日本はユダヤ人を救うことを国策の一つとしていた!

2015年09月25日 18時58分34秒 | Weblog

第二次世界大戦時 

 日本はユダヤ人を救うことを国策の一つとしていた!

                   https://youtu.be/gyvNaDwN3oE

  樋口季一郎少将:関東軍ハルビン特務機関長 昭和13年

   松岡洋介:南満州鉄道総裁

   東条英機参謀長

昭和12年12月26日にハルビンで開かれた第1回の「極東ユダヤ人大会」で、樋口季一郎(陸軍少将・のちに中将)は、次のように演説した。

「ヨーロッパのある一国は、ユダヤ人を好ましからざる分子として、法律上同胞であるべき人々を追放するという。いったい、どこへ追放しようというのか。追放せんとするならば、その行き先をちゃんと明示し、あらかじめそれを準備すべきである。当然とるべき処置を怠って、追放しようとするのは刃をくわえざる、虐殺に等しい行為と、断じなければならない。私は個人として、このような行為に怒りを覚え、心から憎まずにはいられない。

 ユダヤ人を追放するまえに、彼らに土地をあたえよ!安住の地をあたえよ!

そしてまた、祖国をあたえなければならないのだ。

 この樋口季一郎の演説が終わると、凄まじい歓声が起こり、熱狂した青年が壇上に駆け上がって、樋口季一郎の前にひざまずいて号泣し始めたという。協会の幹部達も、感動の色を浮かべ、次々に握手を求めてきたという。

この樋口中将のユダヤ難民保護に対して、案の定、ナチス・ドイツ政府から強硬な抗議が来た。しかし、彼は人道主義の名のもと、それをきっぱりとはねつけたのであった。

(※ もう少し詳しく紹介すると、樋口中将はドイツの抗議に対して、「ドイツが自国内でユダヤ人をどう扱おうがそれはドイツの勝手であるが、満州国のような独立の主権国家の領域内での決定にドイツが干渉することは許されない。日本はドイツの属国ではなく、また満州国も日本の属国ではない」と主張したのである。

樋口中将の上司であった東條英機は彼の主張に完全に同意し、外務省にその通りに回答した。かくして、ドイツの抗議は空振りに終わったのである

昭和13年3月、満州国と国境を接したソ連領のオトポールに、大勢のユダヤ難民(2万人という説があるが、数千人という説もあり正確な人数は定かではない)が、吹雪の中で立往生していた。

これらのユダヤ人は、ヨーロッパで迫害を受けた人たちで、満州国に助けを求めるためにシべリア鉄道を貨車でゆられてきたのであるが、満州国が入国を拒否したため、難民は前へ進むこともできず、そうかといって退くこともできなかった。

 食糧はすでにつき、飢餓と寒さのために凍死者が続出し、危険な状態にさらされていた。

 ●当時、満州国のハルビン特務機関長を務めていた樋口季一郎のところに、ハルビンのユダヤ人協会会長アブラハム・カウフマン博士が飛んできて、同胞の窮状を訴えた。しかし、満州国外務部(外務省)を飛び越えて、独断でユダヤ人を受け入れるのは、明らかな職務権限逸脱であった。

 が、樋口中将は自分の判断で、ユダヤ難民全員を受け入れることを認めた。

 難民の8割は大連、上海を経由してアメリカへ渡っていき、残りの難民は開拓農民として、ハルビン奥地に入植することになった。樋口中将は部下に指示し、それらの農民のために、土地と住居をあっせんするなど、最後まで面倒を見たのである。

 昭和13年12月 

  五相会議にて(近衛文麿首相・有田八郎外相・板垣征四郎陸相・米内光政海相・池田成彬蔵相兼商工相)

  ユダヤ人を排斥することは、日本が多年に渡り主張してきた人種平等に反する 日本は満州、中国に居住するユダヤ人を排撃することなく、他の外国人と同等に扱う 等と宣言し、日本政府として、満州や日本国内にいるユダヤ人を擁護する事を正式に決めた

  陸軍大臣の板垣征四郎は、「日本は八紘一宇の精神である」と言った

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