私は、真理や生きる意味を求めて哲学書を主に本を読んだが、そこには私が求めているものはなかった。
次いで、科学書を主に色々なジャンルの本を読んだが、やはりそこにも私が求めているものはなかった。
それなら、自分で本でも書こうかと思ったが、書くべきほどのものがそのとき自分にはなかったので、書くべきときが来るまで待とうと思っていたある日、素敵なエッセイを読みたいと軽い気持ちで手に取ったある雑誌に、次の文があった。
『結局のところ、「人生とは何か」もうずいぶん長いこと、このことを考えている。
考えるけれども、考えるほどにわからない。
というのは、じつは正確ではない。
わからないということが、いよいよはっきりとわかるのである。』池田晶子
私のように考えているのは、この地球上に私ひとりだけだと思っていた。
単にわからないではなく、考えれば考えるほどわからないということが確信へとなっていくのは、自分だけだと思っていた。
この文に出会うまでは。
それから、8年が経(た)とうとしている。
つづく?
次いで、科学書を主に色々なジャンルの本を読んだが、やはりそこにも私が求めているものはなかった。
それなら、自分で本でも書こうかと思ったが、書くべきほどのものがそのとき自分にはなかったので、書くべきときが来るまで待とうと思っていたある日、素敵なエッセイを読みたいと軽い気持ちで手に取ったある雑誌に、次の文があった。
『結局のところ、「人生とは何か」もうずいぶん長いこと、このことを考えている。
考えるけれども、考えるほどにわからない。
というのは、じつは正確ではない。
わからないということが、いよいよはっきりとわかるのである。』池田晶子
私のように考えているのは、この地球上に私ひとりだけだと思っていた。
単にわからないではなく、考えれば考えるほどわからないということが確信へとなっていくのは、自分だけだと思っていた。
この文に出会うまでは。
それから、8年が経(た)とうとしている。
つづく?