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ユーロ首脳会議 ギリシャ2次支援を承認(2011年7月21日)

2011-09-08 10:40:32 | Area Studies
2011年6月
2011年6月3日 欧州連合 国際通貨基金とギリシャ政府の協議が終了
  ギリシャ政府は、新たな財政再建策を説明 追加支援を要請
2011年6月3日 ユーロ圏財務相会議議長のユンケル・ルクセンブルグ首相 20日の財務相会議での第二次支援
  合意を示唆。 
2011年6月9日 欧州中央銀行総裁 ユーロ圏の消費者物価上昇が5月まで6ケ月連続で2%台に高止まりをうけて
  7月の利上げを示唆(利上げは債務の多い国の負担を高める側面 すでに4月7日に金融危機後初めての利上げ決定
  0.25%引き上げ) 
  他方で 域内の金融機関に低い固定金利で資金を供給する制度の期限を9月末まで円超
  ドイツ フランスなど中核国の景気好調 新興国の経済成長で資源価格高水準続く
2011年6月10日 ギリシャの国債利回り17%弱まで(5月20日に16%台後半に上昇)
  ポルトガルの国債利回りも10%台後半に
  それぞれ上昇過去最高を更新
2011年6月13日 S&P ギリシャの格付けをトリプルCに3段階引き下げ
(5月9日に2段階下げてシングルBとしていた)
  12ケ月以内ニデフォルトに陥るリスクが著しく高まる
  ギリシャ国債利回り17%台
2011年6月14日 ユーロ圏財務相会議 追加支援で意見調整難航
2011年6月15日 ギリシャの国債利回り18%前後に上昇
2011年6月16日 東京市場で1ユーロ113円台の安値(5月以降 売り基調) 今後は
  反発を見い込んで買いか。
2011年6月17日 ムーデーズがイタリア国債を格下げ方向で見直しと表明
2011年6月19日ー20日 ユーロ圏財務相会議
  2次支援を協議 民間負担(2-3割)に議論の焦点 ギリシャへの120億ユーロ融資決定を先送り
2011年6月22日 ギリシャ国会で パパンドレウ新内閣信任(賛成155 反対143 棄権2)
2011年6月23日 EU首脳会議でEU予算によるギリシャ金融支援で合意(約10億ユーロ)
2011年6月24日 欧州連合首脳会議 トリシェ欧州中央銀行総裁(10月末任期切れ)の後任にイタリア中央銀行の
  マリオ・ドラギ総裁を正式に選出 
2011年6月27日 ギリシャ アイルランド ポルトガルの国債が軒並み売られる
  ギリシャ国債10年物17% アイルランド・ポルトガルは12%近辺を推移 
2011年6月28日 IMF理事会 次期専務理事にフランスのラガルド経済・財政・産業相を選出
2011年6月29日 ギリシャ議会 中期財政再建計画を承認(定数300賛成155)
  増税 公務員の人件費削減 公営企業民営化など アテネ市内は大規模なデモで混乱
2011年6月30日 ギリシャ議会 赤字削減のための関連予算法案を可決
 ⇒ギリシャ政府の実行力に不安残る

2011年6月末 ギリシャ支援をめぐり 欧州連合 7ケ国蔵相 国際通貨基金など電話協議 
 総額1100億ユーロ程度の追加支援(2010年5月に決定した1次支援と同額)
 ドイツは民間投資家らの実質負担を主張
 米金融機関の欧州向け金融債権は総額3.4兆ドル(270兆円)で米は妥結を求める
  EU/IMF   追加融資      500-600億ユーロ
  民間による再投資           300億ユーロ
  国営企業の民営化・売却による増収   200-300億ユーロ と見られている
 フランス大手銀行はギリシャ国債償還後の保有継続方針示す(政府は強制できない)
 ドイツ側は預金者・株主からの責任追及を懸念 ギリシャ国債の返済期限延長
 2014年までに満期を迎える国債について
  6月半ば フランス側 主要銀行がフランス政府に提案
  自発的再投資ロールオーバー案
  7割を30年物国債 残りの2割についてはギリシャ政府が欧州のAaa格債券に再投資して保険とする
  新国債金利は8%以下に抑える
  この提案のほか
  国債への切り変え比率を上げて金利を6%以下とする
  期限を5年延長 5.5%の金利とする など複数の案が検討される
  なお単純な期限の延長(ドイツ提案 6月6日 ショイブレ財務相が書簡で7年延長を提案)は債務再編とみなされ
 デフォルトとみなされると欧州中央銀行は反発している
 これに対して
 格付け機関はフランスによる自発的投資提案もデフォルトと判断する見込み⇒フィッチによる警告 もある
 ⇒ギリシャ国債のデフォルトはまずギリシャ之銀行を直撃 資金不足に追い込む

2011年7月
2011年7月1日 欧州不安後退観測 東京市場 ユーロ117円前後で推移 対ドル 1.45ドル
  (1月21日 1.35ドル台 4月13日 1.45ドル台。5月4日1.49ドルの高値 5月9日1.43ドルの安値)
   1月21日 112円台前半
2011年7月1日 国際金融協会IIF ギリシャ国債への再投資 償還期限延長案 等に対し自発的に協力
する用意があるとの声明出す
2011年7月3日 EUユーロ圏財務相会議 2日夜電話協議(日本時間3日) ギリシャへのつなぎ融資120億ユーロの実行決める(昨年決めた1100億 ユーロの枠内で5弾目) ユーロ分の87億ユーロを決定 残りの33億ユーロは週明けにIMFが決定
2011年7月5日 ムーディズがポルトガルの国債を投機的水準(Ba2)に引き下げた。従来のBaa1の4段階下 見通しはネガテブ
2011年7月6日 ポルトガルの国債は急落。利回りは前日比2%弱高い13%強に上昇。南欧の国債・株式も下落
2011年7月7日 欧州中央銀行 政策金利を0.25%上げて年1.5%に変更 4月以来3ケ月ぶりの追加利上げ

2011年7月11日 ユーロ圏17ケ国財務相会議(ブリュッセル)。ギリシャ支援は結論を持ち越し。欧州金融安定基金EFSF(2500億ユーロを4400億ユーロへ)の機能強化では合意(金融市場でEFSFが国債を購入あるいは危機国が国債を買い戻す資金を融資するなどの案が有力 月内に具体策決定 また新規債だけでなく発行済国債の購入の道開くことも検討)
2011年7月11日 スペイントイタリアの国債利回りが急ピッチで上昇(10年物で6%強 価格は下落) 投資家はドイツ債にシフト 
2011年7月12日 イタリア国債金利が年6%の大台に乗る。
2011年7月12日 ムーディーズがアイルランドの国債を投機的水準(Ba1)に引き下げた。従来より1段階下。
2011年7月14日 イタリア上院は政府の財政再建計画(財政赤字の削減額を当初の1.5倍に引き上げたもの)を賛成多数で承認した。
2011年7月15日 欧州銀行監督機構EBAが金融機関(主要91行)の資産査定の結果を公表 資本不足の認定は8行(市場予想の10行以上を下回る)
昨年は7行が不合格。合格したアイルランドの銀行の経営がその後悪化。今後景気が悪化しても中核的自己資本比率5%を維持できるか。ギリシャへの支援がどうなるかが重要との声もある。 
2011年7月15日 ギリシャ24億ユーロの国債償還迎える
2011年7月20日 EU財務相会議 EFSFの機能拡充を正式に承認(融資上限の引き上げ2500億ユーロを4500億ユーロへ またユーロ17ケ国の政府補償額を4400億ユーロから7800億ユーロへ引き上げ)。
2011年7月21日 ギリシャの2次支援についてのユーロ圏17ケ国首脳会議開催(ギリシャ向け追加支援で合意)
        総額1600億ユーロ程度の追加支援を行う
        EUとIMFによる公的支援が1090億ユーロ(109billion) additional loans
        EUとIMFは一次支援分を含めギリシャ支援融資の返済期間を7年から15-20年に延超する
        融資金利は年4%以上から年3.5%程度に引き下げる      
        域内銀行による国債再投資 370億ユーロ
                買い戻しに126億ユーロ
         4つの方法から選択 保有する既発債を額面で30年債と交換
                   償還後の30年債への再投資
                   額面の80%で30年債と交換
                   額面の80%で15年債と交換

         EFSFの機能強化 既発債を購入できるようにする 予防的融資や域内銀行への資本注入に活用できるようにする など
        ギリシャ向けと同条件をアイルランドとポルトガルに適用(easier aid terms for Ireland and Portugal, and a retooled bailout fund to prevent markets from trashing Spain and Italy as well) 
 
このあとの展開については以下を参照
  ギリシャのデフォルト宣言を見込む最悪の展開へ突入(2011年9月)
参考 Big Rescue, Big Doubts: The Euro Crisis grinds on Bloomberg Businessweek, 2011/08/01, 13-14 
ギリシャ追加支援でも残る債務危機伝播のリスク エコノミスト2011/08/09, 26-27   
                    
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中国人民銀行本年3回目の利上げ実施(2011年7月7日)

2011-08-25 18:51:03 | Area Studies
2011年5月10日 第3回米中戦略経済対話(5月9日から10日)閉幕
        中国は人民元弾力性ひき続き高める 米国は為替の行きすぎた変動を監視する(背景 中国での物価上昇による中国製品の対外競争力の低下 物価上昇5% 人民元相場5%上昇 実質は10%増価 中国側の主張:貿易黒字は縮小傾向(人民元引き上げは中小輸出企業の倒産を招く) 不均衡の是正のためにハイテク製品の対中輸出規制緩和求める 米国側の主張:インフレ対策としても人民元引き上げを。市場を通じた金利形成・与信等を求めるほか 外国銀行による金融商品販売の自由化・外国企業の投資規制緩和などを改めて求める)
2011年5月11日午前 中国人民銀行 基準値6.4948元
2011年5月11日 4月の消費者物価 前年同月比5.3%上昇(7ケ月連続で4%上回る)

2011年6月1日 上海外国為替市場終値 6.4780元
2011年6月10日 5月の貿易黒字130億5000万ドル
2011年6月10日 広州市郊外で出稼ぎ労働者らが大規模な暴動起こす
2011年6月14日 5月の消費者物価指数 前年同月比5.5%上昇(8ケ月連続)2年10ケ月ぶりの高い伸び 豚肉価格が6割近く上昇 

2011年7月7日 中国人民銀行が今年3回目の利上げ 1年物定期預金金利は3.5%(実質マイナス状態)
        6日に発表7日から実施 貸出と預金の基準金利を0.25%引き揚げ利上げが4月6日以来3ケ月ぶり2011年に入り3回目
        当局はインフレによる社会不安を懸念
2011年7月9日  6月の消費者物価指数 6.4%上昇 2008年6月の7.1%以来の高い伸び
2011年7月10日 6月の貿易黒字222億7000万ドル 7ケ月ぶりに200億ドル突破
2011年7月13日 4-6月期のGDP 前年同月比9.5%増 1-3月期の9.7%増から低下
        (急降下=硬着陸遠のく 利上げリスク消えない)
        物価上昇で個人消費減速 輸出もダウン 公共事業拡大が支え   

2011年8月1日午前 中国人民銀行 基準値6.4399元 初めて6.44を割り込む
2011年8月9日 CPI 上昇率前年同月比6.5%(政策目標の4%を上回る 2ケ月連続の6%台) 豚肉価格が6割近く上昇→物価が高いと物価抑制のため当局が元高を容認するとの観測強まる
2011年8月10日 基準値 1ドル6.4167元
2011年8月10日 7月の貿易黒字314億8000万ドル(約2兆4000億円) 300億ドル超えは2009年1月以来2年半ぶり
        背景 国内景気の減速から輸入が伸びない一方輸出が伸びた
2011年8月11日午前 中国人民銀行 基準値1ドル6.3991元 初めて6.3元台に突入
2011年8月11日の上海外国為替市場 一時6.3895元 終値6.3945元 6.3元台は初めて

