接骨院閑話 Ver.2024_01

「しれは迷ひしらねは迷ふ法の道
 なにかほとけの實になるらん」
至道無難禅師の句は健康にも通じるのです。

ササヤカな闘病記④

2024年01月29日 | 経験談

私は生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)をホンの少し見直しただけで、
体調不良(肉魚酒アレルギー)を治せたばかりか、
今迄のケガや病気で治し損ねたモノの幾つかも治す事ができました。

今回の経験で私が言いたい事は、
私が自ら「治すんだ」と決意して、
積極的に治したモノは一つもなかった事です。
「長生きしたければ朝食を抜きなさい」(甲田光雄監修/東茂由著)
を読んで直ぐに「治った」と思った時でも、
本に書いてある事で自分がヤレそうな事だけを始めただけですから、
「肉魚酒アレルギー」にしても、
以前のケガや病気で治し損ねたモノにしても、
積極的に努力して治そうと始めた事は一つもなかったのです。

つまり私は体調不良(肉魚酒アレルギー)の症状(全身の腫れと痒み)を、
ナンとかしよう(症状を消そう)とアンナ事やコンナ事をしたのではなく、
普段の生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)を一つ一つ見直して、
アレルギー症状が出たら、
身体に何か間違った事(大きな負担になる事)をしたと、
アレルギー症状が出なかったら、
身体に間違った事(大きな負担になる事)はしなかった(=身体の機嫌を取った)
・・・というように全て結果だけで判断して、
少しでもアレルギー症状が出ない生活を工夫していった結果、
私は敢えて努力しなくても身体が勝手に、
「肉魚酒アレルギー」になった原因を治していったという事なのです。

そこでもう一つ今回の一件で私がいいたい事は、
「肉魚酒アレルギー」の不快な症状(全身の腫れや強烈な痒み)は、
身体の異常を知らせる警告信号であり、
身体が回復していく経過を判断する指標であり、
直接、治療(施術)で消すモノではなかった・・・という事です。
これに関しては後述します。

本来ならこれでメデタシメデタシで終わる話しだったのですが、
私はこの時に余分な事を考えてしまいました。

それは医療(医学)の素人で、
健康(病気を含む)に無頓着だった私でも一念発起すれば、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)をホンの少し見直しただけで、
体調不良(肉魚酒アレルギー)を治せたのですから、

・モシ体調が悪くない人が、
 生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)を見直したらどうなるのか?
・健康とはどのような状態をいうのか?
・健康のゴールはどこにあるのか?

とバカな事を考えてしまったのです。
~2024年追記:この3つの疑問は(自分なりにですが)解決しました。~

私がこんなバカな事を考えた理由は二つあります。

一つは私が今回、
体調不良(肉魚酒アレルギー)を治す為にヤッてきた事は、
最初から治す為にヤッてきた事は一つもなく、
少しの時間でも楽になりたいと思って始めた事ですから、
確かに結果は良く体調不良(肉魚酒アレルギー)は治ったのですが、
然しこれは偶然とか「瓢箪から駒」というもので、
次に私が体調不良(ケガや病気を含む)になった時に、
今回、私が身に付けた考え方や方法が通用するのかは分からないのです。

「瓢箪から駒」の解説
瓢箪から駒とは、思いもかけないことや道理上ありえないことが起こること。また、冗談半分で言ったことが現実になること。
「故事ことわざ辞典:瓢箪から駒」より
https://kotowaza-dictionary.jp/k2338/

~2024年追記:
この時に身に付けた健康観(健康や病気の考え方)は、
令和3年(2021年)にチョットした油断から、
些細な足(左側第一趾)の捻挫を拗らせた時や、
令和5年(2023年)にチョットした慢心から、
食アタリでアナフィラキシー症状がでた時にも、
十分に通用して自力で早期に回復させられました。
この二つに関しては後述します。~

もう一つは体調不良(肉魚酒アレルギー)になる前の、
私の健康観(健康や病気の考え方)は、
私の身体には間違っている(大きな負担になる)事が多く、
私が健康を意識して何かをヤレばヤル程、
実は私の身体を疲れさせて身体の働きを弱めていった
・・・事までは分かったのですが、
それでは今回新しく身に付けた健康観(健康や病気の考え方)が、
どれ程の病気予防ができるのか、
どこ迄の健康増進ができるのかは分からないのです。

そんな事から私は、
この二つの課題を解決する為に、
今迄にヤッてきた事はその儘続ける事にして、
これからは更に一歩進めて、

・火曜日も食べない日にした。
・週2回は銭湯で温冷浴の実施。
・●●●●●の●●●●の実践。
・●●の使用。

を始めたのです。

体調不良(肉魚酒アレルギー)が治り、
身体に燻らせていた治り損なったものも幾つか治せて、
その分だけ弱った身体の働きを回復させられた私には、
身心共に余裕がありましたから、
新しく始めた事は、
「今度はどんな変化があるのだろうか?」と、
今後起こるであろう身体の変化を楽しみに待ちました。

今回はあまり空腹は感じませんでした。
そしてこの時に私の身体に起きた事(身体の反応)は、

・身体のどこにも痛い・痒い・重い・張る等の違和感がないばかりか、
 身体の各部分がそこにある事も意識しない程に身体が軽くなった。
・何事も躊躇する事がなくなり、
 頭で考えるよりも先に身体が動くような軽快な感じになった。
・睡眠時間が4時間を切った(3時間半程度)が、
 日中は全く眠くならず、
 朝の目覚めも良く、
 目が覚めたら即全力で動けるような感じになった。
・頭は常にスッキリとして一点の曇りもなくなった。
・何事も楽しく思えてきて悪い事や辛い事を考えられなくなってきた。
・感覚が異常に敏感になってきた。

事でした。

これは言葉にしたらタダそれだけの事ですが、
実際には体感した人でなければ分からない程の爽快さ軽快さです。

然しその反面で少し困った事も起こり始めました。
それは感覚が異常に敏感になってきた事で、

・厭世観が出てきた。
・朝、目が覚めた時に●●●●を詳細に覚えているようになった事と、
 ●●●●●になった事。
・体調不良(病気を含む)の●●●●●と、
 私も●●●●●●●●に●●●●●●●●●●●ようになった。
・絶えず●●●●●●●●ようになり、
 時には●●●●●●でも●●●●●●●●ようになった。

