前の投稿、あんな短いところまで、改ざんが・・。情け容赦ないものです。
わざわざ、点で終えた記事が、改ざんで、使うのを止めた言葉に丸までついてた。
今も、どんなか、どんなになってしまうかは、わかりようがないのだけど。
こういう「改竄」にこそは、ふれてほしくない と言いたいわけです。
母の求めることは、最大、最高、最善にして守ってきました。
どういうわけか、それを当人がぜんぜんわかってくれないことに傷つきながらも、
母は私のすべてでした。
すべての私への有言無言の内なる求め(正直、素直、謙虚)を100%基準で
守っていることが、私の生き方でした。
母がいること、なんとか母を喜ばせたい は、常に私のありかたを意味していました。
3番目妹が歩き出してからも、妹たちが2つの手を占めてしまうのを我慢するよう、父に言われ、妹まで私と手をつなぐのを嫌がっても、それで耐えてきました。
いつかはこんなにがんばっているのをわかってくれる、
母をすごく大事に考えてきたとわかってくれる、
私が歳をとって、最大限良かれの頑張りが強烈な裏目にしかならなくなった果て、
初めて事情や心の内を語りたくなる気持ちにさせてもらうくらい、
母親としての気持ちが残っていることを示してくれていて、
寄り添い心を預けようとすると、
ほかから直に大妨害に遭い続けた。
でもさらなる大、大犠牲の末、やっと、
昔言わなかったこと、言ってもダメだったことなどを話せると、心で理解してくれた。
良くなっても寝たきりの母1人に、証明事を頼むつもりはない。
基本、カゼの菌などぜったい御法度の、母の肺関係の異常。
最近私が咳込み始めていて、基本、やはり他からの離され圧力や多種多様の脅しを気にして、
接する機会が急に微量になった。
その直前には、意志を口で伝えられなくなってきた母に、
本来の自分なら迷うことなく最善ケアを尽くせたのに、
タイミングも味方せず、すべてに反して救うことができず、お別れができなかった。
母は、頑張って、穏やかにしめくくった。
その直後、足止めだらけだった私は、到着した。
最期のことは、妹から少しずつ聞いた。
現実は強烈な皮肉につくられた苦難に次ぐ苦難。
とてもとても我慢した、立派な人生でしめくくった、皆から愛された母だった。