東アジア論 东亚洲论

2011年以降の中国経済

2011-06-13 07:01:31 | Area Studies
中国証券市場略年譜
2010年末までの中国経済
2011年1月 中国政府 2軒目を買うときの頭金比率を5割から6割に引き上げるなど投機的な住宅購入規制を強化
2011年1月14日 預金準備率0.5%上げ
2011年1月20日 貸出預金金利0.25%上げ
2011年2月24日 預金準備率0.5%上げ
2011年3月25日 預金準備率0.5%上げ
2011年4月 中国国家統計局発表 3月のCPI  前年同月比5.4%上昇(危険水域の5%超え)
2011年4月 中国政府(国家発展改革委員会) 値上げ抑制の行政指導を強化 → 電力料金の抑制指導 石炭価格が高騰しているため発電会社の収益が悪化 電気供給が止まる副作用が一部で発生 企業は自家発電に走りその燃料の軽油が不足
2011年4月18日 中国商務省発表 1-3月に中国への直接投資 実行ベースで前年同月比29.4%増加の303億4000万ドル
          中国から海外は13.2%増の85億1000万ドル
2011年4月21日 中国人民銀行 預金準備率引き上げ(2011年に入り4回目)
2011年4月29日 1ドル6.5元を突破
2011年5月  各地で電力不足が深刻化
2011年5月  中国政府 石油会社に軽油などの増産と輸出停止を要求 国内軽油価格などの抑制で石油会社の採算悪化 石油会社は値上げ容認か補助金支給を求めている
2011年5月 人事社会保障省 2010年の農民工 前年比5.4%増の2億4223万 しかし沿海部では人手不足が深刻 操業停止に追い込まれる工場も相次いでいる 内陸部でも公共事業が活発化している
2011年5月1日 中国物流購入連合会 4月の製造業購買担当者景気指数 前年同月比0.5ポイント悪化の52.9 景況感の水準はなお高い
2011年5月6日 中国国家発展改革委員会 ユニリーバに対し消費者に値上げ観測をあおったとして罰金200万元(価格法 独占禁止法に違反)
2011年5月11日 中国国家統計局発表 4月のCPI 前年同月比5.3%上昇
2011年5月11日 中国国家統計局 4月の工業生産前年同月比13.4%上昇 3月の14.8%上昇を下回る
   3月ー4月 農村部を除く固定資産投資は前年同月比25.4%増と堅調                         
2011年5月12日 中国人民銀行 18日より預金準備率0.5%引き上げ(2011年に入り5回目) 大手行の標準で21%と過去最高水準を更新
2011年5月18日 中国国家統計局 4月の主要70都市住宅価格統計 前年同月比で価格が下落した都市が3つ 広州市はなお拡大
2011年5月末  長江流域で干ばつ被害広がる 例年に比べ降水量少ない 湖南 湖北 江西 安徽 江蘇の5省でとくに深刻
2011年5月30日 中国国家発展改革委員会 6月1日から湖南 重慶など15の省直轄市で工業用電力料金引き上げ 住民生活用は据え置く

中国 人民元が1ドル6.5元突破(2011年4月29日)

2011-06-13 06:57:53 | Area Studies
中国人民元 対ドル6.5元突破 2011年4月29日[金曜日] 上海外国為替市場終値で1ドル6.5元割れに。これは元高を
意味する。昨年の6月の弾力化声明時点で6.83元。時間はかかっているものの元高には着実に進んでいる。
2011年4月
2011年4月29日 一時1ドル6.48元 終値6.491元(6.5元突破)
      輸入物価上昇 元売りに伴う過剰流動性抑制
      投機マネー流入 5月上旬の米中戦略経済対話に備える
      反面 輸出競争力低下
      すでに2010年6月に弾力化 当時は1ドル6.83元(2008年9月のリーマンショック以降 一度は2005年7月に人民元切り上げ その後固定6.83元に固定 2010年6月に弾力化)
中国 人民元弾力化声明 2010年6月19日
      内需拡大への転換急ぐ
4月28日(木) 終値6.5015元
4月22日(金) 上海外国為替市場終値 1ドル6.5067元
      6.5元突破の可能性(3月末で外貨準備が3兆ドルを超えドル買いに限界)
      輸入インフレ抑制のため元高を容認する政府幹部発言
4月17日(日) 中国人民銀行 預金準備率引き上げ 21日(木曜日)より0.5%(大手行で20.5%)
      3月25日以来 今年4回目
      背景
      原油価格の高騰(中東情勢の混乱 東日本大震災の影響) 賃上げ(沿海部は人手不足)
      インフレ(沿岸部で20% 内陸部で10%強) → 賃金上昇 → インフレの亢進 消費に減速感
4月15日(金) 中国国家統計局発表  3月のCPIは前年同月比5.4%上昇(2008年7月の6.3%以来 2年8ケ月ぶり高い伸び)
                政府の抑制目標4%を6ケ月連続で上回る
        消費者物価指数 4.9%[2月] 5.4%(3月)
        工業生産者出荷指数  7.2% 7.3%
        工業生産    14.9%   14.8%
        社会消費品小売総額 11.6% 17.4%
                1-3月のGDP 実質年率9.7%増(小幅縮小)
                1-3月の貿易収支 10億2000万ドルの赤字 4半期の赤字は7年ぶり
4月14日(木) ワシントンでG20財務相中央銀行総裁会議で人民元問題が争点に
4月14日 中国人民銀行 3月末の外貨準備高 前年同期比24.4%増の3兆447億ドル(約250兆円)
      為替介入を反映
      金余り 物価や不動産価格押し上げ要因との指摘
             日本は1兆1160億ドルで2位  
      2006年2月 日本の外貨準備を抜き世界1に
      2009年4月末 2兆ドル突破
4月13日(水) 上海外国為替市場終値 1ドル6.5340元(2005年7月以降の最高値更新)
4月12日(火) 上海外国為替市場終値 1ドル6.5403元 
4月6日(水) 中国人民銀行  2010年10月以来4回目の利上げ(2月9日以来 発表は4月5日) 0.25%(4月5日発表)
      貸出基準金利(1年)6.31%
      預金(同) 3.25%
中国利上げに転換 2010年10月19日 2010年12月25日 そして2011年2月9日 加えて4月6日で計4回

2011年3月
3月25日 中国人民銀行 預金準備率0.5%引き上げる 大手行標準で20%か
3月14日 全国人民代表大会閉幕
      新5ケ年計画採択(金利自由化を明記 ただし具体的手順触れず なお中国では預金保険制度は未整備) 
人口13億3900万人(2010年香港マカオ除く 2000年比7390万増加 年平均0.6%増 1990年代野1.1%に比べ半減 反面高齢化進む 65歳以上の人口は8.9% 都市人口比率10年間で36.6%から49.7%に上昇 大卒人口10万あたり8930人10年前の2.5倍) 新卒大学生 2000年107万人→2010年630万人に急増 ネット人口4億5000万人
温家宝首相 周小川中国人民銀行総裁
第12次5ケ年計画(2011-15 経済成長率目標7% 2011年については8% 安定成長への移行はかる 前計画06-10の目標7.5%:実際は実績は11.2%を達成より下げる インフレ抑制を最優先 今年の成長率目標は8%程度(10年実績10.3%) 今年の消費者物価上昇率は4%程度(10年実績3.3%)貧富の格差是正 住宅価格急騰を食い止める 穏健な金融政策()マネーサプライ増加率16%として昨年日1ポイント下げる(10年実績19.7%)
戦略的新興産業7分野を指定(省エネ・環境保護 次世代情報技術 バイオテクノロジー 航空機・高速鉄道など先端レベルの設備製造 新エネルギー 新素材 新エネルギー車)
2011年度の全国財政支出前年度比18.6%増の10兆220億元(過去最大約125兆円) 財政赤字は9000億元(前年度比1500億元小さい)
       GDPに対する財政赤字3%弱から2%に低下見込む
2010年の自動車販売台数30%増の1800万台2年連続世界1(国際ブランドシェア3割)
2011年 上海市 重慶市で不動産税(日本の固定資産税にあたる)導入 背景 投機:誰も住んでいない住宅が数1千万戸あるとも

3月11日 中国国家統計局 2月のCPI 前年同期比4.9%上昇(政府の抑制目標4%を5ケ月連続で上回る)

2011年2月
2月18日 人民銀行 預金準備率引き上げ発表 2月24日より0.5%大手行標準で19.5%か
2月17日 終値6.5732元
2月10日 一時人民元基準値1ドル6.5849元 3日連続で最高値更新(2005年7月元切り上げ以降の) 終値は6.5865元
2月9日中国人民銀行  基準金利0.25%引き上げ(2月8日発表) 昨年10月以来3回目(10月 12月)
      貸出基準金利(1年)6.06% 
      預金(1年) 3.00% 普通預金金利0.4%引き上げは2007年7月以来約3年ぶり
      実質マイナス金利解消急ぐ 年間の物価上昇率約5%にくらべなお不足

2011年1月
1月14日 1月20日からの預金準備率引き上げ発表0.5%引き上げ(2010年12月20日以来)
1月19日 ワシントンで米中首脳会談
1月19日 上海外国為替市場 午前の基準値 1ドル6.5885元 2005年7月以降の最高値更新
2011年以降の中国経済

0riginally posted in May 2, 2011
Reposted in June 13, 2011

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インドネシアが政策金利を引き上げた(2011年2月4日)

2011-05-03 16:03:39 | Area Studies
インドネシアが金利引き上げに転換(2011年2月4日)
2011年2月4日 政策金利引き上げ0.25%引き上げ6.75% 利上げは2008年10月以来2年4ケ月ぶり
2009年8月に6.5%に下げたままであった。
インドネシアの金利引き上げ
2010年9月3日 中央銀行 預金準備率5%を8%に引き上げ(11月から実施) 政策金利は6.5%に据え置く
       また11年3月から商業銀行預貸率を78%にする規制を導入した。

また2010年に一人当たりGDPが3000ドルを超えた。
2010年の実質GDPの伸び率6.1%(2011年2月7日 中央統計局発表)



20092010
一人当たり名目GDP2,337$3,015$
実質経済成長率4.5%6.1%
消費物価上昇率2.78%6.96%
失業率7.8%7.1%


人口 2億3000万人(世界4位 東南アジア連合の4割の巨大な人口) 
   人口は日本は12,805,026人であるのでちょうど1億人インドネシアが多い
   国民の89%はイスラム教。キリスト教は9%。
ユドヨノ大統領(2009年再選)第6代大統領2期目 経歴(日本の外務省のサイトより)
面積 1,919,440 平方km 日本の5倍 日本は377,914平方km
国営企業改革進める(株式公開など) 通貨ルピア

歴代大統領
ユドヨノ 2004/10-
メガワティ 2001/7-2004/10
ワヒド 1999/10-2001/7
ハビビ 1998/5-1999/10
スハルト 1967/3-1998/5
スカルノ 1945/8-1967/3


中東の民主化はどこまで進むか

2011-02-27 18:38:05 | Area Studies

チュニジア革命(2011年1月14日)
 中東のチュニジアTunisiaでは野菜売りの青年による、彼を侮辱し生活道具を取り上げた警官への抗議の自殺(2010年12月17日)を契機に起こった大衆によるデモによってベンアリ独裁政権が崩壊した(2011年1月14日)。ベンアリ政権は1987年以来23年間続いたとのこと。これはチュニジア革命、あるいはジャスミン革命jasmine revolutionと呼ばれている。
 その後の暫定政権にベンアリ大統領のもとで首相を務めていたガンヌーシが首相としてとどまっていたが、これには批判が高まり2月27日、ガンヌーシが首相を辞任。後任の首相にはカドセブシ元外相が就任した。

エジプト ムバラクの辞任(2011年2月11日)
 このチュニジアの動きが中東各国に飛び火した。エジプトEgypyでは、街頭での抗議活動が広がり2011年2月11日ついにムバラク(Hosni Mubarak)が大統領職を辞任した(エジプトが国有化しているスエズ運河への影響が懸念された)。ムバラク政権は1981年以来29年続いたとのこと。エジプトでは2月1日にムバラクが今季限りで辞任を表明したが、民衆はこれに納得せず、辞任に追い込まれた形。軍の最高幹部会議が全権を掌握したとのこと。
 ただここで浮上したスレイマン副大統領Omar Sleiman, the vice-president(1月29日にムバラクが任命)でエジプト国内が収まるかは微妙だ。スレイマンは長く諜報機関(総合情報庁)の長官を務め、アメリカ寄りと見られている。ムバラク政権維持のための弾圧にも加担していたはずの上、国民の間に根強い反米感情を体現出来ない人物ではないだろうか。
 その後、注目はリビアに移っている。リビアLibyaのカダフィ(Muammer Qaddafi)政権は1969年以来実に41年間続いているとのこと。そして今回の民衆蜂起では、どうも多数の犠牲者がでていることも問題にされている。
 なお中東で民衆蜂起が続く背景には、小麦など食糧価格の高騰があるとも指摘されている。
 債券から株式へ あるいは先進国から新興国へと流れていた 投資家マネーの逆流が始まるとも指摘されている。商品価格・金価格の高騰、株価の下落、先進国の債券の上昇(金利の低下)。なおリビア情勢を受けてサウジは欧米に配慮して原油の緊急増産に踏み切ったとのこと(2月25日までに原油生産量を70万バレル以上増やし900万バレル超に引き上げたとのこと これはリビアでの混乱により日量130万レベルとされるリビアの原油輸出への懸念がでていることへの措置とされる)。