のです。

「えんせいかん【厭世観】」の解説
1 この世の中では幸福や満足を得られず、積極的な価値は認めがたいとする人生観。また、そのような人生観に基づく哲学上の立場。厭世主義。ペシミズム。⇔楽天観。
2 物事の成り行きを悪い方向にばかり考えやすい傾向。悲観主義。
「goo辞書:えんせいかん【厭世観】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8E%AD%E4%B8%96%E8%A6%B3/

ここからはこの少し困った事を説明していきます。

普段の体調は良好(絶好調)になった私が、
仕事中に突然に身体の一部分が痛くなったり重くなったり、
時には咳込んだり熱っぽくなったりするようになったのです。
最初は理由が分からず、
「マタ以前に治し損ねたモノが騒ぎ出した(再発)かな?」と思ったのですが、
この時の症状の出方や消え方は、
以前の再発とは違っているように思いましたから、
私は暫く自分の生活(仕事)を観察する事にしたのです。
すると今回の謎の症状は、
体調不良(ケガや病気を含む)の●●●●●●●●、
(調べてみたら●●●●●●●●●●●に近付いた時でした。)
体調不良(ケガや病気を含む)の●●●●●●●●●時だと分かったのです。

特にそんな●●●●●●●●●で、
これは以前にあった事ですが、
●●●●●●●●●時には、
私の●●●●●●●●●●●●●●●●●●●事もありました。
この時に●●●●●●●●●●●私は、
「今、何かの治療をしていますか・・・?」と、
その人に聞いてみますと、
このお客サンは、
「3日前から●●●●●●を始めました。」と答えたのでした。
こんな事が仕事中に何度も起こるようになったのです。
つまり私は接骨院に来る●●●●●●●●●●●ようになったのです。

これでは仕事どころではありません。
「どうしたものか」と考えている間にも、
私の感覚はマスマス冴えていき、
ヤガテ周囲の景色のチョットした載る●●●●●●●●●●にも、
普段食べているモノのチョットした●●●●●●●●にも、
我慢できなくなり、
その環境にいる事自体がイヤになってしまったのです。

マタ●●●●●●●●●事自体は、
良くも悪くもなくドッチでもいい事ですが、
問題なのは●●●●です。
それは●●●●●●●●時の●●●は良く、
その日一日は気分良くいられるのですが、
これが●●●●●●●時は大変で、
それは●●●●は、
大体が●●●だったり、
誰かに●●●●●●●で、
こんな●●●●●の●●●●●●、
その日一日は身体が重く頭は朦朧として、
その差があまりにも大きい事から、
私は「何時も●●●●●●●●にはどうすればよいのか?」と、
考えるようになり、
ヤハリ仕事に集中できなくなってしまったのです。

そうこうしているうちに、
●●●●●●でも●●●●●●ようになったり、
●●●●●●でも頻繁に●●●●●●●●ようになったり、
夜●●●●●●●●●●●●●●●●●事も起き始めたのです。

こんな事が頻繁に起きるようになって、
私は「とうとうキチガイになってしまった・・・」と思ったのです。

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ササヤカな闘病記③

2024年01月22日 | 経験談

超少食菜食(超偏食)生活を始めて2ヶ月程経ったある日の事です。
突如として脈の異常(頻脈と不整脈)と、
胸が締め付けられて息ができなくなったり、
背中を錐で刺されたような鋭い痛みが、
日に何度も起きるようになりました。

夜、寝ている時にこの症状が起きれば、
「ウ~ンウ~ン」と唸りながらでも寝ていれば、
自然に収まっていきますからマダいいのですが、
日中にコレが起きると大変です。

それは仕事どころではなくなるからです。
そんな時は仕事を中断して接骨院の外に出て、
人がいない所でウズクマリ、
症状(背中の痛みと息ができない)が収まるのをジッと待つしかないのです。

こんな事が日に何度も起きるようになりますと、
流石に私も気弱になります。
「もうダメかな・・・限界かな・・・この儘続けたら死ぬかな・・・?」
と思ったのです・・・が、
その反面で、
「この儘、辛い思いをして生きていくなら、
 今死んだ方が楽かもしれない・・・。
 それだったら本当に死んでしまうか、
 この儘続けて様子を観てみよう。」
と思いナゼか開き直ってしまったのです。

この時の開き直りは良かったと思いました。

それは開き直ってから症状に対する恐怖は幾分減り、
「この症状は明日はどうなるのだろうか?」とビビリながらも、
症状を楽しむ(客観的に観る)余裕が少しずつでてきて、
今迄にヤッてきた事を何一つとして止める事なく続けられたからです。

実際に今回の症状は1ヶ月程でウソのように消えてしまいました。
そのうえ症状がでる前よりも、
私の背中や身体(全体)が軽快になってしまったのです。
~2024年追記:因みにこの時の症状は19年間一度も出ていません。~

今回の謎の症状が消えてから、
発症前よりも背中や身体(全体)の調子が良くなった事で、
私は「今回、私の身体に何が起こったのだろうか?」と思い、
謎の症状について考えてみたのです。
すると今回の謎の症状は、
以前にもチョクチョクあった事を思い出したのです。

私は20年程前に交通事故で酷いムチウチになったのですが、
それ以来、何度も今回のような症状(+頭痛)で相当辛い思いをしたのですが、
暫くしたら症状が消えてしまう事や、
仕事が忙しかった事や、
この数年間は症状がでなかった事から、
スッカリと忘れていたのです。
つまり私の今回の症状は再発だったのです。

マタ今回の症状(再発)が治って暫くすると、
次は何の理由もなく突然に右股関節が痛くなりました。
この時の痛みは強くビッコを引かなければ歩けません。
私は胸の締め付けと背中の痛みの時と同様に再発を考えたのですが、
然し今回は幾ら考えても明確な原因は思い出せません。
唯一疑わしかったのは幼児期に受けた手術(私は覚えていません)ですが、
それが原因かドウかは(現時点では)分からないし、
それ以外に覚えている事といえば、
学生の頃に部活やアルバイトをしていた時にも、
右股関節や右お尻がチョクチョク痛くなった事ぐらいですが、
これは原因ではありませんから、
原因として思い当たるものはなかったのです。

