3月10日以降の空襲では、膨大な数の死者が出て、無数の死体の山ができました。「戦場掃除」と呼ばれる前線での死体処理と同じような乱暴な扱いで、遺体が片付けられました。通常の埋葬ができないので、公園や寺院の境内などに穴を掘って遺体を埋める仮埋葬がなされました。その数は3月~5月にかけての大空襲で、約9万4800人であり、そのうち約8000人のみは名前がわかり個別に埋葬されましたが、それ以外は合葬されました。仮埋葬された遺体は3~5年後に掘り返されて、火葬されました。遺骨は東京都慰霊堂に安置されました。その後も、遺族などに引き取られる遺骨は少なく、今でも、約8万人の遺骨が残されています。別に焼け跡で現場火葬も行われました。
戦争中は、戦時災害保護法などにより、民間人の傷害者等の被災者と死者の遺族にも救助・給付などの援護措置がなされました。東京都独自の見舞金も支給されました。しかし、戦後、軍人・軍属とともに民間人への特別の措置が廃止されました。講和後、日本人の軍人・軍属への援護や恩給は復活しましたが、民間人や朝鮮人・台湾人への援護は復活されないままです。ただし、日本人の、勤労動員学徒、女子挺身隊員、徴用工、被爆した国民義勇隊員、地上戦の戦闘参加者、防空監視員、警防団員などは準軍属に位置づけられ、最初は、軍人・軍属と格差はありましたが、今は同じような援護を受けています。
1945年3月10日の下町大空襲です。すでにアメリカ軍は、都市の中で、住宅が密集し人口密度が高い市街地を、焼夷地区1号に指定していました。東京は当時の深川区の北部と本所区・浅草区・日本橋区の大部分などが焼夷地区1号でした。そこをまず焼夷弾で焼き払う絨毯爆撃が、この日から始まりました。焼夷地区1号の目標地域には、軍施設や軍需工場などの明確な軍事目標はほとんどなく、アメリカ軍の目標となった大きな軍需工場は精工舎や大日本機械業平工場のみで、築地、神田、江東などの市場、東京、上野、両国の駅、総武線隅田川鉄橋などが実際の目標でした。住民を殺戮し、それによって戦争継続の意思をそぐことが、主な目的でした。また、市街地を焼き払うことで、そこにある小さな軍需工場を焼くことも合わせてねらっていました。アメリカ軍は春一番のような大風の吹く3月に焼き払い空襲を開始することを目指して、日本向けの油脂焼夷弾を開発し、B29とともに大量生産をしていきました。
3月10日の下町大空襲は夜間に低高度から1665トンに上る大量の焼夷弾を投下した空襲でした。目標地域に4か所の爆撃照準点を設定し、そこにまず大型の50キロ焼夷弾を投下しました。これにより、大火災を起こし、日本側の消火活動をまひさせ、その後小型の油脂焼夷弾を投下する目印となる照明の役割を果たしました。
火災は北風や西風の強風もあって、火災は目標地域をこえて、東や南に広がり、本所区、深川区、城東区の全域、浅草区、神田区、日本橋区の大部分、下谷区東部、荒川区南部、向島区南部、江戸川区の荒川放水路より西の部分など、下町の大部分を焼き尽くしました。罹災家屋は約27万戸、罹災者は約100万人でした。
木造家屋の密集地に大量の焼夷弾が投下され、おりからの強風で、大火災となったこと、国民学校の鉄筋校舎、地下室、公園などの避難所も火災に襲われたこと、川が縦横にあって、安全な避難場所に逃げられなかったこと、空襲警報が遅れ、警報より先に空襲が始まり、奇襲となったこと、踏みとどまって消火しろとの指導が徹底されて、火たたき、バケツリレーのような非科学的な消火手段がとられ、火災を消すことができないで、逃げおくれたことなどの要因が重なり、焼死、窒息死、水死、凍死など、9万5000人を超える方が亡くなりました。
浜田防衛相は28日、航空自衛隊所属の女性自衛官が同僚の隊員からセクハラを受けたとして、国に対し約1200万円の賠償を求める訴えを東京地裁に起こしたことについて「訴状が送達された時点で適切に対応したい」とした上で、「極めて深刻で誠に遺憾だ」と述べた。
訴えによると、航空自衛隊所属の現役女性自衛官が、沖縄・那覇基地に所属していた2010年以降、同僚の自衛隊員から当時の交際相手との性行為などについてセクハラ発言を受けた。
女性隊員は関係部署に被害を相談したが、同僚と同じ基地での勤務が続くなどほとんど対応が取られなかったことから「セクハラの事実が隠蔽され、被害者として保護されず被害を被った」として国に対し、慰謝料などおよそ1200万円の賠償を求めて東京地裁に提訴した。
浜田防衛相は28日の記者会見で「現時点においては、訴状は送達されておらず、訴状が送達された時点で、内容について関係機関と検討の上、適切に対応してまいりたい」と述べた。
その上で、自衛隊内でハラスメント被害が相次いで明らかになっていることについて「防衛省のハラスメント防止対策の効果が組織全体まで行き届いていなかったことの表れであり、極めて深刻で、誠に遺憾だ」と述べた。さらに「ハラスメントを一切許容しない組織環境を構築することが必要だ。時代に即した対策が講じられるよう見直しを継続的に行いたい」と強調し、全ての自衛隊員にハラスメントを容認しないことを徹底させる考えを改めて示した。