中国に波及するか
 なおこうした中東情勢を受けるかのように、中国でも民主化を求めた集会の呼び掛けが繰り返し行われたが、この呼びかけは、政府の厳しい取り締まりを受けている。集会のよびかけは2011年2月20日(日)には13都市で、また2月27日(日)には18都市について行われた。政府はこれに対して徹底した取り締まりで臨んでいる。香港の人権団体は全国で1000人以上が拘束を受けたと発表。2月20日当日、北京、上海、ハルピンでは集会参加者が拘束される姿が、海外メディアにより目撃された。その後 21日に四川省と紅蘇省で国家政権転覆扇動の疑いで男性2人が拘束。24日には四川省の作家、由雲飛氏が同じく国家政権転覆扇動の疑いで拘束された。
2011年7月が共産党創立90周年にあたること、2011年10月が辛亥革命100年にあたることなど、2011年が記念すべき節目の年であることも重なり、中国政府は、社会の安定に向けて、思想面の取り締まりを強化せざるを得ないのかもしれない。
 天安門六四事件
 CNN 21st anniversary year of Tiananmen Square

 


ロシアの 暗いイメージ と サハリン開発

2011-01-09 22:07:23 | Area Studies
マイナスイメージとしてのスターリン下の虐殺
 Hotel Rwanda(2004)は1994年にルワンダで起きた一部のフツ族の扇動によりツチ族が100万以上虐殺された事件に際し、高級ホテルの支配人だったフツ族の主人公がホテルに避難してきた1000人以上の人々を守った実話の映画化。アフリカでは2003年以来、スーダンのダルフールでアラブ系住民による非アラブ系住民虐殺が伝えられる。またナイジェリアでは逆にキリスト教系民族によるイスラム教徒虐殺事件が頻繁に伝えられる。
しかし虐殺はアフリカだけのことではない。アジアでも1975年から79年にかけてベトナムに支援されたカンボジアのポルポト派により、都市住民を中心に100数十万人が虐殺されたことは記憶に新しい。日本でも1923年の関東大震災下の東京において、流言蜚語が原因になって民衆が組織した自警団による朝鮮人数千人の虐殺が生じたこと、憲兵隊や警察が甘粕事件や亀戸事件などアナキストや社会主義者を虐殺する事件が起きた。
また1937年12月に日本軍が南京で起こした南京事件では多数の中国人無差別虐殺が行われたことはほぼ疑う余地がない。残念ながらこの事件を頑強に否定する日本人がいるのは、ドイツのナチス政権下でのユダヤ人虐殺を捏造とする一部の主張とよく似ている。確かに歴史にねつ造は多く、私たちはその場にいたわけではない。しかし証言や書証から事実は動かしがたい。
 中東ではあまりに多くの血が流れている。2006年3月に米海兵隊が2005年11月イラク西部のハディサで無実無抵抗のイラク一般市民24人を虐殺したことが表面化した。2006年6月にはグアンタナモ基地で3人の自殺者が確認された。
 そしてイスラエルがいる。2006年7月30日にレバノン南部のカナでイスラエル軍の空爆により集合住宅が破壊され避難していた民間人56人が殺害された。カナは1996年4月18日国連レバノン暫定軍本部(UNIFIL)がイスラエル軍により襲撃され、避難していた民間人106人が殺害された「カナの虐殺」と呼ばれる事件があったところでもある。
 イスラエルは2006年7月25日にはUNIFILの監視所がイスラエル軍の空襲を受け各国(中国 カナダ オーストラリア フィンランド)から派遣された監視兵4名が殺害され、国際的非難が高まる中で今回の虐殺を行なった。イスラエル軍がやっている兵器の面での優位に頼って非戦闘員と戦闘員の区別をせずに相手を抹殺する行為は、常軌を逸している。
イスラエルーアメリカへの非難が高まるタイミングで、2006年8月ロンドンから空港テロを未然に摘発したというニュースが伝わった。この摘発のタイミングは、イスラエルーアメリカへの国際的非難を弱めることになった。2001年9月11日の事件のあと、欧州をみると2004年3月のマドリード、2005年7月のロンドンと確かにテロ事件が起こっている。
 ただ誰がなんの目的でこれらの事件を起こしたかは今も解明されていない。9月11日の事件そのものについてさえ謀略説が消えないし、その後の事件にもこのような不透明さがある。
 こうした中で2006年12月26日イラクではフセイン元大統領を含む3人の元政府高官への死刑が確定し死刑執行の様子がネットを通じて流された。フセインが国内で反対派を弾圧したことは事実でありフセインが国内で恨みを買っていることも事実だろうが、米英の事実上の占領下にあるイラク政権下の「裁判」で見せしめにも似た死刑判決は、正しいこととは思えない。フセインに対して私は個人的に好悪の感情はないが、現在の状況で「裁判」を強行したのは歴史的には汚点として残るのではないか。
 よく知られているようにフセインはイラクでは少数派のスンニ派出身である。イスラム教徒は、ムハンマドの娘婿であるアリーとその子孫のみをムハンマドの正統な継承者とするシーア・アリー(要するにアリー派)と、聖職者集団を頭目に掲げたスンニ(慣行)派とに大きく分裂している。スンニ派はイスラム神秘主義とも深く結びついているともされその中は多数の小集団に分かれている。イスラム教徒全体ではスンニ派が多数派だが、イラン、イラク、レバノンは例外的にシーア派が多数派を占めている。フセインはそのイラクにあって、スンニ派を重視する政策をとり、多数派であるシーア派の恨みを買った。アメリカはシーア派のイランにおけるイスラム革命が国際的に波及することを警戒して、フセインを支援した時期があるとされ、フセインの口を封じたともいえる。本当の犯人は誰なのだろうか。誰がこの混乱の責任者なのだろうか。 
 
 しかし流された血の量で判定するのは無謀だが、歴史的にもっとも大規模な虐殺はスターリン(1879-1953)政権下のソビエトで1930年代以降に生じたものでその犠牲者が数千万を超えることは間違いないようだ(なお1960年代から1970年代中ばにかけての文化大革命期に中国においても大規模な虐殺があったとされる。一部の文献はやはり数千万という数値を挙げる。同様に中華人民共和国建国族初期にも相当数の虐殺があったと思われる。しかし正確にどのようなことがあったかについては不明な点も多い)。またスターリン統治下では、カチンの森事件などポーランド人虐殺が生じ、収容所では過酷な取扱いの中で枢軸国側捕虜多数が亡くなっている。スターリン体制下の虐殺については第二次大戦後、フルシチョフ(1894-1971)がスターリン批判(1956)を行ったがなお真相究明には遠かった。このような大量虐殺は、歴史の中ではしばしばみられる。しかし、スターリン体制下の虐殺ほど規模の大きなものはなかったといわれている。もっともフルシチョフが1964年10月に失脚すると時代は一度は逆転し、レオニード・ブレジネフのもとで東西冷戦は高まりをみせた。スターリンのもとでの事実の解明はあと回しになった。チェコスロバキアにおける民主化の動きが弾圧された「プラハの春」事件(1968)あるいはアフガニスタンへの武力侵攻(1980)など多くの悲劇はこのブレジネフの時代だった。
 しかし同時にソ連の知識人たちが公然と体制に異議を唱えその動きが西側諸国に伝わり始めたのもこの時代だった。アンドレイ・ソルジェニーツィン(1917-2008)が自らの経験を踏まえ、矯正収容所の実態を赤裸々に明らかにした小説を発表し、ノーベル文学賞(1970)を受けるもついに1974年に国外追放になったのもこの頃だった。あるいは著名な物理学者アンドレイ・サハロフ(1921-1989)はアフガン侵攻(1980)に抗議しただちに流刑になったのであった。またジョレス・メドベージェフ,ロイ・メドベージェフ兄弟によるスターリン体制批判の著述も、西側諸国の知識人に広く読まれたことも記憶に新しい。
 このスターリン下の悲劇を考えると、思想的な多元性というものを尊重することが人権尊重の基盤になることを強く意識せざるをえない。絶対に正しいとかこれは間違いないとといった考え方にはどこか危ういところがあるとすべきだ。

ゴルバチョフ登場からプーチン登場まで
 スターリン・ブレジネフ体制の終焉は、ミハエル・ゴルバチョフ(1931-)の政権掌握(1985)とペレストロイカ(改革あるいは再構築)、グラスノチ(情報公開)というその政策の展開によってもたらされた。ただしその終幕はボリス・エリツィン(1931-)の大統領就任後(1991/7-1999/12)の展開になった。まず米ソ戦略兵器削減条約の調印(91/7)、保守派クーデター失敗・共産党解散(91/8)、独立国家共同体への移行(91/12)が続いた。エリツィン統治下でロシアは急速に市場化を進めた。またロシア西南のチェチェンへのロシアの武力侵攻(一次1994/9-96 2次1999/7-)という新たな問題も抱えた。チェチェンは1991年独立国家共同体への参加をせず独立することを表明、ロシア政府との交渉を重ねたが1994年に至ってエリツィンは武力侵入で独立派を押さえ込もうとした。チェチェン側はこれを一端は退ける。しかしエリツィンは1999年7月に再び侵攻する。そして市場経済への急速な移行とこうした武力政策への不満が内外で高まるなか、エリツィンは1999年12月、ウラジミール・プーチンを後継大統領に指名し辞任した。2000年プーチン政権はチェチェンについて中央政府による直轄統治を宣言するが、このように力で独立を押さえ込もうとするロシア政府に反発するテロがロシア国内で頻発する事態となる。チェチェンの人口は100万人程度。これに対してこの間の犠牲者は20万人を超えるとの指摘もある。

ロシア経済の回復
 他方で2000年に入るとロシア経済は、資源価格の上昇とともに回復する。これを受けてロシア政府は資源については、独占的な国有会社の権限を強化し、その力を内外の政策に利用するようになる。その中で2003年にはユーコス事件も生じた。新興財閥のホドルフスキーを逮捕・起訴。その石油大手会社ユーコスに追徴課税して、国営石油会社のロスネフスチ(06年7月 新規株式公開)に中核子会社を売却させる措置を取った。これは力を蓄えた新興財閥に対する牽制だったのだろう。
 他方で天然ガス独占のガスプロム。1993年2月設立。ロシアの石油ガスの8割以上抑えるにまで育成。外国の批判を受けて06年1月 外国人による株式取引を自由化した上で06年7月ガスステーションなどを運営するロスネフスチは新規株式公開。政府の保有比率を51%に下げ海外石油大手に株を入手させることで閉鎖性批判に対応している。2006年11月 ロスネフスチとガスプロムの両社は包括提携。このほかアルミやチタンでもロシアは巨大国有会社を育成し、資源を抑える戦略を明確にしている。2007年3月には米アルコアを抜く世界最大のアルミ会社ロシースキーアルミを発足させている。
 ガスプロムは2006年1月 NATO加盟に動くウクライナに対し5倍の値上げ要求。ガスの一時供給停止。7月に再度値上げ通告。06年12月にはベラルーシに4倍以上の値上げ通告。ベラルーシは輸送停止で対抗。ベラルーシとの間では05年12月にも2倍値上げ。など資源外交の一端を担っている。もちろんこれまでが安かったといった言い分がガスプロムにあるにせよ、冬場に有無を言わせぬ値上げ要求はおだやかではない。またガスの生産量が減る中で2006年10月にはシュトクマンのガス油田開発で外資との交渉を打ち切った。
 他方ロシア中央銀行はドル離れを進めている。05年にはルーブルのドル連動性廃止。06年にルーブル取引に関する流通規制撤廃。05年頭には7割だった外貨準備に占めるドルの割合を06年6月には5割程度にまで下げてユーロ資産増やしている。国内ではなおドル表示多いが、貿易でのルーブル建て取引の普及やドル離れを演出している。なお国内金融機関が弱体なためルーブル決済に移りにくいされている。
ところで2006年10月、チェチェン戦争についての報道でプーチン政権を厳しく批判してきたアンナ・ポリトクフスカヤ記者が何者かによってモスクワ市内で暗殺された。ロシア政府は独立系のメディアに圧力をかけ、国際NGOの多くに活動停止命令を出しており国内の政権批判を力で押さえ込む姿勢を鮮明にしている。チェチェン戦争によってロシア国内の言論の自由は、深刻な危機にある。しかも事件はこれで終わらず11月に入ると元KGBスパイでロシア政府批判を続けていたアレクサンドル・リトビネンコがロンドン市内で毒を盛られ入院したものの亡くなった。放射性物質のポロ二ウム210が原因とされ英検察は実行犯のルゴボイ容疑者を特定した。そして容疑者の身柄引き渡しを07年5月にロシア政府に要求。7月にロシア政府が拒否したのを受けてロシア外交官4人の国外追放に踏み切っている。
もっとも2004年にウクライナで起きた大統領候補ユーシェンコの暗殺未遂事件でさえ、野党側が選挙戦を有利にするために噂を仕組んだとの説もある。つまりこれを今回のケースにあてはめると犯人はロシアの秘密警察でなく別にいてその目的は、プーチンを貶めることという可能性はないわけではない。2007年7月にIOC総会に乗り込んだプーチンが、2014年の冬季オリンピック開催地にロシアのソチを決選投票で逆転して選出させた手腕は見事でロシア国民の多くが彼を支持していることは事実もある。しかしリトビネンコ事件が、極めて不可解な事件であることは間違いない。
 ところでロシアと日本との関係では、自動車メーカーなどがロシアに進出する動き(2007年12月 サンクトぺテルブルクでトヨタが工場稼働 年2万台 中型車・大型車中心 日産自動車が2009年春 またスズキが2009年秋に それぞれサンクトペテロブルクに工場稼働予定 フォード、ルノー、GMはすでに2002年に現地工場を稼働)やサハリンの石油・天然ガスの開発事業に今関心が集まっている。それに影を差すのがこうした政治的な不透明なあるいは強引とも見える事件である。
 原油価格を追い風とする経済回復 個人消費の伸び
 人件費の割高さ 公務員の汚職 輸入増による貿易黒字の縮小 ルーブル安によるインフレ懸念 資本の流出
 2011年内のWTO(世界貿易機関)加盟を目指している。