マア思い当たる原因がなかったとしても、
「これも再発だろう」と思い、
今ヤッている事は何も変えず暫く様子を観ていましたら、
ヤハリ前回同様に知らないうちに症状は消えてしまい、
ヤハリ前回同様に右股関節の調子は、
痛くなる前よりも良くなってしまったのです。
多分、これも以前に治し損ねた何かの再発だったのでしょう。

~2024年追記:
慢性の体調不良(病気を含む)の回復では、
再発は避けては通れない厄介な問題です。
私は再発が始まった事をツケ払い(清算)といっています。
そして私が接骨院に来るお客サンに言っている事は、
「どんな些細なケガや病気でも治し損ねたら一生モノ」です(後述)。~

この二つの事から、
私は何十年も前に傷めた(弱めた)モノでも、
それが今では症状がなかったとしても治っていない事があるのか、
今では症状がなく治ったと思っている(お医者サンに言われた)ものでも、
再発する事があるのか調べてみました。
そして分かった事は、

①体調不良(ケガや病気を含む)でも急性と慢性は全くの別モノ。
②一度治り損ねたモノは、
 何時迄も炎症が燻り続けてしまい自然に治る事はない。
 これを慢性といいます。
③ケガや病気を治し損ねて慢性化させると、
 症状(特に痛み)は軽減消失して身体は楽になってしまうので、
 症状(特に痛み)だけで体調の良し悪しや、
 体調不良(ケガや病気を含む)の回復を判断する事はできない。
④症状がなくても慢性化したモノは何れ再発したり、
 新たな体調不良(病気を含む)を引き起こす。
⑤慢性化したモノの回復には長い時間がかかり、
 急性とは違う回復の経過を辿る。

だったのです。
~2024年追記:①~⑤は業者(医療福祉従事者)サンには無い考えです。~

つまり私の胸の締め付けや背中の痛みや右股関節の痛みは、
過去に傷めて(弱めて)治り損なったモノの再発か、
マタは過去に傷めて(弱めて)治し損なったモノに起因して痛み出したモノで、
今迄、症状がなかったのは治ったからではなく、
治し損ねた分だけ身体が防御反応をとって症状を消していた・・・
と考えられるのです。
(これに関しては後述します。)

これに関して少し補足しますと、
現在は急性慢性を問わず対症療法が治療(施術)の主流になっています。
然し対症療法は症状(検査も症状の一つ)を消すだけの治療(施術)ですから、
本来ならば応急処置として行われる治療(施術)で、
体調不良(ケガや病気を含む)を治す(回復する)のとは別なのです。
然し実際に業者(医療福祉従事者)サンは、
慢性の体調不良(病気を含む)でも対症療法(応急処置)を行い、
それで症状(検査も症状の一つ)が軽減消失すれば、
良くなった(治った)と判断(勘違い)して、
対症療法(応急処置)を受けている人も、
その治療で症状(検査も症状の一つ)が軽減消失すると、
良くなった(治った)と思う(勘違いする)のですが、
実は、

対症療法(応急処置)で症状(検査も症状の一つ)を消した場合は、
単に症状(検査も症状の一つ)を消した(抑えた)だけの事で、
体調不良(ケガや病気を含む)が治った(回復した)のとは全く関係ない。

なのです。
(これに関する私見は後述します。)

私が超少食菜食(超偏食)生活を始めた時には85㎏だった体重は、
この半年程で72㎏に減り、
以前に着れなくなった服が余裕で着られるようになりました。

私はこの時に試しに、
サンマの塩焼き弁当と●●●●●●●●●●チキンを食べて、
日本酒を飲んでみました。
今回は全身の腫れも全身の強烈な痒みは出ないし、
出る気配(少しムズムズする感じ)も全くありません。
私はこの時に肉魚酒アレルギーをはじめとした、
以前のゲガや病気を治し損ねて身体に燻らせているモノの幾つかも、
自力で治せたと実感した(判断した)のでした。

然しこの時に少し困った事が起こりました。
それはこの時に食べたサンマの塩焼きと●●●●●●●●●●チキンが、
そしてこの時に飲んだ日本酒が、
とても臭くて不味くて食べられなかった(飲めなかった)事でした(残しました)。

因みに日本酒は安いモノではありません。
当時、小学生の娘に匂いを嗅がせたところ、
「木の香りがする」と言って飲もうとした本物の酒です。

どうやら私は、

体調不良(肉魚酒アレルギー)を自力で回復させていく過程で、
今迄に身に付けていた健康の基準(今回は味覚)が、
何時の間にか修正されていた。

ようです。

それが今迄は美味しいと思って食べていた、
そして「肉魚酒アレルギーが治ったら真ッ先に食べよう」と思っていた、
サンマの塩焼きと●●●●●●●●●●チキンと日本酒が、
不味くて食べられなかった・・・という味覚の変化だったのです。

そしてこの味覚の変化(味覚が修正された事)で私は、

美味しいモノが身体を良くするのではなく、
身体に必要なモノが美味しく感じられる事が食事の基本。

というゴク当たり前の事を知ったのです。

これも少し補足しますと、
最初は不本意にイヤイヤ始めた穀物菜食(ヴィーガン)生活だったのですが、
続けているうちに、
毎日食べている、
(有機無農薬ではない)玄米と(有機無農薬ではない)生野菜が、
抵抗なく食べられるようになったばかりか、
「野菜はこんなにもハッキリと味がするモノだったのか」と、
今迄はあまり感じられなかった野菜の味がハッキリと分かるようになり、
塩と醤油の使用量が減った時があったのです。

今思えばこれは濃い味に慣れていた私の味覚が、
食事を見直した(玄米生菜食(ヴィーガン)になった)事で、
本来の私の身体(体調)に適した味覚に修正されたと考えられるのです。
すると毎日の、
(有機無農薬ではない)玄米と(有機無農薬ではない)生野菜だけという、
単調で貧しいエサのような食事が、
美味しくて安心して食べられる御馳走に変わり、
逆に濃い味付けのモノや、
複雑な味付けのモノ(手の込んだ料理)が、
不味く感じられるようになったのです。

