白鳥の湖
宅配業者からいそいそと受け取って大事そうに抱え込んでいる箱。
「何なの?それ」
「新しいエンジンオイルさ」
「オイル?」
「まだ試作段階だけど、連休明けに南部博士とテストすることが決まったんだ」
二重になった箱を丁寧に荷ほどきして、まるで宝物でも扱うように銀色に輝く缶を取り出す。
ドライバーの先で蓋を起すと強烈な臭いが広がった。
「何?この臭い」
「エンジンオイルの臭いさ」
「それはわかってるわよ。こんな臭いの中でコーヒーが飲めると思う?」
「俺は飲めるけど」
真面目な顔でズレたことを言い返されると、じんわり腹が立ってくる。こっちは客商売なのよ。
「もう、なにいってるのよ!外でやってちょうだい、外で!」
埃が入るだの、日差しは困るだの、ブツクサいうのをベランダに追い払う。
ベランダとは名ばかりの狭いスペースに追い出した健へ新聞紙の束を渡し
「いい?これを敷き詰めた上でやってちょうだい。それからオイルのついた手であちこち触らないで」
「わかった、わかった。うるさいな、もう」
健は眉を顰めた。
「絶対にこぼさないでね。あ、長袖は脱いだ方がいいわ」
汚れるからという理由でダンガリーのシャツもはぎ取られる。
「もういいだろ?あっち行けよ」
うるさそうに手をひらひらさせる彼に、ジュンはなおも厳しい眼を向けていたが
甚平の声に呼ばれて部屋に入りガラス戸を閉めて戻っていった。
「お姉ちゃん、これ」
甚平がデーモン5のCDを差し出した。
「まあ、ありがとう、甚平。覚えててくれたのね」
さてと…甚平はディパックを取り上げる。
「もう行くの?一緒に食べましょう」
「竜んとこで食べるから。兄貴によろしくね」
甚平は笑う。
「待って、いま呼ぶわ」
「いいって、バスに遅れちゃうよ。じゃあね」
手を挙げてジュンを制した甚平はもう正面のドアを開けている。
角を曲がってしまうまで手を振って見送り、『CLOSED』のプレートをドアに引っかけて鍵を閉める。
(甚平に手伝ってもらったから夕食の準備もできているし、差し入れのデザートもあるし)
窓を全開にしてクリーナーを引っ張り出し、掃除の準備に取りかかった。
CDをセットしクリーナーの音に負けないようヴォリュームを調節した。
デーモン5らしいアップテンポのサウンドが溢れだす。
いつのまにかうす暗くなってきた。作業を切り上げてあたりを片づけ、
オイル缶や新聞紙、工具を抱えて中に入ろうとした。
(!?)
ガラス戸には内側からがっちりと鍵がかかり、侵入を拒んでいる。
「おい、ジュン、開けてくれ」
ガラス戸をノックし何度も呼んだが返事がない。2階にはいないようだ。
「くそ、ジュンのヤツ、こんなことで仕返しをしなくてもいいじゃないか」
荷物を下に置き、ドライバーであちこちいじって、ガラス戸ごとはずそうとしてみたが、
全体はグラグラになるものの、鍵の部分だけはびくともしない。
足元のモンキーレンチが視野に入り
(いっそ、これで…)
思い留まった。
連休前の昨日、頼まれた用事を配送の忙しさにかまけてすっかり忘れてしまい、機嫌を損ねたばかりだ。
せめてもの罪滅ぼしに、と入ったキッチンでグラスと皿を割ってしまい、たちまち追い出された。
この大きなガラスを割ればどんな目に合わされるか、連休中は修理も無理だろう。
…ゾクッと背中を寒さが走った。
刻一刻、暗さを増していく中で、ビスだのネジだのを戻しながらガラス戸を元通りに固定した。
小さなベランダはすっかり日陰になってしまい、ビル風が吹き抜けていく。
立て続けにくしゃみが出た。
(シャツはどうしたんだっけ)
ガラス戸に張り付き、廊下の明かりでぼんやり見える室内に眼を凝らすと
ダンガリーのシャツが椅子に掛けられて出番を待っている。
が、愛しいシャツとの間をガラス戸が厳しく阻む。
ハ、ハクション!
