接骨院閑話 Ver.2024_01

「しれは迷ひしらねは迷ふ法の道
 なにかほとけの實になるらん」
至道無難禅師の句は健康にも通じるのです。

「ササヤカな闘病記」その後②現状

2024年02月26日 | 私見

私がリアルに経験した事や、
その経験で分かった事の全てが、
私の周囲の身近な人達や、
接骨院に来るお客サンにコトゴトく否定された事で、
私はウスラボンヤリとですが「何かオカシイ・・・」と思いました。
そこで私はこの違和感の理由を知る為に、
現在の健康(病気を含む)問題が、
どのような状況なのかを調べてみたのです。

それが次回から掲載する、

「国民総不健康時代」(2024/03/04)
「曖昧な健康と病気」(2024/03/11)
「病気基準の健康」(2024/03/18)
「家畜の健康管理」(2024/03/25)
「歴史から健康を考えた①」(2024/04/01)
「歴史から健康を考えた②」(2024/04/08)

です。

ここで最初に申し上げる事は三点あります。
それはこの記事は古いブログにも掲載した記事で、
引用した資料が古くなっている事です。

一つ目は、
「国民総不健康時代」(2024/03/04)
で厚生労働省のホームページから引用したグラフで、
「平成20年度国民医療費の概況:国民医療費と対国民所得比の年次推移」が、
最新版(令和3年(2021年))では次の様なグラフになっています。

このグラフでは令和2年(2020年)にも、
一時的に国民医療費が減少していますが、
これは新型コロナウイルス感染騒動で、
多くの人が医療にかかれなかった、
マタは自ら受診を控えた事が理由で、
国民保健が向上したからではありません。
ですから古いグラフを使用しても、
記事の内容に問題はないと思いましたから、
今回、再度掲載する、
「国民総不健康時代」(2024/03/04)では、
敢えてグラフを差し替える事はせず、
当時の記事(平成30年(2020年)投稿)を掲載する事にしました。

二つ目は、
「曖昧な健康と病気」(2024/03/11)で、
Wikipedia(ウィキペディア)から引用した病気の解説です。
現在のWikipedia(ウィキペディア)では病気を、

定性的に定義しようとする立場
逆に、質的な記述あるいは定性的な記述で病気を一般化して定義しようとする試み・立場がある。
ひとつには本人の認識している状態(あるいは本人の主観的経験内容)を重視し、病気の定義を「本人が心身に不都合を感じ、改善を望むような状態」、あるいは「本人あるいは周囲が心身に不都合を感じ、改善を望むような状態」とすることがある。
医師が疾患だと診断した人であっても、本人は生活上の問題を感じないことなどを理由に「自分は病気ではない。健康である」と述べていることがあり、あるいは「身体障害は障害(広い意味で疾病の一種)ではなく個性である」と言われることがあり、これらはその意味でも一理あることともいえる。また、医療従事者の立場でも、本人または周囲が治療の必要性を感じなければ病院を受診に来ることも無いので、このような定義でも実際上の問題は生じにくい。
ただし、これも突き詰めて考えてみると、医師が依存症・嗜癖や骨粗鬆症などと診断するようなケースでも上記のような認識のズレが生じていることがあり、医学研究の立場では本人や周囲の判断・価値観に関わらずに病気を定義し診断できるようにすることへの要求は存在する。
「Wikipedia(ウィキペディア):病気」より

とヤヤコシイ解説がされていました。
これは今でも明確に病気の解釈はできない、
つまり病気には定義がない・・・という事ですから、
それならば、
「曖昧な健康と病気」(2024/03/11)
を以前に掲載した時に引用した、
Wikipedia(ウィキペディア)の病気の解説の方が分かり易いので、
これも敢えて差し替える事はせず、
当時のWikipedia(ウィキペディア)の解説を引用しました。

三つ目は、
「家畜の健康管理」(2024/03/25)で、
平成22年(2010年)の日本人の平均寿命を、
男性79.64年(健康寿命70.42年)で、
女性86.39年(健康寿命73.62年)で説明している事です。

これに関して厚生労働省の最新の資料では、

1 主な年齢の平均余命 
令和4年簡易生命表によると、男の平均寿命(0歳の平均余命のこと。以下同じ)は 81.05年、女の平均寿命は87.09年となり前年と比較して男は 0.42年、女は0.49 年下回っている。平均寿命の男女差は、6.03 年で前年より 0.07 年縮小している。また、主な年齢の平均余命をみると、男女とも全年齢で前年を下回っている。
「厚生労働省:令和4年簡易生命表の概況」より

