すっかり、方向音痴ごとが身についてしまっていた、またこれぞ覚えていなきゃや、こんなの忘れるわけが が、スポット的に抜け落ちてしまうことが出てきだした私。
記憶能力など、子供の頃から周囲や わが身を注視していた私は、関連 全部チェックしてきました。
たとえば、自己責任は限界まで引き受けていた私でも、たしかに家から持ってきたとわかっているものがなくなっていることを、発覚したタイミングによっても 自分で 忘れ物と表現しなかった徹底ぶり。(まあ、そのような件で関わりない人や人のせいにしたい人は、十中八九いや九,十と疑ってくるんだろうなも覚悟の上で)
何につけ、わざわざ覚えなくても少しでも意味さえあれば延々覚えていて不思議なかったところから、自分しか覚えていなくて なぜか忘れられる苦痛や、能力的な変化が歴史的には本来変わらないのに、変わりだしてるとすれば自分でどのようにか について、おおいに関心をもっての 連続チェックで、変化などにはきっちりさせて きていたんです。
自分をはかりにしなきゃ、人の脳のことなんかわかるわけないんですからね。いくら部分的に言葉でよみとれようとも、悪や他人のひんまげにしかなんないです。(重要)
・・・ あ、雄弁なイイワケしてしまいました w
今回紹介の場は、今の私の力で地名や地図で示そうと思ってもできません。
地球から、大地がこんなにもなくなる前は、新興住宅地ができるよりも圧倒的に自由な土地のほうが多かったのです。
ざっくりいって、1970年代までは広大な場所にあちこちから凧揚げなどに集ってきて、パッと見くらいで、何人いるか把握したりできましたが、そんな場所に行ったときが、もうここはなくなってしまうんだよということを聞かされた最初(1977頃)だったかもしれません。
住宅地とはいえ、空き地は豊富にあって、そこもまた自然を楽しめる場でしたが、家が増えてくるからだけではなく、悪の物事のやり方でいち早くそれらを奪われていたのを観察してきておりました。
それでも、他の地域大阪などに比べたらのびのび暮らせているほうではありましたが。
たしかに住宅地が増えてきた時期はあっても、見わたすかぎり広大な空間を開拓するのはいくらがんばってもそんなにスピーディーというわけにはいかないし、動植物の生息については国としてもちゃんと畏敬の念を大切にし、自然循環を崩していかないために動植物の個体数や生態系研究も急がれ、把握、確立できてました。
南北に長い日本列島の植物分布はハッキリしていたし、地質だって大きく特徴があるのが見ただけでわかったものでした。
悪のやる事が 人間にかこつけられる性質から、日本人の、人事を尽くしておかねばならなかった厳格を旨とした 真相の一端が あったと、今にして理解できます。
もっと国土を守らなきゃという思いがそれだけ強かったわけが。
そんな想いを今また彷彿とした 向かった地のことです。
大学時代だったかな、母もいっしょでしたが、母がまた、私への記憶が微妙になり始めた変化をこの前後でかなり強く感じたのを、思い出します。
いまさらのようですが、影響はあったはずです。
現地から帰るすぐ後からもう、母が 私のいたことを通して「あの時の・・」の会話ができていなかったのです。
これで、お互いの気づきの不足を補いあったり、言葉にして表現して繰り返しわかりあい、記憶の形を豊かにしておくことができなくなってしまっています。
現地で、案内者から その位置を周辺2つ以上の地区名で聞かされていたはずですが、私の記憶から いつしか はずれてしまいました。
ただ、すでにどこかで当然のように耳にしている場所で、奈良市か奈良市からそんなにはずれてもいない地区だったとは思います。
母は、 ときに問題が出るような(痛むなどと言っても通らなかった💧)私以上に健脚で、車(これまた私がとくにゲーゲー抑え)を降りないといけない場所になって長くても 慣れた足どりです。
悪コンディション当然の私にも、自然の道は親切でした。
そんな自然の道は、けもの道 とよばれます。
イメージ崩す 小説や映画で、マ逆の意味にされたのに、私は これと失楽園があると思ってます、たぶん😒
けもの、つまり動物たちが生活で通るのに、長い年月 踏まれて そこだけ草が生えない⋯動物の習慣で自然にできた道が、本当の けもの道、
そんな所を歩いていると、
快適 快活でした。そのイメージPC画です⋯
よかったらクリックしてください。
そして 目にうれしい自然豊かな場所をいくつも通り、ここを覚えておいての場所に。
広く深い(驚くほどの水深)、澄んだ水辺に立たせてもらいました。
それまで悪影響が無かった場所ですが、案内者にはちょっと問題を感じることがでてたようです。それでも気をとりなおすにはまだ十分。
最初は風ひとつありません。向こう岸に見えるいくつかの それぞれの大きな木、まったく同じ姿に水がうつしとっていました。
息をのむとか、神秘的とか、いくら言葉で表そうとしても美しさや空間の静けさ具合は、表せません。
どの植物も生き生き 。
どの植物もまったく不満なく自然に穏やかに存在している姿。
また、自らが光っています。
自然に育まれて優秀だから光っているし、
ほんとうに光合成しているんだなって。
やぶへびになったら申し訳ありませんが、その ほんの一部をPC画にしてみましたので、一応、貼っておきます、よろしくご覧ください。
変わり対応修正と若干描き込みしております スミマセン
なんとか堪能を記憶にとどめたいと思いつつも、そこそこの時間で区切らせてもらうと耳に入ります。それでも必要十分な時間いただけたと感じました。
さらにご案内の方が続けるに、戻らないと山道が危なくなるぎりぎりの時刻ですと。