むすび サハリン開発について
 2006年9月、日本の三井物産・三菱商事などが英蘭ロイヤルダッチシェルと組んでサハリン島沖で行っている石油ガスプロジェクト・サハリン2について、ロシアの天然資源監督局は工事承認取り消し決定を下し波紋を呼んだ。ロシアは資源問題で供給側としての立場を利用して権益の拡大を目指しているようだ。サハリン2はロシア企業が絡んでいない点が、政治的な弱点とされ、2005年にシェルは自身の権益のおよそ半分をロシアのガスプロムに譲渡することで合意を図った。しかしロシア政府は、さらに外資の権益を半分以下に押さえ込むことを求めた。
 サハリンのプロジェクトについてはもともとパイプライン敷設による環境破壊問題が指摘されていたが、2008年にも液化天然ガスの供給を期待していた日本の電力会社は調達計画の見直しを一時迫られた。この問題は2006年12月、ガスプロムに過半数の株を譲渡することで決着がついた。このようにプロジェク完成間近になってのロシア政府の介入もあり、ロシアからのエネルギー供給に日本の産業界では警戒感は高い。
 サハリン開発周辺が穏やかでない背景には2007年の議会選挙、2008年の大統領選挙を控えて、プ-チン政権周辺が資源ナショナリズムを煽っていること、またロシア側からみれば、この事業はロシアの混乱期にロシアに不利な条件で開発が進んだものだという背景がある。事業費が高騰するほど、ロシア側が権益の回復が遅れるロシアに不利な仕組みで、そのことへの苛立ちがあったとされる。ロシア側の視点からみれば、状況の変化に合わせ、より主導性を回復して、開発にあたりたいという思いが強いのであろう。外国資本の比率をいかに下げてゆくかが課題とされている。その気持ちは分からなくはない。
 サハリン沖ではこのほか伊藤忠商事・石油資源開発がエクソンと組んで行っているサハリン1が稼動しており、2005年から石油の輸出が日本向けに始まっている。問題は天然ガスの輸出方法で日本は液化天然ガスでの輸入を希望しているが、その場合は液化プラントを現地に建設する必要がある。天然ガスをマイナス162度まで冷やすと液体になり、体積が約600分の1に減るため、効率的な輸送が可能になる。サハリン2ではすでにロシアで唯一とされるLNG基地を建設中でその点からも注目される。なお原油生産は1999年からすでに開始されている。
サハリン1の主導者であるエクソンは中国に向けてパイプラインを建築してガスを輸出する構想であった。このほかサハリン3から6までの鉱区がサハリン周辺で設定され開発計画が進められており、サハリンは世界有数の石油・天然ガス開発地域に変貌しつつある。
 サハリン2(当初は外資だけ その後2007年にガスプロムが参加 ガスプロム ロイヤルダッチシェル 三井物産 三菱商事が参加 日本政策金融公庫 民間銀行団が融資)について、シェルなどは事業開始を優先。2007年春にガスプロムに対し権益の50%プラス1株を譲渡。最終的に2007年11月26日に天然資源省はサハリンエナジーが提出した第3者機関による環境改善計画を承認 1年以内の完工で合意が成立した(鉱区から積み出し基地まで原油と天然ガスのパイプラインの建設が2008年10月末にほぼ完了した。2009年4月6日 サハリン2で産出した液化天然ガスを搭載した最初のLNG船が日本に到着した。LNGの現在の最大の供給国はインドネシア。しかし同国での産出量が減っているため同国は2011年以降の供給削減を決定。サハリン2のタイミングは日本にとり都合がよかった。なおサハリンにはインドや中国も関心を寄せており、今後取り合いになる懸念がある)。
 サハリン1(最大株主はエクソンモービル 1999年から若干の原油を産出 原油の本格生産は2006年10月から 日本と韓国に販売)についてロシア側は全量を政府系ガスプロムに販売することを認めなければ天然ガスの商業生産を認めないと主張して、交渉は暗礁に乗り上げた。交渉のもうひとつの論点は買取価格でガスプロムは安値での買い取りを主張した。エクソンモービルも粘ったため、この交渉がまとまらないまま、ガスプロムはハバロロフスクとウラジオストクのパイプライン建設が2009年7月末に開始した。このガスの扱いについては、ガスプロムとロシア政府との間にも意見の相違がある。ロシア政府は国内需要を優先するとしており、中国との契約に難色を示している。

ロシアの有名企業
○石油・ガス ガスプロム:世界最大の天然ガス独占企業 ルクオイル(ルコイル)LukOil:石油の掘削・開発 タトネフチTatneft:石油の掘削・開発、ルコイルの4分の1程度の規模だがNYSEに上場 トランスネフチTransneft:パイプライン敷設 ロスネフチRosneft:石油開発精製、石油ステーション
○鉄鋼 セベルスターリ メチェル エブラズ
○非鉄金属 ルスアル(ルサールRusal) ノリルスクニッケル
○飲料 ウィンビルダン レドヤンスキー マルトン(コカコーラ)
○航空 アエロフロート航空 シベリア航空 ロシア航空
○通信 ロステレコム システマ ヴィンベル
○携帯 モバイルテレシステム ヴィンベル メガフォン

Written by Hiroshi Fukumitsu. You may not copy, reproduce or post without obtaining the prior consent of the author.
originally appeared in Aug.10, 2008
corrected and reposted in January 9, 2011

2010年のロシア経済
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中国人民銀行が本年2度目の利上げを発表(2010年)

2010-12-29 17:29:19 | Area Studies
中国人民銀行は2010年10月19日 利上げを発表し、公式に金融政策を転換した
Hiroshi Fukumitsu
 
 中国人民銀行は金融緩和政策を転換。2010年10月20日、利上げを実施した(決定発表は10月19日 貸出と預金の基準金利を0.25% 利上げは2年10ケ月ぶり)。その後、市場の関心は中国人民銀行が、いつ2度目の利上げを行うかに集まった。

2010年12月25日、中国人民銀行は本年2度目の利上げを発表した
 2010年12月25日(土)、中国人民銀行は2010年になって2回目、2ケ月ぶりの利上げを発表した(貸出と預金の基準金利を0.25% 26日から実施)。12月27日(月)の上海総合指数は午後に入って急落。終値は2781.402と2ケ月半ぶりに2800を下回った(先週末比1.9%安)。元相場は(利上げをすでに織り込んでいるとして)先週末比0.06%安(小幅安)の1ドル6.6308元で引けた(元相場は11月11日に2005年7月以降の最高値の6.6257元を付けている 2011年1月の胡錦濤国家主席の訪米を控え中国が元高を許容するとの観測がある)。
 背景には海外からの資金流入の加速でインフレ(11月の消費者物価上昇率は前年同月比5.1%上昇 2年4ケ月ぶりに5%台の高い伸び なお庶民の間では物価上昇の実感はこれを上回っているとの指摘がある)や不動産バブル(主要70都市の不動産価格は11月まで3ケ月連続で前月比上昇)の懸念が高まっていることがある。12月12日に閉幕した中央経済工作会議(党と政府によるもの)で金融政策の基本方針を「適度に緩和的」から「中立に近い穏健」に転換することが決まり、市場では早期に利上げが行われるとの観測が高まっていた(2011年7月に中国共産党は結党70周年を控え、中国は社会の安定を強く必要としている)。

2008年秋以降の金融緩和政策が転換された
 中国人民銀行は2008年秋以降、金融緩和政策を続けてきた。たとえば通常は金融引き締めに使う窓口指導を2008年秋以降、融資残高の目標を決めてうながすなど積極的な金融緩和で景気回復を演出した。また人民銀行は、2008年人民元の相場固定以降の相場維持のための市場介入を行うことで市場への資金供給を続けてきた。中国人民銀行はこの両面から市場に資金に供給してきた。
 こうした金融緩和政策は景気回復に役立った半面、株式不動産バブルなど副作用も顕著になっている。そこで2009年秋以降、中央銀行手形による資金吸収、窓口指導を通じた選別のほか。2010年に入ってからは、預金準備率の引き上げなど、人民銀行はすでに過剰流動性の吸収に乗り出していたとみられる。
 しかしこれが金利の引き上げまでゆくと、景気の中折れの懸念があった。そうでなくても今回の景気回復は、富裕層を中心とする高額消費の伸びであって、一般大衆の消費は落ち込んだままとされる。すなわち一般大衆の賃金が十分上がらないなかで、食料品などが値上がり。一般大衆は消費を抑制していると指摘される。だとすると一般大衆の賃金があがるところまで景気回復を持続させないと、つまり早い段階で景気が後退すると格差の拡大が広がる恐れが高かった。

利上げへの決定と実施(2010年10月19日決定 10月20日から実施) インフレ抑制に強い姿勢
 2010年10月の利上げ決定は、こうした懸念よりも、インフレ抑制が急務になったことを示している。背景にはCPIの年間の抑制目標値3%を7月8月と連続で超えたことと不動産価格上昇のきざしがあった。預金準備率引き上げに加え、政策金利の引き上げ(0.25% 従来は0.27%刻みだがこれを国際標準にしたとのこと)に踏み切り、不動産市場などでのバブルを抑え込もうとしたものである。
 2010年10月19日(火) 中国人民銀行は2007年12月以来、2年10ケ月ぶりの利上げを決定した(期間1年の基準金利 貸出が5.56% 預金が2.50%)。このタイミングは10月18日(月)に習近平国家副主席を次の最高指導者にする共産党人事が固まったこと(第17期中央委員会第5回全体会議 5中全会)を受けたものと考えられる。胡錦濤政権は「調和社会の実現」という課題を習政権に託することになった。

 2010年6月の元相場弾力化発表以降、ゆるかやな元高を容認して、輸入物価を通じてインフレの抑制を図っていた。中国共産党は10月27日に発表した第12次5ケ年計画(2011-15年)のなかで、成長と見合った家計の収入の増加、環境対策の推進などを打ち出した。中国は新しい経済成長モデルを提供しているとの評価があるが、民主化の停滞を中国の経済成長のリスクとしてとらえる見方も根強い。こうした中で、インフレの抑制により民衆の不満を抑えることが、重要な政策課題になってきたと考えられる。(インフレが国民の不満につながる面と、賃金が上がりコストが上昇して企業活動に打撃を与える面の両面を見る必要がある また賃上げには内需を高める側面もある)
 なお北京コンセンサスというのは、一部の中国研究者が、中国の経済モデルに付けた名称である。

 ワシントンコンセンサス (他国に対して) 民主化を促す 緊縮財政 市場経済化 
 北京コンセンサス(ステファン・ハルパー)(他国に対して)内政不干渉 (自国における)民主化の抑制 高成長の実現 専制体制のままで資本主義の利益を実現
 エコノミスト2010年5月8日の翻訳

