ある会議の終了後、「新市の文化財」を廻る機会に恵まれて、
「新市の文化財」を担当者に連れられて、数名の方達と廻りました。
その一部ですが、行ったつもりで御覧下さい。
「新市の文化財」を廻った順序は、
「金名の郷頭(かんなのごーとう)」⇒「尾市一号古墳」⇒「戸手天王社(素盞鳴神社)」
⇒「相方城跡」、途中何ヶ所か廻りましたが省略いたします。
【金名(かんな)の郷頭(ごーと)】
(看板標識)
(案内板)
(郷頭の状況)
(郷頭のやや近景)
(郷頭のアーチ状況)
(郷頭の流入口部分)
(郷頭の上流部分)
(解説風景)
【尾市一号古墳】
(開口部の現状)
(正面の石室)
(右の石室)
(左の石室)
(尾市一号古墳からの眺望:芦浦の集落)
(尾市一号古墳からの眺望:遠くに常城を遠望)
(尾市一号古墳からの眺望)
【戸手天王社(素盞鳴神社)】
(戸手天王社)
(相方城の城門)
(相方城の城門案内板)
(相方城の城門の蛙股)
(相方城の城門)
(城門の軒飾り)
(城門の解説風景)
【相方城跡】
(相方城跡案内板)
(相方城跡石碑)
(相方城の石垣)
(相方城の石垣)
(相方城の石垣)
(相方城の石垣)
(相方城の石垣)
(相方城の石垣)
(相方城の城郭部分)
(相方城の城郭部分へ登る石段)
(相方城の掘り切り部分)
地域に点在する文化財は、現地の人により尋ねるのが
一番だと思いました。
何度も訪ねている様でも見落として見過ごしている事が
多々あります。
今回は、確実にその場所を尋ねる事が出来ました。
Kさん大変お世話になりました。
概略は、以上です。
(文責:鳳来)
信長が築いた「安土城」以降のお城は、
石崖造りに変更され、「山城」はその防御機能が失われて行きます。(鉄砲などの武器により)
平地に石崖を築いた「平城」へと移行して行きます。
相方城や神辺城などの山城は廃城の運命となります。
天下人の威光により、築城も制限されるようになります。(天下人の命令は絶対的な権力なので命令には背けません)
徳川幕府も同じです。