令和4年の男の平均寿命(0歳の平均余命のこと。以下同じ)は 81.05年、女の平均寿命は87.09年となり前年と比較して男は0.42年、女は0.49年下回りました。平均寿命が前年を下回るのは、令和3年に続き2年連続で、下回り幅はR3年よりも拡大しています。
厚生労働省の分析では、平均寿命の前年との差を死因別に分解すると、男は悪性新生物<腫瘍>などの死亡率の変化が平均寿命を延ばす方向に働いているが、男女とも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)、心疾患(高血圧性を除く。以下同じ)、老衰などの死亡率の変化が平均寿命を縮める方向に働いているとのことでした。
「サービス付き高齢者向け住宅情報提供システム:ニュース」より

マタ健康寿命に関しては、

健康寿命の延伸と平均寿命との差の縮小が重要
平均寿命と健康寿命の差は日常生活に制限のある「不健康な期間」を意味しますが、これは、2010(平成22)年から男女とも、徐々に縮小傾向にあり、2019(令和元)年では男性8.73年、女性12.06年となっています。
「厚生労働省:e-ヘルスネット:平均寿命と健康寿命」より

と説明されているのです・・・が、
ここで問題だと私が思う事は、
「平均寿命が伸びたのはメデタイ事だ」と思うのは、
昭和時代の古い考えで、
今では通用しない旧態化した古い考えだという事です。
それは健康寿命という考えが加わってからは、
生きている期間の内容(LOQ)を第一に考えるようになり、
それは「平均寿命と健康寿命の乖離」を解消する事だからです。
然し実際には、
健康寿命という言葉が使われ始めてから20年以上経ちますが、
平均寿命と健康寿命の10年程度の乖離は解消されておらず、
この10年程度の乖離期間が、
国民医療費や介護費が高騰する大きな一因になっているし、
それから派生した様々な問題を引き起こしている状況を考えますと、

本来ならば平均寿命に健康寿命が近づくのが理想の形なのでしょうが、
それが無理ならば,
平均寿命を健康寿命を近づける事もアリかな・・・と思えてしまうのです。
その極端な例が「●●●山(現在は●●●●●●●●●)」なのでしょう・・・。

クオリティ・オブ・ライフ(英: quality of life、略称:QOL)とは、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた『生活の質』のことを指し、ある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。驚くべきことに、規律性の高い人は長生きする傾向があるが、規律性の低い人よりも生活の質が低くなる可能性がある。
「Wikipedia(ウィキペディア):クオリティ・オブ・ライフ」より

健康寿命(けんこうじゅみょう)とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと。
解説
WHOが2000年にこの概念を提唱した。平均寿命から日常的・継続的な医療・介護に依存して生きる期間を除いた期間が健康寿命になる。
平均寿命は寿命の長さを表しているが、健康寿命は日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間を表し、健康寿命が高いほど、寿命に対する健康寿命の割合が高いほど、寿命の質が高いと評価され、結果として医療費や介護費の削減に結び付く。
「Wikipedia(ウィキペディア):健康寿命」より

このような事から、
特に古い資料でも問題はないと思いましたから、
敢えて修正する事なく、
「家畜の健康管理」(2024/03/25)
を掲載する事にしました。

以上です。

今回ここで挙げた三点を「問題がない」と思ったのは、
引用した資料が古くても記事の内容を変えなくても済むという意味です。
然し実際に健康(病気を含む)に関する状況は、
以前にも増してマスマス厳しくなっているように私には思えるのです。

それでは始めます。

【参考資料】
「厚生労働省:令和3年度国民医療費の概況」
 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/21/dl/kekka.pdf
「Wikipedia(ウィキペディア):病気」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%97%85%E6%B0%97
「厚生労働省:令和4年簡易生命表の概況」
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life22/dl/life22-02.pdf
「サービス付き高齢者向け住宅情報提供システム:ニュース」
https://www.satsuki-jutaku.jp/journal/article/p=2325#:~:text=%E5%8E%9A%E5%8A%B4%E7%9C%81%EF%BC%9A%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%AF%BF%E5%91%BD%EF%BC%882023%EF%BC%89%E3%81%8C%E7%94%B7%E6%80%A7%2081.05%E5%B9%B4%E3%80%81%E5%A5%B3%E6%80%A787.09%E5%B9%B4%E3%81%AB%EF%BC%81,2%E5%B9%B4%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%81%A7%E5%89%8D%E5%B9%B4%E4%B8%8B%E5%9B%9E%E3%82%8B%20%E5%85%AC%E9%96%8B%E6%97%A5%EF%BC%9A2023%E5%B9%B47%E6%9C%8831%E6%97%A5
「厚生労働省:e-ヘルスネット:平均寿命と健康寿命」
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/hale/h-01-002.html
「Wikipedia(ウィキペディア):クオリティ・オブ・ライフ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95
「Wikipedia(ウィキペディア):健康寿命」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%AF%BF%E5%91%BD