然し体調不良(肉魚酒アレルギー)を治している時には、
この時の味覚の変化が、
身体が回復を始めた時の反応の一つとは知らなかったし(無知)、
この程度の些細な変化を感じ取る余裕もなかったから、
分からなくても仕方がなかったのかもしれませんが、
今思えばこの時の味覚の変化も、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復していく時の、
身体の反応の一つだったのです。

この時に修正された私の味覚は、
その後の私の体調を維持する基準になりましたから、
これで私は、
敢えてカロリーや栄養のバランスを考えた規則正しい食事をしなくても、
無理にガンバッて禁煙や減塩や糖質制限をしなくても、

食べたいと思った時(空腹時)に、
食べたいと思ったモノ(美味しく感じるモノ=身体が必要とするモノ)を、
美味しく食べられる量(適量)だけ食べている限り、
食事(食品や食習慣)が原因で体調不良(病気を含む)になるリスクは減った。

のです。

私は肉魚酒アレルギーが治った時には、
腹一杯食べてやろうと思っていた肉や魚に、
マタ浴びる程飲んでやろうと思っていた酒に見事に裏切られて、
「こんなに不味くて臭いモノを食べたい一心で、
 今迄アレルギーを治すのにガンバッてきたんだ・・・」と少し呆れたのですが、
然し今迄は「体調不良(肉魚酒アレルギー)を治す為に」と、
我慢して食べなかった肉や魚や酒が、
何時の間にか「不味いから食べない」に変わっていて、
知らないうちに肉や魚や酒から卒業していたのです。

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ササヤカな闘病記②

2024年01月15日 | 経験談

体調不良(肉魚酒アレルギー)になる迄は、
肉や魚は生きていくうえで必要不可欠なモノと、
酒は一日の疲れを取る為に必要不可欠なモノと、
信じて疑わなかったのが、
不本意にも次の日からは一切止めてしまったのです。

確かに穀物菜食(ヴィーガン)生活を始めてからは、
全身の腫れも強烈な痒みも減ったのですが、
だからといって身体がスグに新しい環境に慣れる筈もなく、
私は何時でも常に、
「肉が食べたい・・・魚が食べたい・・・酒が飲みたい・・・。」
と禁断症状に悩まされるようになったのです。

この時の禁断症状がどの程度のものかといいますと、
ある日、近所のスーパーの食品売り場を歩いていた時の事です。

(私は一時期は奥サンが作るモノも安心して食べられなくなり、
 自分が食べるモノは自分で選ぶようにして、
 昼からスーパーの食品売り場を歩くようになったのです。)

何処からか、
「美味しいから買っていきなさいヨ。」と、
私に話しかけてくる声がするのです。
私は声のする方を見てみますと、
そこには棚一面にハムやソーセージが並んでいて、
そのハムやソーセージ達が、
私に(日本語で)話しかけていたのです。

私は何気(無意識)にその棚に近付き、
「今、お前達を食べると大変な事になるから絶対に食べない。
 これからは誘わないでくれ。」
と実際に声に出して答えていたのです。
それを隣で不思議そうに見ていた見知らぬオバサンの顔は今でも覚えています。
~2024年追記:当然の事ですが今ではオバサンの顔は忘れました。~

こんな事がスーパーの食品売り場を歩く度に起きるようになり、
暫くしたらマグロの刺身とも(日本語で)話しができるようになりました。

そんな辛い日が続き、
何時棒を折ってもおかしくない穀物菜食(ヴィーガン)生活だったのですが、
それでも全身の腫れと全身の強烈な痒みは確実に減り、
夜が寝られるようになった事と、
逃げ道であるタバコが普通に吸えた事から、
私は「肉が食べたい魚が食べたい酒が飲みたい」という気持ちを、
何とか抑える事ができました。

「棒を折る(ぼうをおる)」の意味
(「棒」はつっかい棒)手を引く。中途で投げ出す。棒が折れる。
「コトバンク:棒を折る(ぼうをおる)」より
https://kotobank.jp/word/%E6%A3%92%E3%82%92%E6%8A%98%E3%82%8B-2081646

昼は近所のスーパーで買った、
(有機無農薬ではない)生野菜に塩を振って食べて、
夜は(有機無農薬ではない)玄米と(有機無農薬ではない)生野菜に、
塩と醤油で味をつけて食べ続けたのです。

そんな減塩無視の超偏食(ヴィーガン)生活を始めて、
2ヶ月ほど経ったある日の朝の事です。

私は朝起きたら階段を降りて一階の居間に行くのですが、
この日は階段を降りている時に「アレッ」と思いました。
何時もは両方のフクラハギが重く攣ったような状態で、
階段を降りていたのですが、
この日はフクラハギが異様に軽いのです。

そして居間に行ってから次にヤル事は、
トイレに入ってウンコをするのですが、
排便後にトイレから出てくる時に再び「アレッ」と思ったのです。
今度はお腹がカラッポになったようなスッキリとした感じがして、
異様に気持ち良かったのです。

私は(有機無農薬ではない)玄米と、
(有機無農薬ではない)生野菜だけを食べ続けて、
「何時、栄養失調で倒れるのか?」
ばかりを考えていたのですが、
一向に倒れる事がないどころか、
この日は謎の爽快感を感じてしまったのです。

今でしたらこの時の謎の爽快感は、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復を始めた時の、
身体の反応の一つだと分かるのですが、
食事(食養)に関して全く知識も経験もなかった当時の私は、
この時の謎の爽快感が、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復を始めた時の、
身体の反応の一つとは考えられず、
諺で「灯滅せんとして光を増す」というように、
「これでイヨイヨ倒れる時が近付いてきたのかもしれない・・・。」と、
身体の反応を真逆に解釈してしまったのです。

灯(とう)滅(めっ)せんとして光(ひかり)を増(ま)す の解説
《「法滅尽経」から》ともしびが消えようとするとき、一瞬その光を増す。物事が滅びる直前に、一時勢いを盛り返すたとえ。
「goo辞書:灯滅せんとして光を増す」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%81%AF%E6%BB%85%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E5%85%89%E3%82%92%E5%A2%97%E3%81%99/

私の頭は身体の反応を真逆に解釈してしまったのですが、
私の身体はそんな頭の解釈に御構い無く(関係なく)次の日からも、
朝の目覚めは良く、
階段を降りる時の足取りも軽く、
快便も続いたのです。

