Beyond Borders ~国境を越えて~

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Frank Lloyd Wright フランク ロイド ライト Part.1

2007-09-01 02:10:32 | Guide U.S.A
さてさて、先日「近代建築三大巨匠」の「コルビュジェ」をお届け致しましたので、
本日は「コルビュジェ」に影響を与えた「Frank Lloyd Wright・フランク ロイド ライト」をお届けしようと思います。

「Frank Lloyd Wright・フランク ロイド ライト(以下ライト)」の作品は、主に邸宅が多く数も多いので
2回に分けてお届け致します。

1回目は、中西部の「Illinois・イリノイ州」と「Wisconsin・ウィスコンシン州」にある代表的な建物から。
(↑特に彼の前期作)

2回目は、他の地域にある代表作を紹介したいと思っています。
(↑特に彼の後期作)

誰もが彼の作品を見ると、彼の好きだった「日本的デザイン」や「マヤ・インカ文明的デザイン」のテキスタイルを取り入れた作品が多く存在していると感じています。
(でもあくまでも本人は、独自のスタイルであって、日本的でもなければ、マヤ的でもない!とおっしゃってはおりましたが…)
※以下の建物写真に写るテキスタイルなどを見れば、お分かりになるか…と。 テキスタイル写真は次回掲載。


そして、ライトの提唱したプランとして、「Prairie House・プレーリーハウス」があります。
(日本では、プレーリースタイルと言われていますが。)
英語では、「Prairie = 草原地帯」ですよね!

これは、彼の建築概念にも謳われていますが、「建物は、その土地に順ずるものでなくてはならない。」
つまり、地下室を作ったり、むやみやたらに上に伸ばすことなく、平地なら平地に合わせ横に伸び、
起伏があれば起伏に合わせて這うように建てる。という事
もちろん部屋数などでの必要性があれば、上に伸びることもあります。
(起伏に合わせて…の方は、明日お伝えする建物に象徴的なものがあります。)

この「プレーリースタイル」外から見ると、閉鎖的に感じるのもあるのですが、不思議な事に中に入るととても開放的な空間の造りになっています。

そして、ライトは技術的にも「新技術・新素材」を採用し、このプレーリースタイルに見合った「新構造」も開拓します。

今日の説明はこの位にしておきましょう。


ライトの作品・建物の多くは、出身地「Wisconsin・ウィスコンシン州」や、最初に事務所を構えた「Illinois・イリノイ州」に多く存在しています。
※私が訪れた時期は、真冬でしたので見学には適しておりませんでした。
 写真撮影が少なかったのは、撮影のために手袋を5秒と外していられなかったからです。
 なので、雪深い写真とともに、適した時期に撮影されたポストカードの写真も掲載致しておきます。


Arthur Heurtley House 1902年 (Oak Park, Illinois)

   
                                       ↑冬でなければ、こんな風に外観を見る事が出来ます。


Frank Lloyd Wright Home & Studio 1898年 (Oak Park, Illinois) 自邸
ここで事務所を設立。奥様ともここで暮らす。


  

Frank Lloyd Wright House & Studio Plan

↑なんか心なしか曲がってる?(う~ん、スキャン失敗!)

  
Business office                            Living room

    
Dining room             Play room                               Octagonal library



Walter M Gale House 1893年 (Oak Park, Illinois)

 ←つららと雪が凄いでしょ! 
私が一人で行動する日は快晴(その方が寒かったが)だったのに、
ヤツとの行動日は殆ど雪だった。(←雨男ならぬ、雪男か?)



Unity Temple 1906年 (Oak Park, Illinois)


↑ユニティテンプルの外壁が「マヤ」っぽいのに、外壁写真をスキャンしていませんでした。スキャン後に掲載致します。


名うてのプレイボーイだった「ライト」。
その後、奥様とは別に愛した人と一緒になりたかったが、奥さんが離婚に応じず。
その愛人とヨーロッパ(ドイツ)に駆け落ちをする。
その時に(他の近代建築三巨匠の)若き日の「ミース」や「コルビュジェ」達に影響を与える。

そして、2年のヨーロッパ生活の後帰国するが、「Oak Park」には、当然戻れず。
地元「Wisconsin」に「Taliesin」を建築し、愛人とその子供2人と暮らし、弟子達とそこで仕事をする。


Wisconsin



Unitarian Meeting House 1947年 (Shoreewood Hills, Wisconsin)

  

  

   


Taliesin 1911年 (Spring Green, Wisconsin)



ところが、ここ「Taliesin」で悲劇が起きるのです。
「ライト」は、この時現場に出ていなければ(実際は現場に出ていて難を逃れた)、ここで生涯を閉じていたかも…



その他にも色々訪れましたが、代表格としてこの位を掲載しておきます。


では、後日第二弾をお届け致します。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
プレーリーハウスの考え方 (marimo)
2007-09-01 07:37:37
素敵ですね

オーストラリアでエアーズロックを訪れた際も、
ホテルはまわりの砂丘の高さを超えてはいけないって
作りになっていたような気がします。
田舎育ちの私は高層の建物にあまり親しみを持てないので、
フランクロイドライト建築、スキかもしれないです!

と言いながら、今は20階以上に住んでいますが。。
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Re; (french-blue)
2007-09-02 02:51:15
>To; marimoさん

へ~!ラリアでも景観保護のための建物高さ規定があったのですね!
知らなかった。

パリ市内でも、エッフェル塔とモンパルナスタワーを除くで、高さ規定があったと思います。

でも、プレーリーハウスは土地の広いアメリカならでは…の発想ですよね!
狭くて土地の値段が高い日本では、そうそう建てられませんよね!

marimoさんは、建物は低いほうが落ち着かれるのですね!
私は「バカ」なので(笑)、高い所も好きです。 あはは。
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