接骨院閑話 Ver.2024_01

「しれは迷ひしらねは迷ふ法の道
 なにかほとけの實になるらん」
至道無難禅師の句は健康にも通じるのです。

体調が悪くなる経過③~2024年追記~①

2024年06月19日 | 私見

元々健康(病気を含む)に無頓着だった私が、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)をホンの少し見直しただけで、
(自覚していなかった)弱っていた身体の立て直しができた事を契機に、
健康(病気を含む)に関心を持つようになりました。

その時に私の周囲の身近な人達や、
私の接骨院に来るお客サンを観て謎だった事は、

ナゼこの人達の体調不良(ケガや病気を含む)は治らないのだろうか?

マタ体調不良(ケガや病気を含む)が全然治らないのに、
良好な体調(絶好調)になった私の経験を否定したばかりか、
逆に自分の体調不良(ケガや病気を含む)が治らないのは棚に上げて、
私に善意の助言をしてくれた人ばかりいた事で、

ナゼ絶好調になった人の経験に興味を持たないのか?

でした。

この謎を解く為に、
私は健康(病気を含む)に関してイロイロ調べるようになり、
その手始めとして健康(病気を含む)問題の現状を調べたのが、

「国民総不健康時代」(2024/03/04)
「曖昧な健康と病気」(2024/03/11)
「病気基準の健康」(2024/03/18)
「家畜の健康管理」(2024/03/25)

だったのです。

健康(病気を含む)問題の現状を調べて分かった事は、

多くの人の健康観(健康や病気の考え方=基準)は偏っている。

事でした。

「国民総不健康時代~家畜の健康管理」(2024/03/04~2024/03/25)は、
平成18年(2006年)に最初のブログを始めた時の記事ですが、
この記事が私の空想妄想話しでなかった事は、
当時の健康(病気を含む)問題は、
十数年経った今でも一つとして変わっていない・・・どころか、
今では無視できない程の大きな問題になっている事でも分かると思います。

これだけでも従来型の健康観(健康や病気の考え方)が、
通用しなくなっている事は明らかだと思うのですが・・・。

それでは私達の健康観(健康や病気の考え方)は、
何時から偏ってしまったのでしょうか?

それを調べたのが、

「歴史から健康を考えた①」(2024/04/01)
「歴史から健康を考えた②」(2024/04/08)

です。

この記事で分かる事は、
私達の健康観(健康や病気の考え方)は、
両親や祖父母だけではなく、
人によっては祖々父母や祖々々父母の代からの、
伝統(躾けとか刷り込み等)の部分が大いに影響していて、
その段階で偏っていったと考えられるのです。

例えば私の場合でいえば、
幼少期に父母やお爺チャンお婆チャンから、
「出されたモノは好き嫌いを言わずに食べなさい。」とか、
「お茶で流し込まずによく噛んで食べなさい。」とか、
「肘をついて食べてはいけない。」とか、
「背中を丸めて歩いてはいけない。」とか、
「男だったら泣くな。」みたいな事を、
口うるさく(厳しく=時として手が飛んできました)言われていたのですが、
今思えば父母やお爺チャンやお婆チャンは、
健康(病気予防)を意識して言ったのではないと思いますが、
実は健康(病気予防)の知恵も多き含まれていたのです。

そこで今の状況を観てみますと、
昔、私が口うるさく(厳しく)言われていた事(躾け?)は、
今では当時のような事(躾け)は言われなくなり、
当時とは違う事が言われるようになっていたのです。
(幼少期の躾けと健康の関係に関しては後述します。)

つまり私達が今、
体調不良(ケガや病気を含む)がナカナカ治らないのは、
決してその人だけの問題ではない・・・という事になるのですが、
然し誰が悪かったとしても、
体調不良(ケガや病気を含む)が治らなかった時の不快な症状や不安の気持ち、
その状態から逃れるための費用は、
全て自分持ちなのは確かなのです。

そこで私が思った事は、

偏った健康観(健康や病気の考え方)の儘で過ごしたらどうなるのか?