然しそんな快適な日が続いても、
私はマダ「倒れる前ってこんなものなのかなァ・・・?」と、
実際に起きている身体の反応(快適な状態)を疑い、
「何時、倒れるのかなァ・・・?」と、
毎日ビビリながら過ごしたのです。

何れ倒れるとしても、
私は今回の謎の爽快感の理由が知りたくなりました。
そこで遅れ馳せながらヤッと菜食に関して調べてみたのです。

調べてみると次の事が分かりました。

・菜食は動物愛護の人や一部の宗教家だけのものではなく、
 今では老若男女問わず多くの人が実践している。
・アスリートにも菜食者がいる。
・菜食は一部の体調不良(病気)には明らかな効果を出している。
・菜食者が栄養失調で倒れる事はない。

これで私は、
「モシかして倒れる事はないのかなァ・・・」と思ったのですが、
然しそれは「コレで大丈夫」と確信できる程でもなく、
幾ら菜食(ヴィーガン)が身体に良いと頭(理屈)で分かっても、
そして私の今迄の食習慣が身体に大きな負担になっていた事が分かっても、
一度、身に付けた食習慣や嗜好(肉魚酒好き)を急に変えられる筈もなく、
「確かに身体は楽になっている・・・かもしれない・・・然し・・・」と、
身体が楽になっている現実を素直に認められず(認めたくなくて)、
頭は相変わらず、
「肉が食べたい・・・魚が食べたい・・・酒が飲みたい・・・」と訴えていて、
スーパーの食品売り場を歩けば、
相変わらず肉や魚が私に(日本語で)話しかけてくるのでした。

これは穀物菜食(ヴィーガン)で身体が楽になっている現実を経験しても、
今迄に身に付けた食習慣(肉魚酒好きの大食漢)が、
身体に大きな負担になっていた(間違っていた)と分かっても、

一度身に付けた習慣や嗜好を変えるのはトンデモナク難しく、
余程の事情がない(余程懲りない)限り変えるのは無理。

という事です。

特に私の場合は、
自ら望んで穀物菜食(ヴィーガン)生活を始めたのではなく、
不本意に成り行きで始めた穀物菜食(ヴィーガン)生活ですから、
幾ら身体が楽になってきたとしても、
寧ろ身体が楽になればなる程、
今迄に美味しいと感じたモノ(好物)が食べたくなり、
本来ならば何時迄も続けられるものではないのです。
そんな状況(好物が食べたいけど食べられない状況)を打開する為に、
私が考えた事は、
「どうすれば肉や魚から無理なく卒業できるのか」でした。
そこで私は以前にインターネットで見つけた、
「生きたままミンチになる牛」という動画を、
毎日何度も観る事にしたのです。

因みにこの動画は、
当時、私の接骨院の事務員サンに観せたところ、
次の日に事務員サンから、
「あれから牛の鳴き声が耳から離れなくなってしまった。
 もう二度と観せないで下さい。」
と言われてしまった程の衝撃的な動画を、
私は毎日何度も観たのです。
その後、インターネットで見つけた
「生きたままシュレッダーにかけられるヒヨコ」という動画も、
毎日何度も観るようになりました。

そんなバカげた努力が報われたからなのでしょうか、
私は以前ほどは肉や魚を食べたいとは思わなくなりました。
マタ物菜食(ヴィーガン)生活を始めた時には、
99.8㎏だった体重は3ケ月程で85㎏に減り、
全身の腫れや全身の強烈な痒みは出なくなりました。
マタ夜もよく寝られるようになり、
睡眠不足も何時の間にか解消されていました。

この時に私は試しに肉を食べてみました。
結果は腫れは起きないし痒くもならないのです・・・が、
ホンの少しだけムズムズするのです。
~2024年追記:
この時のムズムズはゴク僅かで、
一般的には「治った(良くなった)」と判断してもいい程だと思います。~

私はこの僅かなムズムズに納得できませんでした。
「これが穀物菜食(ヴィーガン)の限界か・・・。
 これからもコワゴワ食事をしていくのなら、
 これからは何も食べずに光合成で生きていこう。」
とバカな事を考えて不食を目指す事にして、
不食に関してインターネットで調べるようになったのです。

インターネツトには不食に関する多くの記事や本が紹介されていました。
そこで何冊かの本を購入したのですが、
その中の一冊の本が私の目に留まりました。
「長生きしたければ朝食を抜きなさい」(甲田光雄監修/東茂由著)
という題名でした。

本の題名を見て私は、
「ナントいい加減な事を・・・。
 私は小中学生の頃から朝食を食べていないのに、
 今はこんなに辛い思いをしている。
 モシ朝食を抜いただけで長生き(元気でいられる)ができるのなら、
 誰も体調不良(病気を含む)で苦労するものか。」
と思いました。

私は小中学生の頃から朝食は食べていないし今でも食べていません。
それは当時は虐待(育児放棄)を受けていたからではなく、
朝、少しでも長く寝ていたかったからです。
それなのに今では体調不良(肉魚酒アレルギー)が治らず、
辛い思いをしているのです。
私は「いい加減な本があるものだ」と呆れたのですが、
ところが何日経っても、
この本の題名が頭から離れなくなってしまったのです。
そこで私は一度冷やかしのつもりで、
この本を買って読んでみたのです。

冷やかしのつもりで読んだ本だったのですが、
読んで良かったと思いました。
それは私が体調不良(肉魚酒アレルギー)になった理由が自分なりに分かり、
不本意ながら暗中模索して試行錯誤しながら自分なりにヤッてきた事が、
大雑把でしたが間違っていなかった事が分かり、
私が体調不良(肉魚酒アレルギー)になる前に、
身体に良いと思っていた事やヤッてきた事の殆どが、
実は身体に大きな負担になっていた事が改めて分かったからです。

つまり私が健康を意識して(健康の為にと)、
身体に良い(と思っている)事をヤレばヤル程、
実は身体に負担となり(身体を疲れさせて)、
そんな生活(身体に負担になる生活)を続けてきた事で、
身体の働きは着実に弱っていき、
弱化がある程度進んだ時に、
タマタマ些細な事(大恩人の死)がキッカケとなり(原因ではありません)、
その時の私の最も弱っていた部分に症状が出た。
それが肉魚酒アレルギーだった・・・という、
大雑把なストーリーが分かったのです。

