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報告ときどきピアノ

事実継承した時代証言者/永い目のリアルタイムでご覧を

理想とは(追加修正20:19, 5/24 10:29)

2025-05-23 15:22:25 | 日記

※ 昨日から誤字が‥ 気づいたときにはパソ子を離れていたりで、修正遅れました😰申し訳ありません🙇‍♀️

  周囲の山々も、私の頭部も、ずいぶんとやられて小さくなってしまいました。

春や初夏ともなれば、ホントはうれしい季節なのに、ときどきベソをかくような天候や景色で、なんとも。

山々が小さくなっても、なぜ人々がすぐにギャッとならないかといえば、残った木々があり得ない方向に伸びていて隠しているからなんだろうな。

私の頭の形や大きさが急変しても、髪や髪型でか誰も気にとめないように。

でも頭だけじゃないもんな。

あんなこんなで打撃を受けても なぜ思い出すことができるかといえば、一つには幼少の頃から 場に応じた自分なりではあってもコツコツ真剣に生きてきたというのがありますが、やはり人間社会が成熟期を迎え、悪影響対策に絞られてからの優れた、そして親身な教育機会を設けられたからでしょう。そんな生き残り。

    極悪犯は、一人間の傍若無人や姑息とは、まったく桁違いの悪さ。
たとえばの特徴は、何でもあり犯罪者のほか あたかも大衆や 支持受け済みの虎の衣(表現)を借りている、支持者役を伴っているなど、自分は立場を確かめられることもなく攻撃相手には圧力包囲し あたかも偶然を装って瞬時につきつけている、またそうやって本来正しいほうの姿ややり方をまねて混在させてきて反感や疑心暗鬼を生ませてくる など、とんでもなく厄介なのです。

これらを鋭く見抜くにはまず学習にあたって、人間や自然は従来どうであったか、経時的なもののとらえ方、観察・照合の必要性、自分にだけでなくの被害の出かたなど問題を客観的に重視すること

などが意識されないといけませんでしたし、そう求められていたと思います。

かたやの現在、

学習どころか物がダメになったのに物に頼りだし、

人口把握もできていないでしょう。

自分たちでの安否確認だけがたよりですのに、断ちたがる。

有史以来、いや人類発生前から ここまで ひどい状況は初めてで、残念ながら、私と同じような過程をもっての学習をすすめたくても現在は困難でしょう。

 地球が所定の位置で同じような大きさで回っていたころには、人間は先祖代々 安定して生活を営み、大事なことを継承してきたわけですが、

驚くべきことに それがほとんどねじ切れてしまった今さら。

先人が悪の意図からくる予測がすでについてきたのも、当然といえば当然でした。


以前の記事で、メディア不倫は ほとんど不倫じゃないなんて話しましたが、

今日は

理想  について改めて述べてみます。

よく、理想の人 理想の家 なんて好みのタイプの代わりに 理想 を使いますが、ずいぶん意味違うぞの不倫と違って そのような意味はあるでしょう。

でも 古来の理想とは、そんな一個人の好みの概念とはまたずいぶん違っています。おそらく。

安全で安定した自然環境、循環 というのは、まちがいなく人間の理想です。

地球上の生物として、なんだかんだ言っても自然法則のみで生きられることほど納得のいくことはありません。

美しさの尺度でもあると私は思います。

人工的に、いくら自然の機能をそのまま模倣しようとしても、自然の掟にあれば、造形物でもロボットでも、実のところまったくもって歯が立ちません。

自然の掟を破れば、概念上は可能ということでしょう。

しかしこういったものは人の製作過程に はまらない部分が出てくるので、人間を介した十分な使いこなしや体得無ければその分だけ真心が存在しなくなってきて、その分だけ人間を表す芸術的な美しさは伴わなくなります…と思ってゆらいでいません

精密さにおいては、人間も けしてひけをとりませんでした。特に昭和までの日本人って器用だったんです。そんな人間の特典を 人間以外にあけわたして単に受けるだけなんて、私は面白くないし、それを扱いうるのが自然の創造主ではないことは明らかなので、自然から受けるような美しさは見いだせなくなります。

人工物と手作業は区別されますが、それは人間も自然の一環だから、手作業のほうはある種、自然の営みなのでしょう。

江戸時代からの本物のお雛様の雛壇は、それは見事でした。お人形とはいえ、一糸乱れぬ高い品格の顔立ちや姿、(金に松の屏風だったかな、それはギリギリ本来のものイコールではなくなった時が最後確認でしたが安定感と高貴を示していたのはわかりましたし、両雛が映えました)車や着物、楽器(演奏)、装飾、産物、植木、活動の細部に至るまでそのための粋を極めた材料で非の打ちどころなく仕上がったものには各々に魂が宿り、静かに訴え来るものがありました。(一体を除いて。代々守り継がれたであろうお雛様は一晩で被害を受け、とんでもない疑いとともにとんでもない悲しみと宣戦布告を一気に一身に受けることになろうとは。その前からの民芸運動はもてはやされてきていますが、その影で 絶滅を受けていた伝統品が多くあったとみられます。未来永劫、あのような高い品格をそなえたお人形を見ることはないのは確実です。こういったことはどうも世界共通です。)

自らを含め自然と真摯に向き合い、学び、呼応する活動を、美術、芸術 と私は呼びたい。

話を 理想 にもどしまして⋯

大いなる自然循環がうまくいっていることが、現実とは違う 理想(イデア)でしかないのは、悪影響から逃れられなかったからで、

哲学上 、イデアと現実が完全に分けられているのは、悪影響が必ずあることの暗示だったわけですね。(いま、自分で納得。)

数学で、証明には不十分すぎて役に立たない演繹法を 証明法の1つにすえていたのが、まだまだどんなことでもあり得ることを示す戒めのためだという…それと似ていると思えば、さすが(かつての)学問でした。

現在に至っては、そんなせっかくの学問も 悪もんに逆手にとられ、

証明の使い方も中身までも誤って悪の手法にしていたし、

きちんと理想へ方向を定めて完全なる状態を目指していても 悪影響に立ち向かわねばならないのを、理想を避けて逆方向に向かうことで理想とは違うものだと屁理屈ダダをこねていた

という、

しかも主要のいい大人が。

悪影響というのは、ちょっとでも浸食許したら、あとは全部やられる性質でもあるのに。

浅く狭い既成概念には、悪影響が存分にとりつきやすい、最悪ごとを発揮されてしまう、もうおおかたやられてしまっていた⋯これがどれだけ 怖しいことかを、今からでも社会全体で気づいていってほしいものです。

   少なくとも憲法が守られている中でしか人間はまともに生きれないところ、催眠術が入れば、憲法に背を向けることになっているわけです。

目前で起これば当初ショックに耐え対処に困惑しているだけに見えても、その人間の痛めつけられようだけでなく、内容的に催眠術の有無の判断要因、憲法違反が次第にも はっきりしてくるのです。

   加害者になりやすいほうは 本当の学問を軽んじ、言葉や概念を単発に覚えているなどで、悪の催眠術が入っていても自覚しづらいとみられます…

 

事実経緯に沿った真実が日本国憲法なので、体系的な知識となり、キッカケを受ければ記憶を引き出せたのでしょう。

 

 


  日本国憲法は、永遠の最高法規 
「日本国憲法の発布」(施行開始)より 永遠に定まっています

日本国憲法の発布以降の 日本の法は、初めから物の記録に任せない公布であり、こちらのような 本元による正しくあった伝承に託されています

治世も学問の伝えかたも、日本国憲法に準じます

基本は内面から正しく願います

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お知らせ 5/22

2025-05-22 13:36:48 | 日記

現世の記録は意図的なものしか残りませんので、これもやむをえずの記事です。

ある意味、注意喚起の必要を知らせていることになる特別な人々のことではありますが、事実を変えられてきて教わってきてしまっている多くの方へも、事例としてご確認いただきたく、お願いします。

上記写しのうち、コメント公開がご本人判断の方のことですが

訂正要求のち、我がコメントは公開になっていなかったところへ、別の方のコメントが表示されても、本文に訂正なども見られず

コメント内容が無視されたとみられるので

残念ながら、実態こちらで本日しか残らない画面をスクショしたものを公開します。

 

偽ごとの波及行為は重罪ですが、指摘にきちんと応じるなら、私として本人を咎める気持ちは当初 さほど ありませんでしたが、

指摘を知ってなお、その指摘を隠し無視する行為は、悪質な確信犯に相当、十分にお気をつけください。(ご本人に被催眠術がみられるとはいえ、こちらまで合理的判断を弱めるわけにはいきません。)

公認の審判者である私の判断は、かつての認可のみならず、世界やあの世に通じていることと心得ており、私からはこの世の罰則にいちいちはめてもらうつもりはありません。

そのとき そのときの事実は、一つであり、事実を歪める行為は、詐欺と同等以上の犯罪です。

その犯罪 も事実に書きこまれるわけです。

くれぐれも、もう 私に残念な思いをさせないでください。

 


  日本国憲法は、永遠の最高法規 
「日本国憲法の発布」(施行開始)より 永遠に定まっています

日本国憲法の発布以降の 日本の法は、初めから物の記録に任せない公布であり、こちらのような 本元による正しくあった伝承に託されています

治世も学問の伝えかたも、日本国憲法に準じます

基本は内面から正しく願います

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基本は内面から正しく願います

2025-05-20 15:49:38 | 日記

    昨日の記事; ぐふ老中からの改革、(ψ(._. )>大きく出てみた)

と言っても 改ざんで勝手に悪くなっている条件やめて、腐るのマシにしようってだけです

   どうも事実正しい教えを聞いてもいなくて、悪い逆恨みしてた人が結構いたことに気づかされました。

そんな人にも、私の背中に矢が刺さっているわけではないけど、口からも目からも鼻からもおなかからも心からも血を流すようにしてまとめたことを、惜しみもなく供与して修正なり肥やしにしてもらおうとすれば、感謝の裏返し作用が来る。悪人の住み心地が すこぶるいいのか…

    それでも、古来のまじめな皆様からはこの世からもあの世からもお褒めいただけた って、昨日から信じさせてもらっている私です。

 

「誰もが救われる、悪人をや」だったのが、

地獄まっしぐらのこの世では「誰も救われない、善人をや」になっていたのを連続体験上、解き明かしましたので、

是非 ここで必要な 方向転換していただき、

もとの「救われる」世にしていってくださいませ。

日本国の政治は、ほとんどが他人のための自己責任、

やるべきとき、今でしょ

国民改革は。


     天皇は国民の象徴

ごぞんじですね。

素直に解釈してみましょう。

 

天皇は、国民のお手本でいらっしゃる

天皇も国民である

国民は誰もが最高の権利、主権を持っており

国民自身が 天皇と同じ責任を意識せねばならない

 

 

  

過去に由来する正しい物は、地球上からすっかり奪われました。残された状態や説明物からだけで 過去を語るのは厳禁です。

疑わせるように残された状態や説明物からだけで 過去(現時点以前すべて)を語ってはいけません。最悪の虚飾行為です。
ご自身の当初から連続した完全な記憶と ひも付きではない記録や情報には、必ず危険情報が含まれます。特に 歴史、憲法や、私のこと関連‥つまり世のすべてには、改ざんが存在してきていますので、まにうけてのお取扱いは避け、人間のたしかな事実系統から乖離したものを習うようなことをしないでください。

