≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

川端裕人『「色のふしぎ」と不思議な社会 ― 2020年代の「色覚」原論』

2022-07-01 18:27:34 | 本 (ネタバレ嫌い)

川端裕人『「色のふしぎ」と不思議な社会 ― 2020年代の「色覚」原論』 ←筑摩書房ページ

ヒトの視覚は非常に多様だ。ほかの人が自分と同じように見えているとは限らない。
まず網膜上の 錐体細胞 の組み合わせがヒトによって異なるということが挙げられる。
また、視覚により物を認識するとき、網膜上の刺激が幾重にも処理されることもある。処理のパターンが各人同様とはいえない。
こういう違いによる生存上の明らかな不利というのを証明するのはとても難しく、 正常/異常 と分けるには多様すぎる。 
Webナショジオ 研究室に行ってみた。色覚の進化 河村正二 第6回 「正常色覚」が本当に有利なのか

このような新しい科学的知見を知るのは知的好奇心を刺激しおもしろい。


100年以上つづく石原表のみを用いた学校現場における色覚検査と、それによる職業制限を日本社会が許容してきた現状や問題を、本書はほどいてゆく。
問題点はいろいろな方面に存在し互いに絡み合っているのだ。

無知が差別を生むのだから、知らなければならない、と思う


 
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吉田伸夫『時間はどこから来て、なぜ流れるのか?』

2021-12-31 12:12:54 | 本 (ネタバレ嫌い)

吉田伸夫『時間はどこから来て、なぜ流れるのか? 最新物理学が解く時空・宇宙・意識の「謎」』 ←講談社HP内の著書紹介ページ。試し読みもあります。

一体どういう本なのかというと、リンク先の「内容紹介」がまとまっていてそれ以上のことを付け足す必要を感じないので、ぜひそちらを見ていただきたいが、あえてそこから適当に組み立てるとこんな感じ。
人の感じている「時間の流れ」というものを相対性理論、宇宙論、熱力学、量子論という物理学的見地、さらには神経科学という生物学的見地を駆使して自然科学の視座からその正体に迫る本、です。
この手の本を今まで全く読んだことがなかったわけではないのに、この本はすとんと腑に落ちた。

この本には数式が出てこない。直感にうったえる図は沢山あります。そして、なるほど、へえ、と読み進められる筋道がすっきり通っていて大変読みやすい。
例えば第1章44p
「アインシュタインは、重力源の周りで時間・空間の尺度が場所ごとに異なることが、ほかの物体を引き寄せる重力の元だと考えたのである。(中略)重力源が動いたとき、(中略)重力が一瞬で空間を飛び越えるといった不合理が解消される。
(中略)場所によって時間の尺度が異なるのだから、宇宙全域に単一の時間が流れるのではなく、あらゆる場所に個別の時間が存在すると考えなければならない。」
こうなのだからそう考えなければならない、という論じ方に、カッコイイ!と思ってしまったのだよ。
第4章、エントロピーは増大するのに局所的に減少しているように見える現象が起きる理由、その現象の一例である生物の活動は、この宇宙のビッグバンの整然とした状態が崩れていく過程の一部であり、「ビッグバンから遠ざかる向き」に進行する不可逆変化なのである、とか。

そして最終章で人の意識の話に及ぶ。物理学が哲学に転じるのかと思いきやむしろ生物学の話になるのが面白かった。
この本の終わり方が実に潔いのだが、さすがにそのネタバレは止めておこう。すごく気持ちよかった!


ところで上掲の写真のマグカップは、ブルーバックスコーヒーなのだよ。ブルーバックスのエイプリルフールネタがクラウドファンディングで実現してしまったマグカップだ。
モチーフは火星人だそうで、ブルーバックスシリーズの背表紙の一番上に描かれているお馴染みのものだ。1963年創刊以来、名前はまだない、んだそうだ。今後この名前が公募されるとすれば、人類が火星に降り立つときかそれともブルーバックスが傾くときか


 
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『ヒトの目、驚異の進化 -視覚革命が文明を生んだ 』『〈脳と文明〉の暗号 -言語と音楽、驚異の起源』マーク・チャンギージー

2021-06-05 20:16:06 | 本 (ネタバレ嫌い)

マーク・チャンギージー氏によるヒトの視覚と聴覚に関する新しい捉え方。
新しい、といっても「視覚」は2009年「聴覚」は2011年に原著が出ているし、今回取り上げる2冊は文庫本で文庫化するまえのハードカバーの「視覚」は2012年「聴覚」は2013年に出ているから、知っている人にとっては特段新しいわけではないのだろうけれど。

まず『ヒトの目、驚異の進化 -視覚革命が文明を生んだ』。
顔色を読む能力、両目が前側についている/両眼視出来る角度が広いのはなぜか、錯覚が何種類もあるのはなぜか、文字が読めるのはどうしてか、ということについて書いてある。思ってもいないことばかりだった!
文字は自然の模倣なのでヒトの脳が読み取りやすい、というのには驚いた。似ているようには見えないのだけれど、それを示すデータの取り方にもビックリした。研究ってそういう風にするんですね。