それを私が身体の立て直しをした経験を基に、
私の周囲の身近な人の経過を聞いて出した答えが、

「体調が悪くなる経過①」(2024/05/13)
「体調が悪くなる経過②」(2024/05/20)
「体調が悪くなる経過③」(2024/05/27)

だったのです。

この記事を書いた時は、
「こんな人もいるのかなア・・・」と、
ウスラボンヤリと思う程度だったのですが、
然しこの記事に書いた事を意識して、
接骨院に来るお客サンを観ていきますと、
「こんな人ばかりだった。」のでした。

今では「こんな人ばかりだ」と確信したのは、
私の接骨院に来ているお客サンで、
地道に生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを続けている人の、
身体の変化(立て直し)をリアルに観られた事が大きかったのです。

この人達は弱った身体の働きが回復していく途中で、
様々な症状を出して(再発)は消す(治す)事を繰り返していくのです。
この時の症状(再発)が治ると、
症状がでる前よりも身体の状態は良くなっているのです。
これを私はツケ払い(清算)と言っています。
(「ツケ払い(清算)」に関しては後述します。)

原因が明らかな急性の体調不良(ケガや感染症等)は除きますが、
原因が明確ではなかったり(原因に妥当性がなかったり)、
思い当たる原因もなく、
体調が悪くなった(病気を含む)場合(慢性)は、
原因がないのではなく、
業者(医療福祉従事者)サンも含めて私達が、
思ってもみない時期(過去)に、
思ってもみない事(ケガや病気等)が原因で、
体調が悪くなっている(症状がでる)からなのです。
(これに関しては後述します。)

私の接骨院に来るお客サンで、
地道に生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを続けた人は、
弱った身体の立て直しが進んでいくのですが、
その途中で過去のケガや病気で治し損ねたモノや、
過去に受けた(最近も含む)●●●●や、
過去に使っていた(今も使っている)●●●●●●●●していた部分が、
次々と騒ぎ出してくるのです。

「騒ぎ出してくる」というのは症状がでてくるという事で、
私はこれも「再発」と考えていて、
これは症状が軽減消失したからといって、
体調不良(ケガや病気を含む)が回復した(治った)とは、
必ずしもいえない・・・という事なのです。

ここで「再発」についてホンの少し説明しますと、
今回、私がいう「再発」は、
一般的に考えられている「再発」とは少し違っているかもしれません。
ネットで「再発」を調べてみますと、

「さいはつ【再発】」の解説
1 おさまっていた病気がもう一度起こること。さいほつ。
 「—のおそれのある病気」「がんが—する」
2 同じような事態がまた発生すること。さいほつ。
 「事故の—を防止する」「事件が—するのを恐れる」
「goo辞書:さいはつ【再発】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%86%8D%E7%99%BA_%28%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%AF%E3%81%A4%29/

と説明されていて、
確かにこれが一般的な「再発」の解釈なのですが、
ここでいう「再発」とは、
「おさまっていた病気がもう一度起こる」以外にも、
過去に治し損ねた部分を起点として、
全身に影響を及ぼしている部分が、
間違った生活習慣で弱めたのが回復できない儘の部分が、
身体的・精神的に次々を症状をだしてくる事なのです。

生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しを続けて、
身体の立て直しが進むに従って、
より古いモノ(古い時期に治し損ねたモノ)が、
次々と騒ぎ出してくる(再発)のです。
(これに関しては後述します。)

この騒ぎ出すモノが、
本来は良好である筈の体調を悪くするモノであり、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復を邪魔するモノなのです。
(特に慢性の体調不良(病気を含む)の場合です。)
そんな身体にとって悪いヤツを野放しにしていれば、
何れ身体的・精神的に関係なく、
様々な不調(症状)をだしてくるのは当然なのです。