; 悪の仕込みの、視聴覚に入り感情を刺激することは ちまたにあふれています。

⋯ どんなことでも危険情報になりえます。
たとえば、合成写真もの。時代を遡るほど写真の絶対数は激減します。また第二次世界大戦などベトナム戦争より前の時代には、整えていない場所の人の撮影による写真*は存在しません。私はその戦中までの人による撮影の写真及び動画をすべての有りようを確認させられました。
[* ベトナム戦争の現地で日本人が撮影して公になった、世界でも初めての整えていない場所の写真(広い川とみられる水中で幼子を抱え、さらに年齢の違う数名の子供が前後左右付近に広がって必死についてきているようす、ピューリッツァー賞受賞の白黒写真;私はとくに後ろの子供の表情が印象的でした。あるブログで紹介された 偽写真では すっかりカット変形されていて、優れた芸術作品としても違えられ、水中での大変さがわかる距離感や切迫感のリアリティもなくなっていました)が話題となりました。]
撮影していない写真の存在だけでも大問題だったのが、現在は合成とわかる偽造ものしか存在しなくり、近年、深刻な掟破りが発生してきてます。昭和から国関連の写真展の類が厳しく限定や禁止されていたのは、展示中に改ざんに変わるなどの悪波及を防ぐためでした。

第二次世界大戦後、ときの政府は 国民が立ち直ることを優先して、あえて汚名を着せられたままでもと耐えてきたのが史実です。この恩に背くのは大恥にして大罪、最も重要な対処すべき事実を見失うことに つながっています。


  日本国憲法が、人命攻撃・人格攻撃を禁じているのは、それらが悪の意向と一致する行為だからでもあるでしょう。まずは ちゃんと弁明を聞き、どんなに少なくとも半分以上は信じることです。いったん感情に走ってしまっても、できるだけそのスタンスを再度、作ってください。


 □  日本国憲法は、自身の 道しるべ、ふるさと … 法の省エネ(憲法の考え方)
  ■ 日本国憲法は、永遠に理にかなう最高法規
  ■  絶対、制度 を存在させてはいけない!
 (憲法下において、 制度は 憲法の凌駕、無視、違反になる。制度の字が出ていたら犯罪者側の改ざん由来で間違いありません。 )
  ■ 国民の互いの 日本国憲法の遵守言動が、例外なく必要不可欠 さもなくば 戦争状態と変わらず

改竄(かいざん: 現在は原子操作されているもの)とは、たった1つでも想定外に事実根底を違えられ大規模、重大な影響を受けることを、改ざん方法の重篤さもあわせていう。
すでに注視させられるもの全般に改竄が及んでいます。
原子改ざんと、脳作用のありようをしっかり考慮されないと、必ず冤罪を出し、大事を誤ります。 
見える物事は、犯罪者の虚偽の可能性高く、常に自他の既成行為をはめてしまわないように。

日本国憲法の発布 前までじっさいの写真はごくわずかです。

戦後日本が世界トップとしのぎを削って発達したカメラも1枚に2,30分ほどかかる手間を要し、三脚水平の位置設定から貴重なフィルム材料から成功率から、昭和前半ではよほど特別な場合の整えた状況でないと撮影は行わない。活動写真に至っては昭和後半にかかるくらいに可能となり、屋外持ち運びとなるとさらに後のことになる。相当の改良がなされても、何段階もの微調整が必要。

人間が撮影していない合成写真の存在がまず問題であり、その出され方は、人間をはめていく悪質な目的。

見る人によって、自動改ざんにより異なってくることがまず、重大な誤解に導かれるので、撮影者が確認できないような写真は、出てきても人目に出さないことは法令で定められていました。

また、カメラワーク従事者と、状況確認者は通常別です。

東京裁判といわれた時撮影は1回のみであり、私はその写真を確認しています。授業で聞いたとおりすでに(裁判前から)囚人服を着せられた被告人 が、一面の白壁を後、長机を前に激しい恐怖と諦めの面持ちで立たされて、その4.5mほど離れた写真左側にはアメリカの若い白人男性が白めのシャツのような服で姿勢を斜めに肘をつくようにして座っているだけの光景シンプルなもので、撮影位置は写真の右手前、被告人位置から10m以上手前の位置からです。

裁判の英語は日本側にはまったく理解されず、被告人らは判決理由や結果をあらためる時間はいっさいとられることなく、何者らかによる処刑が先行されました。

二・二六事件 の事実はこちら末文見てるつもりは? 、生きていた伝承 または
なお、このブログでは第二次世界大戦直後、万人一致で確認された事実を扱っています。慎重なる必ずの情報共有を、国民としての責任をもって お願い致します。

現代までに出回った ~症、~病、 ~障害 、そして制度ごと は、上記改ざんによって浮上した 違憲(偏見設け、実態真実ごまかし、伝達や発展の妨げetc.)言葉なので、業務取扱者はもちろん科学理論にのっとって廃止のこと。
認知に症をつけた造語があるだけで、人の脳の 尊厳を死に追いやります。
 認知 は、脳がやる行為。悪の作った ~症をふりかざして 互いの行為の可能性を奪い、人間を捨てさせるのは絶対やめましょう。
このような、人間否定する悪の差別用語とおりこしての拷問用語は、目や耳にしても無視してください。
今後万が一、業務上 ○○症として取扱ったり公に口にする者が もしいたら、免許剥奪。
一般においても、このような危険知らせに わざと目をつむり、やっきになってこの悪の造語を口にのぼせたり拡散するのは、重罪行為です。
引き寄せなる うつ病 や、 アスペルガー症候群 についても定義拡大の危険誘導がみられました。
病名をムリヤリつけずとも、その前にすべきことはたくさん。まず自分達で具体的な言葉にしようではありませんか?
当人納得こそが手当ての第一歩
具体的な物事で、そのたびにできるだけ早く解決法を確認しあうのが、一挙両得の近道。
  理不尽を正し、迅速に被害者を守り、被害者にいわれのないことをそれ以上押しつけることなく、社会的に今後起こさない。何かあれば悪波及にならないよう、社会全体の責任で対応策を練る。
こんな基本、憲法体制下ではやっていました。悪が入り込むからできなくされてたのです。
 万事'〇人に口無し'になり、しむけにのって
人に責任を押しつけていることになって、ただ、被害者(冤罪)を増やしていたから基本から離れたのでは?

日本国の 障害者 は、本人に原因のないハンディキャップをいい 理由が 千差万別で人それぞれ。
基本、ひとくくりの 一般名称あてこめ や 言及、対処は、禁止されています。
第二次世界大戦後 負傷兵の意味を継承しています。 悪影響の由来と一致してくるため、のちに生じたりしている先天的なものなども意味合いに含むようになったとみられます(昔の琵琶法師は、当時現存希少の伝承者で、目を見えなくされてているなどの妨害受けも出ていたそうです、このような声明ごとも昭和で途絶えてきていました)

日本国憲法では 争いごとを基本的に禁じています。
資本主義(の原理 市場競争)も、投票も、一部慎重許可の試行導入にすぎません。スポーツは優れたルールあってこそ、
ゲームもルール公平な遊びの範囲でという規定です。
ただし、切磋琢磨の競争(コンクール,コンペのような)や 論争のように、争うの文字が入っていても実質は技や論をつき合わせること、こういう性質は 法律上の争いとはみなされません
   共通理解が多いほど、議論から論争にいくようなことはなくなりますし、互いの論が 憲法に従うなど目的の共通や やりかたの一致なければ、論争すら成り立ちません。


このブログは  私1個人が、旧来つづいて 万人の認めていた真実のみを 実際動向と確認しながら継承した 唯一のものです
一貫性がとれていないような発生ごとや、似て非なる記事等とは 区別くださいますよう お願いします

 

まだ人気でない記事: 懸念されていた分業と医療体制,   教わるといふこと,   人と人間と,

  キーマン 豊臣秀吉 

日本現代史関連: 知っておくべき のお願い _真珠湾,

哲学の祖 ソクラテス「悪法も法なり」の解釈 - 今だからよりわかる集団自決の気持ち,

物で進む 胸が締付けられる大型犯罪 2・憲法で防ぐ - 昔から続いている戦争状態MAXに

 

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今日の朝礼 あらため 昼礼(追記等21:12,5/20 6:30 7:31)

2025-05-19 12:51:51 | 日記

   本来の やまと を ご案内の方が、ずっと同じ人だとすれば、お名前を聞いていたのに今となっては忘れており(普通ならちゃんと覚えているでしょうけれど、私にも色々作用があったので特定的に抜けることが生じております)、 かなり 立派なかただとは聞いていました。見渡す限りの広大な大地で。

その初対面のときは東京大学在学中だったことも親などから聞いた覚えが。 

だいたい私とはひとまわり強ほどしか離れていないことになります。

 

当時はまだ国のことがわかっている優秀な方々が大勢いたでしょう、それでもどうにもできなかったのに、すっかりアンポンタンになった私から  ⋯はい、無理でしょう。

けど、責任感ってやつはどうしようもありません。

このブログにおいでいただく方々も百年目😓、記事の最後までお読みいただくよう願っております。

 

成人年齢を上げるべきなのに下げてきた⋯理由あるとすれば

懲罰見せしめ社会嗜好の一点のみで、あきらかに悪い奴らの仕向けごとしかない。

催眠術は誰にも強烈にかかるもので、犯罪なんかやらそうとしたらいくらでもやりよるし、だんだん、犯罪者の割合が増えてリンチ社会になってしまってもおかしくない。 

洗脳で斜にかまえた見かたさせては、誤判断強要していた両面攻勢だし。

そうやって悪に乗っかり加担する人が増加するほど、地獄化は進むのです。

地獄って何だと思いますか? 人間がこれだけは絶対にいやだの想像をまだでも超えてくることです。

   母の郷里の神社には 樹齢千年はゆうに超える大木があり 造りに奥深い歴史を感じさせる所でしたが、手前の門にあたる建物の左上には、非常に古くから残る地獄の絵がありました     ⋯未だに言葉にはしたくないですね。ホロコーストより酷いといえば、わかってもらえるでしょうか。

神社というのは、神のやしろ。ヒーリングだとかパワースポットだとか ゴリヤクは、あるかもしれないけど、焦点がずれている気がします。

神様だけに、教会と近いかもしれませんが。

 

   ここ最近の記事で、現代は みかけ倒し平和(これもかなり重要ではあるけど)の 実質 音のしない戦争状態であることを おわかりいただけるでしょうか。

やられつくした方々からは、結局、最初から最後まで何も聞こえてきません。見えてきません。

空襲のような音のするようなものでさえ、希少ながらも 単に助かっている人からの証言でしかなく、もっと確実に、身にせまっていた真実から遠ざけられてきているんです。

少しでも地獄化を遅らせて回避するには、

昭和51年頃から傾き始めた極悪犯の社会浸透と誘導は、騙し討ち逆政に、逆対処であったことを認め、改ざんはどこにでも入る警戒をもって単刀直入に戻すことでしょう。

 

  資本主義経済は、民間においても仮導入でしかなかったのであり、

ましていわんや、この考え方を政府に持ち込むような愚を もうおかさないこと。

政府にとってのお金は、常に憲法発展投資の仮勘定。
国民を公平、明白、正しく富ましているのが政府の存在意義。

税金は、社会が人の育成や健康や文化の発展のできるよう、そして基本的人権が保護されるための調整です。

政府のこづかいではないけれど、余剰を提供してくれる人には感謝も示さなくてはいけない。

国民は国民でそんな政府のありかたを同志として支えなきゃいけない。

ちなみに、国債は、会計上 国の借金ではあるけど、
元はと言えば、戦後の焼け野原から復活できて個人生活が成りたった人々が、国への感謝、応援、
そんな かけ捨て投資の意味がメインなのです。求めて返される権利はあるけど。