(くそ、誰もいないのか?)
小さなベランダの手すりを両手でしっかり掴み、できるだけ乗り出して1階の様子を伺った。
石畳の道路に明かりがもれている。
その明かりがちらちら揺れるのは中に人がいて動いているからだろう。
しばらく考えて足元に広げた新聞紙を裂いた。
適度な重みと大きさになるまで両手で丸く固め、1階の窓ガラスを狙って投げる。
(しまった!)
窓が開いていたらしく紙玉は室内に飛び込んでしまい、何の反応もない。
(仕方がない)
健はオイル缶を新聞紙で何重にもくるみベランダの隅に寄せた。
レンチやドライバーをジーンズのポケットに入れる。
はめていた作業用の手袋をはずして丸め、もう一方のポケットに押し込むと
さほど高くない手すりを身軽く越えて両手でぶら下がり、壁面に足がかりを探った。
クリーナーをかけ終わったジュンはCDプレイヤーを止め、これも甚平が集めてくれた
デーモン5の曲だけが入った携帯プレイヤーとヘッドフォンをセットして、床にワックスをかけ始めた。
曲に合わせながらリズミカルにワックスをかけていると、苦手な家事もはかどっていくような気がする。
(やっと終わったわ)
随分前から気になっていた床のワックスがけを済ますことができて、ほっとした。
汗ばんだ額に窓からの冷たい風が心地いい。ひと息ついて後片づけをし、
端から順番に窓を閉めて鍵をかけカーテンを引いていく。
靴先に何か当たった。新聞紙を裂いて丸く固めたものが床を転がる。
(なによ、これ?)
拾い上げてカウンターの端に乗せた。
(シャワーを浴びようかしら)
携帯プレイヤーのスイッチを切ってヘッドフォンをはずす。
周りの音が甦った。外が騒がしい。
窓に駆け寄って指先で作った、カーテンの隙間から外を見た。
けたたましいサイレンを響かせ、緊急車両の回転灯がいくつも集まっている。
ここはユートランドの中心部。オフィス街にほど近いが連休の今週は静まり返り、
今日はひとりのお客も来てない。
それだけに静けさを引き裂くようなサイレンの音が不気味だった。
不意に『CLOSED』のプレートを掲げてある正面のドアが強く叩かれた。
「警察です」
用心深く二重錠のひとつをはずして少しだけドアを引く。
その僅かな隙間からユートランド市警察の身分証が突き出された。
ドアを開けるといかにも警察官といった、がっしりした体格の男が二人並んでいる。
ひとりはこの地区担当のパトロール警官で、ジュンとも顔なじみだった。
「明かりが見えたもので。ひとりですか?」
「何かあったのですか?」
「不審な男が壁をよじ登っているとの通報があって、緊急手配したところです」
「まあ!」
「絶対に外に出ないでください」
「まだ捕まっていませんの?」
「なに、時間の問題ですよ。いいですか、すぐにドアと窓に鍵をかけて」
警官の注意にジュンはうなずいた。
「いたぞー!」
「逃がすなー!」
警官達はダッと駆け出していった。
ぞっとしたジュンはすぐにドアを閉めた。
(こんな近くで事件が起こるなんて)
いわれた通りに鍵を掛け戻す手が細かく震えた。
窓の鍵も端から順にひとつずつ手を触れて確かめていく。
裏口、ガレージも同じように確かめた。
(あとは…2階!)