つまり私は、

十分な準備期間を経て肉魚酒アレルギーになった

という事です。

私は自分の身に起きた体調不良(肉魚酒アレルギー)が、
自分なりに解釈できた(大雑把なストーリーが分かった)事で、
私はナゼか早くも「治った」と思いました。

~2024年追記:
この時に「ナゼか治った」と思ったのも、
マタ一冊の本の題名が頭から離れなくなってしまったのも、
ナニも根拠もありません。
これを私は「ムシの知らせ(第六感)」と考えて、
私はこれも体調不良(弱っている身体)が回復していく時の、
目安の一つにしています。
「ムシの知らせ(第六感)」に関する私見は気が向いた時に書きます。~

そこで私は目標だった不食を、
「肉魚酒アレルギーを治す」という明確な目的に切り替えて、
「長生きしたければ朝食を抜きなさい」(甲田光雄監修/東茂由著)
という健康本(一般書で医学書ではありません)だけを頼りに、
次の日からは、

・食事を一日に一食(夕食のみ)にした。
・一食の内容は茶碗一杯の玄米とドンブリ一杯半の生野菜だけ。
・調味料は塩と醤油だけ。
・飲み物は水だけ(お茶もコーヒーも飲まない)。
・月曜日は何も食べない日にした。
・週に1~2回は銭湯で温冷浴の実施。

を始めたのです。

多分、1日の摂取カロリーは700~800㎉程度だと思います。
当然、次の日からは強烈な空腹感に悩まされるようになり、
特に何も食べない月曜日は、
空腹のうえに何か頼りない不安を感じるようになったのです。

【参考資料】
「長生きしたければ朝食は抜きなさい」(2002年)
甲田光雄監修/東茂由著  河出書房新社刊

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ササヤカな闘病記①

2024年01月08日 | 経験談

私はこの30年間は一切の医療サービスを受けていません。

体調不良(ケガや病気を含む)で医療機関を受診した事も、
(合法非合法問わず)薬やサプリメントを使った事も、
コルセットやサポーター等の健康グッズを使った事も、
特定(メタボ)健診や予防接種を受けた事も、
健康の為にと大嫌いな運動(スポーツ)をした事も、
栄養やカロリーを考えて規則正しく面倒臭いエサのような食事をした事も、
禁煙・禁酒・減塩・糖質制限をした事も、
接骨院・鍼灸治療院・整体院等の代替療法を利用した事もありません。

今でもタバコは1日に一箱程度は吸い、
今では卒業しましたが平成15年(2003年)迄の3年間は、
日本酒に換算すると一升以上の量の酒を毎日飲んでいたのです。

このように健康に無頓着な私だったのですが、
それは私の体調が何時も良かったからではなく、
接骨院の仕事が異常に忙しくて医療機関を受診する時間がなかったからで、
ヤハリ体調は人並みに悪くなっていたのです。

因みに平成15年(2003年)迄の私の身体に起きた、
そして今でも時々起きる体調不調(症状)は、
覚えているモノでは次の通りです。

・腰痛
・肩凝り
・偏頭痛・・・20年前の交通事故から始まった。
・のぼせ・・・急に頭が熱くなり異常に汗が出てくる。
・不整脈と頻脈
・動悸と目眩・・・気持ち悪くて動けなくなる。
・胸の痛みと締め付け・・・錐で刺されたような鋭い痛み。
・背中のコムラ返り・・・背中が固まって息ができなくなる。
・喘息・・・特に夜間に咳込む。
・右鼠径部の痛み・・・普通に歩けず跛(ビッコ)になる。
・右足第一趾の感覚鈍麻・・・軽く針でつついても何も感じない程度。
・右大腿部の静脈瘤
・右足だけ定期的になる水虫・・・一度罹ると必ず膿んでくる程悪化する。
・3年に一度必ず起きる40度近い発熱・・・2~3日は寝込む。
・頻繁に起きる両フクラハギのコムラ返り。
・両側のお尻一面の吹き出物
・帯状疱疹
・疲れてくると物が二重に見える・・・15年前の喧嘩で目を殴られてから始まる。
・花粉症
・頻繁に繰り返す便秘と下痢。
・体臭と口臭が強い。
・超短気で常にイライラしている。
・デブ・・・身長180㎝で体重99.8㎏
・肉魚酒の飲食によるアレルギー。(→コレが始まりです。)

等、幾つもありましたが、
これ等の症状が何時も何の予兆もなく突然始まっていたのです。

ここに挙げた数々の不調(体調不良)に対して、
私は医療機関を受診していませんから、
どのような病名が付くのかは知りませんが、
何れの症状(体調不良)も、
生きるか死ぬかの大ケガ大病ではない(緊急性がない)事や、
暫くすると症状は消えて身体が楽になる事から、
私は、
「大したものではない。」
「年(加齢)だから仕方がない。」
「今は仕事が忙しいから仕方がない。」等と、
全て仕方がないで済ませていたのです。
~2024年追記:これは私の接骨院に来るお客サンと同じです。~

確かに平成15年(2003年)迄の私は仕事が異常に忙しくて、
特に平成5年(1993年)に今の場所に接骨院を開業してからは、
土日祝日の休みもとらず仕事をして、
一日の睡眠時間も3~4時間程度でしたから、
自分の体調を考える時間がなかったのも仕方がなかったのですが、
最近になって思い返してみますと、
~2024年追記:最近とは平成18年(2006年)頃です。~
私が体調不良になっても一切の医療サービスを頼らず、
全て「仕方がない」で済ませていたのは、
仕事が忙しかった事に加え、
・幼少の頃から少々の不調では医療機関を受診する習慣がなかった。
・私は根っからの不精で怠け者で、
 少々の不調では医療機関を受診する気にならなかった。
という私の性格や習慣の部分で、
医療機関を受診しなかった事も大きな理由だと思いました。

そんな私が平成15年(2003年)の夏に、
些細な事(大恩人の死)をキッカケに、
全身の腫れと全身の強烈な痒みに悩まされるようになりました。

一度痒くなると掻き毟ります。
暫く我慢していれば痒さは消える事が分かってからも、
強烈な痒さですから掻かずにはいられません。
数日後には掻き毟った事で、
全身が瘡蓋(カサブタ)だらけになってしまいました。

