昨日の記事 歴史 おきて! では、日本の歴史の根本を示せたかなと ⋯万人に知っていただきたいことです。
現代に悲痛な苦労あれど、
聖徳太子のころには すでに四苦八苦させられていたことがわかってくる…。
さて、変えられていなかった言い伝えとは、必ず深い意味を持っているらしい。
子供の頃、聖徳太子のことを知らされたときに有名なエピソードを聞いて受けた印象と、現在とでは 受け取りが同じではありません。
とくに考察しない子どものときは、大人から適確な示唆を受けていても、どうしてもピンとこなかったり は私にもありました。
でも 今なら、なぜ わざわざ伝えようとしたかが 相当はっきりとしてきました。
たとえば、うまやどのみこ っていうは、お馬さんが寝起きする場で生まれたからですが、
子供の頃は、人間の住処ではないってことは、何やら不遇だったのかなあ
なんて思うわけです。
でも、実際を考えたら、お馬さんの入るくらいの建物は、すごく大きいでしょ?
資材を運び、山も川もどこでもかしこでも連れていってくれたお馬さんは、めちゃくちゃ大きい 人間のありがたい相棒で、機嫌よく元気にやってくれるためにはちゃんと風雨を防げるところ(入るには高い天井の2階分は必要)で休まないと。自然の状態では 本当のお馬さんという生きものは、足が4本とも元気でないと苦しんで死んでしまうことがわかっているし、寝るときは立ったまま寝るんだ⋯立つのをやめるときというのは死んでしまう以外では まず見ることがなかったんだって。
大きさはきりんさんほどじゃないけど、(競走馬より)かなり大きな存在。
馬の宿は立派なんだよと言われても全然ピンとこなかったのが、こういうこと全部まとめてさらに、このブログを書きながら よーく考えてみると、
母の実家は、まさに馬の宿でもあった!
母は 時を急いで現代の大人でありたかったようで、まったくお馬さんの出入りのことを私に言ったことがないけど、私ら子供には絶対に行かせなかった場所のことでの反応と、学校などで 馬糞の扱いを習ったり、稲を刈る実習で使う大きな鎌でなんかあっただの話していた様子とを結び付けると、察しがついた😜
あそこには西郷隆盛も泊まったのでして。日本の歴史も刻まれていて、この年齢になるまでおアズケに しすぎていたことに、ようやく気付いて、からの
聖徳太子のお生まれを同じ言葉で聞けば・・・
あら不思議。ぜんぜんイメージちがう。
それに、聖徳太子は 我々と共にあった、れっきとしたご先祖様だよって思える。
聖徳太子には、10人が同時に話したのを全部 聞きわけて答えた という逸話がありますが、
これ、私が小さい子供の頃、クラスの中で休み時間、音の妨害など不自然なことなく10人がしゃべっているときに自分で試したことあって、「できた、まだもう少しいけそう」と確認したことがあります。
これは、いろんな条件で変わるから、もう試す機会を持とうなどとはまったく思いませんし、条件も含めて、子供のころとは能力が落ちてしまっていることは察しがつきます。
人間は、生まれてからも、進化をたどっていて、年をとっているほど脳は優れていたつい100年ほど前
から現代までに、悪影響の'ムリヤリ'が 優れたことほど増やされていることで、
進化とは逆現象に変えられていると、社会でも自分でも実感します。
こういうことは、深刻な過ちを引き起こすことになってしまうあの一言にまとめず、自分ですべてを繊細に分析すべし。
そうそう、「少年よ大志を抱け」の クラーク博士には、まだ大事なことがあったけど⋯と、思い出せずにいたら、これはネットでヒントを確認できました。
生物学者だったのです。
古来、日本で根付いてきた 家 の制度、長男、長女が引き継ぎにおいて重要となることに関しては、生物学的にも 理にかなっていたというような お墨付きがあって、日本国憲法にも参考にされています。
国民が生きていく社会の最小単位である 家 のことは、社会の核(要所)です。
悪に狙われるキーマンが、長女などであったことも、社会現象であったこと。(具体例は省略)
ポイントである基礎をきちんとふまえて、家のことの決定権は長男や長女にあるという定義に近い決まりを示すのが、法が破られる前の相続配分(以前示したけどここでは省略)。
相続に税をくっつけるなぞ、弱り目に お家取り潰し方向 で、もってのほか。
さらに、法定と称している配分は、上記根拠からして違憲もの。
こちらが、ガバガバ盗まれるばかりだったという事情などなければ、法が違うところを指摘するだけだったかもしれません。
ひどい事情でも、長女である立場から 相続配分を自ら決める(ただの相続放棄ではない) ということで本来のあるべき姿に近づけようとすれば、
とんでもない極悪の横やり(家族等への影響つき)が猛威増し、ずかずか入ってこられたわけです。
まだ、過去形にはできていなさそうですか💧
私事とはいえ、ターゲット化された1つの顕著なことでもあります。
やはり、昔の学者の言うは、まったくもって正しかった実感に対し、
二世代以上前からの つながり整合性が自らとれていない物事が、いかに違っているかは、100%以上の警戒をすべきだと、はっきりわかることだらけです。
人間の感覚についても、もとの基準を常に据えておかないと。
我々人間は、人間社会を形成してやってくるまでに、
危険がいっぱいの自然のなかで生き残ってくるだけの能力があって当然だったんです。
でも現在は 無いと思わされているか、閉ざしを受けている。
そして従来なら、動物は種によって それぞれ特徴がはっきり分かれていたし、同じ種なら共通点のほうが多い。(こういうことは、昔を知る大人のほうがまだ想起しやすいかと。なぜなら現在ではまるでごちゃ混ぜで、スッキリ受けとれない環境に変わってきてますもん。 )
分断したり、個々人をぶちぶちに分けてしまって極悪に向かされる考え方すれば、偏見の巣窟が増えるばかり。
みんな一緒、同じ家で寝泊まりしていれば同じ穴のむじな
同じクラスや職場仲間になれば、自動的にずっと友達、
大変なことになっている地球にいても同じ穴のむじな
そのことを、はずしてはいけない。
何も 区別に苦労して、解決策を失っていくことないじゃん と。
特殊な区別を作る考えや手間は、たばこより百害あって一利なし。
通じ合えることを大事にすれば、問題を少なくしたり防げる。
憲法は、万年万人の同意事項のことです。
(えっと、聴覚のことは ちょっとだけ入ってますよね)
※ 古来の"制度”という言葉は、大事なことに焦点を当て強調するときに使われていて、(広く情報や優れたやり方を求める)外様大名制度など、功を奏して良い イメージがありますが、日本国憲法では、それらの良いことはすべて含んで(推奨して)あるため、制度を作る必要がありません。必要もないのに強制力を狙って付けてくるということには、良くない意図が含まれると言うことができます。