哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

論理的な討論(認知的不協和)

2013年10月08日 | 哲学・心の病
〈自分の間違いは認めたくない(認知的不協和)〉

人は自分の信念や、それまでの行動内容とは矛盾する、"新しい事実"を突きつけられると、"不快な感情"を引き起こします。
その結果、自分の信念や行動と、"新しい事実"のどちらか一方を否定して、矛盾を解消しようとします。
これを認知的不協和と呼びます。
そのとき、信念を変えることが困難な場合、人は"新しい事実"の方を否定しようとします。
代表的な例がタバコで、タバコを吸うという行為に対して「タバコを吸うと肺がんになりやすい」という"新しい事実"が提示されます。
すると、行動と事実の矛盾に対する不快感が起こり、タバコをやめるか、事実を否定することで矛盾を解消しようとします。
しかしタバコには依存性があり、やめるのは困難です。
したがって、事実の方を否定して矛盾を解消しようとします。
そこで、「タバコを吸っていても長寿の人もいる」とか「肺がんよりも交通事故で死亡する確率の方が高い」といった反論を行おうとします。
しかし認知的不協和の状態にある人はその時点ですでに結論ありきで考えているので、論理的に考えていない可能性があります。
つまり頑固になっている状態といえます。

不快感の強さは信念の強さに比例する。
より長きに渡って築き上げてきた信念ほど、否定さたときには強烈な不快感を伴ないます、自分の生きてきた人生をも同時に否定されたかのように感じるためです。

【例】
・戦争に参加した兵士は反戦論を聞かされると認知的不協和を起こす。
・宗教の信者は無神論を聞かされると認知的不協和を起こす。
・性差別主義者はフェミニズムを聞かされると認知的不協和を起こす。

いずれの例も共通点は、その人の過去の経験に関わっている点です。
過去は変更できませんから、過去の行動を否定されると、"新しい事実"の方を批判するしかありません。
もしも"新しい事実"を認めてしまえば、それまでの生き方さえ否定されることになってしまうと考えるのです。
これまでの人生を費やして築いた思想・信条・信念や、現在のその人の立場に強い影響を与えている"過去"を批判されると、強い抵抗感を抱くということです。

【アドバイス】

どうしても信念を変えることをプライドが邪魔するという方は、これからは間違いを認めることにプライドを持ってください。


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