こんな辛い事が起きるのは初めてです。
普段から何も信仰を持たない私でしたが流石にこの時は、
「何かの罰が当たったのかもしれない・・・。」
「モシかしてコレッて生き地獄・・・?」
「モシかして大恩人の祟り???」
と思ったのですが、
然しその反面で、
「そのうちに治るだろう。」
と高を括っていたのです・・・が、
半年程経っても治る事はありませんでした。

そんな辛い半年でも一つだけ分かった事がありました。
それは一度痒くなると大体6時間ほど痒さが続く事でした。

ですから昼頃に痒くなる分には、
掻いても我慢しても仕事をしているうちに痒さを忘れていくのですが、
就寝時に痒くなったら大変です。
それは明け方まで痒くて寝られなくなってしまいますから、
暫くしたら全身の腫れと強烈な痒さと瘡蓋(カサブタ)に、
睡眠不足が加わってしまったのです。

流石にこの時には、
「何故、治らないのだろうか・・・?」
「何故、痒くなるのだろうか・・・?」
と少しだけ考えるようになりましたが、
痒くなければスグに忘れてしまうのでした。

マタこの頃には、
私の身体を心配した親兄弟・友人知人・親類縁者が私の顔を見る度に、
「医者に診てもらえ検査を受けろ薬を飲め。」
と善意の助言をしてくれるようになったのですが、
そんな善意の助言に対して私は、
「医者に診せたところで、
 検査を受けたところで、
 薬を飲んだところで、
 アレルギーが治った話しなんて聞いた事がないし、
 この程度のモノは放っておいても自然に治る。」
と強がりを言って、
医療機関を受診する事はなかったのです・・・がヤハリ治る事はなく、
そればかりか新たに追加された睡眠不足が祟り始めて、
日中も集中力の低下と全身の倦怠感で、
仕事に支障が出るようになったのです。

私はこの時になって再び、
「何故、治らないのだろうか・・・?」
と今迄よりも少しだけジックリと真面目に考えるようになり、
自然に自分の生活を観察するようになっていったのです。

実際に自分の生活を観察して分かった事は、
全身の腫れと強烈な痒みは必ず食後に起きている事でした。

それが分かった次は、
「何を食べれば痒くなるのだろうか・・・?」
私は身体を痒くする食品を探すようになっていったのです。

そして分かった事は、

マズは症状(全身の腫れと痒み)が出ない食べ物としては、

・穀物と野菜。
・調味料は醤油と塩だけ。
・お菓子は塩味のポップコーンとゴマの南部センベイは大丈夫。
・タバコは大丈夫。
・乳製品と日清カップヌードル(白地に赤文字のモノだけ)は辛うじて大丈夫。
 (辛うじてとは少しムズムズする程度で済むという事です。)
~2024年追記:
辛うじてでも日清カップヌードル(白地に赤文字のモノだけ)が、
大丈夫だった理由は今でも分かりません。~

が分かりました。

次に症状(全身の腫れと痒み)が出る食べ物としては、

・ファストフードや冷凍食品や加工食品はダメ。
・肉と魚は全くダメ。
・酒は匂いを嗅いだだけでもダメ。
・外食は店によって違っていて、
 ダメな店は店内に一歩入っただけでもダメ。

が分かったのです。

(ある日、近所のコダワリのソバ屋サンの前を通った時、
 店が仕込み中だったようで、
 換気扇から出る風に当たっただけで、
 身体が反応した(アレルギーがでた)事もありました。)

特に肉や魚は出汁としての少量の使用や、
味覚として感じない程度の僅かな使用でも、
マタ酒は少し匂いを嗅いだだけでも身体は正確に反応して、
その正確さに少しだけ嬉しく思ったのですが、
然しそんな嬉しさよりも、
私の健康観(健康や病気の考え方)の一つである、
「菜食は女子供がする事で、
 男だったら何時でも何処でも何でも食べられて、
 周りの人よりも大量に美味しく食べられるのが健康の証。」
~2024年追記:今だったら言ってはいけない言葉です。~
が通用しなくなった事の方が一大事で、
それは、

米と野菜だけを食べて何れ栄養失調で倒れるか、
身体の為にと肉や魚を食べて何れ睡眠不足で倒れるか、

ドッチを選んでも倒れるという究極の選択になってしまったからです。
~2024年追記:今思えば笑い話しです。~

何れ栄養失調で倒れるとしても、
それ迄は米と野菜だけを食べていれば、
腹は膨れて夜も寝られます。
然し睡眠不足は寝る以外に解決策はないし、
睡眠不足は辛いのです。
私は、
「寝不足は辛いから今は米と野菜だけを腹一杯食べて、
 何れ栄養失調で倒れよう。」
と睡眠不足を解消する方を選択して、
次の日からは、
動物愛護の気持ちも神様仏様への信仰もない私が、
少しでも夜は寝たい一心で穀物菜食(ヴィーガン)生活を始めたのです。

「ヴィーガン」という言葉は、「酪農製品を食べないベジタリアン」を表すために、1944年にイギリスにおいてヴィーガン協会の共同設立者であるドナルド・ワトソンによって作られた言葉であるが、ヴィーガン協会は卵の摂取にも反対していた。1951年、ヴィーガン協会は「ヴィーガニズム」の定義を拡大し、「人間は動物を搾取することなく生きるべきだという主義」の意味だとした。1961年、H・ジェイ・ディンシャー はアメリカ・ヴィーガン協会を設立し、ヴィーガニズムをジャイナ教のアヒンサー(生物に対する非暴力)の概念に結びつけた。
「Wikipedea(ウキペディア):ヴィーガニズム」より

【参考資料】
「Wikipedea(ウキペディア):ヴィーガニズム」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

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5回目のブログ再開します

2024年01月01日 | 私見

今回から5回目のブログを始めます。

1回目のブログは、
見ず知らずのドコかの誰かサン数人から、
「素人のクセに無責任な事を書くな!
 私は今でも○○(病名)で辛い思いをしているんだ!」
みたいな怒り(八ツ当たり)のクレームにビックリして止めました。

2回目のブログは、
そんな怒り(八ツ当たり)のクレームを警戒して、
ソフトな言い回し(曖昧な表現)を心掛けて始めたのですが、
ブログを続けていくうちに、
私が何が言いたい(伝えたい)のかが分からなくなったので止めました。

