こうして以前のケガや病気を、
適切に回復させられなくて(治し損ねて)、
「最初の一つ」を作ってしまった子供は、
この時期には、
燻らせた火種の影響は広範囲(全身)に及んでいます(=満身創痍)。
(但し症状があるとは限りません・・・)
そんな子供が高校に通学したり就職して社会に出る時期になりますが、
この時期は他の時期とは違って身体に最も大切な時期です。
それは筋骨格の成長期で、
これからの3~4年間で作った身体で、
残りの人生を過ごしていく事になるからです。
昭和時代には、
「子供の頃は病気ばかりしていたが、
大人になったら丈夫になって病気をしなくなった。」
とはチョクチョク聞いた話しですが、
これは筋骨格の成長期を上手に過ごせたからだと思います。
筋骨格系の成長期を上手に過ごす事は、
必ずしも運動(スポーツ)を熱心にヤッて、
身体を作るのとは必ずしも一致しません。
寧ろ現在では運動(スポーツ)を熱心に行っている人ほど、
運動(スポーツ)後のケアが不十分で、
身体各部分は傷んた儘になっている事(満身創痍)や、
体育会系で培った頑固な迄の偏った信条(健康観)が身に付いている事から、
運動能力は優れ見栄えの良い体型をしているかもしれませんが、
それに反して、
中身(身体の働き)は健康とはほど遠い人は多くいるのです。
~2024年追記:
「体育会系で培った頑固な迄の偏った信条」とは、
昭和のテレビアニメ「アタックNo1」の主題歌で、
「苦しくたって 悲しくたって
コートの中では 平気なの」(東京ムーピー企画 作詞)
というように、
何でも根性で乗り切ろうとする考えです。~
今迄に治し損ねたモノが一つとして解消させられず(火種を燻らせた儘)、
その影響が全身に及んでいる人は、
そんな人が大学に通ったり社会に出て仕事をするようになるのですが、
最早、満身創痍ともいえる状態ですから、
今迄のケカや病気を治し損ねて身体に燻らせているモノが、
何時燃え始めるのか(再発するのか)は時間の問題なのです。
(早くも時間切れになって、
体調不良になり日常生活が普通に送られなくなった人は、
増えているように思います。)
以前にも増して普段の生活は忙しくなっても、
疲れた身体を回復させる事を知らないばかりに、
(知っていたとしても不十分だったり見当外れな場合が多いのですが・・・)
疲れた身体の人が、
残り火を燻らせた儘に筋骨格の成長期を過ごしていくのです。
仮にこのような満身創痍の人(症状がないから無自覚です)が健康に目覚めて、
例えば身体に良い(と考えられている)食事を始めたとしても、
ヨガ教室やフィットネスクラブに通い運動を始めたとしても、
あまり関係ありません。
確かに新たな体調不良(ケガや病気を含む)には、
ソコソコ有効なのかもしれませんが、
今迄に治し損ねたモノには全く効果はなく、
そこに新しく始めた事が、
逆に身体に大きな負担になったりして、
自分では健康的な生活を心掛けているつもりでも、
身体の働きに余裕が無い人から、
大した理由もないのに(時に全く理由もなく)、
体調が悪くなる(痛み等の症状や病気を含む)のです。
この時に問題なのは、
以前に傷めた部分と同じ部分が痛み出したモノであれば、
例えば、
「昔は運動部でよく足を捻挫をしたのがクセになって、
今でもチョットした事で捻挫をする。」とか、
「昔の交通事故でムチウチになったのが治っていなくて、
今でも天気が悪くなる前は頭痛がする。」みたいに、
再発を気付く(昔のケガが治っていない事が分かる)人もいるのですが、
これが以前に治し損ねた体調不良(ケガや病気を含む)とは、
一見関係ないと思われる部分に、
思いも寄らない症状がでた時や、
(明確な)理由もなく体調不良(病気を含む)になった場合は、
業者(医療福祉従事者)サンを含めて、
誰も過去の体調不良(ケガや病気を含む)との関連を考えず、
全て御新規で考えてしまう事なのです。
そして治療を始めて症状が消えると治った(良くなった)と考えて、
暫くして再び体調が悪くなる(ケガや病気を含む)と、
全て御新規で考えて治療(施術)を始めて、
症状を消す事を繰り返していくのです。
確かにこの時期はマダ、
近所の医院・接骨院・鍼灸治療院・整体院等に通院しても、
生活習慣を見直して身体に良い食事を始めたとしても、
