改竄は、どんな画面でも、紙でも いっせいに起こります。
そして、やりようはトロイの木馬。
とらえかたによっては、そんなに影響を感じない消費税導入を例にしますと
いかにも世論にはかるような風潮だけで消費税3%は導入してしまいました。
多くが、その仕組みづくりに奔走、
最初から10%で誤魔化してぼったくるなど消費者いじめ犯人出没。
(インボイスは、こんな簡単なことでは済みません。)
店頭表示規制も結局はなし崩しで2,3転。(高く買わされるほうに)
3%でよかったはずが5%に
この2%の差は負担として非常に大きくなる。
もとはといえば、3%もかなりのマージン的存在感が出てくる数字で、上限を超え気味のところだったが、当時はまだ消費者側に体力もあったので、お国のために まあいいや に黙らされた。
・・・これが1%や2%どまりの始まり方だと、ぜんぜん違っていたわけで、いかに導入当初から犯罪的に考え抜かれた数字であったかがわかる。
3%ぎりぎり、そんな数字が、上げられるということは、
企業活動、生活コストとして、まったく性質の異なる圧迫税なのに、
同じ名称の「消費税」で済まされ、当たり前のごとく数字を変える。
(ここから詐欺的動向がめきめき。)
足元を見てきている。
せっかく、体制整えた箱(システム)に数字を変えればいいだけだから、導入時ほどの苦労はあるまい。
3という、わかりにくい数字より、10の半分の5なら、計算に割り出しやすい。
を、苦労の天秤で メリットにされてしまう。
しかし、5の期間もそんなに与えぬまま、(7だのいいつつ)8へは一発強制!
是非を問う気力より、もはや10のほうが計算速いと思うのは時間の問題。
いっぽう、一律に比較できない所得税、ほかは、少数派いじめ、騙し型ピンハネ徴収でも注目されない。
(政府直結でない犯罪の入り込む余地でもある。)
「消費税」というのが その数字なら、所得税は やめろ と言ってはいかがか。
まあ、個人あて実際の犯罪は、もっともっと悪質なのだけど、
消費税導入(トロイの木馬)は、もっともシンプルな詐欺犯罪のお手本だ。
まず、よくないのは強制(国民の同意無き事)を勝手にさせていってること。
どうみても、のちに変わってきた制度、体制、やりかたは、犯罪者(だまし)に都合のいいもので、徹底している。
たとえば
昭和の議会として、事件的なものやヤジだけのところを映すかもしれないが、憲法体制を生かし、遵守する、最初に考えられた体制に戻すのが、良いはずだ。
議会の合理性潰しは犯罪行為、犯罪をすすめられなくなると逆に今度は悪用できる体制に誘導したのだろう。
最近見て一番マシな場面でも、
犯罪に都合の悪い発言時間、報道時間は、時計進めて言いがかりつけ、お決まりのスカにする応答で閉めて、議会なのに議論をさせない。
見た目にもよくないが、すべては見た目・・(こう言わしといてああして見せる ででも)
あらかじめ言う事を決めさせ、想定応答する寸劇は決められているのがベース。
寸劇のシナリオを外れるような言い分をつけるのは、至難のワザ・・ほぼ無理。言わせていない。
まるで、犯罪事のほうが大勢を得て余裕(威)があるかのようになって久しく、
やってる側(首相等)も、なかみなどどうでもよくしたほうが目的とする見栄えがよくなっている感触があるのではないか。
もう、トップの催眠術はずしても、今度はあたまカラッポで、またどうなるかわからない・・。
昨年か一昨年かに、わざわざとんでもない誤りを敢えて教科書に盛り込んでいることを聞かされています。それは絶対、正さねばならなかった強烈な偏見なのです。
それが逆の強行。。。
国民に長く犯罪せよと、教え込んでいくわけです。
ものすごく悪質な言論統制。
教科書の指導要領(綱)は予告ワードです。
物(刊行物だろうが領収書だろうが記録画面だろうが)は、自動、遠隔改竄でどんどん変わっています。
教科書類も、犯罪者都合でいくらでも変えられるトロイの木馬になっているということ。
公(おおやけ)にはかられることなく、教師に改竄物に従うよう習慣づけさせる強行が発生してきています。
完全に基本的人権を害する教育は、義務教育に値(あたい)しません。
また、
教科書の指導要領というのは、教師に解釈の例を示したり、資質を補うトラノマキであり、
(小学校、中学校ですでに聞いています。)
よりよい教育をとりしまるシロモノではありません。
そんな位置づけのもの(むかしむかしの中身はなかなか高度でしたけど)に、
「守らない」という言葉(インネン)をつけるなど、あるはずもない、
あってはならないことです!!