2010年3月 不動産バブル、物価上昇などの行き過ぎが表面化 経済政策についての合理性重視
 2010年3月10日不動産価格発表。住宅バブルやインフレの懸念。2010年2月の主要都市70都市の不動産販売価格は前年同月比10.7%上昇 9ケ月連続の伸び1月の9.5%を超える。ここに景気過熱を抑制する意味で金利の引き上げ論が出てきた。
 2010年3月11日消費者物価発表。消費者物価の上昇率(2010年2月)が前年同月比で2.7%上昇(今年の目標の3%に近い 2009年11月にプラスに転じ4ケ月連続の上昇 上昇率は2008年10月の4.0%以来 食品の値上がりの側面 これは一般大衆にとって負担が重い。2010年2月の消費者物価上昇率は1年物の定期預金金利現行2.25%を上回っている。つまり金利が低すぎるのではないか。
 金利引き上げを許容するもう一つの理由は、2009年の経済成長率が一応政府の目標を達成したことにある。2009年の実質成長率は目標8%に対して8.7%となった。2008年秋の金融危機にもかかわらず、景気回復背景には2008年11月発表の4兆元の景気刺激策にせよ、人民銀行の金融緩和政策も貢献して目標は達成された。そこで金融緩和がバブル発生などの問題にいたっているなら、今が政策修正のチャンスだといえる。
 2010年3月の全人代でも8%前後成長の目標化掲げる状況で金利引き上げは個人消費抑制につながる不安がある。消費よりも貯蓄に流れるとも。こうした不安はとくに政府側に強いようだ。。
 2009年11月末の融資残高は39兆5900億元に対し、2010年の人民元融資残高の増加額の目標は7兆5000億元(約97兆5000億円 09年実績の9兆5900億元よりは抑制 09年当初目標の5兆元よりは大きい)と置かれているが、人民銀行はもっと小さな値を主張して政府側に押し切られた。つまり景気の先行きへの懸念を中国政府は強く抱き、人民銀行はそれに譲歩してきたといえる。
 それだけに2010年10月以降の金利引き上げは、人民銀行側の懸念が、政権内部でも共有されるようになったことを反映しており、中国の経済政策が、官僚により一定の節度をもって展開されていることを示唆している。 

利上げ転換前後の預金準備率引き上げ(10月 11月に2回 12月)
 2010年に入り人民銀行は余剰資金吸収のため預金準備率の引き上げを2回引き上げている(2010年1月12日0.5%引き上げ 大手金融機関で16%に:大手銀行に限定した引き上げとのこと。引き上げは2008年6月以来1年7ケ月ぶり。実施は1月18日から。続き2月12日にも0.5%引き上げ大手金融機関で16.5%になる)。 
 2010年10月12日 さらに一部の大手行を対象に預金準備率引き上げ(0.5% 10月11日発表)。その後、10月20日の利上げを経て、11月10日発表(16日実施0.5%:投機資金流入に対応)、11月19日発表(29日実施0.5%:今年2回目)、12月10日発表(20日から0.5%)にも預金準備率を引き上げた。背景には住宅価格の上昇、消費者物価の上昇率などが顕著であることがある(2010年10月は前年同月比4.4%上昇:2年1ケ月ぶり、2010年11月は前年同月比5.1%上昇:2年4ケ月ぶり 7月から5ケ月連続で政府目標の3%を上回る)。これを受けて銀行間金利(上海銀行間取引金利の上昇がみられた)。
 2010年12月3日の政治局会議で金融政策の方針を「適度に緩和的」から「穏健」に変更(その後、この方針は12月12日二閉幕した中央経済工作会議でも確認された)。また中国人民銀行では窓口指導での選別の指導も行った。こうした流れのうえで10月20日そして12月27日と2度にわたる金利引き上げが実施された。
 
 さらに中央銀行手形を発行して余剰資金吸収に努めている(市場オペ)。3月18日には1300億元(約1兆7000億円)発行。これは1日の発行としては過去最大。この手形には金利がつきこの金利の操作(変更)も一つのサインとみられる。
 3ケ月物。2010年1月に引き上げ。約1.34%→約1.37%

住宅ローンに対する規制(2010年4月と9月末)
 2010年4月半ば以降 個人が2軒目以降の住宅を購入する際の頭金比率を50%に引き上げ→投機目的の購入が一時期抑える効果があった(5月ー6月 伸び率4毛月連続で抑えられる)。
 2010年9月29日 不動産取引規制(頭金の引き上げ 1軒目で頭金30%以上 3軒目購入以降の住宅ローン停止)。しかしこの規制は4月の規制を強化しただけであったため、評価されなかったとされている。

 同じような状況に人民元の問題もある。
 現在、人民元相場は事実上固定されている(2005年から2008年にかけて2割元高へ。その後は金融危機で企業の業績悪化し1ドル6.83元前後に固定している。)。これに対して貿易不均衡を理由に海外から引き上げ圧力高い。ところが、中国は米国債の最大の買い手。(元高にすればドル建て資産の目減りを招くという中国の懸念に米国は正面から答えることができない。)そして相場を維持するための介入により国内に生まれた過剰流動性が、不動産バブル、インフレの温床になっている。これを受けて中国国内にも早期切り上げ論。
中国国内でも人民元切り上げ論あり。ところが中国国内では商務省が輸出企業の利害を代表して切り上げに強力に抵抗。妥協できない状況にある。2010年4月現在1日あたり5%以内としている変動幅拡大で米国と妥協の図る可能性が議論されている。
 つまり金融緩和政策にしても、人民元の相場にしても、中国国内の議論も割れており、人民銀行の選択肢の幅は極めて狭いものだった。
 その後、中国政府は、2010年6月に人民元の弾力化、そして2010年10月に利上げへの転換に踏み切ることになる。

 originally appeared in April 12, 2010
corrected and reposted in October 31, 2010, December19, 2010 and December 29, 2010

(2010年6月19日)中国 人民銀行による人民元弾力化強化
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韓国述坪島に対する北朝鮮軍による砲撃(2010年11月23日)

2010-11-27 10:04:37 | Area Studies
2010年11月23日、韓国の述坪島(ヨンピョンド)が北朝鮮から砲撃を受けた。この砲撃は11月22日から韓国軍が行っていた演習をけん制するためともとれる。北朝鮮側は韓国から最初の砲撃があったとも主張している(時間経過としても演習による韓国軍の発砲射撃のあと、砲撃が始まったという報道もあった)。疑問が残るのは、韓国軍が砲撃を受け、市民の住宅にまで被害を出しながら十分な反撃を加えなかった点である(反撃開始に13分を要したこと=射撃準備がでていなかったこと 北朝鮮の170発に対し約80発を返したのみで反撃を終えたこと:なおヨンピョンドに着弾した数は80発程度で見合っているようだ 敵に与えた被害が不明であること 空中戦や空爆など戦闘拡大を避けたこと 韓国軍の対応には反撃を最小限にする意図がむしろ見えるが疑問が多い 韓国はK-9自走砲という国産の武器で戦った ところが6両のうち3両が故障で動かなかったという信じがたい整備状況だった 北朝鮮が使用した武器はなお分析中だが、当初の話では海岸沿いの砲台から海岸砲を使ったということであった)。今回の砲撃で民間家屋が多数焼失し、兵士が2人また民間人2人も亡くなり多数の重軽傷者も出ているなどの被害を出した韓国は米国と協議。11月28日から12月1日までの米韓合同演習を予定通り行うことになった。この演習が、北朝鮮を刺激することを心配する意見もある。

 2010年3月26日、韓国巡洋艦「天安」(チョンアン)が爆発沈没した。乗員104名のうち46名が犠牲になったこの事件の原因については、陰謀説がしばらく消えなかった。とくに騒がれたのは米原潜コロンバスとの相討ち説。コロンバスは沈没したというもの(それを米軍が隠しているというもっともらしいお話)。しかし原潜の沈没という重大な事故を隠すというのは信じがたいことであり、報道をつなぎ合わせるとコロンバスは5月3日にハワイに無事戻った、つまりこの話は根拠なき誤報とみてよいようだ。
 改めて地図をみると「天安」(チョンアン)の爆発沈没事件が起きたのは、ヨンピョンドからさらに西北に黄海上を移動した位置にある白翎島(ペンニョンド)付近。ヨンピョンドもペンニョンドも、北朝鮮にすれば、45度腺を北に超えたところで、南北朝鮮軍が対峙するところ。両事件とも北朝鮮がワザと起こしたという解釈も確かに可能だ。

 しかし韓国軍の行動には疑問が残る。2010年3月の「天安チョンアン」については、韓国はこの危険がわかっている水域で、なぜみすみす攻撃を許したのか(警戒が不十分だったのではないか)という疑問がある。また今回2010年11月のヨンピョンドについては、攻撃されるだけで十分な反撃をなぜ行わなかったのかという疑問がある。そもそも反撃開始に13分もかかるというのは一体何なのだろうか。敵に十分な被害を与えたか確認もせず反撃を終了したのも理解できないところだ。局地的な戦闘が、全面的な戦争になることを恐れているのか、韓国軍が多数の犠牲を出しながら反撃を十分に行わなかった理由は今一つ理解できない。

 なおチョンアンの事件に対する米国の反応が北朝鮮を追い詰めたとする解釈もある。チョンアンについての国際調査団(米国 オーストラリア 英国 スウエ―デンの民間団体が参加)の報告が記者発表されたのが5月20日(なお9月13日に最終報告書が出ている)。この発表を受けて、米国政府は北朝鮮に対して、金融制裁に踏み切っている。
 まず8月30日に8団体4個人を指定。
   10月23日に1社を追加指定。
   11月18日に2社を追加指定。
 この米国の金融制裁が北朝鮮の現政権を追い詰めて、自暴自棄といえるヨンピョンド砲撃に至ったとする解釈がある。つまり2つの事件は、米国による北朝鮮政策の硬化を通じて結びつくする解釈である。

 2010年11月に入り、北朝鮮を訪問した米国の核物理学者に、北朝鮮が最新の核燃料の濃縮装置を示したのも、同様に追い詰められた北朝鮮が最後のカードを切ってきたという解釈がある。
 しかし私は、北朝鮮が追い詰められているにせよ、砲撃準備も燃料施設の整備も、かなり長い時間スパンで用意して一定の成果を上げつつあると感じている。冷静にその到達度を評価すべきだと思う。
 砲撃は北朝鮮が臨戦態勢にいまなおあり、常に銃口を本気で韓国に向けていることを示すもの。核燃料施設は、乏しい国家資源を考えると、国家の生き残りをかけて核燃料の濃縮に入る準備が整ったことを内外に宣言するもの。
 確かに一般国民が貧しい独裁国家だがそれを強調するあまり、その軍事力や核開発力を過小評価すると、私たちがケガをするのではないだろうか。



中台経済協力枠組み協定締結(2010年6月29日)

2010-11-19 17:42:31 | Area Studies
1988年   本省人(日本統治時代からの台湾住民とその子孫)である李登輝が総統に就任
        中華民国の台湾化・民主化進める
1996年   初の総統選挙で李登輝が総統に就任
1999年   二国論
2000年5月 陳水扁が総統に就任
2002年8月 一辺一国
2005年3月 中国が反国家分裂法制定
2005年4月 北京で国共トップ会談
2007年6月4日 馬英九氏 台湾紙に中国の民主化求める寄稿
2007年9月15日 台湾で台湾名義で国連加盟訴えた大規模デモ
2008年3月 総統選 国連加盟をめぐる住民投票は(民進党提案 国民党提案ともに)投票率低く成立せず
2008年5月 馬英九が総統に就任
2008年7月 中台直行チャーター便の定期化実現(週4日運航)
2008年7月 中国人観光客の台湾観光を解禁
2008年7月4日 中台直行チャーター便運航始まる
2008年9月 一種の特別な関係
2009年1月 オバマ政権発足
2009年6月30日 台湾経済部 中国企業による直接投資受入れを解禁発表(7月1日から)
        計100分野(全業種が400分野)が対象 中国企業の直接投資解禁は1949年の中台分断以来初めて。
        投資審議委員会(経済部 国防部 大陸委員会等の担当者で構成)の許可制    
2009年8月8日 88水害 700人超える死者行方不明者 馬政権対応で支持率低迷へ
 台風 土石流 災害対応のまずさ 馬政権 危機管理能力の低さを露呈
2009年8月10日 中国の銀聯カード(中国で18億枚発行)台湾の観光地で使用可能が始まる(これまでは持ち込み上限2万元=約28万円)
2009年10月 米国政府と米国産牛肉輸入再開で合意
 馬政権 立法院を無視 世論の厳しい批判受ける
2009年11月 台湾金融監督管理委員会と中国の金融当局が双方の金融機関が相互に支店を開設することを認める覚書に調印(発効は60日以内 相手先申請可能)これまで中国に進出した台湾企業は台湾の銀行と取引できず 米ドルを介して香港経由で人民元 台湾ドルによる送金決済を行い手数料等の負担が大きかった。
2010年1月5日 台湾立法院が米国産牛肉の輸入禁止法案を可決 馬政権窮地に陥る
2010年1月29日 米国防省 台湾に総額64億ドルの武器売却(新型のF16を含めず中国に配慮 潜水艦については今回は含めず引き続き検討)を決定 議会に通告
2010年1月30日 中国外務省外務次官 米国の駐中国大使に「強烈な憤慨」伝える 
2010年2月22日 台湾行政主計処発表 2009年10-12月がGDP 前年比18.02% 3四半期連続で2ケタ成長
2010年2月27日 立法院補欠選挙で4選挙区中3選挙区で野党の民進党が議席獲得(81対27から75対33に)
2010年1月31日 中国政府 米政府による台湾への武器売却を非難する外相談話発表
2010年5月20日 台湾行政主計処発表 2010年1-3月がGDP 前年比11.28% 4四半期連続で2ケタ成長
2010年6月26日 台湾台北でECTA で住民投票求める大規模デモ
2010年6月29日 中国重慶 経済協力枠組み協定(ECFA)*締結 発効は2011年前半か 関税下げを優先的に先行実施する対象は双方合計で800項目以上(中国側539項目 台湾側267項目。3段階で下げて3年目には全品目でゼロ関税 あえて自由貿易の実施時期 範囲を明示しないことで不安を和らげる配慮)。貿易額は160億ドル以上。→中国で台湾企業と競合する日韓企業に影響が見込まれる
  Economic Cooperation Framework Agreement 国家間の取り決めの印象のあるFTAを避けている
  関税の原則撤廃に加え、金融などサービス分野の相互開放を含んでいる。

