賢治童話について、振り返ると、小学生か中学生の教科書での出会いが最初だったのでは。その後、27歳の頃、手にした宮沢賢治全集が、自分の宝物となって、現在に至っています。goo blog に出会う前に、ウェブリブログで2009年から2020年に「賢治童話と私」として時々、書いていたものを含め、改めて、賢治童話と私として、紹介していけたらなと。
* * * * * *
<イーハートブ童話 注文の多い料理店> より。
序
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
大正十二年十二月二十日 宮沢賢治
木々が裸になり、今まで見えなかった景色です。足元には、落ち葉が重なり、やがて、土にかえっていくのでしょう。冬は自分自身を静かに見つめなおすのに良い季節なのかも知れません。私は、ふと、大好きな賢治の童話など、読み直してみているこの頃です。

『マリヴロンと少女』
崖やほりには、まばゆい銀のすすきの穂が、いちめん風に波立っている。
その城あとのまん中の、小さな四っ角山の上に、めくらぶどうのやぶがあってその実がすっかり熟している。
ひとりの少女が楽譜をもってためいきしながら藪ののそばの草にすわる。
かすかな日照り雨が降って、草はきらきら光り、向こうの山は暗くなる。
そのありなしの日照りの雨がはれたので、草はあらたにきらきら光り、向こうの山は明るくなって、少女はまぶしくおもてを伏せる。
そっちの方から、もずが、まるで音譜をばらばらにしてふりまいたように飛んで来て、みんな一度に、銀のすすきの穂にとまる。
めくらぶどうの藪からはきれいな雫がぽたぽた落ちる。
かすかなけはいが藪のかげからのぼってくる。今夜市庁のホールでうたうマリヴロン女史がライラックいろのもすそをひいてみんなをのがれて来たのである。
少女は楽譜をもったまま化石のようにすわってしまう。マリヴロンはここにも人の居たことをむしろ意外におもいながらわづかにまなこに会釈してしばらく虹のそらをみる。

少女は、ふだんの透きとほる声もどこかへ行って、しはがれた声を風に半分とられながら叫ぶ。
マリヴロンは、うっとり西の碧いそらをながめていた大きな碧い瞳を、そっちへ向けてすばやく楽譜に記された少女の名前を見てとった。
「何かご用でいらっしゃいますか。あなたはギルダさんでしょう。」
少女のギルダは、まるでぶなの木の葉のようにプリプリふるへて輝いて、いきがせわしくて思うように物が云えない。
「先生どうか私のこころからうやまいをうけとって下さい。」
マリヴロンはかすかにといきしたので、その胸の黄や菫の宝石は一つづつ声をあげるように輝きました。そして云う。
「うやまいを受けることは、あなたもおなじです。なぜそんなに陰気な顔をなさるのですか。」
「私はもう死んでもいいのでございます。」
「どうしてそんなことを、仰っしゃるのです。あなたはまだまだお若いではありませんか。」
「いいえ。私の命なんか、なんでもないのでございます。あなたが、もし、もっと立派におなりになるためなら、私なんか、百ぺんでも死にます。」
「あなたこそそんなにお立派ではありませんか。あなたは、立派なおしごとをあちらへ行ってなさるでしょう。それはわたくしなどよりははるかに高いしごとです。私などはそれはまことにたよりないのです。ほんの十分か十五分かのひびきあるうちのいのちです。」
「いいえ、ちがいます。ちがいます。先生はここの世界やみんなをもっときれいに立派になさるお方でございます。」
マリヴロンは思はず微笑ひました。
「ええ、それをわたくしはのぞみます。けれどもそれはあなたはいよいよそうでしょう。正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向うの青いそらのなかを一羽の鳥がとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。みんなはそれを見ないでしょうが、わたくしはそれを見るのです。おんなじようにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」
「けれども、あなたは、高く光のそらにかかります。すべて草や花や鳥は、みなあなたをほめて歌います。わたくしはだれにも知られずおおきな森のなかで朽ちてしまうのです。」
「それはあなたも同じです。すべて私に来て、私をかがやかすものは、あなたをもきらめかします。私に与えられたすべてのほめことばは、そのままあなたに贈られます。」
「私を教えて下さい。私を連れて行ってつかって下さい。私はどんなことでもいたします。」
「いいえ私はどこへも行きません。いつでもあなたが考えるそこに居ります。すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすすむ人は、いつでもいっしょにいるのです。けれども、わたくしは、もう帰らなければなりません。お日様があまり遠くなりました。もずが飛び立ちます。では。ごきげんよう。」
停車場の方で、鋭い笛がピーと鳴り、もずはみな、一ぺんに飛び立って、気違いになったばらばらの楽譜のように、やかましく鳴きながら、東の方へ飛んで行く。
「先生。私をつれて行って下さい。どうか私を教えてください。」
うつくしくけだかいマリヴロンはかすかにわらったようにも見えた。また当惑してかしらをふったようにも見えた。
そしてあたりはくらくなり空だけ銀の光を増せば、あんまり、もずがやかましいので、しまひのひばりも仕方なく、もういちど空へのぼって行って、少うしばかり調子はずれの歌をうたった。