おそらく現在はその原点を見失っていることでしょう。

ふくれあがった国債への見かたは、今一度  国民全員が、先人の想いを謙虚に受けとめて改めるべきではないでしょうか。

こうやって税金とは何かを正せば、やるべきに向かえる。

   平成までに上がっていた、低所得者(エンゲル係数[家計の食費割合]の高いこと)の税率は極限まで下げるべきで、桁違いの桁上で数字の変わるような極端な高額所得*でもなければ、税率は(生産年齢以外の低所得者扶養控除の)10%の一律でよいと思う。というか明白にそう定めるべし。

当然、何度も申した経済活動の息の根を止めるピンハネ税はもってのほかで、消費税は1%即日実行と、上記 所得税の低負担・公正明白化は、同時進行とされたい。

 

   基本、情報には お金をかけさせてはいけない。

知る権利や言論の自由の妨げになるのは言うまでもなし。

憲法判断機構を抜かれた現在、真の情報は

真の情報を持っている本人を介してからしか得られない

     便利だけで判断すれば、必ず誤る

 

昭和の時期、街中の電器店の店頭で人々が集まってテレビをみている状態は、テレビの宣伝だけでなく、国民として必要な状態としていたのです。

これを発展させた工夫を、復活させたほうがよいかもしれないし、いいかげん、勝手なバージョン変えはやめたほうがよい気がします。

憲法を正しくしている国民 への 無視は、大型自爆弾(殺人行為)と同じ。

 

憲法理念の一つ、万人に ひとしくする べき なのは、

不便をとっぱらい、だれもが安全でいられるように。

 

そうすれば、便利を得るために わざわざ躍起にならなくたっていい。

 

 

* 相続税計算では段階で控除額を設けるやや面倒なことであったが、課税所得額の切替値を上回る部分に税率を変えればよい話で、母が嘆いていた段階逆転の大差を生ませないこと。ちなみに、相続税は実質弱っている者や状況を叩くだけの違憲税、廃止のこと。



    このブログのなかで

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痛みのこと体温計のこと もろもろ(追記17:10)

2025-05-18 13:36:59 | 日記

   車の教習所のある先生が、雨のときは膝の関節が痛むと言っていました。

ちなみに、車の免許をとろうと思った動機は、自分が創作活動や後の仕事に必要な運搬ができるように で、大学に入ってからまもなくのことでした。


雨といえば気圧も違うし湿度も全然違う・・・とはいえ

古傷を持つと繊細になる・・・とはいえ

人間の体がそんなにかっきり反応するのは、

どうも自然なことには思えないなあ というのが内心の感想。

痛みというのは、人間の重要な 指標なので、

真剣にとらえ、私はその疑問を保留にしていました。

 

痛みというのは異常を知らせる警報です。

なんとなくわかってはいましたが、私がある年(40だい半ばかな)、GWの前後またにかけての最悪極めた消化器症状やインフルエンザ合併の激烈苦痛な病気をしてやっと症状が落ち着いて(といっても水が一口飲めただけ。それから何年も油を極限まで控える必要となりました😭)、近所の病院に行ったときの医師が私の腹部の外観検査の後だったかに仰天して「痛みを軽視してはいけない」 と、火災報知器の例をもって熱弁しておられ、頭ではわかっていたものの、何でもかんでも我慢してナンボ(関西弁)と思い続けていた私にしたら改めて諸事肝に命じるべきことではあったと理解しましたっけ。

私が申す痛みには、心の痛みもありますが、

このブログでは今のところ 一般で思われているような 比喩的なことで用いています。

いろいろ経験している私は、心の由来とは別個の物理的な攻撃を身体内部に受けての痛みというのも、自分自身でもいくつか経験済みで、もしもこれを話題にするときがあれば、単独で言わずあえて説明しようと思っておりました。

 

頭痛は、母も昔からあったといいます。

私もよくありました。(言わなかったけど)私の場合は、中学生の頃からかどうも季節など気候に左右されることが多かったのが、
ここ近年では  そんなに頭痛がなかったり、耳の異変など別のことが気になったりした時期もありました。

でも昨年からか、このところ頭痛が復活するかのように多いし、雨など気候変化とセットになっているようなも。

頭痛のときは、頭だけ熱をもったりするんです。

   昔はオデコに手をあてて人に熱があるかをある程度判断できていたんですよ。(手の温度や前後関係など相対的なことも考慮して)

世の皆様には、現在もそれを怠らずやってほしいものです!

〔補足追記: 体温を測るのは、身体が通常とは異なる事に対し 平熱より熱を上げて殺菌などの対処をする身体の対抗反応によって、身体に異変がないかの 数ある中の1つの指標;ということをベースにお話ししております。測る部位によって、体温が異なるので条件を整える必要もあります。頭や脇で測っていたのは、大事な脳のある頭部にまで達することなのかを見極めたり、脳に指令を送るうち心臓という大事な部分(身体の深部)に近いところで測るという、重要性の優先順位です。〕

水銀の体温計を見なくなりました。

水銀は重金属、身体に毒ですが、温度計の正確性としては優れていました。

悪影響が入らないようにか、入ったらわかるように、管理をしてあったような説明(真空管技術とつながりがあるっぽい)を聞いています。

ところが、まったくありえないような事故例が出されて、その優れた水銀体温計を抹消させようとしていたんだ という現象が出ます。

私の妹が幼少のとき、置いてあった体温計が壊れていたのを母が見つけ、妹が かじったのだと判断したということがあったそうです。

私は一部始終の現場にいたわけではなかったので、あとで何となくあの時のことかと。(また、後年 小学生になった妹がその事を作文にしたものを私が読んでから 妹より確認するとどうも作文用紙に残されたことと妹が書いたことは完全に異なっていたこともわかっています。詳細省略。)

体温計のガラスは当時日本の家屋の床に落としたくらいでは割れませんし、幼児が圧力加えてへし折るなんて無理、かつて母が では「噛んでしまった」のでは?と判断するのも無理からぬことだったかもしれないけど強度からいってそれもまあ ありえないとなるのですが・・・

たしかに対処として、万が一幼児が服毒状態になったらを警戒してで正しいことだったのですが、

悪影響を考慮しようとしなくなる母には、

「うちの子供はこんなものまで食べようとする」という偏見⁉がそだち、

おそらく そのあり得ないことは社会的 疑似例や実害例をもって、

水銀体温計の追いやりに拍車をかけようとしたな と、

私は確信しております。

 

旧友に追伸 : 昨晩は遅くまでありがとう。  



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お互いにやりやすく生きれるのが仕事らしい

2025-05-17 13:06:59 | 日記

  こんにちは

雨が降り続いています。

すみません、こんなときは出勤なくて楽させてもらってる感 引き寄せております。

 

職業というのは仕事の大分類ですか、あいまいになってきたかもしれない。

もとの日本は ハウスキーパーや子守りなどを 職業とは言わないので

職業は お金を稼ぐ意味を含んでいるけど、

社会奉仕には限られる。

 

逆に、
 万人への公平性を守らなかったり、看板に偽り等だましていたり、契約を明白にきちんとしなかったり、評価能力が低質化したり、重大な誤りを認めなかったりすれば、それは お金を奪い取る犯罪行為でしかない。改ざんやひったくり等は、そのまま極悪犯ではあるけれど、互いの信用を奪いとられるショックなど、被害観点から考えればひけをとらない場合も、、、あった、ありすぎました。

社会全体で正しいお金を取り扱っていれば、稼いだだけ仕事をがんばった およその評価になるけど、

そうとは言えなくなったのは、悪の介入で、各種 母体がやられてきていることを、必ずふまえないといけません。

 

 悪 の介入の顕著な状態は、'いくさ'とは区別される 戦争。それは 究極の犯罪で

通信不能状態であり、

人間の尊厳や生命が優先されない状態。

戦争被害の歴史を持つ日本人なら、極力そういう戦争の向かせを嫌がらないと変なのに、洗脳だか被催眠術だかで、逆を示している人を見かけると、悪の支配拡大してきたなの絶望危機感とでもいう気持ちです。 身内がもっとも悩ましくはなるんですけど…

 

第二次世界大戦のように、
日本政府が参戦を表明していなくても、悪のやらせたがっている
戦争状態になってしまったのと同様、

現在、いつが戦争突入だったの?という状態。

日本は大砲に戦闘機や潜水艦など、武器を持ち出したから、戦争に組み入れられてしまったという観点から、武器を持つことが そのまま憲法違反なのは言うまでもない。

武装し武器を持つことを、日本国憲法では歴史的に「戦争している」と同じ扱いでもあります。

つまり、これだけは死んでもダメな重大な憲法違反を、やられまくっている日本瀕死の状態。

悪の物に 威を正しておくだけでも、絶対に必要な 国民の義務です。

 

昭和中期までには、悪影響への対処が 命題にまとまってきていたのに、

改ざん、特殊テロ 等々により、

ついには
悪影響の存在すら否定して はばからないまでに、日本人の洗脳は進んでたようです。

さらに日本には悪影響が無いんだと 外国人が勘違い洗脳されるまでに?


いやいや、戦争被害大国、地震大国が、日本なんだって。

 

江戸時代の納税は お米そのもの。

90%の職業、農民は 家族や地域を大事にしてお米を育てるのが仕事

それでかなり安定的な社会だったのだから。

 

現在 増えている仕事は、各種 悪影響対策

知っている方々はいなくなり、悪に対抗しうる人間力を強める学問は

本など物にも残っていません。

 

悪影響対処をするのが一番過酷で必要な仕事。

公務員の本来の任務であり、

職業というのは、とかく命がけの側面があるんです。

 

 


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デリケートな共通点ばかり

2025-05-16 17:36:20 | 日記

   最近は あまり とり出していない 予告者  という人物。

このブログの当初は、犯罪者側寄りとして書いていました。

とにかく、「 こわい」ということでしか聞かされておらず、結局 避けれないだけで、何の対処にもならなかったから。

こちらでドボンになるのも幾分わかってて、つい見過ごすことができなかった物事は、お節介迷惑者の烙印押されるだけになったのかって…😭

 

いっぽうで、今年あたりからだんだん、、、、予告者 が、

私を目視証人用に かくちでご案内していた方と、カブリだしたのです。

似てなくもないけど、一応違う人の認識はあったんです。

ところが、

他に 同じ人でも違って見せられること 出てきてたし、

どちらも、結局名乗りを聞いていないのか聞いてても忘れてしまったし。

 

今年に入ってから、目視証言ごとの必要が怒涛のようになって

予告者よりも その ご案内者のことが思い出されてくると、

その⋯

多少、キャラがかぶっていただけでなく、

" 結局 どちらも だからどうしたらいいの⁉ どうさせたかったの⁉ "

という点で、同じになってきてしまった 

という、うん、・・・。

やっと任務遂行になった となるや否や、

最も肝腎な方が、おじゃんにするだけじゃあきたらぬまでに

過酷(犯罪加害)進むまでやられていく・・・

かれこれ、家族はじめ こんな人が多発→ あなたのせいで 苦労がぱあになって、苦労作られているのに とことん私のせいにしてひどい目に合わせてくる

追討ちがgooブログ終了ごと。

 この国の名前を覚えといては「サン・マリノ共和国」で、おそらくあってたのでしょうが、覚えていて何か意味あったかといえば、何がしか これ見よがしなことくらいにしかに。

目視証言をどうするなんて 結局、

大いに傷つく以外 皆目見当もつかなかったし、

これじゃ予告ごとと変わらない💧

;

小学校中学年には始まっている一連の目視場面のすべてが、同じ人物だったかの特定ができてたわけでもないのです。

母は晩年、って 昨年ですが、母に「知り合いがいて・・・」

それで終わっていて、私がかってにフェリーに初めて乗って九州に行くときに会った、また東京のおしゃれなクラブにいたかもしれない、そして台湾で設けられた日本料理屋で話をしていたあの方だろうと、それはもう勝手に思い浮かべてしまっただけで、

私もバカなことになーんにも確認していないのですが、(というのもある流れでK市役所で体叩き割られんばかりのとんでもない苦労をし、何もかもが予告のことで埋め尽くされてきていて、もうすべてを終わりにしたかった気持ちの私は、なかなか続かない母の話をきちんと聞く余裕がてんでなかったのです。)

そのかたと ご案内者は 同じ筋としか思えない。

 

そして最近ひどく思い出される 母の 、 私の実在を 入れ替えてしまった・・こと

 

 

困ったことばかり書いて、すみません。

もっと明瞭に生きたかったなあ。

   アメリカなんかも期待の言葉と反対の言葉を使うことが増えて久しいようで

証言をすぐ大っぴらに覆すようなことにと 手ぐすね引かれているような私からすると

さもありなん!  