ところがこの状況(再発のもう一つの解釈)を、
適切に言い表した医療(医学)の言葉(用語)は、
マダマダ知名度が低い(一般的ではない)ようで、
私はテレビやラジオでは聞いた事がありませんから、
そこで私達のような医療福祉の素人でも、
この状況を少しでも分かり易い言葉として探したのが、
仏(ブツ)用語の「因果応報」だったのです。

「いんがおうほう【因果応報】」の解説
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。
「goo辞書:いんがおうほう【因果応報】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%9B%A0%E6%9E%9C%E5%BF%9C%E5%A0%B1/

(医療福祉の素人である私達が健康(病気を含む)を考える時には、
 業者(医療福祉従事者)サンの言っている事(説明)が、
 私達の生活の中でどんな時のソレが起こったいるのかが、
 具体的に考えられる事が大切です。
 私はコレを「理(屈)と実(際)の一致」と考えています。
 業者(医療福祉従事者)サン用語だけを勉強して、
 業者(医療福祉従事者)サンの説明を丸暗記して、
 分かったつもりになっている人はタダの雑学博士であり、
 私はこのような人を「知ったか振り」サンを言っています。)

更に言いますと、
特に健康(病気を含む)では「善因善果・悪因悪果」の方が、
分かり易いのです。

ごう/業
心身による行為。・・・・・・業には思業・思已業、表業・無表業、身・口・意の三業など種々の種類がある。業とは、思業・思已業に大別されるように、意志の発動と、その意志によってなされる行為とのことであり、身体(身)・言語(口)・心理(意)の三種によって形成される。業はただの行為ではなく、それが善業あるいは悪業であれば、必ず楽あるいは苦の結果が伴う。一般に「自業自得」といえば、特に悪い行いによってその報いを受けることをさすが、業の理論においては、善い業もまた報いを残すとされる。業の報いについては、俗に「善因善果・悪因悪果」というが、これは「善因楽果・悪因苦果」というのが正しく、善や悪の業によって受ける報いは楽や苦という感受であり、報いそのものは善でも悪でもない。ただし、強力な善業や悪業は、その余力を身体に残し、その後の行為を規制する。例えば、受戒などがこれにあたり、このような業を無表業という。業は、インド思想に広くみられるが、仏教の業の理論の特徴は意業に重きを置く点にある。これは実際の行動よりも、その行動を起こすに至った動機に重きを置くということである。そして、そのような心を制御することが、仏道実践の目的である。また業は、しばしば現世の境遇を過去世の行いによって説明するために用いられるが、これは業の理論の一面にすぎない。業の理論において最も重要なことは、『スッタニパータ』一三六偈に説かれるように、人間の価値がその行いによって定められることにある。生まれではなく、行いによって人の価値は決まるものであり、その行いが自らの意志によって善いものにできる、ということが仏教における業の理論の重要な点である。
【資料】『俱舎論』業品
【参考】木村泰賢『小乗仏教思想論』(『木村泰賢全集』五、大法輪閣、一九六八)
【参照項目】→三業、正定業・助業、因果応報
【執筆者:石田一裕】
「WEB版新纂浄土宗大辞典:業」より
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%A5%AD

何時迄も元気に生活できるのも、
体調不良(ケガや病気を含む)が治らずに辛い(不安な)思いをするのも、
全てが(急性以外では)過去にアッた何か原因で、
その結果が現在の状態・・・だという事です。

つまり、
幾ら頭(理(屈))では正しい事をしていたとしても、
身体(実(際))に正しいとは限らない。
その時のその人の身体(実(際))に、
余分な負担がかからない(負担の少ない)生活をしてきた、
マタはその負担が解消できた結果が、
元気(健やか)な生活が送られて、
身体に負担のかかる(負担の大きい)生活を続けて、
改められなかった結果が体調不良(病気を含む)で辛い生活が始まる。
だけの事で、
これが基本的な考えになるのです。