あっと、振り返ったカウンターに新聞紙の紙玉。血の気が引いた。
階段を駆け上がって、短い廊下を走り突き当たりの部屋に駆け込む。
カーテンが開けっ放しの窓から投光器の光が入ってきて眼が眩みそうになる。
(どうしよう、どうしよう。いつもの癖でロックしてしまって)
ガラス戸に飛びついて鍵をはずし引き開けたが、狭いベランダには新聞紙で
くるまれた包みがひっそりと隅にあるだけで誰もいない。
(まさか飛び降りたんじゃ…)
「間違いありませんね」
何度も念を押される。
コーヒーの淹れかえを口実にキッチンに逃げようとしたが、座っているようにいわれる。
ジョーを護衛にユートランドを離れ、海外の学会へ出席している南部博士に、
休日の国際科学技術庁経由で確認を取るのはかなりの時間を要した。時差もある。
甚平なら、と思いついたが未成年の弟ではダメだ、とにべもなく却下される。
さっきからひとりの警官があちこちに問い合わせを入れている間、
二人の警官が健を挟んで座り、決して眼を離さない。
職務質問の際の身体検査でポケットからモンキーレンチやドライバー、
使い込んだ作業用の手袋までが出てきたのも状況を悪くした。
「ま、これからは気をつけてください」
ようやく誤解が解けてユートランド市警たちは笑いながら、引き上げていった。
彼らがいたときから居たたまれなかったのに、二人きりになったらどうしよう。
「ごめんなさい。寒かったでしょう。私が悪かったわ、本当にごめんなさい」
ブランケットにくるまってヒーターの前に座りこんだ健はくしゃみを連発しながら
合間にコーヒーを啜るだけでカップを持ったまま、そっぽを向いている。
くしゃみが10回を越えた。
(どうしよう…)
「不審者扱いだぞ」
壁を向いたまま、ぼそりと声がした。
「だって壁をよじ登ろうとしたから」
「俺は降りようとしたんだ!」
振り向いた青い眼がキッと睨む。
「悪かったわ」
不意に健が立ち上がった。
カップをテーブルに戻し、肩から滑り落ちたブランケットを軽く畳んでソファに乗せる。
「どこに行くの?」
「オイル缶がベランダに置きっ放しなんだ」
「片づけるわ。ガレージの棚でいいでしょ」
「オイル臭いぞ」
「我慢するわ」
「手が汚れるぜ」
「かまわない」
「さっきとずいぶん違う」
憮然とした表情は変わらない。
(どうしたらいいの…)
突然、弾けるように健が笑い出した。
「仕方がない。許してやろう」
ジュンは健の腕の中に飛び込んでいく。
終
宅配業者からいそいそと受け取って大事そうに抱え込んでいる箱。
「何なの?それ」
「新しいエンジンオイルさ」
「オイル?」
「まだ試作段階だけど、連休明けに南部博士とテストすることが決まったんだ」
二重になった箱を丁寧に荷ほどきして、まるで宝物でも扱うように銀色に輝く缶を取り出す。
ドライバーの先で蓋を起すと強烈な臭いが広がった。
「何?この臭い」
「エンジンオイルの臭いさ」
「それはわかってるわよ。こんな臭いの中でコーヒーが飲めると思う?」
「俺は飲めるけど」
真面目な顔でズレたことを言い返されると、じんわり腹が立ってくる。こっちは客商売なのよ。
「もう、なにいってるのよ!外でやってちょうだい、外で!」
埃が入るだの、日差しは困るだの、ブツクサいうのをベランダに追い払う。
ベランダとは名ばかりの狭いスペースに追い出した健へ新聞紙の束を渡し
「いい?これを敷き詰めた上でやってちょうだい。それからオイルのついた手であちこち触らないで」
「わかった、わかった。うるさいな、もう」
健は眉を顰めた。
「絶対にこぼさないでね。あ、長袖は脱いだ方がいいわ」
汚れるからという理由でダンガリーのシャツもはぎ取られる。
「もういいだろ?あっち行けよ」
うるさそうに手をひらひらさせる彼に、ジュンはなおも厳しい眼を向けていたが
甚平の声に呼ばれて部屋に入りガラス戸を閉めて戻っていった。
「お姉ちゃん、これ」
甚平がデーモン5のCDを差し出した。
「まあ、ありがとう、甚平。覚えててくれたのね」
さてと…甚平はディパックを取り上げる。
「もう行くの?一緒に食べましょう」
「竜んとこで食べるから。兄貴によろしくね」
甚平は笑う。
「待って、いま呼ぶわ」
「いいって、バスに遅れちゃうよ。じゃあね」
手を挙げてジュンを制した甚平はもう正面のドアを開けている。
角を曲がってしまうまで手を振って見送り、『CLOSED』のプレートをドアに引っかけて鍵を閉める。
(甚平に手伝ってもらったから夕食の準備もできているし、差し入れのデザートもあるし)
窓を全開にしてクリーナーを引っ張り出し、掃除の準備に取りかかった。
CDをセットしクリーナーの音に負けないようヴォリュームを調節した。
デーモン5らしいアップテンポのサウンドが溢れだす。
いつのまにかうす暗くなってきた。作業を切り上げてあたりを片づけ、
オイル缶や新聞紙、工具を抱えて中に入ろうとした。
(!?)