   生まれてみりゃ、まさかばかりですね 😓


このブログのなかで(追記13:30 5/16 4:28) - 報告ときどきピアノ

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このブログのなかで(追記13:30 5/16 4:28)

2025-05-15 10:14:51 | 日記

改ざん という言葉 、今さらですが

習った当時(1977年)聞いた定義は、

「信用 証拠物を、元来 社会的人知にのぼっていない方法で  変え、

さらに その方法を含み後の社会に深刻な影響を及ぼすこと」でした。

 

数式も、定義も、契約も、けして変わってはいけないことの代表例です。

    法律も、曲げたり変わるようなものを言いません。変える必要が出てくる法律(きまり)は作ってはいけません。基本姿勢はそうですが、法律の場合は打ち立てた後の改訂や撤廃など規定をゆるめる方向は、公知(現状、ほぼ不能)のうえ認められています。いずれにせよ、限定を作ってしまって変化にそぐわなくなる法律は作ると自動的に違憲なので、極力法を作ってはいけません。同じ法律の便宜を図るわけでなく、根底的に限定を増やすことは、法律を新たに設けることととらえるべきで、万人の必要性と納得が必要です。そのためには正確な基本情報公開が不可欠で、これができていない政府は、深刻で機能的な問題を抱えており、国民に大きく影響します。
基本的には日本国憲法の発布以降、1977年までの決め事では およそ守られていました。

こんなの が変わると人間は徹底的なダメージが発生し、人間社会は成り立ちません。急速に滅亡に収束していきます、そうなってきてます。

 

定義にまつわる状況のほうは変化します。

 

- 昔は 専門家はできていた判別が、今は 専門家ほどできなくされた

- 改ざんが猛威をふるってきた結果、大半の人が 元は何が正しいかが無知になった

- 改ざんの巧妙化が進んだ


改ざん が誰に起こっているか といえば、定義のとおり人間社会全般です。

では、なぜ私が身近で起こること 自分がダメージを受けることを そのまま

改ざんと言っているか⋯ ;

    一つは、私が社会全般の時代証人だから。発言力を持てなくなることがそのまま社会に影響を与えることになるから。

小学中学年の頃までには 記憶や把握力、社会協力責任感など資質が認められて、先を案じる国から伝達100%をめざされ、小6では "憲法教育のテコ入れ" を受けた同クラス全員が すでに
時代証人者 にして 社会に高い判別能力を有する 審判者 の役目を託されておりました。

これが非常に厳しいことになることは理解されているなど 私への業務強制ではないのですが、資格的な認可をしたことを告げられたのです。

このようなことを簡単に、昨晩 旧友にメールしましたが、あきらかになんにも伝わっていませんでした。改ざんでダメにされていたわけでしょう。

当初、半分は極秘事項らしい、ある意味私にも。でも現在、来るところまで来てしまったと言わざるを得ないので 思い出して名乗っております。

( 極秘内容の一部かを説明された両親・・・直後から異変が出て、不可解を通り越した苦しみを 特に私が味わわされることに。最近、どうも母のことのそれが思い出されるなとおもったら、あるブロガーさんのことで、ある共通点があったことに昨日気づきました。旧友のおかげで。)

 

    二つめに、伝達ができていないこと、伝達を反対にされてしまうこと自体、第二次世界大戦中、偽指令ばかりの深刻さと  意味合いは同じだから。

今生の別れとなるくらいの 人間双方にとんでもないダメージを負うことと その影響は、けして忘れてはなりません。

異変そのものが、直接間接に 必ず巨大な計画性につながっているものにしか起こっていないから、改ざんの定義にはまります。

 

    三つめに、上記に関係しますが、人間として生きていくのに、何ひとつムダにしてはいけないから。

第二次世界大戦直後 日米双方が通信障害の事を了解し、日本の文化を信頼して 完全に自国で作成した日本国憲法を認めるに至ったのも、アメリカなど欧米に 当時はキリスト教の教えが根付いていたことがあると目されます。

「隣人を敬え(大切にせよ)」です。

家族はもちろん、身近な間柄が、とても大事なこと、社会の出発点

こういう古来から残ってきた基本的な教えは、人類共通です。

言い方を変えれば、教えというより 人間などの生物には本来備わっていることなのです。


関わりや情報を急に断つようなことが起これば、改ざんだけでなく 催眠術や 関係性の操作 といった 「恣意的 悪影響」が、'その人' 用に入った ことを、意味するのです。

まぎれもなく、深刻です。

関係を切るということは、相手をきりころす のと ほぼ同じになると、肝に命じなくてはなりません。(相手が悪意の塊なら、その相手は切りころされようもないでしょうが)

善意と悪意の区別はときに難しいけど大切ですね。

;

改ざんは、誰に起こっているか は、社会人全員にです。

改ざんは 改ざんの所在や改ざんの深刻性に気付かない人(のため)に 起こっています。

 

誤解そのものが、加害者になることで すでに犯罪であり、実行犯の始まりです。

ちなみに 偽ごとの波及行為は、ほんらい大罪(重い懲罰のあること)なんです。

気をつけるのは当然の義務です。

;

ところで、よく付けている記事の下の小さい文字の文章。

連続でご覧の方は、およそ把握いただいている方もいらっしゃると思いますが、最近はスクロール長くなるので本文より小さめのフォントにしており、読みづらいかもしれません。

ただ、公知遅れではあっても、完全に正しく確実なことしか記載しておりませんので、もし仮に全部読めていないなどございましても、承認的に間違わせるようなことはけして無いことを(私において)約束します。

時代を通して 万人の認めえないようなことは決して書いていない人畜無害なことにして、今の時代は抗ってまで心得ておかねばならない重要なことです。ちなみにほとんどの主旨説明は過去に記事にしてきたつもりです。

 


過去に由来する正しい物は、地球上からすっかり奪われました。残された状態や説明物からだけで 過去を語るのは厳禁です。

疑わせるように残された状態や説明物からだけで 過去(現時点以前すべて)を語ってはいけません。最悪の虚飾行為です。
ご自身の当初から連続した完全な記憶と ひも付きではない記録や情報には、必ず危険情報が含まれます。特に 歴史、憲法や、私のこと関連‥つまり世のすべてには、改ざんが存在してきていますので、まにうけてのお取扱いは避け、人間のたしかな事実系統から乖離したものを習うようなことをしないでください。

; 悪の仕込みの、視聴覚に入り感情を刺激することは ちまたにあふれています。

⋯ どんなことでも危険情報になりえます。
たとえば、合成写真もの。時代を遡るほど写真の絶対数は激減します。また第二次世界大戦などベトナム戦争より前の時代には、整えていない場所の人の撮影による写真*は存在しません。私はその戦中までの人による撮影の写真及び動画をすべての有りようを確認させられました。
[* ベトナム戦争の現地で日本人が撮影して公になった、世界でも初めての整えていない場所の写真(広い川とみられる水中で幼子を抱え、さらに年齢の違う数名の子供が前後左右付近に広がって必死についてきているようす、ピューリッツァー賞受賞の白黒写真;私はとくに後ろの子供の表情が印象的でした。あるブログで紹介された 偽写真では すっかりカット変形されていて、優れた芸術作品としても違えられ、水中での大変さがわかる距離感や切迫感のリアリティもなくなっていました)が話題となりました。]
撮影していない写真の存在だけでも大問題だったのが、現在は合成とわかる偽造ものしか存在しなくり、近年、深刻な掟破りが発生してきてます。昭和から国関連の写真展の類が厳しく限定や禁止されていたのは、展示中に改ざんに変わるなどの悪波及を防ぐためでした

文字説明事でも、やりよう異なり、剥奪結果、あてつけ、習慣や事情の違いの無視、時代背景詐称、特殊事象、環境変化経緯、順番、時系列違えや無視、やり手受け手等のすげかえ、偽話、逆回しごと・・・ と、確認しただけでも多数の危険偽情報があり、何かが隠されたり違うだけでアリバイや原因は損ねられ、冤罪など犯罪者側の巨大な目的を行使されてしまい、全てを誤っていく…
こんな濡れ衣、 塗替えごとは 嘘が嘘をよぶといわれるように、すべてに及んできていた というわけでしょう。

   たやすく波及しがちだったり 手に入ってしまう情報や物事には、危険直結情報を必ず疑うべきです。 真実や重要な情報は、波及ごとに まず含まれないかわりに。
ぎゃくに、このブログで 必要生じて 示そうとするような真実の情報は、まったくといってよいほど出回りません。
すべては 改ざん(公知に至っていない方法で社会影響させる騙しのこと)できる巨大犯罪者の支配下なので。

   10年以上まえに、「国のレベルを超える犯罪組織が(2、3)ある」と言い残した 国際政治学者がいました。(もう現在は、そのように現実に則した言論が 公にされることもないでしょう。)
地球の人間を守りうる機構の頂点が 国や国際協力、かたや、人間や人間にとってたいせつへの破壊や苦しめが目的となることが犯罪(悪の意向)です。
  日本国憲法が、人命攻撃・人格攻撃を禁じているのは、それらが悪の意向と一致する行為だからでもあるでしょう。

「なんでもまず だれか人や特定の国のせい」は洗脳による思考、偏見です。再燃させられることなどで、そのまま凶暴な悪の行為の引き金になってしまいます。そのような冤罪を生む行為は、立派な犯罪行為になってしまいます💦 冤罪を受けた人々の、基本的人権が著しく損なわれるからです。
まずは ちゃんと弁明を聞き、どんなに少なくとも半分以上は信じることです。いったん感情に走ってしまっても、できるだけそのスタンスを再度、作ってください。


 □  日本国憲法は、自身の 道しるべ、ふるさと … 法の省エネ(憲法の考え方)
  ■ 日本国憲法は、永遠に理にかなう最高法規
  ■  絶対、制度 を存在させてはいけない!
 (憲法下において、 制度は 憲法の凌駕、無視、違反になる。制度の字が出ていたら犯罪者側の改ざん由来で間違いありません。 )
  ■ 国民の互いの 日本国憲法の遵守言動が、例外なく必要不可欠 さもなくば 戦争状態と変わらず

改竄(かいざん: 現在は原子操作されているもの)とは、たった1つでも想定外に事実根底を違えられ大規模、重大な影響を受けることを、改ざん方法の重篤さもあわせていう。
すでに注視させられるもの全般に改竄が及んでいます。
原子改ざんと、脳作用のありようをしっかり考慮されないと、必ず冤罪を出し、大事を誤ります。 
見える物事は、犯罪者の虚偽の可能性高く、常に自他の既成行為をはめてしまわないように。

日本国憲法の発布 前までじっさいの写真はごくわずかです。たとえば東京裁判といわれた時撮影は1回のみであり、私はその写真を確認しています。授業で聞いたとおりすでに(裁判前から)囚人服を着せられた被告人 が、一面の白壁を後、長机を前に恐怖と諦めの面持ちで立たされて、その4.5mほど離れた写真左側にはアメリカの若い白人男性が白めのシャツのような服で姿勢を斜めに肘をつくようにして座っているだけの光景シンプルなもので、撮影位置は写真の右手前、被告人位置から10mほど手前の位置からです。