何れにしても現在は昭和時代のように、
「身体に良い(と言われている)事をヤリ、
 身体に悪い(と言われている)事をヤメる。」だけでは、
健康状態を向上する(その人の元の状態に戻す)事が、
難しいのが明らかになりました。
それは多くの人は健康(病気を含む)に関心を持ち、
身体に良い事や悪い事を知ったからです。
ですから令和の現在は、
健康(病気を含む)を考える人は、
「実際の行動よりも、その行動を起こすに至った動機に重きを置く」
と書いてあるように、
今迄の考え方から一歩進んで、
(慢性であったとしても)体調不良になった原因を考えて、
その原因に対して必要な事(良い事)や不必要な事(悪い事)が、
義理人情にとらわれず、
適切に取捨選択できるようになる事が必要なのです。

その手始め(入口)が私の接骨院では、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)を見直す事なのです。

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体調が悪くなる経過③

2024年05月27日 | 私見

こうして以前のケガや病気を、
適切に回復させられなくて(治し損ねて)、
「最初の一つ」を作ってしまった子供は、
この時期には、
燻らせた火種の影響は広範囲(全身)に及んでいます(=満身創痍)。
(但し症状があるとは限りません・・・)
そんな子供が高校に通学したり就職して社会に出る時期になりますが、
この時期は他の時期とは違って身体に最も大切な時期です。
それは筋骨格の成長期で、
これからの3~4年間で作った身体で、
残りの人生を過ごしていく事になるからです。

昭和時代には、
「子供の頃は病気ばかりしていたが、
 大人になったら丈夫になって病気をしなくなった。」
とはチョクチョク聞いた話しですが、
これは筋骨格の成長期を上手に過ごせたからだと思います。

筋骨格系の成長期を上手に過ごす事は、
必ずしも運動(スポーツ)を熱心にヤッて、
身体を作るのとは必ずしも一致しません。
寧ろ現在では運動(スポーツ)を熱心に行っている人ほど、
運動(スポーツ)後のケアが不十分で、
身体各部分は傷んた儘になっている事(満身創痍)や、
体育会系で培った頑固な迄の偏った信条(健康観)が身に付いている事から、
運動能力は優れ見栄えの良い体型をしているかもしれませんが、
それに反して、
中身(身体の働き)は健康とはほど遠い人は多くいるのです。

~2024年追記:
「体育会系で培った頑固な迄の偏った信条」とは、
昭和のテレビアニメ「アタックNo1」の主題歌で、
「苦しくたって 悲しくたって
 コートの中では 平気なの」(東京ムーピー企画 作詞)
というように、
何でも根性で乗り切ろうとする考えです。~

今迄に治し損ねたモノが一つとして解消させられず(火種を燻らせた儘)、
その影響が全身に及んでいる人は、

そんな人が大学に通ったり社会に出て仕事をするようになるのですが、
最早、満身創痍ともいえる状態ですから、
今迄のケカや病気を治し損ねて身体に燻らせているモノが、
何時燃え始めるのか(再発するのか)は時間の問題なのです。

(早くも時間切れになって、
 体調不良になり日常生活が普通に送られなくなった人は、
 増えているように思います。)
以前にも増して普段の生活は忙しくなっても、
疲れた身体を回復させる事を知らないばかりに、
(知っていたとしても不十分だったり見当外れな場合が多いのですが・・・)
疲れた身体の人が、
残り火を燻らせた儘に筋骨格の成長期を過ごしていくのです。

仮にこのような満身創痍の人(症状がないから無自覚です)が健康に目覚めて、
例えば身体に良い(と考えられている)食事を始めたとしても、
ヨガ教室やフィットネスクラブに通い運動を始めたとしても、
あまり関係ありません。
確かに新たな体調不良(ケガや病気を含む)には、
ソコソコ有効なのかもしれませんが、
今迄に治し損ねたモノには全く効果はなく、
そこに新しく始めた事が、
逆に身体に大きな負担になったりして、
自分では健康的な生活を心掛けているつもりでも、
身体の働きに余裕が無い人から、
大した理由もないのに(時に全く理由もなく)、
体調が悪くなる(痛み等の症状や病気を含む)のです。