ヨガ教室やフィットネスクラブに通い運動を始めたとしても、
ソコソコ体調は良くなります(症状は消えて身体はスッキリします)が、
これは殆んどの場合が問題を先送りにしているだけで、
不快な症状が出る度に、
治療(施術)で症状を消す事だけを繰り返していくと、
軈て同じ部分に頻繁に症状が出るようになったり、
今迄受けている治療(施術)の効果が薄らいでいくのです。
少なくともこのような状況に直面した人は、
今迄の考え方や方法が通用しなくなったのですから、
自分が身に付けている健康観(健康や病気の考え方)観を、
見直す最期に近い時期なのですが、
然し幼少の頃から、
業者(医療福祉従事者)サンの医療(医学)の理屈だけで健康(病気を含む)を考えて、
ウソでもそれで一時的にでも健康が維持できた人(恩恵を受けてきた人)は、
健康観(健康や病気の考え方)観を見直す事はできない(恐怖です)し、
仮に見直せていると思っても、
セイゼイ評判を聞いて医療機関を彷徨ったり、
テレビやラジオの健康特集の情報を実践したり、
サプリメントや特保飲料を使い始めたり、
中には誰かサンに勧められる儘に手術を受けたりする程度で、
この殆どは本人にしてみれば画期的な事かもしれませんが、
身体にしてみれば小手先だけを変えただけの事でしかなく、
何れの方法を熱心にヤッたとしても、
問題を先送りにしているだけなのです。
ソンナコンナで40歳も過ぎた頃には、
何をしても以前のような効果が出なくなるばかりか、
特定(メタボ)健診で異常が見つかる人も増えてきたりします
このような人は「何をしても治らなかった」という、
変な自信だけは持っていますから、
今更、体調不良(病気を含む)を治そうという気持ちは失せて、
体調不良(ケガや病気を含む)が治らない状態を維持する事が、
健康だと勘違いしてしまい、
(実際には勘違いというよりも無意識の方が適切な表現かもしれません・・・)
体調不良(ケガや病気を含む)が回復できない理由を、
業者(医療福祉従事者)サンに言われた事もあり、
「加齢」「ストレス」「運動不足」「食べ(飲み)過ぎ」「遺伝」等と、
その人が体調不良(ケガや病気を含む)を回復させられない理由かどうかが、
分からないような曖昧な理由らしきもので、
納得してしまう人が多くいるのです。
そんな人受ける治療(施術)は「治す」が目的ではなく、
一時の変化(症状の軽減消失)だけを目的にしたものになっているのです。
然しここ迄身体の働きを弱めて余裕をなくしてしまうと、
誰もが認める(業者(医療福祉従事者)サン言っている)、
尤もらしい理由(体調不良(ケガや病気を含む)が治らない理由)は、
頭(理の部分)は納得しても身体(実の部分)には通用しないのです。
身体は情け容赦なく様々な症状(警告信号)を出し始めるのです。
その一つが(大した)理由もなく(時に理由すらなく)、
体調不良(ケガや病気を含む)になり易くなり、
一度なった体調不良(ケガや病気を含む)はナカナカ治り難くなり、
次々と現れる体調不良(ケガや病気を含む)に翻弄されていくのです・・・が、
偏った健康観(健康や病気の考え方)を見直す事をせず、
自分の都合で健康(病気を含む)を考えてきた人は、
この期に及んでも何かに縋る習慣が捨てられず、
最早、飲んでも効かないと分かっていても薬を頼り、
(この人達を私はヤク中といっています。)
一時的な効果すら無くなってきた理学療法を頼り、
中には怪しい宗教(スピリチュアル)に傾倒していく人もいるのです。
後は推して知るべしで人によっては、
健診検査で大病が見付かり辛い闘病が始まる人、
家族の顔や今朝食べたモノも忘れるようになり介護のお世話になる人が、
年々増えているのは少し調べれば誰でも分かるのですが、
ここ迄、身体を追い込んでしまうと、
業者(医療福祉従事者や代替療法の施術者)サンでも成す術がなく、
治療(施術)と称してヤッている事も治すが目的ではなく、
現状維持だけが目的(延命)のものになるのです・・・が悲しい哉、
本人や家族はそれがウスウス気付いていても、
業者(医療福祉従事者)サンには文句の一つも言えず、
医療を提供する側も利用する側も、
互いに「仕方がない」で済ませてしまうのです。
この時に「仕方がない」と思って妥協するのは自由です・・・が、
このようにして身体を追い込んで弱めてしまった人の、
