私の高校は、公立の進学校だった。名門校なので、受験一辺倒ではなかったが、それでも勉強以外は、刺身のツマのようなものである。
同級生の中には、「我々はうわべは仲良くしているように見える。しかし、ほんとうは成績競争が根幹にあって、お互いに孤立しているのだ」というような言う者もいた。クラスの回覧ノートに書く者もいた。
ずいぶんと穿った観方をすると思った。自分に友達ができない理由を、とんでもないところに求めていると。
しかし、今になってみると、彼らは正しかったと思う。私は私塾をやっていろんな生徒と接した。進学高校には独特の重さがあると思う。進学高校だと、知性はそれなりに磨かれているが、つねに評価され、「自分の成績」を上げなければならないという重圧がある。
そして、狭き門を突破した者の多くに、もうバカになれなくなってしまった悲哀や、自分でも気づいていない微妙な「えらいんだぞ」意識がある。
友達がいて一緒に戯れていられたり、部活に熱中できたりすると、こういう重圧はあまり感じないですむ。しかし、やはり、学校全体が「○○大学何名合格」を軸に動いているのである。
進学校でない高校に、明るい雰囲気を漂わせているところが多い。そういう生徒たちに接してみて、進学校の雰囲気がなんであるかわかってきた。能力の高い生徒たちがこの雰囲気で育ったら、どんなによいことかと思った。バランスのよい知性が育つであろう。
進学校の場合、達成目標がある。その実現のために、生徒に努力させる。人間が、目標のための手段になる。それがすべてだと糾弾する気はないが、その影響はかなり大きなものである。
進学競争は、発展途上国に特有の現象である。発展途上国は、知識と技術と訓練を必要としている。
しかしながら、社会インフラが整備されてきた国が進学競争に依存した教育をやると、人間の損耗のマイナスのほうが大きい。
教育基本法は、受験教育と直接の関係を持っていない。
しかし、それぞれの人の「教育を受ける権利」の具体化がないために、進学競争激化の歯止めにならなかったことはあると思う。無理させられる者、切り捨てられる者の異議申し立てが起こらないのである。
(転載歓迎 古山明男)
このブログたいへん参考になりました。
徳目主義や心理主義の話、特に現場の視点からのシステムの問題点など、現場にそくした話なので、外の世界の人間としてはとても参考になりました。
ありがとうございます。
自分のブログで、勝手ながらこちらのブログを紹介しておきました。
> 発展途上国は、知識と技術と訓練を必要としている。
ここを読んで、“発展途上国”が、“日本の障害児教育”とダブりました。
我が家の障害児は、夏休みで一日中好きなように過ごしています。