2010年7月8日 立法院で審議入り 少数派(議席の3割)の民進党が抵抗
        中国の人口は台湾の60倍弱 GDPもすでに10倍超
        中国はASEANと枠組み協定ヲ2002年に締結済み(10年以内に自由貿易地域を確立する)
        中国はASEANと2010年1月FTAを発効。
2010年8月5日 台湾とシンガポールが経済協力協定の締結に向けた協議を年内に始めると発表
2010年8月9日 台湾財務部発表 7月の貿易統計輸出額239億ドル 前年同月比38.5%増 昨年12月以来8ケ月連続で前年同月比30%超え

中台経済協定は8月に立法院により承認され、9月12日に正式発効した。関税引き下げは2011年1月に始まり2013年1月まで3段階に分けて行われるとのこと。志村宏忠氏は日本の企業がまず台湾の企業と協業して、そこから中国に進出すれば、台湾と中国と友好関係が緩衝材にもなるとメリットを主張している。志村宏忠「『親日』台湾がもたらすビジネス好機」『エコノミスト』2010年11月30日, pp.72-74, esp.74.
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人民元弾力化声明(2010年6月19日)

2010-10-31 11:13:12 | Area Studies
中国人民銀行が人民元弾力化声明(2010年6月19日)後の展開
 大幅な元高には輸出産業 輸出企業の利益を代弁する中国商務省が強く反対している。中国政府は元高が雇用問題への波及を恐れている。2010年6月19日の弾力化声明のあと2010年7月5日に1ドル6.76元台をつけたあと、相場は一時横ばいになった。その後、先進国の景気の先行き不安からの元高で8月4日午前の基準値は6.7715元(最高値更新)。一時6.7644元まで進行(8月9日)、元高になることを当局が警戒して元安誘導されたとされた8月13日には6.8035元。8月中旬に入ると元は元安の1ドル6.8元台に誘導されるようになった(輸出企業のドル売り需要があったが、かなり強力に介入がおこなわれた)。
 8月31日の基準値は6.8105元。
 9月に入ると米議会、米政府の批判に配慮して、中国政府は元高誘導に転換する。2010年9月15日(水)の上海外国為替市場は1ドル6.7452元で引けた(前日終値は6.7463元)。同日午前の中国人民銀行の中間値は1ドル6.7250元。いずれも2005年7月の切り上げ後の最高値。
9月15日そして9月16日開催の米議会上院銀行委員会公聴会に向けて元高誘導の姿勢を示した。
同日、日本では6年半ぶりに日本単独で円売り・ドル介入が行われた。米議会の上院銀行委員会委員長のドッドは、日本の単独介入を国際協調という理想とかけ離れたものと批判したのは、多分に中国の為替市場介入批判の妨げになることを意識しての発言だ。
 2010年9月16日(木)に米上院銀行委員会で証言したガイトナー財務長官は、6月の弾力化声明後の上昇幅がわずかに1%に過ぎないことに不満を表明した。しかし中国政府としては元相場上昇に対する国内の不満を考慮しながら、一層の元高に進んだ点を評価してほしいところだろう(16日の終値は6.7248元で4日連続の終値最高値更新 16日の中央銀行基準値は6.7181元。6月19日後の対ドルレート上昇率は1.5%弱に達した)。
 9月17日は6.7235元の最高値で取引が引けた。人民銀行の基準値は6.7121元となった。しかし米国での公聴会終了もあり、当局の元高誘導する動きは弱まるとみられている。
 9月21日には一時6.7元を突破。

 10月8日のワシントンでのG7財務省中央銀行総裁会議は、新興黒字国に為替レートの柔軟性の向上を求め、人民元の切り上げを促した。中国の人民元切り上げに向けて、先進国の不満は高まっているともいえる。しかしG7の主導力は弱まっており、焦点はG20に移っている。
 10月19日 中国人民銀行は2年10ケ月ぶりの利上げを決めた。これを受ける形で人民銀行は翌日の基準値を前日比0.3%安の1ドル6.6754元とした。これは海外からの投機資金の流入をけん制するため、一本調子の上昇を意思表示したもの。
 10月23日 韓国の慶州で開かれていたG20財務相中央銀行総裁会議は通貨安競争回避で合意。声明を発表して閉幕した。
 ところが元相場は10月下旬 下落に転じた。11月1日終値は6.7015元。そこから上昇。
 11月5日 上海外国為替市場終値6.6566元(4日連続の上昇)
11月10日 上海外国為替市場で一時6.6353元の元高(過去最高値)
 11月11日 ソウルでG20首脳会議始まる(ソウルで米中首脳会談)
 11月12日 中国人民銀行の12日午前の基準値6.6239元(最高値更新)
 11月末 現物相場は6.66前後 先物は6.50前後

2010年12月末 6.6元割れ
 12月24日午前の基準値6.6317元(久しぶり、ほぼ1ケ月ぶりの6.63台)
 12月28日午前の基準値6.6252元(1毛月半ぶりの6.62台)
2010年12月31日に中国人民銀行基準値1ドル6.5896元と切り上げ以降の最高値を更新(6.6元割れ 終値は6.5897元 終値の最高値更新は4日連続)。これは2005年7月以降の最高値。
 その後 年明け以降、市場では利益の確定売りがでて少し元安に戻す。一時6.63元台まで下落。1月12日(水)をみると午前中に基準値6.6128元の元高を記録。午後も6.61元前後。その後も13日(木)、14日(金)と最高値を更新(3日連続)。13日午前には基準値が6.5997元台。しかし17日(月)は小幅安。18日(火)午前は再び6.5891元と2005年7月以降の高値を更新した。(背景には胡錦濤国家主席の米国日程があるとされる。1月18日到着。1月19日午前 歓迎式典・米中首脳会談)元相場の引き上げには、国内のインフレ抑制の側面、為替介入による投機資金供給を停止したい思いがかさなる。

 中国人民銀行は、管理変動相場制への移行により輸出依存を軽減、内需重視への転換を目指している。中国政府は、2008年のリーマンショックのあと、製造業の輸出促進のためのドルペッグ制にもどっていたが、2010年6月に至って再び外圧をかわすため人民元弾力化を今回再スタートさせた。
 しかし中国経済体制は開放体制とは言い難い面を残している。たとえば株式市場は存在するものの公開されている株は資本全体の3割。株式市場を通じたコーポレートガバナンスは実現していない。また金利は自由化されておらず、金利による政策効果が遅いため、人民銀行はもっぱら窓口指導に頼っている。さらに外貨準備の増加に為替介入政策が現れている。国内には人民元供給の増加とインフレ懸念が生じている。
 為替変動を自由化して人民元切り上げることは、成長の果実を国民に享受させることにもつながると考えられる。しかしそのためには輸出依存経済から内需依存経済への転換。また企業の国際競争力の強化を急ぐ必要がある。

2010年6月19日(土) 中国人民銀行は「人民元の弾力性を高める」との声明を発表した(通貨バスケット参考の管理通貨制度へ復帰)。過去2年近くドルに固定してきた人民元相場について上昇を容認する姿勢示す(しかし今回の声明に、1日あたり上下0.5%以内という変動幅についての言及はなく、変動幅は現状を維持すると思われる)。
 6月26日からカナダのトロントで始まるG20に向けたパーフォーマンスとも評価される。
 当面中国当局の元切り上げ幅は小幅にとどまりそう(6月21日朝 人民銀行は取引基準値を18日と同じ1ドル6.8275元でスタート。同21日は終値6.7976元までの上昇を許した。翌22日は6.7980元が基準値、終値は6.8136元。さらに23日には基準値6.8102元に対し終値6.8124元と明らかに介入。大幅な元高は許さない意思は明確だった)。人民銀行は経常収支黒字幅の縮小傾向や、貿易収支が均衡に近付いていると指摘する。それでもわずかに切り上げるのは介入を減らしてカネ余りを是正する狙いもあるとみられる。
 他方でなお切り上げが予測される場合、元に熱銭が向かう。しかしこの熱銭について中国政府は、取り締まりを強化するとしている(大幅な元高は輸出産業 輸出企業の利益を代弁する商務省が強く反対しており雇用問題への波及の懸念もある。実際、7月5日に1ドル6.76元台をつけたあと、相場は横ばいになった。)。
 なお日本では、熱銭の取り締まりはむつかしく、元の大幅引き上げを期待する熱銭の大量流入を予測する声がある。

以下は2010年6月19日までの経緯
熱銭問題 輸出 輸出額の虚偽申告 地下銀行などのルートで 外国資金が流入
為替介入による外貨準備の積み上がり 介入は貿易など経常取引以外の流入対策、熱銭対策の面もある
 7割をドルで運用 2010年3月末で2兆4471億ドル 日本の2倍以上
                          2010年9月末で2兆6483億ドル
為替介入で放出された資金の吸収問題

2010年6月18日(金) 米大統領 G20首脳会議参加者に書簡 経常黒字国に輸出依存の是正 市場原理に基づく為替相場を求め人民元改革の必要性を示唆。同日、中国外務省次官は記者会見で人民元相場は中国の問題と発言。 
2010年5月11日 中国国家統計局が4月の消費者物価指数発表。前年同月比2.8%上昇。今年2月の2.7%上回り、政府の年間目標3%に迫る インフレ懸念高まる
2010年5月2日 中国人民銀行は5月10日から預金準備率を0.5%引き上げるとした(引き上げ後の準備率は大手金融機関で17.0% 前回引き上げは2010年2月その前が2010年1月)。景気過熱感のなか住宅バブルなどへの懸念が高まっていることに対応した措置。
人民元相場維持のための介入が金余りの一因。元切り上げ観測も短期の投機資金「熱銭hot money」を引きよせている。
2010年5月1日 上海万博開幕
2010年4月14日 中国国家統計局 3月の主要都市70都市の不動産販売価格 前年同月比11.7%上昇 10ケ月連続のプラス 伸び率は2005年7月以降で最大
2010年3月末 中国人民銀行の外貨準備高前年同期比25.3%増の2兆4470億8400万ドル(ドル買い介入のほか 投機資金流入を反映か)
2010年3月 オバマ大統領 演説で元の切り上げ促す
2009年12月 温家宝首相が米国による元の切り上げ圧力を批判
2009年11月末 中国欧州首脳会議で人民元改革求められる
2009年11月 訪中したオバマ大統領が為替制度の研究促す
2009年10月 米財務省 国際経済と為替政策に関する半期報告書で2009年4月に続き、中国を為替操作国との認定を見送り、人民元過少評価を指摘
2009年7月 東南アジア諸国連合との貿易で元建て決済認める
     ドル建てにたよることの危うさ
2009年7月 ワシントンで第1回米中戦略経済対話
2009年7月 ウルムチ暴動
2009年5月 ガイトナー米財務長官が訪中
2009年1月 オバマ米大統領就任
2008年11月 総額4兆元(54兆円)の景気刺激策発表(インフラ投資が8割強)
2008年9月 米国債保有高 中国が日本を抜き首位
2008年9月 リーマンショック
2008年夏 金融危機の影響をやわらべるため為替介入で6.8元台で固定

2008年7月以降 1ドル6.83元前後に再び実質固定(人民銀行が元売りドル買い介入実施) 金融危機に対応してドルペッグに回帰

2008年5月 四川大地震
2008年4月 人民元1ドル6元台突入
2008年3月 チベット騒乱
2007年5月 人民元変動幅拡大 
2006年2月 外貨準備高 中国が日本抜き世界首位

2005年7月21日 為替制度改革 それまで米ドルに事実上固定していた元相場を一定の幅で変動させる方式に変更」人民元を2%(2.1%)切り上げ 新通貨制度に移行 通貨バスケットを参考とする管理通貨制度へ移行を宣言 2008年9月のリーマンショックまでに18%の上昇を許すことになった。2005年7月 対ドルで2%強の切り上げ ドル連動制からの離脱 その後3年間で約2割上昇
 
