哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

人の育児放棄の原因は?

2013年10月07日 | 哲学・心の病
人が育児放棄するのは、かつての複合家族による育児ではなくなった、現代の核家族化がその原因ではないかと、私は思っていたが、ネットで調べたら、次のような説明があった。


大都会のマンションの一室で、「23歳の風俗店従業員の母親が3歳と1歳の幼い姉弟を部屋に置き去りにして餓死させた」わけですが、まず当事者である母親が厳しく法的責任を問われることは当然だとして、「2人の泣き声と「ママー、ママー」という叫び声に気づいたマンションの住民が大阪市や大阪府警に何度も通報した」、つまり行政側に近隣住民から何度もネグレクトの可能性大というシグナルが発せられていたにもかかわらず、2つの幼い命を救うことができなかったことは、行政側の怠慢との批判の声もあがって当然だと思います。

産経社説は「まずは親になることの意味、親としての責任や自覚を促す教育が重要」と指摘したうえで、国として「子育て支援のさらなる充実も図るべき」、「問題のある家庭には、行政が強制力を伴って踏み込む必要」の2点を強調していますが、私はやはり私たち社会の構成員一人一人の自覚を強く促す制度改革が必要なのだと思います。

私たち人類は生物学的には特異な存在であります、すなわちその進化の過程で、子どもが成体になるまでに10数年の極めて長期に渡る「子育て」を必要とする「晩成型」を選択した種であります。
当然ながら長期に渡る「子育て」は野生の世界ではその生存競争・サバイバルにおいて不利に働きます、現存する野生動物でも草食動物は生まれてまもなく目も見えて立つことが可能になりますが、そうしなければ肉食動物にすぐに補食されてしまうので草食動物は例外なく「早熟型」なのであります。

人類にとっても長期に渡る「子育て」はサバイバルの点では不利でありましたが、我々人類は子育てを母親単体ではなく「群れ」全体で育てることで負荷分散する戦略を採用して種として生き延びてきました。
野生の世界で子どもが成体になるまでに10数年の極めて長期に渡る「子育て」を個体の親だけでその負荷を背負ってはサバイバルできるはずはありません、「群れ」全体で子どもを守り育てる戦略を取ることにより、初めて「晩成型」子育ては実現されたわけです。

化石などのDNA研究によりホモサピエンスに比較しネアンデルタール人などはかなり「早熟型」であったことがわかっています。
化石人類の研究者の中には、この人類の長期に渡る「子育て」戦略の成功が我々ホモ・サピエンスの「文化」の継承を初めて可能にし、ネアンデルタール人など他の化石人類がすべて絶滅する中で、我々を生き残らせた原動力になったのだと指摘する科学者もいます。

生物としてそもそも我々人類は子育てを母親だけに押しつけることを許されてはいません。
この事実は重要です。
我々は子どもを「群れ」で育てる宿命にあるのです。
一方、現在の核家族化と特に都市部における地域共同意識の希薄化は、「群れ」である「社会」において、子育てをする親が経済的あるいは精神的に「孤立化」する傾向が強くなっています。

そこで私は3点提案したいです。
ひとつは、欧米諸国の一部が義務づけているように、我々市民が児童虐待のその可能性のシグナルを発見したらこれを行政に通知する義務を法律で定めることです。
次に、児童相談所など行政に「強制力」と「責任」を付加する法律が必要です。
市民からの通知が今回のように行政側の不作為により役に立たないことを無くすためには、問題ある家庭に対してはたとえ親が留守でも行政側が屋内に踏み込む「強制力」が必要ですし、行政側の不作為はその責任を行政側に取らせるルールが必要です。
最後に3点目として、社会の責任として児童養護施設の充実と認知徹底を計ることを提案したいです。
今回の事件でもそもそも母親が児童養護施設の存在を知っていれば、そして全国に利用しやすい児童養護施設が充実していてそれが広く認知されていれば、この悲劇は避けられた可能性は少なくありません……。

子どもを安全に育てていく責任は「社会」全体にあると思います。

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