日時:平成30(2018)年1月21日(日)13:00~15:00
集合場所:神辺御野公民館
講師:佐藤武志 御領古代ロマンを蘇らせる会
[探訪会参加模様]
御野公民館へ約60名が参加され、天気も良く絶好の山歩き気候となる。
一同各人の車に便乗し、大東大仙神社まで移動し、そこで佐藤さんからの解説を聞く。
尚、本文表記古墳名表記はすべて(仮称)である。
1.「大東大仙神社古墳」(現地資料では、大東大仙山古墳と表記)
本古墳の西側には、大東地区から井原市高屋町西山地区に続く道路があり、
標高190.57mの山頂から南に延びた尾根上にあり、
前方部を北北西に向けて後円部には、「大仙神社」が建っている。
[墳丘の規模]
全長:約47m 前方部の長さ:約20m
後円部径:約27m 前方部の幅:約20m
後円部の高さ:約3m 前方部の高さ:約2.5m
くびれ部の幅:約9m
古墳の規模の記載内容は、[資料1]による。
(参加者説明を聞く)
前方部には、盗掘口があり、前方部参道からと後円部からと2か所の参道が
大仙神社に取り付けてある。
東側と西側には、取り巻くように道路があり、近くの墓地へと続いている。
(後円部 神社が建っている所 北東から)
(後円部参道 北西から)
(前方部 南から)
(前方部からの参道 北西から)
(神社の礎石に古墳の石材を利用)
(神社境内の石造物に利用)
2.大東第3号古墳(群)
本古墳は、現在墓地に整地・整備され、古墳の趣きは感じられないが、
昭和59年大仙神社北東側で共同墓地造成工事の際、
敷地の中央辺りで箱式石棺が出土し、
正式な調査が成されないまま取り壊されてしまいました。
現在の状況は、共同墓地の脇に石棺の石材を祀った石碑が
古墳が有った名残を留めています。
(現状)
【古墳石材】
石棺出土の状況は、[資料1]に写真が載せてあります。
この写真の状況から他にも沢山の箱式石棺が有った様子が
窺われるが、記録が無く残念な結果となっている。
([資料1]より写真)
3.大東第2号古墳
古墳の規模として、大東大仙古墳と谷を挟んだ東隣の尾根の
先端に位置し、
【盗掘口】
【盗掘口から墳頂部】
墳丘の規模は円形・方形・楕円形どちらも考えられ、
弥生墳丘墓あるいは方形墓又は円墳等、どの様な墳丘となるのか、
今後の調査を待たなくてはなりませんが、非常に興味深い古墳だと考えられます。
(南西から墳頂部)
(西の裾部分)
(東から墳頂部)
(北側の範囲)
[古墳群探訪記のまとめとして(私見)]
先ず、「大東大仙神社古墳」の墳丘全体を見て、
外見的には前方後円墳と見る事が出来ますが、
周囲を取り巻く道路や参道付近の地肌の状況から、
版築の遺構が見られず地山となっている事。
大仙神社の敷石に使われている石材は、
古墳の石材の利用と見られ、もしこの石材が
大仙神社古墳のものとすれば、
古墳自体が前期の古墳とまでは考えられず、
別の所から運ばれて来たことも考慮すべき。
大仙神社が建っている後円部や前方部の盗掘口等から、
古墳全体が大きく削平されている事や出土遺物が見られない
事などから、かなり人工の手が加えられて改変されている事が
考えられる。
続いて「大東第3号古墳(群)」は、[資料1]の写真から、
多数の石材が散乱している状況を見て、箱式石棺の群集墳が考えられるが、
資料が残っていないので、この程度に留めておく。
「大東第2号古墳」については、調査が必要だが、
古墳としての範囲が広がるものと考えられる。
特に前方後方墳の規模としても考慮に入れるべきものと思う。
全体を通して、このような状況を浮かび上がらせた成果は、
地域の人々の地道な調査と取り組みによる活動の賜物と
深く感動する一人として、今後もこの様な活動を続けて
歴史の解明の糸口を見つけ出して欲しいものと考えている。
[資料1]
探訪!御領の古代ロマン①
『大東古墳群』~古墳時代の夜明け~
2017年(平成29年)12月10日 編集・発行:御領の古代ロマンを蘇らせる会
(文責:福之山鳳来)
有り難う御座います。行きたかったのにヤボ用で
行けず、大変有難うございました。
今後共も、この様な情報を是非よろしく!!
です。
しかし、神辺御領地区の方々の頑張りには、
脱帽です。
読んで頂いて、ありがとうございます。
実際に歩いてみて、途轍もない遺跡群だと感じました。
今後の調査に、興味深々です。
地元の人たちの活動の成果だと感じました。