「備後・福山」歴史の街

広島県東部の地域は、古代以降「備後国」と言われていました。その「備後・福山」から郷土の歴史を含めた情報を発信致します。

「相方(佐賀田:さがた)城跡」の石垣

2020-05-29 12:19:50 | 備後福山石垣研究
 「相方(佐賀田:さがた)城跡」の石垣
     ―福山市新市町―
 福山市新市町を訪ねると、芦田川を挟んで西側の山頂には、
テレビ塔のアンテナが沢山立っている山が目に映ります。
 この山の山頂が「相方城跡」です。
 主郭と第二郭(副郭:脇郭)を従えて、その姿は堂々としていて、
一国の主城とも思える程です。主郭と第二郭は、空堀を土橋で繋がっています。
 しかしながら、これ程立派な城郭跡にも関わらず、その経緯は不明となっています。
言い伝えとして、その城郭跡の遺物は、素盞鳴神社境内に、
楼門櫓や楼門飾りなどが残されています。
 実際に、城館跡の石組みなどを観察すると、中世城館跡と近世城館跡との
丁度中間的な要素を多々含んでいて、中世から近世への過渡期の城館跡と
考える事が出来ます。地元では、地元豪族の有地氏が築城と伝わっています。
 また、私的な考えを述べれば、毛利氏が織田信長との決戦を考えて、
築城したと考えれば、その時代にマッチするのでは、と考えています。

 城館跡の遺構として、西側の石垣の残存状況は良好ですが、
東側の残存状況は、石垣が山の傾斜に押されて、
崩れていて残存状況は余り良くありません。
何とか、対策を講じる必要があると考えています。
                       (備後福山石垣研究)


相方城跡の案内板


相方城跡石碑


主郭と脇郭への土橋


土橋を渡った石垣


主郭部の石垣


主郭部の石垣


主郭部廻りの道


主郭部の石垣


主郭部廻りの石垣


主郭部の石段


主郭部の石垣


主郭部の石垣


相方城跡の城門


城門の蟇股


主郭部跡


城門跡の飾り


石垣の状況


相方城の城門



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