ガラス戸には内側からがっちりと鍵がかかり、侵入を拒んでいる。
「おい、ジュン、開けてくれ」
ガラス戸をノックし何度も呼んだが返事がない。2階にはいないようだ。
「くそ、ジュンのヤツ、こんなことで仕返しをしなくてもいいじゃないか」
荷物を下に置き、ドライバーであちこちいじって、ガラス戸ごとはずそうとしてみたが、
全体はグラグラになるものの、鍵の部分だけはびくともしない。
足元のモンキーレンチが視野に入り
(いっそ、これで…)
思い留まった。
連休前の昨日、頼まれた用事を配送の忙しさにかまけてすっかり忘れてしまい、機嫌を損ねたばかりだ。
せめてもの罪滅ぼしに、と入ったキッチンでグラスと皿を割ってしまい、たちまち追い出された。
この大きなガラスを割ればどんな目に合わされるか、連休中は修理も無理だろう。
…ゾクッと背中を寒さが走った。
刻一刻、暗さを増していく中で、ビスだのネジだのを戻しながらガラス戸を元通りに固定した。
小さなベランダはすっかり日陰になってしまい、ビル風が吹き抜けていく。
立て続けにくしゃみが出た。
(シャツはどうしたんだっけ)
ガラス戸に張り付き、廊下の明かりでぼんやり見える室内に眼を凝らすと
ダンガリーのシャツが椅子に掛けられて出番を待っている。
が、愛しいシャツとの間をガラス戸が厳しく阻む。
ハ、ハクション!
(くそ、誰もいないのか?)
小さなベランダの手すりを両手でしっかり掴み、できるだけ乗り出して1階の様子を伺った。
石畳の道路に明かりがもれている。
その明かりがちらちら揺れるのは中に人がいて動いているからだろう。
しばらく考えて足元に広げた新聞紙を裂いた。
適度な重みと大きさになるまで両手で丸く固め、1階の窓ガラスを狙って投げる。
(しまった!)
窓が開いていたらしく紙玉は室内に飛び込んでしまい、何の反応もない。
(仕方がない)
健はオイル缶を新聞紙で何重にもくるみベランダの隅に寄せた。
レンチやドライバーをジーンズのポケットに入れる。
はめていた作業用の手袋をはずして丸め、もう一方のポケットに押し込むと
さほど高くない手すりを身軽く越えて両手でぶら下がり、壁面に足がかりを探った。
クリーナーをかけ終わったジュンはCDプレイヤーを止め、これも甚平が集めてくれた
デーモン5の曲だけが入った携帯プレイヤーとヘッドフォンをセットして、床にワックスをかけ始めた。
曲に合わせながらリズミカルにワックスをかけていると、苦手な家事もはかどっていくような気がする。
(やっと終わったわ)
随分前から気になっていた床のワックスがけを済ますことができて、ほっとした。
汗ばんだ額に窓からの冷たい風が心地いい。ひと息ついて後片づけをし、
端から順番に窓を閉めて鍵をかけカーテンを引いていく。
靴先に何か当たった。新聞紙を裂いて丸く固めたものが床を転がる。
(なによ、これ?)