裁判の英語は日本側にはまったく理解されず、被告人らは判決理由や結果をあらためる時間はいっさいとられることなく、何者らかによる処刑が先行されました。

二・二六事件 の事実はこちら末文見てるつもりは? 、生きていた伝承 または
なお、このブログでは第二次世界大戦直後、万人一致で確認された事実を扱っています。慎重なる必ずの情報共有を、国民としての責任をもって お願い致します。

現代までに出回った ~症、~病、 ~障害 、そして制度ごと は、上記改ざんによって浮上した 違憲(偏見設け、実態真実ごまかし、伝達や発展の妨げetc.)言葉なので、業務取扱者はもちろん科学理論にのっとって廃止のこと。
認知に症をつけた造語があるだけで、人の脳の 尊厳を死に追いやります。
 認知 は、脳がやる行為。悪の作った ~症をふりかざして 互いの行為の可能性を奪い、人間を捨てさせるのは絶対やめましょう。
このような、人間否定する悪の差別用語とおりこしての拷問用語は、目や耳にしても無視してください。
今後万が一、業務上 ○○症として取扱ったり公に口にする者が もしいたら、免許剥奪。
一般においても、このような危険知らせに わざと目をつむり、やっきになってこの悪の造語を口にのぼせたり拡散するのは、重罪行為です。
引き寄せなる うつ病 や、 アスペルガー症候群 についても定義拡大の危険誘導がみられました。
病名をムリヤリつけずとも、その前にすべきことはたくさん。まず自分達で具体的な言葉にしようではありませんか?
当人納得こそが手当ての第一歩
具体的な物事で、そのたびにできるだけ早く解決法を確認しあうのが、一挙両得の近道。
  理不尽を正し、迅速に被害者を守り、被害者にいわれのないことをそれ以上押しつけることなく、社会的に今後起こさない。何かあれば悪波及にならないよう、社会全体の責任で対応策を練る。
こんな基本、憲法体制下ではやっていました。悪が入り込むからできなくされてたのです。
 万事'〇人に口無し'になり、しむけにのって
人に責任を押しつけていることになって、ただ、被害者(冤罪)を増やしていたから基本から離れたのでは?

日本国の 障害者 は、本人に原因のないハンディキャップをいい 理由が 千差万別で人それぞれ。
基本、ひとくくりの 一般名称あてこめ や 言及、対処は、禁止されています。
第二次世界大戦後 負傷兵の意味を継承しています。 悪影響の由来と一致してくるため、のちに生じたりしている先天的なものなども意味合いに含むようになったとみられます(昔の琵琶法師は、当時現存希少の伝承者で、目を見えなくされてているなどの妨害受けも出ていたそうです、このような声明ごとも昭和で途絶えてきていました)

日本国憲法では 争いごとを基本的に禁じています。
資本主義(の原理 市場競争)も、投票も、一部慎重許可の試行導入にすぎません。スポーツは優れたルールあってこそ、
ゲームもルール公平な遊びの範囲でという規定です。
ただし、切磋琢磨の競争(コンクール,コンペのような)や 論争のように、争うの文字が入っていても実質は技や論をつき合わせること、こういう性質は 法律上の争いとはみなされません
   共通理解が多いほど、議論から論争にいくようなことはなくなりますし、互いの論が 憲法に従うなど目的の共通や やりかたの一致なければ、論争すら成り立ちません。


このブログは  私1個人が、旧来つづいて 万人の認めていた真実のみを 実際動向と確認しながら継承した 唯一のものです
一貫性がとれていないような発生ごとや、似て非なる記事等とは 区別くださいますよう お願いします

 

ブログ内のピアノ演奏曲 クラシック以外    ブログ内のピアノ演奏曲 クラシック編 

まだ人気でない記事: 懸念されていた分業と医療体制,   教わるといふこと,   人と人間と,

  キーマン 豊臣秀吉 

日本現代史関連: 知っておくべき のお願い _真珠湾,

哲学の祖 ソクラテス「悪法も法なり」の解釈 - 今だからよりわかる集団自決の気持ち,

物で進む 胸が締付けられる大型犯罪 2・憲法で防ぐ - 昔から続いている戦争状態MAXに

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よみがえらないよみがえりのよみがえり

2025-05-14 06:34:02 | 日記

おわりを意識すれば、走馬燈のように過去のことがよみがえるというけれど、たしかに。

けっきょくそんなふうにプログラミングされていたのか

高校のとき、他校で顔なじみがあった同学年のSくん、県内の水泳の試合のときは  必ず会った。

水泳仲間には広く知られていて、逆に私も姉妹で知られていたし私のいつも(市内高校では)ダントツトップだった時期のレースはすべてあまさず見ていてくれた。ご自身の実力もあるから顔つなぎ豊富な人だったけど、自分の試合よりも、私と同じ高校のメンバー不在のときも必ずつかず離れずアリーナにいる私のことを見守っているような人だった。

ある日の部活に出てきたクマこと、先生が「Sが亡くなった」

 

  会社に入ってからのことも、病院の処置の問題?と、内心勘ぐってしまった私。
ちがったんですね。
 
悲しくての涙 ももちろんだけど、自分自身がそのとき生きた時間を全部消された感覚の茫然は
⋯自分が生きてきたことが打消されること、自分の過去も死んだようでした。
さまざまな形で 中断では済まず、何回も死んだことになる我が生涯。
 
身近で いってしまわれたりする人が、気の毒に思ったけど、
何回も何回も死や死以下を経験するより、幸せだったのかもしれない。
 
天に召される と、言われていただけあるなって。
 
渇望すりゃ、その日は遠そう。 いつも困ってる w 究極のバカですね。
 
 

過去に由来する正しい物は、地球上からすっかり奪われました。残された状態や説明物からだけで 過去を語るのは厳禁です。

疑わせるように残された状態や説明物からだけで 過去(現時点以前すべて)を語ってはいけません。最悪の虚飾行為です。
ご自身の当初から連続した完全な記憶と ひも付きではない記録や情報には、必ず危険情報が含まれます。特に 歴史、憲法や、私のこと関連‥つまり世のすべてには、改ざんが存在してきていますので、まにうけてのお取扱いは避け、人間のたしかな事実系統から乖離したものを習うようなことをしないでください。

; 悪の仕込みの、視聴覚に入り感情を刺激することは ちまたにあふれています。

⋯ どんなことでも危険情報になりえます。
たとえば、合成写真もの。時代を遡るほど写真の絶対数は激減します。また第二次世界大戦などベトナム戦争より前の時代には、整えていない場所の人の撮影による写真*は存在しません。私はその戦中までの人による撮影の写真及び動画をすべての有りようを確認させられました。
[* ベトナム戦争の現地で日本人が撮影して公になった、世界でも初めての整えていない場所の写真(広い川とみられる水中で幼子を抱え、さらに年齢の違う数名の子供が前後左右付近に広がって必死についてきているようす、ピューリッツァー賞受賞の白黒写真;私はとくに後ろの子供の表情が印象的でした。あるブログで紹介された 偽写真では すっかりカット変形されていて、優れた芸術作品としても違えられ、水中での大変さがわかる距離感や切迫感のリアリティもなくなっていました)が話題となりました。]
撮影していない写真の存在だけでも大問題だったのが、現在は合成とわかる偽造ものしか存在しなくり、近年、深刻な掟破りが発生してきてます。昭和から国関連の写真展の類が厳しく限定や禁止されていたのは、展示中に改ざんに変わるなどの悪波及を防ぐためでした

文字説明事でも、やりよう異なり、剥奪結果、あてつけ、習慣や事情の違いの無視、時代背景詐称、特殊事象、環境変化経緯、順番、時系列違えや無視、やり手受け手等のすげかえ、偽話、逆回しごと・・・ と、確認しただけでも多数の危険偽情報があり、何かが隠されたり違うだけでアリバイや原因は損ねられ、冤罪など犯罪者側の巨大な目的を行使されてしまい、全てを誤っていく…
こんな濡れ衣、 塗替えごとは 嘘が嘘をよぶといわれるように、すべてに及んできていた というわけでしょう。

   たやすく波及しがちだったり 手に入ってしまう情報や物事には、危険直結情報を必ず疑うべきです。 真実や重要な情報は、波及ごとに まず含まれないかわりに。
ぎゃくに、このブログで 必要生じて 示そうとするような真実の情報は、まったくといってよいほど出回りません。
すべては 改ざん(公知に至っていない方法で社会影響させる騙しのこと)できる巨大犯罪者の支配下なので。

   10年以上まえに、「国のレベルを超える犯罪組織が(2、3)ある」と言い残した 国際政治学者がいました。(もう現在は、そのように現実に則した言論が 公にされることもないでしょう。)
地球の人間を守りうる機構の頂点が 国や国際協力、かたや、人間や人間にとってたいせつへの破壊や苦しめが目的となることが犯罪(悪の意向)です。
  日本国憲法が、人命攻撃・人格攻撃を禁じているのは、それらが悪の意向と一致する行為だからでもあるでしょう。

「なんでもまず だれか人や特定の国のせい」は洗脳による思考、偏見です。再燃させられることなどで、そのまま凶暴な悪の行為の引き金になってしまいます。そのような冤罪を生む行為は、立派な犯罪行為になってしまいます💦 冤罪を受けた人々の、基本的人権が著しく損なわれるからです。
まずは ちゃんと弁明を聞き、どんなに少なくとも半分以上は信じることです。いったん感情に走ってしまっても、できるだけそのスタンスを再度、作ってください。


 □  日本国憲法は、自身の 道しるべ、ふるさと … 法の省エネ(憲法の考え方)
  ■ 日本国憲法は、永遠に理にかなう最高法規
  ■  絶対、制度 を存在させてはいけない!
 (憲法下において、 制度は 憲法の凌駕、無視、違反になる。制度の字が出ていたら犯罪者側の改ざん由来で間違いありません。 )
  ■ 国民の互いの 日本国憲法の遵守言動が、例外なく必要不可欠 さもなくば 戦争状態と変わらず

改竄(かいざん: 現在は原子操作されているもの)とは、たった1つでも想定外に事実根底を違えられ大規模、重大な影響を受けることを、改ざん方法の重篤さもあわせていう。
すでに注視させられるもの全般に改竄が及んでいます。
原子改ざんと、脳作用のありようをしっかり考慮されないと、必ず冤罪を出し、大事を誤ります。 
見える物事は、犯罪者の虚偽の可能性高く、常に自他の既成行為をはめてしまわないように。

日本国憲法の発布 前までじっさいの写真はごくわずかです。たとえば東京裁判といわれた時撮影は1回のみであり、私はその写真を確認しています。授業で聞いたとおりすでに(裁判前から)囚人服を着せられた被告人 が、一面の白壁を後、長机を前に恐怖と諦めの面持ちで立たされて、その4.5mほど離れた写真左側にはアメリカの若い白人男性が白めのシャツのような服で姿勢を斜めに肘をつくようにして座っているだけの光景シンプルなもので、撮影位置は写真の右手前、被告人位置から10mほど手前の位置からです。

裁判の英語は日本側にはまったく理解されず、被告人らは判決理由や結果をあらためる時間はいっさいとられることなく、何者らかによる処刑が先行されました。

二・二六事件 の事実はこちら末文見てるつもりは? 、生きていた伝承 または
なお、このブログでは第二次世界大戦直後、万人一致で確認された事実を扱っています。慎重なる必ずの情報共有を、国民としての責任をもって お願い致します。