この時に問題なのは、
以前に傷めた部分と同じ部分が痛み出したモノであれば、
例えば、
「昔は運動部でよく足を捻挫をしたのがクセになって、
 今でもチョットした事で捻挫をする。」とか、
「昔の交通事故でムチウチになったのが治っていなくて、
 今でも天気が悪くなる前は頭痛がする。」みたいに、
再発を気付く(昔のケガが治っていない事が分かる)人もいるのですが、
これが以前に治し損ねた体調不良(ケガや病気を含む)とは、
一見関係ないと思われる部分に、
思いも寄らない症状がでた時や、
(明確な)理由もなく体調不良(病気を含む)になった場合は、
業者(医療福祉従事者)サンを含めて、
誰も過去の体調不良(ケガや病気を含む)との関連を考えず、
全て御新規で考えてしまう事なのです。

そして治療を始めて症状が消えると治った(良くなった)と考えて、
暫くして再び体調が悪くなる(ケガや病気を含む)と、
全て御新規で考えて治療(施術)を始めて、
症状を消す事を繰り返していくのです。

確かにこの時期はマダ、
近所の医院・接骨院・鍼灸治療院・整体院等に通院しても、
生活習慣を見直して身体に良い食事を始めたとしても、
ヨガ教室やフィットネスクラブに通い運動を始めたとしても、
ソコソコ体調は良くなります(症状は消えて身体はスッキリします)が、
これは殆んどの場合が問題を先送りにしているだけで、
不快な症状が出る度に、
治療(施術)で症状を消す事だけを繰り返していくと、
軈て同じ部分に頻繁に症状が出るようになったり、
今迄受けている治療(施術)の効果が薄らいでいくのです。

少なくともこのような状況に直面した人は、
今迄の考え方や方法が通用しなくなったのですから、
自分が身に付けている健康観(健康や病気の考え方)観を、
見直す最期に近い時期なのですが、
然し幼少の頃から、
業者(医療福祉従事者)サンの医療(医学)の理屈だけで健康(病気を含む)を考えて、
ウソでもそれで一時的にでも健康が維持できた人(恩恵を受けてきた人)は、
健康観(健康や病気の考え方)観を見直す事はできない(恐怖です)し、
仮に見直せていると思っても、
セイゼイ評判を聞いて医療機関を彷徨ったり、
テレビやラジオの健康特集の情報を実践したり、
サプリメントや特保飲料を使い始めたり、
中には誰かサンに勧められる儘に手術を受けたりする程度で、
この殆どは本人にしてみれば画期的な事かもしれませんが、
身体にしてみれば小手先だけを変えただけの事でしかなく、
何れの方法を熱心にヤッたとしても、
問題を先送りにしているだけなのです。

ソンナコンナで40歳も過ぎた頃には、
何をしても以前のような効果が出なくなるばかりか、
特定(メタボ)健診で異常が見つかる人も増えてきたりします

このような人は「何をしても治らなかった」という、
変な自信だけは持っていますから、
今更、体調不良(病気を含む)を治そうという気持ちは失せて、
体調不良(ケガや病気を含む)が治らない状態を維持する事が、
健康だと勘違いしてしまい、
(実際には勘違いというよりも無意識の方が適切な表現かもしれません・・・)
体調不良(ケガや病気を含む)が回復できない理由を、
業者(医療福祉従事者)サンに言われた事もあり、
「加齢」「ストレス」「運動不足」「食べ(飲み)過ぎ」「遺伝」等と、
その人が体調不良(ケガや病気を含む)を回復させられない理由かどうかが、
分からないような曖昧な理由らしきもので、
納得してしまう人が多くいるのです。

そんな人受ける治療(施術)は「治す」が目的ではなく、
一時の変化(症状の軽減消失)だけを目的にしたものになっているのです。

然しここ迄身体の働きを弱めて余裕をなくしてしまうと、
誰もが認める(業者(医療福祉従事者)サン言っている)、
尤もらしい理由(体調不良(ケガや病気を含む)が治らない理由)は、
頭(理の部分)は納得しても身体(実の部分)には通用しないのです。
身体は情け容赦なく様々な症状(警告信号)を出し始めるのです。