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「ササヤカな闘病記」その後①

2024年02月19日 | 私見

「ササヤカな闘病記①~⑤」(2024/01/08~2024/02/05)
で説明したように、
私は平成15年(2003年)からの2年間で、
当時の体調不良(肉魚酒アレルギー)を自力で回復できた(完治)ぱかりか、
(自力とは生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)を少し見直しただけです。)
スッカリと忘れていた、
マタはトックに治ったと思っていた、
過去のケガや病気で治し損ねたモノも幾つか治せて、
今迄に体感した事がない程の良好な体調(絶好調)になれました。
(この時期は生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)を相当見直しました。)

この2年間の経験で私は、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しは、
それ自体が一つの治療法(回復法)である事や、
それも副作用のない安心安全で安価(実質0円)である事や、
病気予防や健康増進としても十分に通用する事を知りましたから、
平成17年(2005年)からは、
接骨院での治療(施術)の一環として、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを、
接骨院に来る全てのお客サンに提案するようになったのですが、
これがお客サンには余計なお世話だったようで、

それは、
「ササヤカな闘病記⑥総括」(2024/02/12)
でも述べたのですが、
カワイイところでは、
私が体調不良(肉魚酒アレルギー)を回復させて(完治)、
今迄に体感した事がない程の良好な体調(絶好調)になれた時に、
私の周囲の身近な人達が、
「どうやって治したの?」
みたいな事を聞いてくる人が多くいましたから、
私もイイ気になって、
「この人達が自分の健康(病気を含む)を考え直す参考になれば・・・」と思い、
私の経験を話した事があったのです。

ところが私の話しを聞いた人達は、
(→○○は私の心の声です。)

「今は良いかもしれないがそんな事を続けていたら病気になるゾ。」
→あなたは今が病気でしょ・・・。
 一時的かもしれないけど治った私の事を心配するよりも、
 自分の今の病気を治す事を考えた方がいいのでは・・・。
「万が一の事を考えて一度検査を受けなさい。」
→定期的に検査を受けていても病気になり、
 定期的に検査を受けて治療(施術)を続けていても、
 病気が治っていない事実をモッと考えた方がいいのでは・・・。
「その方法はタマタマあなたに合っていただけ。」
→あなたは自分に合った方法を見つけられたのですか?
「それが効いた理屈を説明しなさい。」
→それはマズ自分で考えて下さい。
 そして自分の病気が治らない理屈を私に教えて下さい。
 人の揚げ足をとる為に聞くのは止めて下さい。

「揚げ足を取る」とは
相手の言い間違いや言葉じりをとらえて、やり込めたり皮肉ったりすること。
相手のあげた足を取って倒すように、相手の失言や失敗につけ込むことから。
「ことわざ辞典 ONLINE.:揚げ足を取るとは」より
https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/232.php

「お医者サンはそんな事は言っていない。」
→それはお医者サンが知らないだけでしょ・・・。
「お前は変わり者だ。」
→毎日、元気に生活できるのなら、
 少しぐらい変わり者でも構いません。
 健康は多数決では決めるものではありません・・・。
「お前が言っている事は全く分からない。」
→少しは分かろうとして私の話しを聞きましたか?
 モッと素直に人の話しは聞くものですヨ。

このように私の話しを否定した人達は、
長く医療機関(代替療法を含む)に通院して、
長く治療(施術)を受けているにも係わらず、
それ以外にもテレピや本やネット等で知った事を、
自分なりに工夫して続けているにも係わらず、
セイゼイ一時の楽が得られるだけで、
体調不良(ケガや病気を含む)が治らないどころか、
人によっては新たな体調不良(ケガや病気を含む)が追加される一方で、
どれ一つとしてチッとも治っていないのです・・・が、
そんな事は全て棚に上げて、
実際に絶好調になった私の姿を素直に観ようともせず、
私のリアルな経験談(実話)を全て否定して、
絶好調な私に対して善意の助言をしてくれたのです。
(今では善意の助言を無視して良かったと思っています。)

次に少しカワイクないところでは、
私の接骨院に来るお客サンですが、
私が生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを提案するようになり、
暫くすると(僅か半年程で)約7割のお客サンが、
私の接骨院から消えてしまった事です。
多分、これは私の提案を聞く耳を持たないお客サンに対して、
私がシツコク生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを提案したのが、
ウットウしく思って(気に入らなくて)来なくなったのでしょう。

ところが話しはコレで終わりませんでした。
全然カワイクナイところでは、
残った約3割のお客サンの半数以上の人が、
私の接骨院に通院しているにも係わらず、
頑なに私の提案を拒み続けたり、
お義理程度に自分の得意な事やヤリ易い事だけを、
気分次第でヤッたりヤラなかったりする中途半端な人で、
私が提案した通りに、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを始めた人は、
両手の指で余裕で数えられる程の人しか残っていなかったのです。

