今年に入るまでに、国へのことで、命押しつぶされるようにして、ようやくこのブログを立ち上げる頃までには再三始めていた 必要な提言事に手段 総力尽くし、間にあったかどうかの瀬戸際にはなりましたが。
実質、江戸時代に起こっていた命 引換えの訴え に、意識的に なぞらえた歴史的最終行為(?) も、ちゃんと理解もされぬどころか、なぜか感謝の代わりに どなられたり けちょんけちょん にされたりと… 😂
かたや、家族のことは どう根気よくやろうとも 急変後のエスカレートに 対処の限界をみて、怖いものに蓋(フタ)をした(された)状態。
こういう ケジメのつかないこと、本当は協力ぜったい必要となっていた人々から、つよい逆攻撃されながら かろうじて諸人全滅というわけでもないのは有難いながら、やられごとに全面対処を封じられた 難易度 苦しさ度 高っ! なことです。
こんなことで、母のなくなった後 まる1年。
年度末 なんですね。
・・・・・・
子どもの頃から私の住んでいた関西周辺に親戚はいなかった ぽつねん の核家族にして、父親の家にいる期間も時間も、職種上 あまり無かった家族。
いわば姑嫁ごととは無縁のかわり、厳しさがあり、
長女としてグチれば、見守り代行ごとが非常に多かったいっぽうで、自分の見守られには薄さや欠如を感じる事が多く、第三者(悪)干渉影響が強くウェイトをしめていたんです。
あ、すぐ横道にそれちゃいます
およそ小学校の頃までは、年に1度近く、熊本の母の実家に遊びに行ってました。
そのうち 2回くらいは寝台列車、あとはフェリー(車乗入れの船)。
また言い出したらキリのないこと言ってる・・・
ザーーーーっと とばしまして、
母が気に入っていたという、母が子ども時代の家は江戸時代からでした。
いなか とか、親の実家といえば、私にとっては最初からそこだったので、だいたいどのおうちも そんな感じなんだろうと、思い込んでいるところがあったのですが、人生も過ごしてきてしまった今になって… があり、最後に見たときは、誰からか「描けるようにしといて」なんて言われて、いちおう、こんなの無理だな思ったので返事をしぶりました。
また来たときにもっと描けるように把握してみよう ⋯
… Oh, no と なりました。
どなたにとっても次がある と思って当たり前 なことは、
結局 私にはことごとく許されない人生なのでした。
この記事は、
昨晩急に思い立って 満身創痍の道具や不自然ごとのなか、描いたものをアップしようと書いてます。
残念ながら、改ざんが徹底的に目立ってきてました。画像を引っ込める予定です。
絵に添えた文字を写しておきます。ちなみに活字文字を入れる前から徐々に改ざんが始まっていましたが。まる1日で(私が見て)完全アウト状態でした。
画像内文字 ; 熊本 小川 1865ころ築か 手前の覆いは建増し
2階の欄間(らんま)は、少なくとも広く2ヶ所で 精密かつ物語的で見事、掲げた書は勇壮。
(外の)この白壁には黒い菱形模様がかっきり(整然と並び配置で)施されていた。
(屋根の)瓦は熊本城と同じかもしれない。
再現力低いお絵かき のうえでと、わりきったものです💦
至らぬところだらけで、おじいちゃんに叱られそうですが😂
よろしくご覧ください。
陽の当たっていないときの前提に少し影のトーンにしていますが、真っ白な壁です。こちらも汚れ一つありませんでした。
下のほうの菱形の模様;
あまり乙女心はそそらない、剛健デザイン。
この絵とは逆に、しっかりとみじんのブレもない着色装飾。
ほとんど黒に近い ひし形はすべてしっかり角が残されていて、
しかも 一発勝負的にほどこされたとみられます。
💧絵とは、まぎゃくもいいとこです💧
こういうのは、昨夏教えてもらったソフトを使えばよかったって話ですが、けっきょく中途半端な記憶では むしろ実物には似せれない、
似せたもの(要は偽物)は 絶対 作っちゃいけない精神には、むしろ あっているかと おもいます!⁈
似せられた物や 妙な造り替えの存在は、現地 実物の由来あったり心底 共にしてきた人々を 確実に傷つけていますが、
口にのぼさせようとすらもしません😨😢
瓦に関しては、
いわば生産者とその瓦の形、建物の結びつきは厳密にして意味があると、学校で習っております。
また、この地域のこと等 これまでの記事関連を 書く予定です。
2025 3/29 17時(初回)
過去の記録物は人間の手(地球上)からすっかり奪われました。
ご自身の当初から連続した完全な記憶と ひも付きではない記録や情報は、必ず危険情報が含まれます。責任をもってうのみにせず、お取扱いは極力ご注意ください。
(憲法下において、 制度は 憲法の凌駕、無視、違反になる。制度の字が出ていたら犯罪者側の改ざん由来で間違いありません。 )
■ 国民の互いの 日本国憲法の遵守言動が、例外なく必要不可欠 さもなくば 戦争状態と変わらず
原子改ざんと、脳作用のありようをしっかり考慮されないと、必ず冤罪を出し、大事を誤ります。
日本国憲法の発布 前までのじっさいの写真はごくわずかです。たとえば東京裁判といわれた時の撮影は1回のみであり、私はその写真を確認しています。授業で聞いたとおりすでに(裁判前から)囚人服を着せられた被告人 が、一面の白壁を後、長机を前に恐怖と諦めの面持ちで立たされて、その4.5mほど離れた写真左側にはアメリカの若い白人男性が白めのシャツのような服で姿勢を斜めに肘をつくようにして座っているだけの光景シンプルなもので、撮影位置は写真の右手前、被告人位置から10mほど手前の位置からです。
二・二六事件 の事実はこちら末文…見てるつもりは? 、生きていた伝承 または
一貫性がとれていないような発生ごとや、似て非なる記事等とは 区別くださいますよう お願いします
史実のこと あいだの記事💧💧💧 正すポイント 末尾に追記
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