その一つが(大した)理由もなく(時に理由すらなく)、
体調不良(ケガや病気を含む)になり易くなり、
一度なった体調不良(ケガや病気を含む)はナカナカ治り難くなり、
次々と現れる体調不良(ケガや病気を含む)に翻弄されていくのです・・・が、
偏った健康観(健康や病気の考え方)を見直す事をせず、
自分の都合で健康(病気を含む)を考えてきた人は、
この期に及んでも何かに縋る習慣が捨てられず、
最早、飲んでも効かないと分かっていても薬を頼り、
(この人達を私はヤク中といっています。)
一時的な効果すら無くなってきた理学療法を頼り、
中には怪しい宗教(スピリチュアル)に傾倒していく人もいるのです。

後は推して知るべしで人によっては、
健診検査で大病が見付かり辛い闘病が始まる人、
家族の顔や今朝食べたモノも忘れるようになり介護のお世話になる人が、
年々増えているのは少し調べれば誰でも分かるのですが、
ここ迄、身体を追い込んでしまうと、
業者(医療福祉従事者や代替療法の施術者)サンでも成す術がなく、
治療(施術)と称してヤッている事も治すが目的ではなく、
現状維持だけが目的(延命)のものになるのです・・・が悲しい哉、
本人や家族はそれがウスウス気付いていても、
業者(医療福祉従事者)サンには文句の一つも言えず、
医療を提供する側も利用する側も、
互いに「仕方がない」で済ませてしまうのです。

この時に「仕方がない」と思って妥協するのは自由です・・・が、
このようにして身体を追い込んで弱めてしまった人の、
家族が考えなければならない事は、
一時の情(感情や人情)に流される事で、
体調不良(病気)の本人の負担は、
家族が肉体的にも精神的なも負担を追え事になるのです。

~2024年追記:
私達のような医療福祉の素人でも聞く言葉としては、
平成時代には「介護疲れ」「老々介護」等で、
令和時代には「ヤングケアラー」「介護施設での虐待」等です。~

身体を徹底的に弱めてしまった人の負担は、
その人の身近な人((同居する)家族等)が負う事は、
あまり考える人はいないようですが、
実際にその時になって考えたとしても時既に遅しで、
何を思っても誰(業者(医療福祉従事者)サンを含む)も何もできないし、
本人にしても今迄の健康観(健康や病気の考え方)を見直し修正するだけの、
体力気力は残っていないのです。

当然、体力気力に余裕が残っている人は、
残っている分だけ今回の説明よりもマシな経過を辿るのですが、
それにしても貝原益軒先生が「養生訓」で言っているような、

・・・ひとの健康についても同様で、養生の術を学び持続して実行すれば、身体壮健にして病むことはなく、天寿をたもち長生きをして、長く楽しむことは必然であろう。これは自然の理であって疑ってはならないのである。
「養生訓 全現代語訳」P30~P31

からは程遠い人ばかりなのです。

そして私の接骨院に来るお客サンでも、
現在の業者(医療福祉従事者)サンの理屈だけで、
健康(病気を含む)を考えてきて、
自力を失くしてしまった人は、
この時になって自分が生き地獄にいる事を知る人も出てくるのです。

~2024年追記:
私は自力を失くしたお客サンの一部の人を、
私の接骨院から卒業していただきました。
それはこのお客サン達が今後辿るであろう悲しい経過を観るのが、
イヤになった(辛かった)からです。~