ところがところが話しはコレでも終わりませんでした。
今度は私が提案した、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを始めた人が、
突如として症状をだす人が増えたのです。
この時の症状は、
今、治療(施術)中のモノの症状が増大したり、
全く思ってもいなかった部分に症状(特に痛み)がでたりしたのです。
この経過はお客サンにしてみれば、
「マタ悪くなった」「前よりも悪くなった」と思えるもので、
(そんな人の中には私もビビる程の強い症状をだす人もいました。)
このような状況に陥ったお客サンの、
私の感覚では7~8割程度の人が、
「辛かったから」「怖かったから」みたいな事を言って、
今迄続けていた生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを、
止めてしまうのでした。

こんな状況でも、
私が提案する生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを続けたお客サンは、
片手の指で余裕で数えられる程の人数しか残っていなかったのです。

このように接骨院に来るお客サンに翻弄されて、
四面楚歌の状況で私は、
「何かがオカシイ・・・」と思いました。
何がオカシイのかは分からないのですが、
私が自力で体調不良(肉魚酒アレルギー)を治した方法や、
その時に分かった健康(病気を含む)の考え方が、
接骨院に来るお客サンには全くといっていいほど通用しなかったからです。

「しめんそか【四面楚歌】」の解説
まわりすべてが、敵や反対者で、孤立した状態のこと。味方や賛同者がひとりもなく、周囲から非難を浴びるさま。
「goo辞書:しめんそか【四面楚歌】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%9B%9B%E9%9D%A2%E6%A5%9A%E6%AD%8C/#jn-101084

そこで私は、
この時の「何かオカシイ」を解決する事が課題になり、
マズは今の健康問題がどのような状況なのかを調べる事にしたのです。

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ササヤカな闘病記⑥総括

2024年02月12日 | 経験談

結局、私は健康のゴールは分からなかったのかもしれないし、
今迄に体感した事がない程の良好な体調(絶好調)になれた事から、
これが今の私には健康のゴールだったのかもしれません。

今回の一件を振り返って思う事は、
モシ当時の私の体調不良(肉魚酒アレルギー)が、
仕事に支障が出る程の辛いモノでなかったら、
モシ私の身体を心配した周囲の身近な人達の、
善意の助言に素直に従っていたら、
モシ体調不良(肉魚酒アレルギー)になった原因を、
単純に「加齢」「ストレス」「ハウスダスト」「原因不詳」等と、
曖昧なもので納得していたら、
モシ医療機関を受診して業者(お医者)サンの指示に従って、
薬の一つでも使い始めていたら、
今でも私の体調不良(肉魚酒アレルギー)は治っていなかっただろうし、
今迄のケガや病気で治し損ねて身体に燻らせていたモノも、
(私はコレを「ツケ」とか「古キズ」と言っています。)
一つとして治せていなかったと思います。

確かに薬を使えば、
症状(全身の腫れと痒み)は一時的に軽減消失するとは思いますが、
然しそれは治った事ではありませんから、
今でも不快な症状(全身の腫れと痒み)が出るのではと、
毎日ビクビクしながら(症状が出る事を警戒して)生活して、
症状(全身の腫れと痒み)が出る度に、
仕事の合間を縫って医療機関を受診して、
実の伴っていない検査結果に一喜一憂して、
業者(お医者)サンの指示通りに、
治る事のない薬を使い続けて、
誰かに勧められた(テレビやネット等で知った)、
治るアテのない代替療法やサプリメント等に手を出して、
肉魚酒アレルギーを治す事とは全く関係ない、
業者(医療福祉従事者)サンによる生活習慣(「食事」「運動」)の指導を、
回復する(治る)事を半ば諦めながらも、
「コレもヤラないよりはマシか・・・」と思ってソコソコ真面目に実践して、
今でも不自由な生活をしていたと思います。
モシかしたら変な宗教に入信して、
怪しい儀式を受けていたかもしれません。

そんな「治る」がないという意味で無駄無意味な事を、
手間暇費用をかけて続けていくうちにも、
その環境に身体は慣れてイッケン平和な毎日が送られたとしても、
も私の身体の働きは着実に弱化していきますから、
以前の体調不良(ケガや病気を含む)を治し損ねて、
身体に燻らせた儘にしているモノ(古キズ=ツケ)が抑え切れなくなり、
些細な事をキッカケとして再発したり、
それ(古キズ=ツケ)が起因した新たな体調不良(病気を含む)に、
翻弄されていったと思います。

そんな事を思いますと私の場合は、
幾つもの幸いに恵まれました。
特に体調不良(肉魚酒アレルギー)になる迄は、
私の欠点(短所)だと思っていた、
そして周囲の身近な人達からも度々指摘されていた、
「不精」「怠け者」「短気」「頑固」等といった、
本来ならば変えた方がいいと考えられている厄介な性格も、
今回の体調不良(肉魚酒アレルギー)を治す時には、
大いに役立ってくれたのです。

