ペットシッターの紹介する本や映画あれこれ by ペットシッター・ジェントリー

ペットシッターを営む著者が、日常業務を交えつつ、ペット関連の本や映画を紹介します

小説「木野/村上春樹」(『女のいない男たち』所収)

2020年03月13日 23時00分00秒 | 猫の本

猫が災いや不吉の象徴のように言われることがありますが、いつも悲しくなります。とくに黒猫への風当たりが強く、西洋では昔から魔女の使いのように思われ、数多くの黒猫が無慈悲にも殺された歴史があります。本ブログでは決して紹介しませんが、その名もずばりの有名な怪奇小説があったりすることも、影響しているかもしれません。

犬のようには懐かず、何を考えているかわからないところが不気味だ、という話は何度か聞いたことがあります。でもたいていそういう人は、猫と深く関わったことのない方です。嫌いだから関わらないというのはもちろん仕方ないのですが、できればすこしでも彼らの仕草を見てみたり、顔をじっくりとご覧になってほしいのです。実にあどけなくかわいらしく、怖がることなどまったくないことがわかってもらえるかと思います。もちろん中には性格の悪い猫もいますが、それはどんな動物であっても同じこと。最低限、ただの通説やぱっと見の印象だけで猫を判断してほしくない。犬も猫も好きな僕としては、心からそう願っています。

村上春樹さんの小説「木野」にも、幸運を呼ぶすばらしい猫が登場します。50ページ足らずの短編で、『女のいない男たち/村上春樹』という短編集に収録されています。

39歳の木野は、妻と会社の同僚とが自宅のベッドで抱き合っているところを目撃してしまいます。木野は何も言わずに家を出ていき、会社も辞めます。その後、彼は伯母の持っていた喫茶店を改装し、小さなバーを開きます。自分の作った店で心ゆくまで好きな音楽を聴き、好きな本を読んで過ごす毎日。孤独と寂しさを受け入れた彼にとって、そこは居心地のいい空間となりました。
 まだ客もすくないころ、店内に忍び込んできたのが、一匹の野良猫でした。グレーの若い雌猫で、美しい尻尾を持っていました。猫は好きな時間にやってくると、店の片隅の飾り棚で眠り、また去っていきます。木野はできるだけ猫をかまわないようにし、一日に一度ご飯をやり、水を替えてやる以上のことはしませんでした。
 やがて、猫が良い流れを作ってくれたのか、繁盛とはいかなくても、木野の店には客が入り始めます。バーには不思議な客が訪れるもので、坊主頭にレインコートを着た、カミタと名乗る男が常連となりました。彼はあるとき、店でやくざ風の男二人に絡まれた際、穏やかに店を出ると、しばらくして一人で戻ってきます。争った形跡はなく、店内にいた木野には物音ひとつ聞こえませんでした。どうやったのか、と聞く木野に、「知らない方がいい」とだけカミタは答えます。
 そのすぐ一週間ほど後、木野は客の女性と一夜を共にします。彼女は柄の悪そうな男といつも一緒でした。木野の部屋で服を脱ぐと、女性は自分の肌につけられた無数の傷跡を彼に見せます。彼女には普通ではない何かがある、そう思いながらも、気づけば二人は抱き合っていました。
 夏の終わりに木野の離婚が成立し、やがて秋になる頃、猫が姿を見せなくなります。同時に、東京ではめったに見ない蛇を、木野は三度も目撃します。
 ある日、いつになく遅い時刻にやってきたカミタが木野に、すぐに店を閉めて遠くへ旅立つよう伝えます。何かの予兆を感じた木野は、言われるとおりに荷物をまとめ、次の日に高速バスで四国へと向かうのでした。

上のあらすじだけでも、奇妙な味わいの話、ホラー小説のようなものだと思われるかもしれません。しかしそこには、大事な人間的要素が示されています。それは、木野の人生に対する向き合い方です。物語の最後に木野は、自分に欠けていた部分、自分が向き合おうとしていなかった部分に気づきます。いったい何が起こり、そこで木野はどう感じるのか。実際に読んでみて味わってほしいのですが、木野の離婚が成立したあと、店に元妻がやってくるシーンで、興味深いやりとりがあります。
 元妻が店内を見回し、〈素敵なお店ね〉〈静かで清潔で、落ち着いた雰囲気があって、いかにもあなたらしい〉と感想を述べます。それに対し木野は、〈しかしそこには胸を震わせるものはない……おそらくそう言いたいのだろう〉と推測するのです。

本作において猫は、商売繁盛かつ守り神のような存在として描かれます。だからこそ、猫がいなくなったあとに不吉なことが起こります。とにかく猫は何も悪くない、それだけは確かなことです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