ここで私がいう生き地獄とは、
これは私の接骨院のお客サンで実際にあった事ですが、
業者(医療福祉従事者)サンから、
「今では●●をしながら普通に生活ができます」とか、
「●も5年生存率が上がり今では治る病気になってきた」とか、
「●の治療を続けながら仕事をしている人もいる」とか、
「●●●は治す事はできないが進行を遅らせる事はできる」みたいな、
イイ事だけを言われたのを真に受けて治療を始めた結果、
私の接骨院に来た時に、
「こんな筈じゃなかった。」と愚痴を言った人や、
「今回で私がココ(私の接骨院です)に来るのは最後だと思います。」とか、
「勝手に病院を外出してもモウお医者サンは何も言わない。」等と、
悲しい事を言ったお客サンや、
最初は楽になった●●でも。
続けていくうちに●●後の身体の怠さがヒドくなると、
「私はナゼ●●を受けているのだろうか?」
と愚痴って死んでいったお客サンや、
検査入院した人が●●●●で●●●に罹り、
1年半も寝たきりになり死んでいった人や、
その他にも壮絶な最後を迎えたお客サンが増えているのです。

接骨院のクセに一時期はそんなお客サンが増えてきて、
私は業者(医療福祉従事者)サンの理屈だけで、
健康(病気を含む)を考えてきた人で、
大往生で死んでいった人は少ない・・・という事と、
接骨院は死んでいく人を相手にしてはいけない(心が折れますから)
・・・という事を知ったのです。

これが脇長生先生が言っている、

・・・今日の人は、生理学、医学、親から、人間は病気をするものと教えこまれている。
「スピリチュアルな生き方原典 日本神霊主義聴聞録」P180より

の弊害であり、
健康や病気を全て症状(検査結果も症状の一つ)だけを指標に考えて、
自力を失くした人の末路だと、
私は思ったのです。

テレビや雑誌等では、
このような辛い経過を辿った人や、
壮絶な最後を迎えた人の事は殆んど紹介されません。
タマに紹介された番組があっても、
闘病する姿を感動的に紹介しているモノだったり、
私達を期待させるような健康特集番組や、
「○○を食べると○○に効く」等の、
誰に対して効果があるのか分からないようなCMばかりです。
そんな状況だからこそ、
私達は自力(自分で判断する事)が大切なのです。

【参考資料】
「養生訓 全現代語訳」
貝原益軒 著/伊藤友信 翻訳 株式会社講談社 刊
「スピリチュアルな生き方原典―日本神霊主義聴聞録―」
脇長生講述/桑原啓善 筆録 でくのぼう出版 刊

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体調が悪くなる経過②

2024年05月20日 | 私見

「最初の一つ」を持った子供が、
幼稚園(保育園)や小学校に通う頃になりますと、
早くも明らかな体調不良として症状をだす子供がでてきます。
軽いモノであれば●●●・●●●●●●●●等があり、
少し軽くないモノであれば、
●●●●●●●●・●●●●・●●●●●●●等の●●●●●●があります。

然しこの時期の体調不良(病気を含む)は、
業者(お医者や代替療法の施術者)サンが、
原因を特定しない(特定できない)事や、
本人が適切に説明できない(本人の訴えに信憑性がない)事や、
慢性でも歴史が短いから放置しておいてもマダ症状が消え易く、
対症療法(薬や理学療法等)でも症状が消え易い事から、
仮に医療機関を受診しても、
殆どの場合が経過観察という(実際には)放置で済ませられたり、
セイゼイ薬を処方される程度で、
それで症状が消えると、
業者(お医者サンや代替療法の施術者)サンや親は治ったと勘違いするのです。

マタこの時期まで「最初の一つ」を作らずにヤッてきた子供も、
この時期になった急性の体調不良(ケガや病気を含む)を、
例えば捻挫や打撲や骨折等のケガの時の治療(RICEの処置等)とか、
●●●●●●●・●●・●●●等の●●●の治療や、
予防での解釈の間違い等で、
「最初の一つ」を作ってしまう子供もいます。
つまりこの時期の子供には、
同じ体調不良(ケガや病気を含む)でも、
急性(御新規サン)と慢性(御馴染みサン)があるのです。