2003年春 SARS流行
2002年 QFⅡ 適格海外機関投資家制度 導入
2001年12月 中国WTO加盟

originally appeared in June 26, 2010
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2010年9月8日 船長逮捕拘留で中国政府は態度を硬化させている

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中国企業による海外企業買収事例一覧

2010-10-29 14:41:39 | Area Studies
中国では2000年頃から走出去(外に打って出る)を掲げ、国内企業の対外進出を政府が支援推進している。最近では外貨準備の増勢を抑える意味合いも加わっている。
2008年の海外直接投資額は559億1000万ドル 07年の2.1倍 
なお2009年7月の外貨管理規制緩和。海外の利益をそのまま海外で再投資できるようになった。
参考 CITIC(中国系投資ファンド) 投資事例 

日本企業買収提携事例
2010年7月 中国繊維大手 山東如意科技集団(山東省 邱亜夫董事長) 東証一部 アパレルメーカー、レナウン(東京都 北原稔社長)の第三者割当増資で同社株式の41%を取得
2010年6月 東山フィルム(ポリエステルフィルム加工に強い)に対してCITICが投資、事業承継。
2010年4月 中国大手自動車メーカー 比亜迪(BYD 広東省 王伝福総裁 王氏は、米経済誌フォ-ブスによる2009年中国大陸出身者富豪番付で資産額396億元で首位 2009年に約49万台を販売 中国の乗用車でシェア6位 1995年設立の民営企業 もともとは電池メーカー 携帯電気用2次電池では世界的大手 2003年に国有工場買収して自動車事業参入) 日本の金属大手オギハラ(群馬県太田市)の館林工場(車体を構成する鋼板金型を製作)を買収  
2010年2月23日 ゴルフクラブの本間ゴルフ(東京都港区)をマーライオンホールディングス(北京の投資会社科端集団などが出資)が取得へ 出資2010年6月
 2005年6月 民事再生法申請
 2006年6月 日興アントファクトリー(現アントファクトリーパートナーズ)などがスポンサーになる
2010年6月 マーライオンHDが買収(株式の過半を取得するも経営はアントが続ける)
2010年1月4日 北京宇信易誠科技公司(ユーチュンテクノロジーズ)はNTTデータと合弁で天津市に宇誠聯融数据公司(資本金6000万元 8.4億円 出資比率49%-51%)を2010年2月上旬に設立。クラウド型のネットバンキングサービスを現地金融機関に提供へ。
2010年1月1日 中国最大の小売グループ全国華聯商厦集団(天津市)が携帯電話向けサイト構築大手のインデックスと提携(ネット上のショッピングモールの運営など)へ。
2009年12月16日 自動車部品メーカー寧波韻昇(浙江省 オルゴール製造で世界首位 上海証券取引所上場)が、いすず自動車系自動車部品(電装品)の日興電機工業(神奈川県秦野市 99年に会社更生法適用申請 上場廃止 2001年大和PIが出資)の発行済み株式の79.13%を11億7000万円で買収を発表(大和PIが仲介 取得は2010年1月下旬)
2009年12月16日 家電販売最大手 蘇寧電器(江蘇省南京市)がパイオニア(中国でのブランドは先鋒)と戦略提携契約書に調印。
2009年11月初 IT最大手聯想控股グループ(傘下にはパソコン大手レノボG、システム構築の神州数碼控股デジタル・チャイナ)がシステム開発のSJI(ジャスダック上場)を傘下に入れる決定
2009年6月24日 家電量販大手(国美電器と2強 国美電器は2008年秋に創業者が相場操縦容疑で逮捕され失墜 2009年中国チェーンストア売上高ランキングでは首位)の蘇寧電器集団(江蘇省南京市 孫為民総裁 張近東董事長 6月20日に28億元=394億円の第三者割当増資実施)が日本のラオックス(山下巌社長 09年3月期まで8期連続の最終赤字で経営再建中)の筆頭株主になると発表 蘇寧電器などを引受先に15億円前後の第三者引受増資を実施(8月に出資完了) 発行済み株式の27.36%が蘇寧電器(5730万元=8億円) 日本式経営ノウハウや日本の商品情報の入手が目的とされている。
2008年11月 伸和精工(長野県箕輪町 精密プレス部品加工)に対してCITICが投資 事業承継 
2008年4月25日 スポーツウエアのフェニックスを中国動向集団が買収 フェニックスは2004年に産業再生機構入り その後オリックスGが100%出資。中国動向集団は新株取得の形で5億円出資。債務は1円で継承。
2006年9月 鳴海製陶のMBOを中国系ファンドのCITICが支援
2006年8月 太陽電池大手 尚徳太陽能電力(サンテックパワーSuntech Power Holdings Co.江蘇省無錫市)による太陽電池モジュールメーカーMSK(本社 東京)買収。最大3憶米ドル(345億円)。この買収は中国企業によるこの時点での最大規模の日本企業買収として注目された。販路や技術情報の取得が目的とみられる。翌年(2007年)3月末で福岡工場閉鎖(その後の福岡工場は従業員による買収EBOのモデルケースとして注目された)。
2005年9月 ポッカのMBOを中国系ファンドのCITICが支援
2004年8月 大手機械メーカー上海電気集団総公司による工作機械メーカー池貝(茨城県玉造町 資本金1000万円 明治22年1989年創業 国産初の旋盤を作った老舗工作企業メーカー 発電用タービンや鉄道車両を加工する大型工作機械が得意 工作機械やプラスチックなどを成型する押し出し機が主力)買収。4000万に増資して3000万を出資とされていたが実際は新資本金4憶9000万円でスタートした。
 2001 民事再生法申請 国内スポンサー探すもみつからず
 2005年に上海に中小型工作機械製造拠点。
 120人ほどに一度縮小した従業員は中国50人 日本で200人まで回復。
2004年7月 シンクのMBOを中国系ファンドのCITICが支援
2003年10月 大手医薬品メーカー三九企業集団(広東州シンセン市)による東亜製薬(富山県上市町)買収。三九企業集団は2002年10月には日本の大手ドラッグストアのハックキミサワ(2003年8月にCFSコーポに商号変更)と提携。2003年10月からイオンG系のウエルシアストアーズ(CFSコーポ含む)と連携している。しかし三九集団は業務多角化が行き過ぎその2003年末に債務超過に陥った。2004年に債務再編を開始した。2007年末に香港の華潤集団に買収されて、現在では中国の国営企業ではなくなるという複雑な変遷を経ている。
2002年2月 大手機械メーカー上海電気集団総公司による印刷機製造メーカーアキヤマ印刷機(2001年3月倒産)の営業権取得。アキヤマインターナショナルとしての再スタート。

海外企業(日本企業以外)買収事例
2009年12月23日 ボルボの吉利への売却で基本合意成立と米フォードが発表している。この合意により中国自動車産業の国際的存在感が一段と高まると評価されている。吉利による一連の買収は、中国企業による海外買収の成功例になるのではとの指摘がある。
2009年12月 吉利、米自動車部品ジョンソン・コントロールズと環境対応車開発などで合意
2009年12月14日 北京汽車工業控股、GM傘下のサーブから一部設備と知的財産権買取で合意発表(なお自動車最大手の上海汽車も買い取りで交渉したとされる)
2009年11月 北京京西重工、米デルファイからブレーキ事業などを買収
2009年10月28日 大手民営自動車の吉利汽車を傘下にもつ浙江吉利控股集団による米フォード傘下の高級車「ボルボ」(スウエーデン)買収での優先交渉権獲得が発表された。買収額(メデア推定)は約20億ドル(約1840億円)。
2009年10月9日 重機中堅の四川騰中重工機械などによる米GMの大型車ブランド「ハマー」買収についての最終合意が発表された。売却額(メデア推定)は約1億5000万ドル(約135億円)。対象はブランド、知的財産権、デーラーとの契約など。
2009年6月24日 スイスの石油会社アダックス(シリア、イラク北部などで採掘権保有)、中国石油工集団(SINOPEC)による買収受け入れを発表 買収金額82.7億カナダドル(72.4億米ドル、約6900億円)で中国企業による買収として過去最大
2009年6月5日 中国アルミ(チャイナルコ)によるリオティントへの追加出資白紙に。中国企業による買収にオーストラリアで警戒感高まる。リオティントはBHPビリトンとの合弁事業を発表。
2009年6月 浙江吉利控股集団、オーストラリア自動車変速機メーカーDSI(2009年2月に経営破たん)を買収 買収額は7000万豪ドル(約50億円)
2009年6月17日報道 浙江吉利控股集団、ボルボ買収でフォードと暫定合意(なおボルボにつては北京汽車工業も関心示す)
2009年5月18日 中国五鉱集団によるオーストラリアのOZミネラルズ買収を中国国家発展改革委員会が承認。その後、6月11日OZミネラルズの株主総会が承認して確定。買収額は13億8600万ドル(約1357億円)。
2009年2月12日 中国アルミ(チャイナルコ) 英豪系リオ・ティントに195億ドル(約1兆7550億円)追加出資で合意。出資比率9.3%から18%へ。
2008年12月15日 中国石油化工(シノペックSINOPEC)によるカナダのタンガニーカ(エジプト、シリアで石油権益保有・採掘)買収を国務院が承認。買収額約130億元(約1900億円)。
2008年7月11日 大手資源商社 中鋼集団によるオーストラリア資源会社ミッドウエスト(オーストラリア西部の鉄鉱石鉱山の開発進める 2006年2月生産開始 全量を中国に輸出)に対する敵対的TOB成立(50.97%) 。2007年12月 買収提案。2008年2月 拒否回答。2008年3月14日 敵対的TOB実施発表。
2005年 中国海洋石油総公司(CNOOC) 米石油大手ユノカルの買収に動くも失敗
2005年 レノボグループ(北京市)が米IBMのパソコン事業を12億5000万ドルで買収

参考文献 金山隆一「中国資本に買収された企業の『順調なその後』」『エコノミスト』2010年11月2日, p.24

originally appeared in Dec.2, 2009.
corrected and reposted in October 29, 2010.


漁船船長釈放決定(2010年9月24日)について

2010-10-18 20:57:54 | Area Studies
 2010年9月24日、那覇地検は「今後の日中関係を考慮」して、拘留してきた船長を処分保留のまま釈放すると発表した。検察が独自に判断したとの首相官邸(内閣府)側の主張に対して、検察に判断を任したのか、検察は裁量権を超えた決定をしたのではないか、背後で官邸の関与があったのではないか、などの疑問が出されている。この間、海上保安庁の石垣海上保安部、那覇地検(石垣支部)の行動は、領海を守るという点からは、正しいという指摘が多い。
 しかしいくら日本が領土問題は存在しないといっても、中国側が現実に領有権を主張している海域において、中国側漁船を追尾した上で船員を逮捕、拘留し国内法の手続きをすすめれば、中国側が硬化することはわかっていたはずである。それにもかかわらず、逮捕・拘留・拘留の延長などで日中関係を十分悪化させた上で、日中関係が悪化したから釈放するという那覇地検の対応はスッキリしないものを感じる。
 大方の理解はことは那覇地検が独断で進めたのではなく、日本政府(官邸)がなんらかの指示を出しそれが那覇地検の決定に影響しているというものだ。だとすれば、那覇地検ではなく日本政府に言いたいのは政府は、もっとはやく事態の収拾を図るべきであったということである。