それは私の体調不良(肉魚酒アレルギー)が、
緊急性がない些細な不調だったとしても、
普段の生活や仕事に支障がでる程に辛かったのが幸いして、
どんな尤もらしい理由を考えても(言い訳をしても)、
実際に体調不良(肉魚酒アレルギー)が治らずに元の生活に戻れなければ、
そんな理由(言い訳)は全く無駄無意味な事を知り、

元々が不精で怠け者だったのが幸いして、
些細な体調不良(ケガや病気を含む)が緊急性がない場合は、
医療機関を受診して治療を受ける(薬を使う等)といった、
手間暇のかかる面倒臭い事を考えられなかったから、
自然に自分の生活を観察するようになり、
普段の生活の中で少しでも楽になる工夫をするようになり、

元々が健康に無頓着だった事と、
私の体調不良(肉魚酒アレルギー)が緊急性がなかった事が幸いして、
「ササヤカな闘病記①~⑤」(2024/01/08~2024/02/05)
で説明したような、
イロイロな事を何の先入観もなく自由に試す事ができて、

元々が人の言う事を聞かない(聞けない)厄介な性格が幸いして、
自分が試した事の結果が、
それが身体が楽になった事でも、
逆に身体が辛くなった事でも、
誰かに聞く(縋る)事はせず、
分からない事は全て本やネット等で調べて自分で判断して、
その結果が業者(医療福祉従事者)サンが言っている事と違っていたとしても、
全て自分が出した答え(仮説)を優先させてヤッてきた結果、
私の体調不良(肉魚酒アレルギー)は治ってしまった(完治)のです。

これで私は健康(病気を含む)には、
自分で判断する事(自力)の大切さを知ったのです。

このように私が今回の些細な体調不良(肉魚酒アレルギー)を治す時には、
自分の欠点(短所)だと思っていた性格(性分)が、
大いに役立ってくれたのですが、
これで私は、
「ヒトの性格に悪いもの(短所)は一つもない。
 適材適所で活かされれば全てが長所。」
というゴク当たり前の事を知ったのです。

これも諺では「禍を転じて福と為す」といっていいのでしょう・・・。

禍を転じて福と為すとは、自分の身にふりかかった災難や失敗を上手く利用して、逆に自分の有利になるよう工夫する。
「故事ことわざ辞典:禍を転じて福と為す」より
https://kotowaza-dictionary.jp/k0130/

ところが以前に私の身体を心配して善意の助言をしてくれた、
私の周囲の身近な人達はミンナ違っていました。

この人達は普段から健康(病気を含む)にソコソコ関心を持ち、
体調が悪くなると、
スグに医療機関を受診して検査を受けて、
検査で異常が見つかれば、
(人によっては異常がなくても万が一を考えて、)
業者(お医者)サンの指示通りに治療(薬を含む)を始めたり、
その他にも「健康の為に(病気にならない為に)」と、
本やネットで知った何等かの事を
自分なりに工夫して始めたりしていたにも係わらず、
十年経った今でも、
当時の体調不良(ケガや病気を含む)は治っていないばかりか、
新たな体調不良(病気を含む)が追加されて、
通院する医療機関や飲んでいる薬の量が増えていく人とか、
体調不良(病気を含む)が進むのを止められず、
辛い闘病生活(寝たきり等)が始まった人とか、
身近な人の顔や昨日今日ヤッた事を忘れるようになり、
介護のお世話になっている人ばかりなのです。

中にはそんな努力の甲斐もなく早々と寿命を前倒しして、
この世からいなくなった人も多くいたのてすが、
寿命を前倒しして死んでいった人の死に様は皆サン一様に悪く、
見ていてもこれ程憐れで悲しいものはないのです。

ナゼ健康(病気を含む)に無頓着な私が元気でいられるのに、
健康(病気を含む)に対して真面目に取り組んでいた人が、
何時迄も体調不良(ケガや病気を含む)を回復させられず、
着実に身体を弱めていったのでしょうか?

この疑問に対する私の答えは幾つもありましたが、
その答えの一つが先にも述べましたように、

私は全て自力だったのに対して、
私に善意の助言をしてくれた人達は、
全てが他力(業者サン任せ)で、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復ばかりか、
健康に関する一切を、
業者(医療福祉従事者)サン(の考え方)に依存(丸投げ)している。

事だったのです。
(御他力(業者(医療福祉従事者)任せ)サンの弊害は後述します。)