現代までに出回った ~症、~病、 ~障害 、そして制度ごと は、上記改ざんによって浮上した 違憲(偏見設け、実態真実ごまかし、伝達や発展の妨げetc.)言葉なので、業務取扱者はもちろん科学理論にのっとって廃止のこと。
認知に症をつけた造語があるだけで、人の脳の 尊厳を死に追いやります。
 認知 は、脳がやる行為。悪の作った ~症をふりかざして 互いの行為の可能性を奪い、人間を捨てさせるのは絶対やめましょう。
このような、人間否定する悪の差別用語とおりこしての拷問用語は、目や耳にしても無視してください。
今後万が一、業務上 ○○症として取扱ったり公に口にする者が もしいたら、免許剥奪。
一般においても、このような危険知らせに わざと目をつむり、やっきになってこの悪の造語を口にのぼせたり拡散するのは、重罪行為です。
引き寄せなる うつ病 や、 アスペルガー症候群 についても定義拡大の危険誘導がみられました。
病名をムリヤリつけずとも、その前にすべきことはたくさん。まず自分達で具体的な言葉にしようではありませんか?
当人納得こそが手当ての第一歩
具体的な物事で、そのたびにできるだけ早く解決法を確認しあうのが、一挙両得の近道。
  理不尽を正し、迅速に被害者を守り、被害者にいわれのないことをそれ以上押しつけることなく、社会的に今後起こさない。何かあれば悪波及にならないよう、社会全体の責任で対応策を練る。
こんな基本、憲法体制下ではやっていました。悪が入り込むからできなくされてたのです。
 万事'〇人に口無し'になり、しむけにのって
人に責任を押しつけていることになって、ただ、被害者(冤罪)を増やしていたから基本から離れたのでは?

日本国の 障害者 は、本人に原因のないハンディキャップをいい 理由が 千差万別で人それぞれ。
基本、ひとくくりの 一般名称あてこめ や 言及、対処は、禁止されています。
第二次世界大戦後 負傷兵の意味を継承しています。 悪影響の由来と一致してくるため、のちに生じたりしている先天的なものなども意味合いに含むようになったとみられます(昔の琵琶法師は、当時現存希少の伝承者で、目を見えなくされてているなどの妨害受けも出ていたそうです、このような声明ごとも昭和で途絶えてきていました)

日本国憲法では 争いごとを基本的に禁じています。
資本主義(の原理 市場競争)も、投票も、一部慎重許可の試行導入にすぎません。スポーツは優れたルールあってこそ、
ゲームもルール公平な遊びの範囲でという規定です。
ただし、切磋琢磨の競争(コンクール,コンペのような)や 論争のように、争うの文字が入っていても実質は技や論をつき合わせること、こういう性質は 法律上の争いとはみなされません
   共通理解が多いほど、議論から論争にいくようなことはなくなりますし、互いの論が 憲法に従うなど目的の共通や やりかたの一致なければ、論争すら成り立ちません。


このブログは  私1個人が、旧来つづいて 万人の認めていた真実のみを 実際動向と確認しながら継承した 唯一のものです
一貫性がとれていないような発生ごとや、似て非なる記事等とは 区別くださいますよう お願いします

 

ブログ内のピアノ演奏曲 クラシック以外    ブログ内のピアノ演奏曲 クラシック編 

まだ人気でない記事: 懸念されていた分業と医療体制,   教わるといふこと,   人と人間と,

  キーマン 豊臣秀吉 

日本現代史: 知っておくべき のお願い_真珠湾,

哲学の祖 ソクラテス「悪法も法なり」の解釈 - 今だからよりわかる集団自決の気持ち,

物で進む 胸が締付けられる大型犯罪 2・憲法で防ぐ - 昔から続いている戦争状態MAXに

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物で進む 胸が締付けられる大型犯罪 2・憲法で防ぐ

2025-05-13 12:06:45 | 日記

日本国が生き残ったのは、

日本国憲法による日本国の存続をを、海外に認められたからです。

 

「第二次世界大戦関連 最後の日本の直接被害」といえる いわゆる "東京裁判"

実質は内容無視、

汚名着せられていくための悪側による ただの処刑断行で、とてもじゃないが

裁判とはいえない。

;

    私が会うことのかなわなかった我が父方の祖父のこと⋯

父きょうだいの境遇と、

戦後四半世紀もたってからの、おばと父の会話の一部

  それを、二・二六事件で日本政府官僚が殺られたことと結びつければ、

推理がなりたちました。

 

日米双方にも判決あらためさせず勝手に処刑先行した者達と、

二・二六事件(戦争をさせないように働きかけ先頭で成果をあげてきた官僚が自宅で暗殺された事件のこと)の殺害者一団は、

同じ としか思えません!

政府役人にあった祖父は、戦時中より、

まるで子供らを隠すように個別分散させていた…

父のきょうだいは、一番上の姉でも戦後10だいになってたばかりくらいで間隔があったので父の妹2人は、まだ幼い。それだけでなく

おばも父も、母(祖母)がいないことで、子ども時代からずっと働きづめ。

だから親(祖父)の事情なんて知る由もなし。

それに加え、私のときもだったけど、大人のこと‥政府のことに関して

ほとんど何も具体的なことを子供の前で言われなかったことを思えば、

父のきょうだいは、なおさら。

ある意味、私ほどにも総合的観点での知識が無かったと思われます。

でも、父などは、物を何か引き継いでいたらしく

我が両親は、親からの授かりを、物に頼ってしまっていたことがうかがえました。

これら異変の苦難は、一挙に、何も知らぬ私にふりかかっていて…

 

私が成人する頃までか、後部座席で聞こえた おばと父の会話の続きの一部、

どうやら、

物が改竄を受けて後出しされ、祖父のことに急に 疑いを持ち始めようとした
ことだったのです。

そのことについて当初から私は、おばたちとは まったく別の観点がありました。

年月を重ねるほど、改ざんで誘導されてきている確度は あがるばかりです。

 

戻りまして、

日本国憲法の草案より、ざっくりロッキード(お金のことで、日本の高度経済成長期にあたる総理であった田中角栄氏がアメリカの裁判にかけられた事件)の頃まで、少なくとも日米関連国には、牽制、警戒すべき'本当は'がわかっていた可能性があります。

国も出てみれば、どう考えても

    ケネディ暗殺(JFK ; ジョン・F・ケネディはアメリカ合衆国の大統領、日本においてもリンカーンとならび もっとも尊敬されていた大統領です。いま年号で示せないので〜母が初めて家で聞いたラジオの音声がこのニュースでした)の加害者(実行犯人の特定無し)と
二・二六の加害者らや 戦後処刑強行者ら は、

同じ素性なのでした。

  そして、母校の小学校に来ていた、憲法教育を阻む高圧的女性も。

 

日本で、日本人としての素性で生きてきている人間は、こんなことをしない

昔から生きてきている国民とは、ハッキリ区別できた!

そのスタートラインが戸籍をきちんと整えること、

日本国憲法の主権の確定だったのでしょう。

 

改めて申しますと、日本国憲法は、

強大な国 アメリカが、日本の高度なありようを信頼し、(占領にかえて)

国の憲法を自国民のみによってつくることを認め、さらに日本国憲法の内容に

納得した経緯があります。

たしかに アメリカの基地は設けられましたが、当初から長らくは、基地の内外の区別ははっきりさせていましたし、今から思えば 日本の起死回生の日本国の基点を、再認識できる存在の側面ではあったかもしれません。

しかし、現在、悪による問題が発生してくると 原点認識が割れた感あります。

そして、日本に、はばかりもなく公然と軍の言葉が出ている、'その軍'の元帥
(黒幕)は、まぎれもなく二・二六事件の立て役者の筋の者です。

 

なにしろ 悪側の、
微細から巨大まで 何でも瞬時に可能の強さに、だまし に、
波及ごと に、 卑怯ごと に、 無理やり に、人間を隠れ蓑 に、あいまい に、

全国民の許可なく

は、最悪をもたらす悪の所業です。

 

これ以上うかされて、追随してはなりません!

 

悪側がやっていることは、元来 国民と認められていた人 および人類は、やっていなかったのです。

日本国憲法が守れて当たり前だった国民が、現在変わってしまうことから改めてもらわねばいけません。

国民はそれまで、自らは悪質なことはやっていないと、きちんと確認したこと

こんどは自分たちからで やらされてしまってはいけません。


公平状態に循環して、確認がとれていないと、人間はありません。

 

カジノが ダメ であることは、誰もが知っていたこと、

愚かにも認めてしまう物事は、御法度(厳禁)です。

また現在、広く目に耳にするものが いかに偽事であり、悪の都合のよいもの(最悪の騙し)になっているか、全世界で肝に命じてほしいものです。

 

 

※このブログでは、自分で直接見聞きしたもの以外は、当時を知る関係者中心に 万人が認めていた事実を記しております。

 


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物で進む 胸が締付けられる大型犯罪 1(追記 5/12 17:35, /13)

2025-05-12 14:47:34 | 日記

  先日のコメント(白毫寺)に関する記事に、2つめの追記しました。

まずは、その部分をこちらに載せます。2日後くらいに、ご本人より奈良ではないなどと連絡がはいりましたが、最初はカテゴリーなどにも奈良の表記が私には見られなかったのと、藤のほか太鼓橋も、元々の奈良の白毫寺にあったものなので、白毫寺としての指摘のままでよいとは思ってます。ちなみに太鼓橋は、本尊より かなり離れた場所にありました。
(藤の花に関しては奈良の現地でみごとで美しさに私がみとれるようにしていたときに案内の方がいぶかしげに「それはここで覚えることではないので気をつけて」と微妙なことを言ってたのです。このことについて、私は先に思い出さずに、何かのひっかけに乗ってしまったのかもしれませんので、不注意を詫びました。)

それにしても、これまでにも何度も「公開してください」と書いたことがあってもまったく無視されていたのに、この回だけ公開求められたからした等とコメント書かれるなど、妙に意図的なやられよう。人を煩わしげにあげつらねてからの排除手段をとられています。

こちらは素直な事実のみを書いているのであって、だんじて人をせめているわけではないのに、まるでこちらが妙なコメントをしていたかのような書き方。ご自身が過ちを認めないだけでも重罪なのに。

もし私が、まったくはじめから本人を本質的に疑って どうこうということならば、そんなに丁寧に時間と気持ちをかけてコメントすることなく、関わりも避けて 二度と自分の画面に出してこようとも思わなかったでしょう。

こちらでも本人が発したことそのままが見れているかは 疑問で、四分の一くらいにはしないといけないであろうから、もっとえげつないことや根本的にご本人経緯やプロフィールを疑わざるを得ないことを見せられたことについては言及避けることにします。

特に太鼓橋は、「もう保存上のぼれないけどよく見ておいて」と言われたので、これも貴重なもの唯一のものだったはずです。残念ながら詳細の記憶はかないませんでしたが、ブログ写真から拝見するに、ちょっとした色や作りの細やかさの品格や存在感に欠けるだけでなく、上の部分のつくりや全体の大きさバランスがなにか違うとみられます。(身長差の視点違いではない)また、人の記憶にケチをつけるかのように、欄干デザインなど無くなっているのはわかっても、もう明確に示せるほどに記憶できておりませんでした。(記憶の問題というよりそれだけ1回の記憶では把握しきれないほどの特徴があるという、私の能力の限界。)