対中関係悪化回避に向けて早期の政治的決断を行うべきだった
 2010年9月7日午前10時56分頃に尖閣諸島the Senkaku Islands(中国では釣魚台、釣魚the Diaoyu)近くで日本の海上保安庁の巡視船と中国の漁船が衝突した事件に絡んで、漁船(遊魚船)船長が公務執行妨害容疑で9月8日、第11管区海上保安本部(那覇)石垣海上保安部により逮捕された。事件を受けて内閣官房長官室で開かれた会議で海保側が逮捕を主張、外務省側の懸念が押し切られたとされる。この場合、海保が逮捕を主張するのは職責上当然。
 問題はこの時点で官邸側が政治的な判断を欠いたことにある。政治的決断で海保の判断を抑えるべきであった。官邸の黙認を受けて那覇地検石垣支部は那覇簡易裁判所石垣支部に10日間の拘留を申請。石垣簡裁は19日まで10日間の拘留を認めた。その後、那覇地検石垣支部はさらに拘留の延長を申請、石垣簡裁は20日にさらに10日間の拘留の延長を認めた。
 この拘留の延長により、両国の緊張が新たな段階に入ってしまった。漁船の船長は衝突の事実は認めている。時間的に考えれば、基本的な聴取は終わっているはずで、時間をかけるほど、両国関係が複雑になってゆくことはわかっていたはずだ。現場の人たちが、正義感でというよりは事務的に動けば動くほど、政治的には緊張が高まる構図にあった。
 もちろん停船命令を無視したとか、巡視船に体当たりで抵抗した(この点の疑問は後で述べる)など、あるいは違法操業の可能性など、保安部側(現場)の言い分は分かる。しかし中国側が領土・領海権を主張している場所での事件である以上、日本の国内法で司法処理を進めれば、中国側としても硬化して妥協余地がなくなるのは明白(事を構えるのであれば、中国側に妥協の用意がない以上、日中の交流の断絶を含む十分な準備と覚悟が必要である)。つまり覚悟があるかどうか。ないのであれば、偶発的な緊張を緩和するにはどうすればいいかを第一に考えるべきだった。
 この場合、日本政府として事実関係についての調査結果を公表するとともの領土(領海)問題について毅然とした立場を示すのは当然であるが、漁船の船長の身柄は、事実関係の調査が終わり次第すみやかに中国側に戻すべきであろう。領土問題では妥協すべきでないというのは正論である。しかし、中国としても同様に妥協できないことも明らか。そして緊張関係の高まりは望ましくない。これをルール通りで進めると、解決に時間がかかり、しかも両国関係が長期間悪化することは明らかである。日中経済交流など多方面に、この問題は波及する可能性が高い。
 現場は拘留が長引くことによる外交や経済への影響まで計算できないし、それを判断する立場にもない。このような現場や個々の組織の判断に対して、政治的な判断を下すのは政治の責任である。日中の外交関係をどうしてゆくのかという、基本的な姿勢が問われている。行動を起こしたあとで、中国政府に冷静な対応を求めても事態は収拾できない。

衝突の原因は本当はどちらにあるのか
現場海域での取り締まりでは、漁船が停船に応じない場合、海保側が進路を塞いだり、船名を確認するため接近したりといった事が生じている。2008年6月に台湾の漁船に海保側が接近をはかり、漁船と衝突して漁船が沈没する「事故」が生じている。しかしながら海上で大きな船が小さい船に接近しすぎると、小さい船が大きい船に引き寄せられて衝突することもあるようだ。今回の問題で、衝突があったから中国側に非があるという言い方があるが、必ずしもそういいきれないことが懸念される。
 衝突の原因について
 中国側の報道2010年9月8日(翻訳) この報道にみられるように漁船側が日本の巡視船から衝突を受けてというように、日本とはまったく逆に報道されている。

 私は、領土問題で主張は主張として行うことは正しいが、領土紛争があるところ(中国側が主張している事実はある)で捕捉した相手国国民を長く拘留することは、両国の関係を悪化させるだけだと考える。(わが国が領土としているところに不法に進入するものがあれば、これを拘束して国内法により取り調べることは当然であるが、その当該国と対峙する決意がないのであれば)政治的決断により、事情聴取が終わり次第、船長を早期に帰還させるべきだった。

 船長の祖母が急死 2010年9月9日
 "China and Japan Getting their goat"in The Economist, Sept.18, 2010, p.34.
ジョナサン・アダムズ「日中激突時代のプレリュード」『NEWSWEEK 日本語版』2010年9月22日号, pp.22-23.
"Deng's heirs ignore his advice" in The Economist, Sept.25, 2010, p.34.
「尖閣衝突事件」『エコノミスト』2010年9月28日号, p.14(小泉政権下の2004年3月の中国人活動家7人による不法上陸事件の折には、沖縄県警が逮捕したものの送検しないまま、その2日後、入国管理局に身柄を引き渡し、中国に強制送還したことを紹介している。今回、民主党政権下であるにもかかわらず、同様の緊張緩和に向けた政治的決断が官邸の仙石由人官房長官により取られないまま、前原誠治氏に代表される国際関係緊張させることをなんとも思わない人物のナショナリスト的主張に政府までがのって事態を悪化させたのは大問題だった。)
 小菅洋人「臨時国会で検証すべき尖閣領海内中国漁船衝突3つの論点」『エコノミスト』2010年10月12日, pp.72-73.
 「日中『尖閣密約』あった」『AERA』2010年10月25日, 12-15. 送検を推進する前原誠治氏を、本来はけん制する立場にある官房長官の仙石由人氏が法治主義を掲げるだけで政治的決断を避けたこと、省庁間のコミュニケーションが政治主導を掲げる民主党政権下で失われ、必要な情報が官邸に届かなかったこと、などを報道している。
 釣魚台(wiki)
 
Written by Hiroshi Fukumitsu. You may not copy, reproduce or post without obtaining the prior consent of the author.
originally appeared in Sept.20, 2010
corrected and reposted in Oct.18, 2010


中国 国務院による住宅ローン規制強化(2010年4月15日)

2010-08-02 15:16:29 | Area Studies
2008年秋以降 不動産市況急速に落ち込む
2008年11月 4兆元の景気刺激策打ち出される
2009年春以降 不動産価格 急回復
2009年10月頃より 生産設備が過剰な業種への融資を抑えるよう指導

2010年
2010年1月11日 中国国務院は2軒目の住宅購入について頭金40%の義務付けと、金利を高めに設定することを促す通知を全国に出した。
2010年1月12日 中国人民銀行1月18日から預金準備率0.5%引き上げ発表 銀行融資増加抑制の姿勢示す
2010年1月13日 中国銀行業監督管理委員会の王副主席 銀行の融資増加額の2割前後が不動産開発や住宅ローン向け 2009年の人民元融資残高増加額は前年の2倍近い9兆5000億元(約130兆円)
2010年1月14日発表 12月の不動産販売価格 前年同月比7.8%上昇 7ケ月連続プラス 1年半ぶりの大きさ
2010年1月18日 中国人民銀行 預金準備率0.5%引き上げ
2010年1月20日 銀行業監督管理委員会が主要銀行に対して1月の新規融資を停止するよう指導(窓口指導など 1月17日頃より実施)背景には年初来融資の急増 1月第2週までで1兆元(政府の年間目標7兆5000億元の15% 2009年の政府目標は5兆元以上 実際には11月までで9兆2100億元)
2010年2月11日 国家統計局発表1月のCPI前年同月比1.5%上昇(12月の1.9%より鈍化 インフレ懸念緩和)
2010年2月25日 中国人民銀行 預金準備率0.5%引き上げ 
2010年3月 主要70都市の不動産価格前年同月比11.7%上がる 2005年7月以降で最大
2010年3月 CPI 前年同月比2.4%(1年物の定期預金の基準金利2.25%を上回る→資産投資を促す状況 この状況は2010年2月から)
2010年4月15日 中国国務院 2軒目購入時の頭金比率を40%から50%へ引き上げ 金利を通常より高めにすることを義務付け
2010年4月半ば 住宅ローン規制導入(頭金比率を最低50%に引き上げ) →大都市の不動産取引急減 不動産の販売面積減少に転ずる 投機的住宅購入に歯止め 価格頭打ちへ

2010年4月末 マネーサプライ前年同期比21.5%増
2010年5月 国家統計局発表 2010年4月のCPI 2.8%1年半ぶりの大きさ(1年物の定期預金の基準金利2.25%を上回る→資産投資を促す状況)
2010年5月6日 5月10日から中国人民銀行は預金準備率を0.5%引き上げると発表
2010年5月10日 中国人民銀行 預金準備率0.5%引き上げ
2010年6月9日 中国農業銀行の上場が承認
2010年6月17日 中国人民銀行が人民元相場の弾力化を発表
2010年7月1日 製造業購買担当者景気指数 前月比1.8ポイント下落52.1。2ケ月連続で低下 新規受注の低下 在庫の積み上がり
2010年7月10日 中国税関総署が6月の輸出額発表前年比49.3%増の1373億9000万ドル単月で過去最大 7ケ月連続で前年同月を上回る(6月下旬からの人民元上昇の影響は今後) 7月以降 欧州不安 人民元高 輸出税還付の撤廃でどうなるか不透明 輸出減速の恐れ 輸入は1173億7000万ドルで34.1%増 8ケ月連続の増加
2010年7月12日 中国国家統計局 6月の主要70都市の不動産販売価格11.4%上昇 伸び率は5月の12.4%より鈍化 前月比0.1%下落 全国の販売面積1-6月 15.4%増 1-5月に比べ7.1ポイントダウン。
2010年7月12日 中国共産党は党・政府幹部、その配偶者、子女に不動産や有価証券などの保有状況を党に報告することを義務付ける規定(7月11日公布)を新たに設けたと中国各紙が伝えた。
2010年7月13日 中国各紙 中国銀行業監督管理委員会などによる、住宅ローン規制を厳格に実施続けるとの声明伝える
2010年7月15日 中国国家統計局が発表した6月の消費者物価指数は前年同月比2.9%上昇 天候不順による農産物価格上昇が響いた 政府が掲げる年間の抑制目標3%を2ケ月ぶりにしたまわる
2010年7月20日 中国銀行業監督管理委員会の劉主席が「とくに地方政府系企業、不動産、生産過剰業種への融資のリスクを注視すべきである」と発言。これら業種への銀行融資への監視を強化する考えを強調した。


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中国農業銀行の上場(2010年7月15-16日)

2010-08-01 10:53:55 | Area Studies
 2010年7月 中国四大銀行のシンガリとして中国農業銀行が新規公開募集を行うとともに上場を果たした。資金調達額は、中国工商銀行とならび歴史的にみても過去最大級となった。またほかの3行では、自己資本の充実強化のための大型の資金調達計画を進めている。

中国農業銀行 2010年7月15日-16日上場 
 中国農業銀行の上場(上場承認2010年6月9日 上海市場の公募上下限度価格2.68元ー2.52元決定2010年6月29日 7月7日2.68元に決定)による資金調達額は新規公開として中国工商銀行とならび過去最高最大級(世界最大級のIPOという話題性)。上海と香港を含め221億ドル(1兆9300億円)の調達となれば、中国工商銀行の過去の記録219億米ドルを抜き過去最大のIPOによる資金調達となる可能性が高い。
 中国政府は2008年秋に同銀行に1300億元の資本を注入して不良債権を処理。上場に向けた準備はされていたものの、政策金融機関として位置付ける立場からの上場反対論が政府内にあるとされていた。
 中国農業銀行は中国の四大商業銀行の一つ(残りの3行、中国建設銀行、中国銀行、中国工商銀行は上場済み)。2010年7月15日に上海(上場初値2.74元)、7月16日に香港で株式を新規公開した。香港市場(2.88-3.48香港ドル)の公募価格3.2香港ドル(初値3.25香港ドル)。
 15日16日で192億香港ドル(1300億人民元)を調達(上海市場では595.9億人民元約7800億円)。
 日本でもPOWL(上場なき公募public offering without listing)という手法で公募売り出し 募集7月12日13日 主幹事 野村証券 大和証券キャピタルマーケッツ 調達見込額400億円―500億円(POWLとしても過去最大)
 7月29日に122億香港ドルの追加調達を香港で実施。
 上海と香港を含め221億ドル(1兆9300億円)の調達となれば、中国工商銀行の過去の記録219億米ドルを抜き過去最大のIPOによる資金調達となる可能性が高い。
 不良債権比率が高い(不良債権比率07年12月期23%→2009年末2.91% 2010年3月末2.46% 他の商業銀行大手は1%前後より高い 採算性低い地方政府向け貸付が総貸出の15% 収益力に不安 自己資本比率は2009年末に10.1% 政府の要請は11.5%より低い)など財務体質への不安を克服した展開。しかしなお不良債権処理、株式会社としての企業統治に課題。
 当初3元前後で300億米ドル前後の調達を想定。機関投資家の反発、不良債権比率の高さへの懸念から規模縮小。
 過去最大は中国工商銀行の219億米ドル(2006年)
 agricultural revolution Economist, July 8, 2010.

中国工商銀行 中国最大の商業銀行 2006年10月27日上場
 2010年3月25日 最大で250億元(約3350億円)の転換社債型新株予約権付社債発行を発表。急激な融資増加に対する自己資本比率引き上げ 不良債権処理能力高める
その後、2010年7月28日 上海と香港で最大450億元(約5800億元)の増資計画発表している 9月の株主総会で承認後1年以内に実施 香港で上場している子会社中国工商銀行(アジア)を非上場化する

中国銀行 中国の大手商業銀行 2006年6月上場
2010年7月2日夜 中国銀行が最大で600億元(約7800億円)の株主割当増資計画を発表した。
 上海市場で最大195億株、香港で最大83億株を発行して既存株主に割り当てる方針。2010年8月の株主総会で承認後、1年以内に実施。2009年末の自己資本比率は11.14%(2年前に比べ2ポイント強下落)
 このほか400億元のCB発行計画をたてている。

中国建設銀行 商業銀行大手 2005年10月上場
 最大750億元の増資計画をたてている。

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