このように自分の事である筈の健康(病気を含む)を、
全て他人任せにしてきた人達の経過を観て、
健康(病気を含む)にはマズは自力が大切だと確信したのです。

私に善意の助言をしてくれた人達が、
如何に業者(医療福祉従事者)サン(の考え方)に依存(盲信)していたのかを、
少し説明します。

それは私が生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しだけで、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復した(それも完治)時に、
以前に私に善意の助言をしてくれた人達が、
「どうやって治したの・・・?」
みたいな事を聞いてくるようになりましたから、
私は「少しは自分の健康(病気を含む)を考える参考になれば」と思って、
私の経験を話した事が何回かありました。
然し私の話しを聞いた人はミンナ、

「今は良いかもしれないがそんな事を続けていたら病気になるゾ!」
「万が一の事を考えて一度検査を受けなさい。」
「その方法はタマタマあなたに合っていただけ。」
「それが効いた理屈(理由)を説明しろ。」
「お医者サンはそんな事は言っていない。」
「お前は変わり者だ。」
「お前が言っている事は全く分からない。」

等、
自分から聞いてきたクセに、
自分の体調不良(ケガや病気を含む)がチットも治っていないのは棚に上げて、
実際に体調不良(肉魚酒アレルギー)を回復(それも完治)させて、
絶好調になった私の話しには、
全く興味を示さないどころか否定までしたのです。

私の周囲の身近な人達が、
誰一人として私の経験談に聞く耳を持たなかった理由は、
不精で怠け者の私に信用がなかったのかもしれません・・・が、
実際に体調が良くなった私の姿をも否定したのは、
私が業者(医療福祉従事者)サンと違う考え方や方法で、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復した(治った)のが、
理解できなかったのだと思います。

つまりこの人達はミンナ、
現在の科学的(エビデンス重視)な医療(医学)の考え方だけで、
健康(病気を含む)を考える事が、
唯一の正解だと思っていて(勘違いして)、
そこに現在の科学的な医学(医療)以外の、
健康(病気を含む)の考え方を知らない事も加わり、
体調が悪くなればスグに「万が一」を考えて、
(殆どの場合が取り越し苦労ですが・・・)
自分で考えるよりも先に医療機関を受診して、
業者(医療福祉従事者)サンの指示指導に従うのが、
最善の方法(唯一の正解)だと思ってしまった(勘違いしてしまった)のです。
それが自分の事である筈の健康(病気を含む)の一切を、
業者(医療福祉従事者)サンに依存(丸投げ)している人の盲点なのです。

「エビデンス【evidence】」の解説
1 証拠。証言。
2 医学で、臨床結果などの科学的根拠。その治療法がよいとされる証拠。
「goo辞書:エビデンス【evidence】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%93%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B9/

科学的な根拠(エビデンス)だけを重視した、
現在の医療(医学)の考え方や方法だけで健康(病気を含む)を考える事が、
今では無理があるのは、
少し調べて自分の周囲を観れば誰でも分かる(気付く)筈なのですが、
旧態化した現在の医療(医学)の考え方だけで、
自分の健康(病気を含む)を考える習慣を身に付けてしまった勘違いサンは、
そんな僅かな事を興味を持って調べる事も、
自分の周囲の人を意識して観察する事もしないのです。
(これに関しては後述します。)
~2024年追記:
「今では無理がある」というのは「行き詰まっている」という意味です。
それは一部の体調不良(病気を含む)では、
業者(医療福祉従事者)サンの治療は全く実績がないからです。~

私達は乳幼児期からの(親からの)刷り込みや、
現在の医療(医学)の恩恵を十分に受けている事や、
(恩恵とは薬の即効性等を経験してきた事です。)
健康(病気)問題を業者(医療福祉従事者)サンに丸投げをしている人は、
自分の健康(病気を含む)にも無関心だったり、
仮に関心を持ってイロイロと勉強したとしても、
それは業者(医療福祉従事者)サンの考え方だけを詳細に調べるだけで、
そこにテレビや雑誌やネット等による、
業者(医療福祉従事者)サンのタユミナイ啓蒙活動も加わり、
健康(病気を含む)に関心を持って勉強している人ほど、
自分が今迄に身に付けた健康観(健康や病気の考え方)の見直しではなく、
自分がヤッてきた事を正当化するだけのものになっているのです。
然しヤッテイル感は十分に得られますが・・・。

そんな勘違いサンには、
私が何を言っても聞く耳を持たないのは当たり前・・・。
逆に私が説得されたのも当たり前だったのです・・・が、
そんな人達に囲まれても私は、
孤軍奮闘しながらもよくも自力で、
体調の立て直しができたものだと思ったのです。

この時に私は、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復は、
義理や人情は邪魔になる(回復を妨げる)だけで、
多数決や話し合いや交渉でも、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復はできない事を知ったのです。

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ササヤカな闘病記⑤

2024年02月05日 | 経験談

私の身体に起きている事をネットで調べてみますと、
業者(お医者)サンは、
●●●●●(昔は●●●●●)と診断しているようです。
これでは健康を維持増進するとか、
健康のゴールを知るどころの話しではなくなってしまいます。

