The Man

理系男のダンディズム -ロジカルにロジカルに。 考え抜いたとき、それはその人の感性となる-

ハードウェアは、もう いらない

2006-04-09 01:25:00 | 理系男
形あるものを重視することは、容易なのだけど。

公開勉強会 「地域リハビリテーション私論」 by fkymhts from 第3診察室

GALANT's Cafeの幼馴染である彼が。
いつものように。
医療関係者でもないGALANT's Cafeを呼んでくれたから、喜んで出かけて行った。

医療関係者でもない癖に。
それでも、異業種の公演を聴講するのは、「通信は、人を幸せにするのか?」を知りたいため。

無論、異業種の公演に、そんなことが語られることなど、めったにない(いや、ありえない)。
そんなことは、最初から分かっている。

それでも聴講に出かけるのは。

通信なんてものは、存在しなくても、人は生きていけるのに。
それでも通信しようとするのは、人と人が繋がるから。
人と人が繋がることが嬉しいから、人は通信するのだ。

そう。

どのようなシーンで、どのように通信を用いて、どのように繋がりたいと、人は思うのか?

これを知りたくて、GALANT's Cafeは、独り、歩くのさ。


今回のテーマは「地域リハビリテーションの理念と実践」。
兵庫県立総合リハビリテーションセンター名誉院長の澤村誠志先生による公演。

今から遡ること約40年前、澤村先生が33歳の時に、兵庫県にリハビリセンターを作ろうとさまざまな方々に働きかけを始められ、そして、明石の地にこのセンターを実現されたとのこと。

今のGALANT's Cafeぐらいの年齢か...
#それに引き換え。GALANT's Cafeは、何をしていると言うのだ!

そもそも、リハビリテーションって、なんなのだろう?

GALANT's Cafeは、当初、「肉体的機能を、訓練によって、回復させる行為」ぐらいにしか、認識していなかった。
しかし、これは、大いなる誤りで。

リハビリテーションとは、「障害者をして、身体的、精神的、社会的、職業的に、出来る限り有用性を回復させること」と、1942年!全米リハビリテーション協議会で定義され、1981年のWHOでは、「能力障害あるいは社会不利を起こす諸条件の悪影響を現象させ、障害者の社会統合を実現することを目指す、ありとあらゆる手段」と、定義されていたのだ(しかも、より詳細には、障害者自身の改善努力だけではなく、彼らを取り巻く環境や社会の改善にも着手することまで、定義されている)。

そう。

決して、身体的痛みや精神的痛みに代表される健康関連のQoL(Quality of Life)だけではなく、生活不可欠条件の社会生活力の回復や、生きがい・幸福人生の追及までも含まれた一連の行為だったのだ。

そのために、リハビリテーションは、

1.地域に根ざしていること
2.サービス利用者主義
3.学術的な取り組み
4.チームワーク -専門家と本人,家族,...etc-

が、重要だとおっしゃる。

これって、まさしく通信の課題と同じ。

今の時代の通信産業は。
回線の太さ(単位時間あたりの情報伝送量の多さ)を競い、多種多様なサービスとその利用コストの安さを謳うが。
そのような通信サービスは、利用者にとってデメリット(例えば、セキュリティに関する不安が著しく増加するような)ばかりが増加し、利用者にはそのデメリットのみが強く認識され、最終的には使われなくなるという最悪のシナリオをたどるようになるように、GALANT's Cafeには思えるのだ。

無論、そのような状態が望ましくないのは、自明で。
その課題を解消するために、通信分野の専門家は努めなければならないのだが。

おっと、話が逸れた。

人は、常に流浪しているわけではなく。
何処の地-大抵は、今、自らが活動している場所-に、根ざしているわけで。
そして、自らの意思で、何らかの活動をしているわけであり。

だから、その本人が望む力添えをその場所で行う必要があるのだ。
その補助は、安全に提供されるためにも、専門的に行われる必要があり。
そして、専門性の色が濃い力添えを独りで提供することは困難であるから、チームワークは必要不可欠。

だが、現実には。
縦割り行政組織の下に、数々の障壁が存在し。

・利用者から見て一本化されていない、不適切なサービス提供形態
・権限譲渡が適切に行われていない各種専門色の濃い業種

そして

・絶対的な、マンパワー(稼動)の不足



この原因は、どこから来るのか?


澤村先生は、日本の社会保障給付費(医療・年金・福祉その他)が、欧州(ドイツやスウェーデン、フランスなど)に代表される国々と比較(対GDP比)して、半分以下であることを指摘されていたが。

GALANT's Cafeには、施設等のハードウェアへの増加に価値を置きすぎる日本人の価値観に、原因があると思うのだ。

無論、「ハードウェアは、もう要らない」というのは、あまりにも暴論過ぎる。
やはり、ハードウェアは必要不可欠なのだ。

だが。

ハードウェアは、活用してこそ価値がある。

資産計上しやすい、形が残るハードウェアへの設備投資は。
机上の価値を増やすことには、成功した。
しかし、その大半は。
活用されること無く、死蔵されてしまっていることは、多くはないか?
また、陳腐化して。
机上では価値があることになっていても、実質、無価値になってはいないか?

ハードウェアを活かすには。
ソフトウェア(ここでは、コンピュータプログラムだけを指すのではなく、人までも含む)の充実が必要不可欠なのだ。

資産計上が困難な、形が残らないソフトウェアだが。
しかし。
陳腐化すると使い物にならないハードウェアと異なり、形こそ無けれど、経験という形で人々の中に脈々と残り続け、陳腐化することはない。
そして。
その経験が積もり積もって専門色の濃い人々を生み出し、その人々が、周囲の人々に次なる経験を提供してゆく。

そう。
より効果的に使えるようにするために、現場や事例を知らずに机上だけを見てハードウェアをいたずらに増やすのではなく、現場や事例を広く知らしめて、ソフトウェアの増強に力を入れることが重要だと思うのだ。


#だから、GALANT's Cafeは。
#知識よりも、昨日よりも今日、今日よりも明日をよりよく生きるための知恵
#皆に広める必要があると思うのです。
#現状の日本のままでは。
#間違いなく、専門色の濃い人間達を磨り減らすだけで。
#社会全体としての損失が、大きくなる一方だと思うのです。

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2 コメント

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昨日はありがとう (ふくやま)
2006-04-09 23:42:28
懇親会の途中で、患者さんが悪くなって中座してしまい、申し訳ない。

来てくれてありがとう。

トラックバックをさせてもらいました。
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お邪魔しました~ (GALANT's Cafe)
2006-04-10 00:34:55
●ふくやまさま



いやいや、それが君の使命だから。GALANT's Cafeのことなんかほっぽらかして、行かなきゃ^^



また呼んでね。

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