本家本元をつぶし、飛び火 といわれる現象があるらしく、その好例でしょう。

なぜ、失われてしまうと言われていたかは、私のほうでも(もしかすると、こちらをお読みくださっている方々におかれましても)次第に把握してきてはいます。

・大いなる地形を示していること

・品格がとても高いこと

・高い文化であること

・技術や感情などの高等なこと

・人間の心に安心感を与えること

・容易には伝えられていない重要な古い歴史を示していること

・先人の子孫を深く思う気持ちが随所に現れていること

・木材、石材、土や藁などが、その土地の長い歴史のありようを示していること

・何千年でももたせることができていたはずの正確さがあるもの

・世界唯一であること

と、私が気がついただけでもこれだけあります。

子供の頃から言われてきて、信じたくないながらも、薄々は気づいておりました。

それが、この因縁ごとにより、より無惨な示し方をされるに至り、残念ながら、心に傷を負いまくって「そんなんじゃない!」と泣き叫ぶような羽目に。

それにしてもブログの先方は、確信犯かというくらい、そのこと(公式確認を求められていたもの)ばかりをやってきていました。事情を知っているような人かと思ったくらいに。

ご自分が元々を知っているわけでもないのに、あたかもそのままだったと強調するかのような誘導表現に、強い悪意が含まれているので、そこに私は警鐘*を鳴らすわけです。

ですが、当人に直接言及せず、「本当はこうでした、こういうことでした」とありのままの情報提供をしたまでなのに、

逆に、表に裏に 卑怯でひどい名誉棄損を受けるハメとなりました。

このブログも、いろんな意味できれいな文章には示せていなかったし、早くからご自身のブログに関係するところしかご覧になっていないことになっていて、何ら伝わる手段をとれなくされていました。

また、ご本人の被催眠術だけでなく、昔から洗脳でためている謀反的意識も相当の強さにしての固定概念がおありで、一筋縄ではいかぬほどだったことがわかってきました。

さらに、偽者の存在も無きにしも非ずに加え、なぜかご容貌も動いていて(私だけの見方ではなく)、こちらに判別ストレスがかかります。

ここまでの因縁や特徴的な変化現象は、種類も多さも徹底度も、私には群を抜いていることとは思います。

ただ、

とにかく、縁を切りたがるような相手ほど、

本当は必要重要な情報交換があったり、後の公私に大きく響いてくる

ということは、けっこう一般的に広く数多あったことではないかと推察します。

 

以上が5/6 コメント コピペ (追記 に再追記をした部分です。

*    SNSにくくられる場が、おおやけの影響があると認識されているようには見えます。

匿名やペンネームや条件設定には自由にしても、誰かを不利にしようと騙したり傷つけたりしないなど、公人(人間なら誰でも)としての人格責任がなくてはなりません。

催眠術がかかるなどして、憲法のような社会責任にかかわることが おろそかになると、このような自覚ができずに、中身そっちらけで、過ちの正当化ばかりしだすようです。

現在までに悪に守られてしまっていた職業というのは、すでに過ちをはらんでいることが多いので、私を含む誰もが今後大事なことは、

違っていたとわからされたときにぜったい正当化、美化したりしようとしないこと

指摘してくれた相手を逆恨みして退けたりせめたりしないこと

改ざん物の見せられ感覚影響されるがまま、しり馬に乗る形で知ったかぶりをしないこと

など、ぜったいに守ってもらわなくてはなりませんでした。

(指摘任務のある立場からしか言えませんが、当たり前が言える昔のちゃんとしたタイプの先生からは もうやられちゃって言えなくなっているでしょうから。←まだ そうでないのなら ごめんなさい。そんな傾向と推測せざるをえない状況でしたので

憲法体制下では、このような場面が出ない工夫や規制がありました。

以前のブログ記事で申したことのほか、ここでは、取材に関することです。

規制というと、けっこう厳しく感じるものです。

人間によるものではない悪い影響を避けるためには仕方ありません。

(逆に、悪によるキマリものは、最初だけ楽だったり、明確さなく徐々にだったりするのです)

ここで例にしますのは、昔のNHKなどの特派員です。外交官と似ています。

母の同級生で席が前だった方が、特派員だったので、当時はちょくちょく画面で見ることがあり、なんだか安心感があったものです。残念ながら、かなり早めに世をお去りになっていましたので、いっそう不安を覚えたりしました。

何十年あるいは骨をうずめるくらい相当の長期年数を、現地に根をはって過ごしていなくてはなりません。本来引き継ぎはどの職業でも半年は時間を要するものですが、当然、もっともっとかぶらせていたことでしょう。

自明の理として、まず現地の習慣や人々の考え方、歴史や文化や各位置づけ経緯をしっかり体得理解したうえでしか、何ら真実は伝えられないからです。

いっぽうで、現地にいる前後で違って 大変な誤解をして伝えてしまうようなことは、ぜったいというほど、(改ざん)起こり得るのがわかっていたためが、一番の理由です。

組織的に役割分担があって、各地をまわる人達(クルーや伝達者)はいても、それだけでは基本的な情報はわかりようがないのです。

そんな本分(職業責任)は、本人人格をもって 必ず忘れることなく守っていかなくてはいけない。

日本国籍を持っている人でも、日本にずっといなければ、その期間いったいどういうことになってたかを 体得できていないわけです。

なのに、その頃のことを知る人の話すら無視して、その事実を歪めては逆転させたまま平気であるのは異常としか思えないけれども、

複層的要因の一つに悪影響により はびこっていた結果主義(といっても立身出世や金儲けの類)があるでしょう。

例えば できあがった写真がウけたりするだけが目的で、あとはよくて付属となる。

立場も、中身からではなく見せ方としかとらえなくなり

本末転倒どころか、本分完全打消しにまでなる。

因縁もだけれど、挙げることになったブロガーさんについて、あまりにも偶然なる悪条件がそろっていることに驚嘆に近いものがあります。

でも、催眠術なく改ざんもつかなかったら、どんな場合も

「そうだったんですか、知りませんでした」や「指摘ありがとう、訂正しておきます」「このような過ちは二度と繰り返しません」などの初対応で、悪影響なく済むように考えて尽力しております。

こちらの感情表現にまで至らすということは、それだけ深刻性が強い重大なことを示しているわけだから、まともであればすぐ謝罪、訂正するのが言わずもがなですが義務です。

取材的にはプロとしての仕事があったので、こちらとしても各任務を思い出されることにはなりました。

私も当初、そんなことになるとは思わずに、美しい仕上げ写真について、ご本人を勘違いに向けてしまったのではないかという表現をほんのわずか使ってしまい、改ざん受けている傷心からの表現難しさあったとはいえ、、、、うーん、職業柄わかってもらえてると思っちゃったし 仕方がなかったような。

  発端になってしまったかの失敗感はどうしてもありますか。。。

いや、しょうがない!

今後は、チェックしない痛手等はどうしたって出てきそうですが、私自身オーバーペースでギブする前に、基本区切りにしてみたいと思います。

あ、その前にタイトルの2では、得られました情報で、本来、書こうとしていたほうを起こしたいと思います。ただ、これまでの各記事でひととおりふれてきているので、一応お約束果たすつもりの記事になるかな。

なんだかぐちっぽくなってしまい、すみません。

 

 

 

 

 

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あのときの日本は知られてない・・嘘情報が含まれると波及が早い恐怖

2025-05-11 18:50:50 | 日記

もはや日本に限らずですね。自国のことを知らないのは、どちらも親子代々などの伝承がとだえちゃってるからでしょう。

    わりと世界共通の映画にしてもガス抜きのものはたいがい、本来従わなきゃいけない窮屈に感じるものごとと逆にしたものが多くなる・・・最初は 大げさなフィクションだからと一線を画していても、次第に崩れていくと史実認識までずれていってしまう。
そういうことは かえって、映画を娯楽創作ものとして心して観れている方のほうが、影響を受けなくて済んでいるようにうかがえます。

    心がなくなると書いて忙しい となると、親子の本格的な交流は格段に減る。

私ものんびり我慢してたら、どんどん機会がなくなってしまってた💧

ちゃんと教育してたはずの日本社会にも・・何も頼れなくなってた💧

史実から明白、そんな考え絶対ダメ!って誰もが・・⋯思わなくなってた💦

そこへ、教訓もひっくりかえされて、目をふさぎ耳をふさぎ口をふさげば、
確実に(ヤクよりも)人間やめますになるっちゅうに。

地球の歴史からしたら人類なんて、ほんのわずからしいけど、

え?もうここで人類 終えるの?🤣 😱

、、、そろそろほんと危ないと思う。

進化して最頂点に君臨の人類、おごれるものは久しからず だし。

 

今の大学生、見ると 幼い。(年齢不詳系?私から言えないけど)

昔、子ども目線からとはいえ、高校野球の選手はずいぶん大人に見えたのに。

成人年齢はむしろ上げるべきか変えないべきだけど…

数十年先輩のある作家の方が我々周りの世代見て、どうも百年以上前は、年齢のわりにずっと大人だと書いていたところみると、

時間の経過が違うこともあろうし、

大人として知っておくべきことの伝承が希薄になってきていることもあったかもしれない。

ヒトというのは、育ってくるまでに長々と時間のかかる動物。

それが(今は言わないのかな)高等動物のゆえんかもしれない。

時短になんでもサッサと割愛し、せかされて早々に自立できちゃう動物になると

いっきに下等動物になっちゃうかも。

社会を作って生きる陸上生物はアリやハチと人間くらいって言ってたけど、その社会はぶっ壊されてきてしまったのだから、早そう⋯

本題は日本ですね。

うーむ。

伝承ダメダメの代表例くらいになってしまった私。

結果、伝承ダメになるための運命に翻弄されたと言いきってもよいくらい。

だから、かろうじて投げ出してもらった正確なでも少ない情報のバトンの数々から、自分で知っていかねばならないにしても、どう考えても、もうどういうことか知っていたからこその頂点に達した教育内容が、自分ら少人数で終わり。格好の押さえ込みターゲットにされてしまってた。

ヒンズー教だったか、インドのシヴァという神様は善と悪 両方を備えた神様と習って、数年もしない頃には「シヴァ神はもう、悪の神様と思ってください」と断言された。

この身もふたもない情報を、信じたくはなくても、やはりそうか…

と、すでに納得はあり。

私はとくに宗教に帰依したりが無いので、事実からしか言わない。

どうも自然現象の領域が、よくないほうに恣意的になってきていたと言わざるを得ないことが、私が中学の時には 起こっていたから。(小学校上がる頃にはこれからという若い女の先生がやられてしまう等も)

力を頼る信仰の方には、いやな話かもしれない…

日蓮には、良いと思われるところがニ、三あったけれど、あと七つほどは悪いことをやっていての罪状があったのを、二度にわたって落雷によって処刑を免れたのです。罪状に加え、難を浴びたほうが まったくの無関係、無実だったことから、この奇跡には疑問視が多分に出ていたのです。

良い事にクローズアップしたのは、あとを考えた方々で、やはりわかりやすく善いことを勧めたかったからと、伝えられています。でもそれでも特に罪状も知らねば、子供心には 日蓮たのもしそう になってしまってた自分がおりまして、その表情を先生が心配そうにチェックしていたことが思い出されます。

その力でいちおう、ものごとがおさまっているから、どうにも印象に残りやすいんです。

でも、考えてみたら 悪い向きは、その悪によるものなのだから、

薬をのめば あらフシギが起こりうるのといっしょで、匙加減をくらってただけなのです。

 

一種の善悪混合、でも子供の行為強制として善悪判断がついてきたら、けっきょく人間に被害が出て、何かの引継ぎが断じられてしまったことを理解し、単なる力とは、区別して考えねばなりません。

ちゃんと、日蓮の良かった事を教えとして後任、後世が まとめられての宗教が日蓮宗であるという、経緯は本来しっかりもっておられたようです。

悪の力なんか頼りだしたら、あるいは悪から操られだしたら、もうただの野蛮人ではなく、怖しい重罪犯で、人を大事にする人を苦しめ 現世 後世のぶっ壊ししか志向しないようになってるようです。