マタ日に日に私の厭世観も強くなってきて、
仕事に集中できなくなってきました(嫌気が差してきました)から、
何時迄も放っておく事もできません。

~2024年追記:
接骨院に来るお客サンの影響を受け始めた時に私は、
接骨院に来るお客サンはミンナ、
傷んだ生モノだと思えるようになりました。
それで触るのがイヤになっていたのです。
然しその後に改めて気付いた事は、
肉や魚は傷み始めたら腐敗が進むだけなのですが、
ヒトの場合は傷んだ部分は修復される事でした。~

そこで私は自分の身体に起きている事を調べる事にしたのです・・・が、
医療(医学)の分野で調べると、
私はキチガイ(病人)になってしまいますから、
それ以外の分野で調べるしかなく、
それが宗教(スピリチュアル)だったのです。

宗教(スピリチュアル)の分野で、
私の身体に起きている事を調べてみますと、
これも私の健康状態が向上していく過程の一つと考えられ、
仏(ブツ)用語の「身心一如」で解釈できるものだったのてす。

仏教で、肉体と精神は一体のもので、分けることができず、一つのものの両面であるということ。「身心」はからだと心。「心身」とも書く。「一如」は真理はただ一つである意。「一」は不二、「如」は不異の意。異ならないこと。「心」は「しん」とも読む。
「goo辞書:身心一如」より
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/身心一如/m0u/

これを私の経験で少し説明しますと、
私の身体はある程度回復しましたから、
次は回復した身体が、
一番負担のかからない感覚・精神(心)・身体の働き等、
目に見えない(曖昧な)部分が修正を始めたと考えられるのです。

私はホンの少しだけ「身心一如」を経験して、

体調不良(ケガや病気を含む)が、
どのようなモノ(精神的な病気)だったとしても回復を目指すのであれば、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しは必須である。

事を知ったのです。

私は自分がキチガイではないと分かると、
更に体調を良くしようと欲が出てきました。

そこで次は水曜日も食べない日にしたのです。
(他に実践した細かい事は省略します。)
これで私の食事回数は1週間に4食になり、
1食の内容は相変わらず、
茶碗1杯の玄米とお碗1杯の味噌汁とドンブリ1杯半の生野菜という、
非常に簡素な食事を続けたのです。

今回は空腹を全く感じないし、
私の感覚はマスマス冴えて澄んできました。

感覚が冴えて澄んできて何が起きたのかは、
一般的に考えられている健康とは大きく違っていますから、
このブログには書きませんが、
それよりも今回私が言いたい事は、
この時から起こり始めた困った事です。

このようなムチャクチャな(食)生活を始めて1ヶ月程経ちますと、
次のような事が起き始めました。

・手足が一日中冷たく感じるようになり、
 日中仕事で身体を動かしていても、
 身体が温かく感じられなくなってきた。
・体重が72㎏±1㎏で横這いになり、
 体重が減らない事で常にイライラするようになった。
・以前にも増して厭世観が強くなってきた。

事です。

一日中身体が冷たく感じるのは初めての事です。
これが良い事なのか悪い事なのかが分からない儘に、
1ヶ月程経ったある日の事。

(身体にとって良い事か悪い事なのかが分からなかったのは、
 ①私にとって初めての事。(経験不足)
 ②症状が体調の良し悪しを判断する目安にはならなくなっていた事。
  これは私の健康観(健康や病気の考え方)が変わっていく時で、
  健康状態を判断できる新しい基準がマダできていなかった。
 の二つの理由によります。)

仕事中に突然、
頭の働きが止まった・・・としか言いようがない状態になってしまったのです。

それは仕事の段取りが分からなくなり、
お客サンが何を言っているのかが分からなくなり、
お客サンや事務員サンが私に話しかけてきて、
私は自然に受け答えをしていても、
相手が何を言っているのか、
マタそれに対して答えている私が、
自分が何を言っているのかも分からなくなってしまったのです。
それでも身体は普通(何時も通り)に仕事をしているのです。

これを例えますと、
自分の中にいる誰かサンが、
勝手に私の身体を動かして仕事をして、
お客サンや事務員サンと話しをしているのを、
私は傍でタダ眺めているだけ・・・という感じです。
~2024年追記:今思えば貴重な経験でした。~

多分、これは私が短期間に食事を減らしていった事で、
身体がそのスピードについてこれず、
(スピードについてこれないとは、
 一つの事をヤッて身体がその環境に慣れる前に、
 次の事を始める事を繰り返したという意味です。)
栄養失調(特に糖不足)になったと思われます。
これを諺では「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というのでしょう。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の解説
過ぎたるは猶及ばざるが如しとは、度が過ぎることは、足りないことと同じくらい良くないということ。
「故事ことわざ辞典:過ぎたるは猶及ばざるが如し」より
https://kotowaza-dictionary.jp/k0300/