家族が考えなければならない事は、
一時の情(感情や人情)に流される事で、
体調不良(病気)の本人の負担は、
家族が肉体的にも精神的なも負担を追え事になるのです。
~2024年追記:
私達のような医療福祉の素人でも聞く言葉としては、
平成時代には「介護疲れ」「老々介護」等で、
令和時代には「ヤングケアラー」「介護施設での虐待」等です。~
身体を徹底的に弱めてしまった人の負担は、
その人の身近な人((同居する)家族等)が負う事は、
あまり考える人はいないようですが、
実際にその時になって考えたとしても時既に遅しで、
何を思っても誰(業者(医療福祉従事者)サンを含む)も何もできないし、
本人にしても今迄の健康観(健康や病気の考え方)を見直し修正するだけの、
体力気力は残っていないのです。
当然、体力気力に余裕が残っている人は、
残っている分だけ今回の説明よりもマシな経過を辿るのですが、
それにしても貝原益軒先生が「養生訓」で言っているような、
・・・ひとの健康についても同様で、養生の術を学び持続して実行すれば、身体壮健にして病むことはなく、天寿をたもち長生きをして、長く楽しむことは必然であろう。これは自然の理であって疑ってはならないのである。
「養生訓 全現代語訳」P30~P31
からは程遠い人ばかりなのです。
そして私の接骨院に来るお客サンでも、
現在の業者(医療福祉従事者)サンの理屈だけで、
健康(病気を含む)を考えてきて、
自力を失くしてしまった人は、
この時になって自分が生き地獄にいる事を知る人も出てくるのです。
~2024年追記:
私は自力を失くしたお客サンの一部の人を、
私の接骨院から卒業していただきました。
それはこのお客サン達が今後辿るであろう悲しい経過を観るのが、
イヤになった(辛かった)からです。~
ここで私がいう生き地獄とは、
これは私の接骨院のお客サンで実際にあった事ですが、
業者(医療福祉従事者)サンから、
「今では●●をしながら普通に生活ができます」とか、
「●も5年生存率が上がり今では治る病気になってきた」とか、
「●の治療を続けながら仕事をしている人もいる」とか、
「●●●は治す事はできないが進行を遅らせる事はできる」みたいな、
イイ事だけを言われたのを真に受けて治療を始めた結果、
私の接骨院に来た時に、
「こんな筈じゃなかった。」と愚痴を言った人や、
「今回で私がココ(私の接骨院です)に来るのは最後だと思います。」とか、
「勝手に病院を外出してもモウお医者サンは何も言わない。」等と、
悲しい事を言ったお客サンや、
最初は楽になった●●でも。
続けていくうちに●●後の身体の怠さがヒドくなると、
「私はナゼ●●を受けているのだろうか?」
と愚痴って死んでいったお客サンや、
検査入院した人が●●●●で●●●に罹り、
1年半も寝たきりになり死んでいった人や、
その他にも壮絶な最後を迎えたお客サンが増えているのです。
接骨院のクセに一時期はそんなお客サンが増えてきて、
私は業者(医療福祉従事者)サンの理屈だけで、
健康(病気を含む)を考えてきた人で、
大往生で死んでいった人は少ない・・・という事と、
接骨院は死んでいく人を相手にしてはいけない(心が折れますから)
・・・という事を知ったのです。
これが脇長生先生が言っている、
・・・今日の人は、生理学、医学、親から、人間は病気をするものと教えこまれている。
「スピリチュアルな生き方原典 日本神霊主義聴聞録」P180より
の弊害であり、
健康や病気を全て症状(検査結果も症状の一つ)だけを指標に考えて、
自力を失くした人の末路だと、
私は思ったのです。
テレビや雑誌等では、
このような辛い経過を辿った人や、
壮絶な最後を迎えた人の事は殆んど紹介されません。
タマに紹介された番組があっても、
闘病する姿を感動的に紹介しているモノだったり、
私達を期待させるような健康特集番組や、
「○○を食べると○○に効く」等の、
誰に対して効果があるのか分からないようなCMばかりです。
そんな状況だからこそ、
私達は自力(自分で判断する事)が大切なのです。
完
【参考資料】
「養生訓 全現代語訳」
貝原益軒 著/伊藤友信 翻訳 株式会社講談社 刊
「スピリチュアルな生き方原典―日本神霊主義聴聞録―」
脇長生講述/桑原啓善 筆録 でくのぼう出版 刊