先日、地元で開催された読書会に参加してきました。『友だち幻想/菅野仁』 という課題図書について、読書好きの方々と楽しく語り合いました。本書は、友人関係や同調圧力に苦しむ人たちに向けて書かれた指南書であり、ポイントをまとめると以下のようになります。
- 「みんなが仲良くなる」のが「正解」だとすると、息苦しい。
- たくさんの人がそうした人間関係に苦しんでいる。
- だから、「みんなが仲良くなれるわけではない」ことを前提にして、それぞれの環境で身の処し方を考えていこう。
やはり人間関係というのは誰にとっても大きな懸案事項であり、参加者それぞれから、たくさんの体験談が語られました。僕も昔から人と打ち解けるのが得意ではなく、「一年生になったら、友だち百人できるかな」という歌が大嫌いでした。学校でも以前に勤めていた会社でも一人で過ごすことが多く、やがて年を取るにつれ、徐々にこのままでいいんだと思えるようになりました。それぞれが自分の好きなように過ごし、タイミングが合えば誰かと行動する、くらいが僕にはちょうどいい按配なのです。
近年、猫の人気が高いことも、そうした考えが背景にあるのではと思います。積極的に関わり合うのではなく、普段はお互いが好きなように過ごして干渉しない。それでも、気づけばそこにいて慰めになってくれたり、安らぎを与えてくれたりする。それが猫の特質です。そういう、タイト過ぎない関係がお互いに心地いいのではないでしょうか。(もちろん、べたべたに甘えてくる猫もいて、それはそれでかわいいのですが。)
今回ご紹介する小説『タマや/金井美恵子』にも、そうした猫の様子が描かれています。語り手はフリーカメラマンの夏之。仕事もせずぶらぶらしているところへ、知り合いのアレクサンドルが猫を連れてやってきます。アレクサンドルはアメリカ人とのハーフで、姉の飼い猫のタマを引き取ってもらえないかと依頼します。彼の姉の恒子が妊娠し、猫がいるのは衛生上よろしくないからという理由でした。夏之は困惑しながらも、強く断れません。実は夏之は恒子と関係を持っており、彼女のお腹にいるのが自分の子供かもしれないのです。結局、アレクサンドルに飄々と押し付けられる格好で夏之はタマを引き取ることになります。見ればタマも身ごもっており、やがて夏之の部屋で5匹の子猫が生まれます。
その後、恒子の子供の父親だと名乗る男からつづけて電話がかかってきます。恒子は何人もの男性と関係を持っていたようで、消息不明となった彼女の行方を追って、彼らは夏之に連絡をしてきたのでした。極めつけは精神科医の冬彦という男で、あろうことか彼は夏之の異父兄弟でした。突然やってきた冬彦は、アレクサンドルと一緒にいれば姉の恒子とも連絡がつくだろうとのことで、帰ろうとしません。こうして夏之の部屋には、アレクサンドル、冬彦、タマと5匹の子猫、というメンバーがずらりとそろい、奇妙な共同生活が始まるのでした。
恒子の行方は依然として知れず、子供の父親は判然としません。かといって誰が父親かを巡って骨肉の争いが繰り広げられるわけでもありません。じつは子猫の父親が誰なのかもわかっていないのですが、タマがそのことを気に病むはずもなく、「この私をごらんなさいよ」とばかり、子猫とともにのんびりと暮らしています。けっきょく、誰もが真剣に父親を探そうとはしていないのですが、それでも日常は過ぎていきます。こうして、ヒトと猫とが不思議な相似関係を保ったまま物語は進んでいきます。
著者の金井美恵子さんは、現役の女性作家としては日本一文章が巧いと言われ、文体も独特です。会話文と地の文の区別がないこと、明確なストーリーがないことなどが挙げられますが、なにより、一つの文がとにかく長いことが特徴です。かといって読みにくいかというとそうでもなく、男性作家で同じく日本一文章が巧いと言われる古井由吉さんの小説あたりだと、僕には高尚すぎて何が書いてあるのかさっぱりわからなかったりしますが、本書を読み始めてみれば、もちろん冒頭数ページほどは慣れずに何度も読み返したりするものの、難解な言葉も表現もなくどのセリフを誰がしゃべっているのかも実は明確に区別できるため、そりゃぼんやり読んでいたら何も頭には入ってきませんけれども、普通に真摯に向き合って読み進めれば自然と文章は体に吸い込まれ、描かれている小説世界が頭に構築されていくはずですので、どうかあきらめずに読んでいれば必ずやめくるめく新しい読書体験が得られるだろうという、こういう長い文章だったりすることを伝えたかったわけです。(猿真似ですみません。)どうぞご一読、ご賞味あれ。
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