拾い上げてカウンターの端に乗せた。
(シャワーを浴びようかしら)
携帯プレイヤーのスイッチを切ってヘッドフォンをはずす。
周りの音が甦った。外が騒がしい。
窓に駆け寄って指先で作った、カーテンの隙間から外を見た。
けたたましいサイレンを響かせ、緊急車両の回転灯がいくつも集まっている。
ここはユートランドの中心部。オフィス街にほど近いが連休の今週は静まり返り、
今日はひとりのお客も来てない。
それだけに静けさを引き裂くようなサイレンの音が不気味だった。
不意に『CLOSED』のプレートを掲げてある正面のドアが強く叩かれた。
「警察です」
用心深く二重錠のひとつをはずして少しだけドアを引く。
その僅かな隙間からユートランド市警察の身分証が突き出された。
ドアを開けるといかにも警察官といった、がっしりした体格の男が二人並んでいる。
ひとりはこの地区担当のパトロール警官で、ジュンとも顔なじみだった。
「明かりが見えたもので。ひとりですか?」
「何かあったのですか?」
「不審な男が壁をよじ登っているとの通報があって、緊急手配したところです」
「まあ!」
「絶対に外に出ないでください」
「まだ捕まっていませんの?」
「なに、時間の問題ですよ。いいですか、すぐにドアと窓に鍵をかけて」
警官の注意にジュンはうなずいた。
「いたぞー!」
「逃がすなー!」
警官達はダッと駆け出していった。
ぞっとしたジュンはすぐにドアを閉めた。
(こんな近くで事件が起こるなんて)
いわれた通りに鍵を掛け戻す手が細かく震えた。
窓の鍵も端から順にひとつずつ手を触れて確かめていく。
裏口、ガレージも同じように確かめた。
(あとは…2階!)
あっと、振り返ったカウンターに新聞紙の紙玉。血の気が引いた。
階段を駆け上がって、短い廊下を走り突き当たりの部屋に駆け込む。
カーテンが開けっ放しの窓から投光器の光が入ってきて眼が眩みそうになる。
(どうしよう、どうしよう。いつもの癖でロックしてしまって)
ガラス戸に飛びついて鍵をはずし引き開けたが、狭いベランダには新聞紙で
くるまれた包みがひっそりと隅にあるだけで誰もいない。
(まさか飛び降りたんじゃ…)
「間違いありませんね」
何度も念を押される。
コーヒーの淹れかえを口実にキッチンに逃げようとしたが、座っているようにいわれる。
ジョーを護衛にユートランドを離れ、海外の学会へ出席している南部博士に、
休日の国際科学技術庁経由で確認を取るのはかなりの時間を要した。時差もある。
甚平なら、と思いついたが未成年の弟ではダメだ、とにべもなく却下される。
さっきからひとりの警官があちこちに問い合わせを入れている間、
二人の警官が健を挟んで座り、決して眼を離さない。
職務質問の際の身体検査でポケットからモンキーレンチやドライバー、
使い込んだ作業用の手袋までが出てきたのも状況を悪くした。
「ま、これからは気をつけてください」
ようやく誤解が解けてユートランド市警たちは笑いながら、引き上げていった。
彼らがいたときから居たたまれなかったのに、二人きりになったらどうしよう。
「ごめんなさい。寒かったでしょう。私が悪かったわ、本当にごめんなさい」
ブランケットにくるまってヒーターの前に座りこんだ健はくしゃみを連発しながら
合間にコーヒーを啜るだけでカップを持ったまま、そっぽを向いている。
くしゃみが10回を越えた。
(どうしよう…)
「不審者扱いだぞ」
壁を向いたまま、ぼそりと声がした。
「だって壁をよじ登ろうとしたから」
「俺は降りようとしたんだ!」
振り向いた青い眼がキッと睨む。
「悪かったわ」
不意に健が立ち上がった。
カップをテーブルに戻し、肩から滑り落ちたブランケットを軽く畳んでソファに乗せる。
「どこに行くの?」
「オイル缶がベランダに置きっ放しなんだ」
「片づけるわ。ガレージの棚でいいでしょ」
「オイル臭いぞ」
「我慢するわ」
「手が汚れるぜ」
「かまわない」
「さっきとずいぶん違う」
憮然とした表情は変わらない。
(どうしたらいいの…)
突然、弾けるように健が笑い出した。
「仕方がない。許してやろう」
ジュンは健の腕の中に飛び込んでいく。
終