FUJISUZUKO

藤鈴呼

不思議な赤光

2018-11-24 15:43:32 | Weblog







仄明るい月に照らされながら
世界一の台詞を呟く夜

包まれたのは
柔らかな肌光

冷たくなったり 
熱く揺れたりする指を弄びながら

グンと進む
目線は前方へ

何処までも、先へ。

★,。・::・°☆。・:*:・°★,。・:*:・°☆。・:*:・°

11月23日は 勤労感謝の日
そして、満月だったみたいですね。

しか~も! 望月1000年! 
なんて 命名(?)しちゃいましたが

即興歌から丁度1000年目の
満月だったらしいです☆キラーン☆彡

道理で矢鱈と明るい宵闇月よ~ 
と 思ったんですよねー!!

いや、宵闇ってのは 
月が出る前の話だべ??

*



夜になってまだ間もない頃。
夜がそれほどふけていない頃。初更。
「春の-」 「 -の口」

② よる。夜間。
「波の上に浮寝せし-あど思もへか/万葉集 3639」

③ 祭りの前夜。
「 -の日よりとまりがけに上りける/咄本・露が咄

*

宵闇

① 夕方の薄暗さ。 「 -がせまる」

② 陰陽暦15日以降の、月が出るまでの間の暗さ。
ことに、月の出の遅くなる20日以降にいう。 [季] 秋。

*

で、あるからして、
「宵闇月」って言葉は 可笑しい!!

けれど、その「発想」が可笑しいから 
ネットの海に「発送」してしまおう 
という 「発想」

先日の記事「ぶたぶたブレス」
ぶたぶたブレス

に続き、
「宵闇月」ってば

手作り腕輪の命名にも 
なりそうだなぁ~

そして、満月とは逆方向に視線を投げると
謎の「赤い光」が!

私「何だべ? あの赤い光」
夫「うぉ~っ! 星にしてはデカイな」

何なんだろう~
場所は 相模湖プレジャーフォレスト

満月は 受付を過ぎて直ぐの
建物入口から リフト乗り場に向かう方向に出ており

赤い光は 真逆・・地図を見たら
相模湖の方角にも 思える!?

火星にしては 四角いような気にもなるし
何かの電波塔みたいな光でも なさそうな・・・

デジ・カメ子ちゃんを拡大して撮影しているので
月も 赤い光も 若干の歪みが ありみやんすが

謎と幻と夢とニヒルな笑みを
連れて逃げるかのような不思議さに
満ち溢れていたので ありましタ☆

*

この世をば…道長が詠んだ満月、1千年後の今宵も夜空に

平安時代の貴族、藤原道長(966~1027)が

「この世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば」

と詠んでからちょうど1千年後の満月が23日夕、昇った。
栄華を極めた藤原氏の時代は移り変わったが、
望月はなお欠けることなく地上を照らし続けている。

 平安の貴族・藤原実資(さねすけ)の日記
「小右記(しょうゆうき)」や道長自身の日記によると、
道長はこの歌を寛仁2(1018)年10月16日に詠んだ。

兵庫県の明石市立天文科学館の井上毅(たけし)館長が調べると、
この日は確かに満月だったという。

今年の旧暦10月16日は11月23日だ。

*

藤原 道長(ふじわら の みちなが)
平安時代の中期の公卿。
藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の五男(または四男)。
後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の外祖父にあたる。

寛仁2年(1018年)3月、後一条天皇が11歳になった時、
道長は三女の威子を女御として入内させ、10月には中宮となした。

実資はその日記『小右記』に、
「一家立三后、未曾有なり」と感嘆の言葉を記した。

威子の立后の日(10月16日(11月26日))に
道長の邸宅で諸公卿を集めて祝宴が開かれ、
道長は実資に向かって即興の歌

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」

(「この世は 自分(道長)のためにあるようなものだ
 望月(満月)のように 何も足りないものはない」という意味)を詠んだ
(『小右記』、原文漢文)。

実資は丁重に返歌を断り、代わりに一同が和して
この「名歌」を詠ずることを提案し、
公卿一同が繰り返し何度も詠った。

この歌は道長の日記『御堂関白記』の、
この宴会についての記述の中には記されていないが、

道長に批判的な実資の日記に書き残されて
後世に伝えられることになった。

*

ところで、歴史には「超疎い」ワタクシメ、
「道」の文字から 何故だか

「みちざね」さんを 
思い出して しまいました

*

菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん)

日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。
参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。
贈正一位・太政大臣。

忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、
寛平の治を支えた一人であり、
醍醐朝では右大臣にまで昇った。

しかし、左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、
大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。

死後天変地異が多発したことから、
朝廷に祟りをなしたとされ、
天満天神として信仰の対象となる。

現在は学問の神として親しまれる。

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