできない ほとんどの人や 波及前提のものは、もう頼れない。

そもそも子供の頃から変わらぬ記憶がある場合しか、その過去として発言すべきではないし。それを残された物などで誤って判断してしまい記憶変えているような人は非常に多いはず。

 

最良策を考案していただきたい。もちろん、人間で。

 

国  というのは、人間にとって必要な社会の 最良のかたち だと、習った。

日本国憲法を守っていない状態は、基本的に国とは言わない。

 

・・・・・・

前の記事で、漢字一文字で国名を表すことにふれました。

が、とうぜん、今から調べたりしないでください。私が国と漢字を示したものを見ている時点で、紙面にて改ざん変わり したのを、見届けています。

(覚えられない原因の理由には、こういうことが少なくないのです。)

違うものしか見れなくなっていく現実を知れば、

物に求める危険に 嫌気がさすはずなんです。

 

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ずいぶん下まで きて みえてきた

2025-08-18 10:47:59 | 日記

    私の考え方の性質は、自分でも親に言ってきていなかったな。

母の理解とは180度ほど違うかのようでした、いろいろ原因あれど。

でも、どちらも 時代の風潮とは違っていたのは同じ 😅(詳細 保留)

母とはきほん、同じような志向だったのに、悩まされるのは親子断絶ごと。

努力すればむくわれるとだけ思って、

こんなに頑張っててもダメ? でもいつかは‥

のくりかえし。

けっきょく何事も、" 自分の努力がむくわれることだって ほんのほんの一瞬くらいはあるのかな” って程度だったので、

自分の物事を過大評価(?)していたようなことに。

 

逆に過小に考えてきたのは、

地球レベルにないこと(注視はしていたつもりの)‥私でも。

 

推理するに、日本は、面積的にも かつての10%を はるかに下回ってしまいました。

体積はもっともっと小さくなります。

そうなると、地球は

ますます空気を手放し‥(物を引き寄せる力、引力  に関わる 重力がなくなっているから)

地球の空気の層、大気圏は、極端に薄くなっています。

 

人間が、大気圏を出たことを、宇宙に行った と言っているとすれば、それって

昔の大気圏(地球の上空)どころか地球上に上ってもいないのに、宇宙に行った気にさせられているわけです。

そして、物はもう、おとなしくなどしていない~いつでもどこでも意図的に変わっているのです。

 

天国と地獄 という言い方を かつてしていたのは、そういう意味だったのかと、思えてきました。

時代が進めば、水平線がほぼ一直線と同義であった かつてのことが、まるでユートピアや幻想かのようになっていくけれど、それは今からすれば(地球の中心からは)天国の位置にちゃんとあったわけですね。

かつての地の中に相当する 現在の地上の位置は・・・💧 たしかに、地獄化してる。

地獄とは、人間のハテ無き苦しみの世。

   英語の天国と地獄も、かなりよくできてるとわかる(想像できる)。

 天国のヘヴンは、イーヴンに似ている。

かつての地球と人間のありようを 維持できている(過去から変わりなく保てている)ことが、天国なのだと。

 

地獄(苦しみ)の代表的なことが、えん罪(無実の罪)だと、

                                                     私は身をもって思っています。それだけに、

憲法で求める合理性を求める気持ちは人一倍強く、

何事も、可能な限り正確にしておくことが その出発点です。

そうすれば、

"あらぬ苦しみ" を出さなくて済む ; 自分にも ひとにも

 

   つねに失ってきている物事含めて、

すべてを人知 結集で  見通せていた

正当な伝承の記憶にある  日本国憲法は、   永遠の最高法規 

 

   平和な世では そんなに意識しなくてもよくても、

これからこそ、ますます重視せねばならない

最後の一手です。

 

守られなければ それだけ、最後の一手の効力を失うことは いうまでもありません。

極力、主旨理解に努めることと、

このブログで申したような、これだけは! の具体的なこと(偽情報でかってに外しに従わされているような、本当に必要なほうの憲法に沿った法律)は、

言われずとも 厳に 守ってくださいますよう、お願いします。

 

 

 

 

 

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