じつは、こういった場所を知っていくために 予め最初の探索者がいるのですが、安全確保が難しく、犠牲もあることなんだと⋯
過去の記録物は人間の手(地球上)からすっかり奪われました。
ご自身の当初から連続した完全な記憶と ひも付きではない記録や情報は、必ず危険情報が含まれます。責任をもってうのみにせず、お取扱いは極力ご注意ください。
□ 日本国憲法は、自身の 道しるべ、ふるさと … 法の省エネ(憲法の考え方)
■ 日本国憲法は、永遠に理にかなう最高法規
■ 絶対、制度 を存在させてはいけない! (憲法下において、 制度は 憲法の凌駕、無視、違反になる。制度の字が出ていたら犯罪者側の改ざん由来で間違いありません。 ) ■ 国民の互いの 日本国憲法の遵守言動が、例外なく必要不可欠 さもなくば 戦争状態と変わらず
改竄(かいざん: 現在は原子操作されているもの)とは、たった1つでも想定外に事実根底を違えられ大規模、重大な影響を受けることを、改ざん方法の重篤さもあわせていう。
すでに注視させられるもの全般に改竄が及んでいます。
原子改ざんと、脳作用のありようをしっかり考慮されないと、必ず冤罪を出し、大事を誤ります。
見える物事は、犯罪者の虚偽の可能性高く、常に自他の既成行為をはめてしまわないよう 厳重注意ください。
日本国憲法の発布 前までのじっさいの写真はごくわずかです。たとえば東京裁判といわれた時の撮影は1回のみであり、私はその写真を確認しています。授業で聞いたとおりすでに(裁判前から)囚人服を着せられた被告人 が、一面の白壁を後、長机を前に恐怖と諦めの面持ちで立たされて、その4.5mほど離れた写真左側にはアメリカの若い白人男性が白めのシャツのような服で姿勢を斜めに肘をつくようにして座っているだけの光景シンプルなもので、撮影位置は写真の右手前、被告人位置から10mほど手前の位置からです。
裁判の英語は日本側にはまったく理解されず、被告人らは判決理由や結果をあらためる時間はいっさいとられることなく、何者らかによる処刑が先行されました。
二・二六事件 の事実はこちら末文…見てるつもりは? 、生きていた伝承 または
なお、このブログでは第二次世界大戦後までに万人が認めている史実のみを扱うことで見極められたことのみを一貫して記しており、事実関係に間違いの無いよう、細心の注意をはらってきていることを約束します。慎重なる必ずの情報共有を、国民としての責任をもって お願い致します。その上で追加情報や確認などございましたら、コメントなどご連絡ください。
現代までに出回った ~症、~病、 ~障害 、そして制度ごと は、上記改ざんによって浮上した 違憲(偏見設け、実態真実ごまかし、伝達や発展の妨げetc.)言葉なので、業務取扱者はもちろん科学理論にのっとって廃止し、一般的にも今後ご注意ください。
高齢になったからといって古来 人間の脳は衰えず病気にもなりません!
現代はびこる傷病症状は自然由来ではなく、パターン違えど原因は1つ、悪関係攻撃被害です。
現代できた ~症 というカテゴライズ(大くくり)名は、それは迷信!
これまで人より認知してきた人、今後も認知ができる人を、認知症と呼ばないでください。
認知 は、脳の主体行為 。 (どういう事があったかをわかっておく など)
認知は、 機能なんかじゃありません。
悪の作った ~症をふりかざして 人間を捨てさせるのは絶対やめましょう。
【警告】
わかった限り、認知症や統合失調症 という言葉が 悪より強要されていますが、人を否定する悪用の危険な造語であり、科学的意味は無に等しいか、逆。正しい医学を持っている者は、絶対にこれらの言葉を認知したりはしません。
今後 安易に上記○○症を公に口にする者がいたら、免許を はく奪してください。
一般においても、このような危険知らせに わざと目をつむり、やっきになって非現実の危険言葉を口にのぼせたり拡散するのは、重罪行為です。
引き寄せなる うつ病 や、 定義が激しく動いている アスペルガー症候群 についても、危険誘導がみられましたので、一般に通っていそうな 流行り症名、病名はきほん、撤廃してください。
病名をムリヤリつけずとも、その前にすべきことはたくさん。
「つらい、めいった、くるしい、ストレスがたまる、気分転換したい、ミスがつきやすい、しんどい、気持ちがだるい、体の不調が気になる、お茶にしたい、1人になりたい、誰かに会いたい、お馬さんに会いたい、こかげにいたい、気持ちの処理がしたい、心に穴が空いた、憔悴した、気分が暗たんとする、身体が踏みつけられたぼろ雑巾、さらに風化してぽろぽろ、トラブルが出る、どんなふうに痛い、気勢をそがれた、ためていることがある⋯」←😓誰のこと?
まず自分達で具体的な言葉にしようではありませんか?
当人こそが納得できることが手当ての第一歩。
具体的な物事で、そのたびにできるだけ早く解決法を確認しあうのが、一挙両得の近道ではありませんか?
理不尽な差別、約束やぶりなどの 加害ごと を正し、被害を長引かせないのが先決。
こんな基本、できているのでしょうか?
戦前からの現実にかんがみて、何が正しいか、狭い概念で逆転 起こしていないでしょうか?
日本国の障害者は、理由が 千差万別(人それぞれ)、
第二次世界大戦後 負傷兵の意味を継承しています。
このブログは 私1個人が、万人の認めていた真実のみを 実際動向と確認しながら継承した 唯一のものです
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史実のこと あいだの記事💧💧💧 正すポイント 末尾に追記
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