哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

続バカの壁

2013年09月25日 | 哲学・心の病
養老孟司氏は「バカの壁」で、「人間同士が理解しあうというのは根本的には不可能である。理解できない相手を、人は互いにバカだと思う。」と書いている。
彼が言っている「話せばわかるなんてのはウソだ」の意味は、話をしてすべてのことをわかってもらることは無理だということだ。

しかし、私は自分の意見をわかってもらえず反対する人がいると、口には出さないが相手のことをバカだと思うときがあるが、そのとき相手も私のことをバカだと思っていたとは知らなかった。
以後、気をつけたいと思う。

あと、「話せばわかる」のであれば戦争などは起きないという人もいるが、私はそうとは思っていない。
それは、話し合いが足りないせいで戦争が起きるのだと思う。
お互い納得するまで話し合えば、戦争を避けることができると思っている。
10年でも、100年でも粘り強く話し合えばいいのだ。

また、「バカの壁」は何を言っているのかわからない、理解するのに困る箇所が至るところに見受けられるが、それは、養老孟司氏が口述したのを、新潮社の編集部の人たちが文章化した本だったからでもある。
読み手の理解力不足なのではなくて、本自体が理解不能な表現だったのだ。

それに加えて、間違ったことを言っている箇所もかなりある。
養老孟司氏は本のなかで、一般に情報は日々刻々変化しつづけ、それを受けとめる人間の方は変化しないと思われているらしいが、これはあべこべの話で、それを受けとめる人間は日々刻々変化しているが、情報はちっともかわっていないと言って、次の例をあげている。

『学生には、君たちだってガンになることがある。
ガンになって治療法がなくてあと半年の命だよと言われることがある。
そうしたらあそこで咲いている桜が違って見えるだろうと話してみます。
そして、その桜が違ってみえた段階で、去年までどういう思いであの桜を見ていたか考えてみろ。
多分思い出せない。
では桜が変わったのか。
そうではない。
それは自分が変わったということに過ぎない。
知るというのはそういうことなのです。』

と言っているが、たしかに桜という情報は変わっていないが、自分がガンであるかどうかの情報は、ガンでないから、余命半年のガンであるに変化しているではないか。
情報も変化していて、自分も変化しているということではないか。

などなどであるが、この本を読み終わった後の、多くの人の感想は、常識的なことばかり書かれていて得るものがなく、つまらない本であったようである。

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