思い起こせば、
私が判断して レッドカード出してわかってもらえと 言われていたのですが、

相手が、悪い人になっちゃうそばから レッドカードを理解できていないし、

見ないでしょ聞かないでしょ、ちゃんとしたこと言わないだけでなく、言わせもしないでしょ。

それは、さらに悪の介在を作ることになるから、さらに悪の推進。

先生、ぜんぜん どうにもならなかったですぅ💦

たくさん たーくさん、大変なだけでしたぁ😭

 

鎖国(江戸時代)の良し悪しあれど、かっこうの社会実験ではありました。

日本人として、およそ昔から至った我らを知れたけど、

幕末からの変動、動乱、災害は、現在に至るまで人々は、そして一個人としてもちりぢりバラバラになって😭きて、先人が危惧していた国土や文化遺産も、無残な状態をしれっと、これ見よがしに見せられてしまうまでに。

 

今年1月、困った社会をどうにかしなくてはと言うと
「でも、どうしようもないよね」

同年代の優等生な よいかたに言われちゃってます。

わかる んですが、

ケチ根性なのか、ムダにしたくないんですよ。先人の思いや被害を。

それに、ここでふんばらなきゃ、ぜんぜん違うよ。

 

あ、タイトルのことはですね (具体的にはもう書けませんでした)

やはり、どうがんばってもあとの記録に残せていない、どころか、もう最悪誘導創作ものしか世にない。それしか波及や残しにならない。

 

小学校の時に習ったこの もの悲しい歌が なじみよかった

♪ いーちーの たーにの いくーさ やぶれ 

うたれーしーへいけーの きんだーち あわれー

あかつーき さーむーき すーまーの あらしーに 

のこれーりは これか あおばーの ふーえー

 

もう、日本にこんな思いをすることがないように と

しみじみとしていたものです…

でも、まさかもっとひどいことにされようとは でした。

 


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あのときは・・・の前に

2025-05-11 10:55:23 | 日記

いくら「形あるものは必ず壊れん」という、仏教の重要な言い伝えがあっても、古い物がある程度残されていた1970年代頃までは、その教訓を軽視しまくっていました。

永年(エイネン)ともなればだけど、自分の生涯にかかわるほどでは
と、思いましたよ。

疑うべき事柄が すでに出ていたのに。バカでした。

2014年の集中盗難時期までは、いちおう人間だけが やっている前提で観測していました。

自動改ざんで 何でもやれていることを ちゃんと わかっていれば、あそこまで苦労しなくてもよかった のですが、

ギリギリまで、人間だけでやりうることと、示されている現場でしたんで。

ものすごい記録量でしたよ。しかも隠し隠しで。
人手にわたる瞬間、 全部ぱあになりましたが。

傷を負ってなお、引きずり回されるようにしてから ようやく明確な検証に至っている 慎重に慎重を重ねた発見ごとなんです、原子自動改ざん というのは。

苦労話を挟んじゃいました。

 

そこで 物がだめなら と、

諦めのわるい私は 常に
苦境の壁を乗り越えようとする、転んでもただは起きぬようにする、最後まで力をふりしぼる、窮鼠猫を食む根性出す、極力ガマン、あるチャンスや可能性は見出す 等々

習性が身についてしまってた😓
かなりの スポ魂のかたまり。裏スパルタばかりで生きしてたし。

記憶が物以上に大事なのは、自分以外から 思い知らされてたから、
重要性わかっていたとはいえ、さらに

記憶こそは。

に、なってしまってた。

でも気付けば、
もうそれを共通前提で受け止めてくれる人が、、、

それに、⋯
記憶できていない人は、記憶の重要性がわかっていなかった😂

それに、⋯
人間は動物のうち、脳も物のうち。すもももももも

。。。。。。。だから初めから言ってるじゃん と、御釈迦様にのたまわれる。

O_O

 

まあたいてい、

 もっとも大丈夫と軽視したり忘れたりすれば、もっとも大きな危険になる

って、いま(私)ぐふ から、格言 作っときましょ。

なんか、口調が「ヒロシです」になってたけど

 

 

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ありがたし

2025-05-11 05:57:53 | 日記

  ただいま、令和七年 五月十一日 朝の五時二十二分

例にもれず、寝床の今朝まで(眠れてはいました)

かれこれ このブログの何名かの たび重なる 「~、おまえもか」現象に、

 胃が 悲鳴上げそうになっていたところ、

「   タエガタキを耐え‥ シノビガタキを忍び‥  」(第二次世界大戦終結の玉音放送)

がもたらされ、

 胃はすぐに、ふっと 軽くなりました。

腑に落ちる の一つでしょうか。

   私の大惨事大戦が、もう終わるといいな。

 

初期のころ読めなくされた日本国憲法のなかには、

たえに耐えてきた時代に対応する日本の、

こういった誠実なる思いが記されていただろうと も思えました。

  受けてきている 改ざん の出かた からしましても。

 

 

 

 

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哲学の祖 ソクラテス「悪法も法なり」の解釈(add.5/10 8:16,一部改訂5/10 12:02)

2025-05-09 20:19:31 | 日記

  ソクラテスといえば、とにかく古い …しか言えませんが

次に出てくるアリストテレスとは、並び歩きながら伝承したり論を出し合ったり、それが当時の会議のスタイルといいますか。日本の古くも、秘密の大事な話は歩きながらする ということでした。京都の哲学の道(昔、良かったですよ。結構長かった⋯特に初回)、重要。

なにしろ、教科書が 無くなりは、高校の倫理のが、最初の気づきだったような。

けっきょく、死守しようとしたものを最後に教科書や付属本、アウトに。ノート1つ残らないですし。また高校のどの教科も、改ざん見たとたん、もうタッチしてはいけないと見るのを止めました。でもその物体も目の前からまったく消えてしまうことになると、起こっている深刻さがうやむやになってしまう。何となく、自分だけへの悪運ならとムリヤリ決めつけて、気にやまないようにしてしまうことに。

こうやって、音をたてぬ、悪の大変革は、多くが気にとめないあいだ、一挙に起こってしまってた!

メディアの顔をしかめたくなる倫理失いも、エスカレート許すばかりに。流れといい声高といい、悪が勝っていく。

次には、本流を知りもしない日本人だらけになって、洗脳されては悪のやりようを誘導されてた。

いかにも時間をかけられているようでも、けっきょくは目の前で瞬時に起こっていることと変わりない側面もあろう。

とにかく洗脳は、騙される中で最上位に怖いけど、催眠術と天秤にはかけられず、洗脳あっての催眠術、催眠術を正当化する洗脳 ともいえる…

種々の途中経過を危ぶみながらも、やはり忘れていて今更、人間の大半が間違ったことしか習えていないのを聞いて驚いちゃって。そりゃそう…だったのに。

こんな間にも ますます世の洗脳 進んでいる⋯💧💧

さらに、悪の介在ない情報交換は 無いと思うしかなくなったけど、このようなことはどうも、ソクラテスの時代にも危惧されていたことが、よりわかってきたものです。

無知の知 は、ソクラテス(の提唱)で 哲学の元になってるようです。

「人にはぜったい知らないことがまだある ってことを知っておくこと」

このあたりまえを、あたりまえと思えなくなると、当然 発展はないし、

慢心の危険は、ものすごい。

自分のことで自分が大変な目にあうことは とくに人から学ばなくてもわかるけど、

ひとが大変になること(判断材料を失ったり間違わされる、損害こうむる、心や体に傷を負う、信用生活や生命の危険 等々)は、自分勝手だけでは けして はかれない。

事実を大事にするのは原点で、最小限でも必要なこと。

事実を 本当に本当に 正確にしておくことと、知ることとは、よく似ています。

「正しく知る」それが、人間の特徴なる脳活動や社会活動、道徳の元でしょう。

ちゃんと道を見極められる ような人間にとっての必須を、徹底して妨害する存在がある というのも ソクラテスの時代にだって 当てはまります。

結局 その存在は人間に間違った言い分行動を起こさせる…

ソクラテスは囚われの身となります。

詳細は覚えていませんが、何かを認めないと死刑という交換条件がつきつけられたとき、ソクラテスは「悪法も法なり」と従って処刑されてしまう(毒を自らのむ)のです。

高校のときは、いや、それは従ったらダメでしょうの論を1と+2つ唱えた私ですが、どう書いたか忘れました💦その一つは同じクラスの山ピーではないけど、男子生徒がまったく同じ事を書いたことがわかりました。

まだ生きる気満々の頃の、オーソドックスなことでしょう。

あまかったですね。

生きるか死ぬかの選択をするときに、

それまでの散々なめ のことや、
重要性示す基準がやはり、生命を断つことであることは、

一見平和に守られているかに騙されている我々 元 若者には、思い至らなかったことです。

   高校のときよりも、散々なめにあっての年寄りの今だからこそ、とらえかたのウェイトが、変わってくるというか、より明確になったようです。

戦争中、恐怖が増大するばかりの耐えきれない生活を延々と送ってきて、人としての誇りを奪われていく中、絶望しか見えないときにどうしたいか。
名誉の死こそは 格段に欲しい! (のどから手が出るほど だったらしい)

こんなに耐えたのだから、そうさせた者に投降、服従するなんて、ぜったい考えられなかったこと!

そのようなこともやはり、近似の経験なしには 理解しにくいことでした。

    生きていくだけで辛いと悟ってしまったら、その命で示せる手段となり得て貴重だし、それが最期まで理知的であったろう ソクラテス の判断であることの 正しさや重要性というのは、しっかりあったわけです。

(多分に悪影響によるあらゆる死の淵を経験し、先人のことも納得した者として)の解釈 ;

    法の有効性 、また 法をしっかり守ることの必要性

はもちろんでしょうけど、それ以上に、

法は人間を殺し得るものだ (法は犯罪手段に化ける)であります。

その法こそは、慎重に、厳重に注意しなければならない 

のです!

日本国憲法は、法の番人

また、制度というのは、法よりも構造的で人間にとって融通が効かなくなり、治外法権を作るようなもの。憲法下ではぜったいにつくってはいけません。
追記: 法を含む、日本国憲法に反する(ような重罪)物事を、すべて違憲(イケン)と呼びます。もう、目に現れているものは、改ざんのついた状態とこころ得、記録を補足以外で取扱ってはいけない。違憲慣習(きほん1977年頃以降)は、撤廃する必要があります。日本国憲法が進められない障壁にわざわざ手間どってはいけません。学問や宗教、すべての国民1人1人の意見は、日本国憲法の精神に沿っていればよいのであり、政治影響されない必要があります。(いわゆる政教分離のきほん)


    憲法ではないこと(憲法違反)は、早晩、大犯罪につながります かつ

日本国憲法は最高法規であり、最優先です。

ヤクザの収入源、チョウかハンかな賭け事を社会に据えたら、それどころではない人間貶め犯罪であり、そうなった部分は事実上 日本ではなくなります。

それは とーにかく、悪のやれることはごマンとありますんで。

アメリカも広大な砂漠の中に 賭け事をできる所(カジノ)を限りました。
外貨がけっこう裕福にあったときですね。

今の日本は各状況も違えば、人の活動できるところはどんどん限られていて、

何十年、何百年と必要な森林資源もその土地も・・・

こんな、わかりきって とんでもない憲法違反を許す気になってはいけません。

悪は人間と違い、一夜城ならぬ 何でもすぐやってしまいます。

 

なんか、次と その次に予定の記事の関連を、おおかた書いてしまいました。

まあ それだけ、最初のポイントっていうのは、発展性があるってことで。

 

 


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