利用者の近藤芳美賞(奨励賞)の反響がここ最近ふえています。
本日も短歌を詠んだ方からのちょっとした心遣いがありました。
ちなみに、ふくろうは革細工です。
利用者の近藤芳美賞(奨励賞)の反響がここ最近ふえています。
本日も短歌を詠んだ方からのちょっとした心遣いがありました。
ちなみに、ふくろうは革細工です。
梅の里に行ったので、みつい探訪かるたが一首できました。
【読み札】 ま・・・まるごとの 梅が入った 梅大福
【取り札】 梅大福
【取り札(裏側)】の解説
冠山総合公園「梅の里」では、毎年1ヶ月間「梅まつり」が開催されます。
その梅まつり期間限定で、しかも冠山総合公園でしか買うことのできないのが、この「梅大福」です。
作っているのは山口県ではおなじみの和菓子メーカー「株式会社たけした」という会社です。
薄い緑色に着色されたお餅の中にはあんことシロップ漬けされた梅が丸ごと一個入っています。その梅の味付けが絶品で、甘いあんこと甘酸っぱい梅の組み合わせが絶妙です。
すぐに売り切れてしまうほどの人気商品です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2月12日(金)午前10:30に梅大福を買いました。残りは15個でした。ちなみに昨日の休日は300個売れたそうです。
1年ぶりに冠山総合公園に行きました。
20年以上前は冠梅園だけでしたが、現在「梅の里」「エントランスゾーン」「日本庭園」「イベント広場」「オートキャンプ場」と5つのエリアに拡張されています。
車椅子中心の散策なので、オートキャンプ場から桜坂を下って行きました。遠くから梅を眺めることになるので、車椅子の利用者にとっては、あまり楽しくなかったかもしれません。さすがに車椅子では梅の里には行けません。
楽しみはこの場所です。お昼のコース料理を美味しくいただきました。
妹尾知之顕彰碑と望郷碑の撮影に出かけました。ついでに光井川沿いに植栽されている芝桜の様子も見に行って撮影しました。
芝桜も光井探訪かるた「ら」に入れています。
【読み札】 ら・・・来年は もっときれいだ 芝桜
【取り札】 光井川沿いの土手で植栽されている芝桜
【取り札(裏側)】の解説
光井公民館前を流れる光井川は、地域が一丸となって美化活動の取組がなされています。
国道188号線から見える川土手が多くの雑草で覆われている状況を何とかしたいという思いから、芝桜を植栽する活動が平成25年11月から進められています。
芝桜プロジェクトと銘打って毎月2回の活動が実施されています。
上の写真は、平成28年2月10日現在のものです。
朝の通勤途上に普賢寺境内を通りました。光井探訪かるた(よ)に登場する「用水」一対を撮影するためです。
【読み札】 よ・・・「用水」一対 千束屋音八 普賢寺に寄進
【取り札】 普賢寺境内にある「用水」一対の写真
【取り札(裏側)】の解説
室積の普賢堂前の参道両側に、特大の「用水」一対が寄進されています。用水は海上安全を祈願して寄進されたものです。
寄進者は木綿業者ですが、木綿屋の中で室積は千束屋音八の一名のみで、後は筑前・筑後の木綿商です。
千束屋音八が世話人ということで、この地方のみならず広く商人仲間でも主導的な役割を果たしていたと考えられます。
この音八は、紺屋浴野村家(屋号千束屋)の話しによると、「音八は室積向町で木綿商を営んでいました。かつての『まりつきうた』に、・・・向町よいとこ/千束屋に万束屋/角屋にすみや/浜に出れば浜屋・・・・と歌っていたと聞いている」と。
「野原綿」の生産ともかかわりその取扱商として大きく活躍したことが伺えます。
13日(土)にストールの販売予定です。そのため今週は毎日ストールの草木染めを行っています。
黄金花で染めたストールです。横の糸は茜で染めました。
茜で染めたストールを媒染しています。
【アルミニウム】
【銅】
昨日紹介した織物はマフラーになりました。
クッションカバーがもうすぐ完成します。
午後からの作業風景
【織物】
【着物糸ほどき】
【パッチワーク】
光井探訪かるたの作成を日々の決まった仕事の合間に行っています。今回のかるたは、「は」を紹介します。
【読み札】 は・・・幅22㍍道路 緊急時での 滑走路
【取り札】 教育用光市地図の一部
【取り札(裏側)】 解説文(案)
この平和で静かな村に突然大海軍工廠が建設され、一躍30万人の軍事都市が建設されることになりました。昭和17年に2年6ヶ月を費やして幅22㍍の道路が完成しました。
この産業道路の開通によって工廠の建設資材・作業用材料の運搬能率があがりました。また、昭和17年6月鉄道省営自動車が、光駅から室積町までの運行を開始しました。工廠・会社・学校への通勤・通学も極めて便利となり、軍事産業上の果たす役割は大きなものでした。
現在の市役所から新宮まで長い直線道路は1000㍍道路と呼ばれています。これは、飛行機の緊急着陸を想定して作られたとも言われています。