それから『〈脳と文明〉の暗号 -言語と音楽、驚異の起源』。
今度は聴覚である。視覚編の文字の捉え方を話し言葉や音楽に応用させた感じ。似ているように聞こえなくても実は似ているんです、というのにはやっぱりピンと来ないのだけれど、それは脳が情報を受け取り解釈するのに何段階かあるうちの低次のところには意識がいかないように脳が出来ているからなんだそうだ。
音楽に対しては自分としてはそれなりに謙虚で真摯な態度をとっているつもりなので、本のカバーの裏表紙にある紹介に「音楽は人間の歩行を模倣している」とあるとスルーできない。わたしは自分が演奏するときにはまずノリというかグルーヴというか聞いていて体が動いてしまうというのを大事にしていたので、我が意を得たりの気分である。焦った演奏は嫌いですけどね。

これらの本の内容は聞いたことのない話ばかりなので、もしかしてトンデモ !? と一瞬疑ってしまったが、どのようなデータを根拠にしているのかという記述を読み進めていくにつれチャンギージー氏の独創性に感心する。
ヒトが己の中の野生をハックして文明を築いていったしたたかさに、もっと風呂敷を広げると、生き物のなんでも利用して生き抜く力に感動する。

 
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『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング

2021-05-04 23:07:50 | 本 (ネタバレ嫌い)

『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング ←アマゾンへリンク

神経伝達物質ドーパミンのいろいろな作用について述べられている。単なる快楽物質などではない。
こういう作用もある、ああいう作用もある、というのを知るとバラバラにみえて混乱するが、それを「上と下」という視線、「H&N(ヒア&ナウ、いまここ)」との対比 で考えれば分かりやすい、と冒頭で示したところがユニークである。

本書を読み進めていくと、なにしろ自分の頭の中で起こりうることなので時々ぞっとさせられたりがっくりさせられたりしてしまう。
ドーパミンといえば依存性に陥る違法薬物がまず思いつくが、実は作用する対象は精神状態だけではない。パーキンソン病は筋肉の動きを制御する回路でドーパミンが不足して起こる。
もちろん精神に作用して障害をきたす場合もある。統合失調症はドーパミン欲求回路が働きすぎているらしい。しかしそれは創造性とも深く関わっている。ADHD(注意欠如・多動症)は前頭葉などの部位でドーパミンが不足しているらしい。
ドーパミンがほどよく適正に働いてくれないと日常生活が送れない。

元々自分が持っている脳の傾向というものを個々に存在する。
大まかに リベラルと保守 を比較した章は興味深い。またドーパミンD4受容体の多い人たちとそうでない人たちとの比較の章も面白かった。移住や双極性障害が多い。これらの章はアメリカの読者の興味をより惹くだろう。
色々な傾向があるにせよ、多種多様な誘惑の多い現代社会で幸せに生きていくのに ドーパミンと「H&N」の調和が不可欠だ、という章でこの本はとじられる。
この本を思い出すことによって、ドーパミンを絡めた「上と下」という視線、「H&N」との対比 という視点 が局面局面で浮かんでくれば、もうちょっと己を制御できる場面が増えるかな、と思った。


 
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佐伯真二郎『おいしい昆虫記』

2021-02-27 21:40:21 | 本 (ネタバレ嫌い)

佐伯真二郎『おいしい昆虫記』 ← アマゾンへリンク

ツイッターでフォローしている 蟲喰ロトワ(むしくろとわ)さん @Mushi_Kurotowa が本を出されたと知ったので手に入れた(しばらく積んでおりました)。

 青春だっ❗

という感想はあまりにもお粗末で、ああワタクシ加齢による劣化が見苦しい。
佐伯氏がこの道に入っていく過程、気づくとその沼から出られなくなっていた居場所のない心持ち、そしてラオス。写真やイラストやコラムが配されていてそんなに重い印象はなかったけれど、ずっしり響きました。

都会居住者の割合が増え、虫を毛嫌いする人たちがそれなりに多くいる現状の日本において、昆虫食はどうしてもゲテモノ扱いする人たちがそれなりに出てきてしまう。その苦しさにあえいでいたときラオス行きの話が来る。転機だ!

第4章のタイトル「ラオスで私は普通の人になった」の「普通」という言葉が重い。よく分かります、わたしも外れ者でずーっとこの歳まで生きてきた。なれるものなら「普通の人」になっていちいち疑問や違和感や疎外感を感じずに生活したり人と話したりしてみたいものだ。それが叶わないものだと重々承知しているから、この際 開き直って己の変なところに誇りを持って「普通の人」を羨んだり真似したりしないだけなのだ。

ラオスで現地スタッフと試行錯誤する日々は驚きに満ちてとても楽しそうだ。
順調にラオスで研究/開発が進んでいっている、と思ったらこのコロナ禍で帰国を余儀なくされる。少しでも早く世界中の感染がおさまって佐伯氏がラオスに戻れる日が来るのを望みます。


 
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