3回目のブログは、
一番長く続いたのですが、
ところが私の接骨院に来るお客サンで、
このブログを読んだ数人の人が知ったか振り(雑学博士)サンになってしまい、
治療(施術)に支障をきたすようになったので止めました。
知ったか振り(雑学博士)サンの弊害については気が向いた時に説明します。

4回目のブログは、
何となく惰性(ヒマつぶし)で始めたのですが、
イザ始めてみますと、
今迄に分からなかった事や曖昧になっていた事が、
自分なりにですが次々と解決されていき、
気が付けば頭の中がスッキリと整理されていたのです。
これを例えますと、
幾つもの点が一本の線に繋がった感じです。
すると今回ブログに掲載した記事が何となく違和感で納得できなくなり、
一度、仕切り直すツモリで止めたのです。

ソモソモ作文の苦手(大嫌い)な私が、
こんなにもシツコクブログを始めたり止めたりを繰り返すのは、
私自身が平成15年(2003年)に、
体調不良(肉魚酒アレルギー)になったのを、
一切の医療サービスに頼る事なく、
全て自力(生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)を少し見直しただけ)で、
2年間で回復できた(完治)ばかりか、
今迄に体感した事がない程の良好な体調(絶好調)になれたからです。
(この時の経緯は次から説明します。)

当時の私の体調不良(肉魚酒アレルギー)は、
決して生きるか死ぬかの(緊急性が高い)大ケガや大病ではなかったのですが、
その程度の些細な体調不良(ケガや病気を含む)でも、
私の周囲の身近な人達や、
私の接骨院に来るお客サンは、
長く治療(施術)を続けているにも係わらず、
それ以外にも自分なりに工夫した何等かの事をヤッているにも係わらず、
セイゼイ一時的に症状が軽減消失する(身体が楽になる)事はあっても、
チットも治っていない人ばかりで、
そのうえこの人達の多くは、
大した症状ではないからなのでしょうか、
普段の生活にあまり支障がないからなのでしょうか、
体調不良(ケガや病気を含む)がチットも治らないのはあまり重視せず、
治す事を諦めている人が多くいる事が分かったのです。

「ちっとも【些とも】」の解説
1打消しの語を伴って、それを強める気持ちを表す。少しも。まったく。
 「—うまくない」「—気にしてない」
2物事の程度がわずかなさま。少しでも。
「goo辞書:ちっとも【些とも】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%BA%9B%E3%81%A8%E3%82%82_%28%E3%81%A1%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%82%29/

そんな人達を観て私は、

・些細な体調不良(ケガや病気を含む)が治せない人が、
 何れソコソコ無視できない体調不良(ケガや病気を含む)になった時に、
 はたして適切に治す事ができるのか?

・些細な体調不良(ケガや病気を含む)が治せない人が、
 病気予防や健康増進を考える事に問題はないのか?

・健診検査で些細な異常が見つかって治療(主に薬や理学療法)を始めた人が、
 健診検査の結果が良くなっても「万が一」みたいな事を言われて、
 治療(主に薬)が続くのは問題ないのか?

・体調不良(ケガや病気を含む)の回復も含めて、
 健康に関する手間暇費用がかかる(それも高コスト)のは問題ないのか?

等々、
実際には他にも細々とした疑問を持ったのです。

そんな私の疑問を解決する為に、
マタ私の周囲の人達や、
私の接骨院に来るお客サンが、
少しは自分の健康(病気を含む)を見直すキッカケになるのではと思い、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを提案するようになり、
その一環としてブログを始めたのです。

ところが私の気持ちは余計な御世話だったようで見事に裏切られました。
それは幾ら私が生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを提案しても、
殆どの人が聞く耳を持たなかった(受け入れられなかった)からです。

「聞(き)く耳(みみ)を持(も)たない」の解説
相手の発言を聞く気がない。
「goo辞書:聞く耳を持たない」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%81%9E%E3%81%8F%E8%80%B3%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%84/

そればかりか私の周囲の身近な人達では、
自分の体調不良(ケガや病気を含む)がチットも治っていないのは棚に上げて、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が治り(完治)、
今迄に体感した事がない程の良好な体調(絶好調)になった、
私の経験や姿を否定して、
逆に絶好調な私に対して、
アレコレと善意の助言(説教を含む)をしてくれたり、
私の接骨院に来るお客サンでは、
私が幾ら生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを説明しても、
全く聞く耳を持たず、
そんなお客サンに対して私もシツコク説明し続けた事で、
気が付けば約7割のお客サンが、
私の接骨院から消えてしまったのです。

ところが話しはこれで終わりませんでした。
私の感覚では残った約3割のお客サンの半数以上の人が、
私の接骨院に来ているにも係わらず、
私が提案する生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを、
頑なに(マタはノラリクラリと)拒み続けたり、
お義理程度に自分の得意な事やヤリ易い事だけを、
気分次第でヤッたりヤラなかったりする中途半端な人ばかりで、
私が提案した通りに生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを始めた人は、
両手の指で余裕で数えられる人しか残っていなかったのです。

ヤルヤラナイは別として、
体調が良くなった(絶好調になった)私の経験(提案)を、
ハナら聞こうとしなかった(否定した)人は、
私の接骨院に来た時は、
口では「治りたい」「良くなりたい」と言っているのですが、
それではこの人達はどのようにして体調不良(ケガや病気を含む)を治して、
病気予防や健康増進をしていくのでしょうか?・・・私には分かりません。

そんな事を思いながら、
私が接骨院に来るお客サンに、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しの提案を始めて19年経ちました。
この間に私は、
私の周囲の身近な人達から、
マタ私の接骨院に来るお客サンから、
非常に多くの事を学ばせてもらいました。
そして今では私が19年間ヤッてきた事は正しかったと確信し、
今では、

普段の体調が良好なのは普通の事。
体調不良(ケガや病気を含む)になるのはその人の不注意。
一度ナッた体調不良(ケガや病気を含む)が回復しないのはその人の努力の結果。

と考えるに至ったのです。

そこで今回の5回目のブログ「接骨院閑話」では、
この19年間で私が学んだ(気付いた)イロイロな事を、
医学的な根拠は二の次三の次にして説明していきます。

それでは始めます。

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