報告ときどきピアノ

開始日、経緯・前後関係と復旧無理な改竄があり、常にも仕上げ原文どおりでご覧にないかも;何とか照準合わせようと奮闘中

きのうのこと

2024-03-09 17:27:27 | 日記

 前の投稿、あんな短いところまで、改ざんが・・。情け容赦ないものです。

わざわざ、点で終えた記事が、改ざんで、使うのを止めた言葉に丸までついてた。

今も、どんなか、どんなになってしまうかは、わかりようがないのだけど。

こういう「改竄」にこそは、ふれてほしくない と言いたいわけです。

 

母の求めることは、最大、最高、最善にして守ってきました。

どういうわけか、それを当人がぜんぜんわかってくれないことに傷つきながらも、

母は私のすべてでした。

すべての私への有言無言の内なる求め(正直、素直、謙虚)を100%基準で

守っていることが、私の生き方でした。

母がいること、なんとか母を喜ばせたい は、常に私のありかたを意味していました。

3番目妹が歩き出してからも、妹たちが2つの手を占めてしまうのを我慢するよう、父に言われ、妹まで私と手をつなぐのを嫌がっても、それで耐えてきました。

いつかはこんなにがんばっているのをわかってくれる、

母をすごく大事に考えてきたとわかってくれる、


私が歳をとって、最大限良かれの頑張りが強烈な裏目にしかならなくなった果て、

初めて事情や心の内を語りたくなる気持ちにさせてもらうくらい、

母親としての気持ちが残っていることを示してくれていて、

寄り添い心を預けようとすると、

ほかから直に大妨害に遭い続けた。

でもさらなる大、大犠牲の末、やっと、

昔言わなかったこと、言ってもダメだったことなどを話せると、心で理解してくれた。

良くなっても寝たきりの母1人に、証明事を頼むつもりはない。


基本、カゼの菌などぜったい御法度の、母の肺関係の異常。

最近私が咳込み始めていて、基本、やはり他からの離され圧力や多種多様の脅しを気にして、

接する機会が急に微量になった。

その直前には、意志を口で伝えられなくなってきた母に、

本来の自分なら迷うことなく最善ケアを尽くせたのに、

タイミングも味方せず、すべてに反して救うことができず、お別れができなかった。

母は、頑張って、穏やかにしめくくった。

その直後、足止めだらけだった私は、到着した。

最期のことは、妹から少しずつ聞いた。

 

現実は強烈な皮肉につくられた苦難に次ぐ苦難。

とてもとても我慢した、立派な人生でしめくくった、皆から愛された母だった。

 

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