私はスグに事務員サンに●●●●●●●もらい、
毎日、●●●●●●●仕事をして2週間程で回復できました。

この経験で私は、

現在の日本では虐待とか過激なダイエット等の特殊な事情を除いて、
栄養失調(栄養不足)で体調不良(病気を含む)になる人はいない。
だから食事を見直す時にはマズは食べ過ぎから考える。
~2024年追記:
最近では「新型の栄養失調」という言葉を聞くようになりましたが、
これは昔(昭和時代)は偏食といわれていたものです。~

事を知ったのです。

新型栄養失調(Malnutrition)は、食事によるエネルギーは十分に摂取しているにもかかわらず、たんぱく質、ビタミン、ミネラルなどの身体に必要な栄養素が不足している状態を指します。この状態は、風邪を引きやすくなったり、疲れがとれにくくなったりするなどの体調不良を引き起こすことがあります。新型栄養失調になる原因として、偏ったダイエットやファストフード中心の食生活が挙げられます。栄養バランスの良い食事を心がけることで、新型栄養失調を予防しましょう!
「Copilot:新型栄養失調」より

そしてここ迄の経過(肉魚酒アレルギーになってからの経過)で私は、

・健診検査は体調不良(ケガや病気を含む)の回復では、
 一時の指標として使えるが、
 体調不良(ケガや病気を含む)の回復を判断する指標にはならないし、
 病気予防や健康増進の指標としては全くアテにならない(使えない)。

・健康には段階がある。
 体調不良(ケガや病気を含む)を回復する(治す)事は、
 健康を考えるうえでは初級(入り口)で、
 今、体調不良(ケガや病気を含む)の人は、
 その体調不良(ケガや病気を含む)を回復させない(治さない)限り、
 病気予防も健康増進もない。

・現在は健康(病気を含む)を勉強して難しく考えてしまい、
 取り越し苦労をするあまり四面楚歌になっている人が多い・・・が、
 トウの本人は取り越し苦労をしている自覚はないし、
 四面楚歌に陥っている自覚もない。

事を知ったのです。

「しめんそか【四面楚歌】」の解説
周囲がすべて敵や反対者で、まったく孤立して、助けや味方がいないこと。また、そのさま。孤立無援。
「goo辞書:四面楚歌」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%9B%9B%E9%9D%A2%E6%A5%9A%E6%AD%8C/

今回、私は栄養失調(特に糖不足)になった事で、

・十分過ぎるほど体調が良くなっている事。
・感覚が冴えて厭世観が強くなり仕事に支障が出ている事。
・慢性の体調不良が回復する過程を身を以て経験できた事。
・この儘続けた時の身体の変化を初めて怖いと思った事。
・この儘続けると接骨院ではなくなってしまう事。
 (私は接骨院が好きなのですから・・・)

から今迄ヤッてきた事を、
最小限(普段の生活や仕事を邪魔しない程度)のものだけを残して、
他は全て止める事にしたのです。

それは食事を一日に二食に戻して、
極端な穀物菜食(ヴィーガン)生活を軽いものにして、
週2回の銭湯での温冷浴を、
家で入浴した最期に、
短時間水(シャワー)で全身を冷やす程度にして、
疲れた時には夜は早く寝るようにして、
他に実践していた事は全て止めたのです。
(ダメならもう一度始めればいいだけの事です。)

つまり私は今度は体調を悪くする努力を始めたのです。
この時の努力も大変でしたが、
ブログのテーマとは違いますので気が向いた時に説明します。

そんな努力の甲斐もあって、
私の体調は、
以前の絶好調の時と比べると確実に悪くなり、
それに合わせて感覚も相当鈍くなったのです・・・が、
それでも体調不良(病気を含む)になる事はないし、
薬やサプリメントを飲まなくても、
特定(メタボ)健診や予防接種を受けなくても、
規則正しくて面倒臭いエサのような食事や、
大嫌いな運動(スポーツ)をヤラなくても、
禁煙・減塩・糖質制限をしなくても、
(酒は平成17年(2005年)に卒業しました。)
毎日、元気に生活(仕事)する分には十分に良好な体調が維持できているし、
厭世観もなくなったのです。

厭世観が無くなった事で私は、
「ヤッと娑婆に戻ってこれた(ヤッと里に下りてこれた)」と思いました。

「しゃば【娑婆】」の解説
《(梵)sahāの音写。忍土・堪忍土などと訳す》
①仏語。釈迦が衆生(しゅじょう)を救い教化する、この世界。煩悩(ぼんのう)や苦しみの多いこの世。現世。娑婆世界。
②刑務所・兵営などにいる人たちが、外の自由な世界をさしていう語。
「goo辞書:しゃば【娑婆】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A8%91%E5%A9%86_%28%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%B0%29/

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