これ(急性か慢性か?)を正しく判断するには、

①今回、体調不良(ケガや病気)になった理由が妥当か?
②出生時からの既往歴。

を確認するしかないのですが、
業者(お医者や代替療法の施術者)サンは、
①②はあまり重視しておらず、
症状(検査結果も症状の一つ)の有無や程度だけで判断して、
急性も慢性も同じ扱い(対症療法)ですから、
これで急性(御新規サン)の子供は「最初の一つ」を作り、
慢性(御馴染みサン)の子供は、
セッカク身体が治し始めて症状を再発させたのを(後述)、
マタ燻らせた状態に戻してしまうのです。

然し何れの場合も、
症状は消えてしまえば身体は楽になりますから、
業者(お医者や代替療法の施術者)サンや親は、
「治った(良くなった)」と判断するのですが、
実はこれは問題を先送りにしているだけなのです。

このようして身体に火種を燻らせた子供が、
小学校高学年や中学生になりますと、
日常生活での運動量が増えたり、
勉強や趣味の時間が増えたり、
中には身体が未熟の時期(筋骨格の成長期前)であるにも係わらず、
野球やサッカー等の身体の一部分を酷使する運動(スポーツ)や、
激しい運動(スポーツ)を始めたりして、
これが余裕の無い身体に大きな負担になるのです。

ここで大切な事は、
この時期の生活環境の変化が、
子供の身体に大きな負担になっているのかは、
親や周囲の身近な大人が判断しなければならない事で、
これは親や周囲の身近な大人の信条が、
子供の健康状態に大いに影響するという事なのです。
これに関しては後述します。

考えたり行動したりするうえで、基本としているやり方。
「goo辞書:信条」より
https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/14028/meaning/m1u/

つまり今迄に自由に振る舞ってきた子供は、
成長と伴に生活の自由度が増して、
ゲームやスマホで夜更かしをするようになったり、
食事でも好き嫌いが激しくなったり、
何時でもお菓子を食べたるようになったり、
マダマダ幾つもありますが、
これが余裕の無い身体に更に大きな負担になるのです。

余裕の無い身体に、
更に大きな負担をかけてしまうという事は、
身体は些細な事をキッカケにして、
燻っている火種が再び燃え始める(体調不良になる)事になります。

然しこの時も前回と同様に、
多くの場合が大した症状ではなく、
検査でも明確な異常が出なかったり、
暫くすると症状が消えてしまったり、
本人の訴えに信憑性がなかったりして、
ヤハリ前回同様に業者(お医者や代替療法の施術者)サンは、
症状だけで病名を付けて経過観察(実際の放置)をするか、
セイゼイ薬物療法や理学療法でお茶を濁すのです。

「御茶(おちゃ)を濁(にご)す」の解説
いいかげんに言ったりしたりしてその場をごまかす。「冗談を言って—・す」
「goo辞書:御茶を濁す」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%BE%A1%E8%8C%B6%E3%82%92%E6%BF%81%E3%81%99/

確かにこれでもマダ症状が軽減消失する場合も多いので、
症状が消えれば、
業者(お医者や代替療法の施術者)サンや親は、
「治った(良くなった)」と勘違いしてしまうのです。

そして今回も前回同様に、
この時期の体調不良(ケガや病気を含む)にも、
(相当少なくなりましたが)
急性(御新規サン)と慢性(御馴染みサン)の二種類があります。
ソレ(急性か?慢性か?)を正しく判断するには、
体調不良(ケガや病気を含む)になった理由が妥当なモノか、
どのような既往歴があるのかを詳細に聞き取り、
判断するしかないのですが、
何れも業者(お医者や代替療法の施術者)サンや親や本人は、
症状を消す事しか考えていませんから、
これで急性(御新規サン)の子供は「最初の一つ」を作り、
慢性(御馴染みサン)の子供は、
折角身体が回復を始めた身体の反応(再発)を消して、
再び燻らせた状態に戻してしまいすから、
仮に症状が軽減消失して身体が楽になったとしても、
ヤッパリ問題を先送りにしているのです。

マタこの時期に考えなければならない事として、
小学校高学年や中学生という、
身体が未熟な時期(筋骨格の成長期前)に、
サッカーや野球のような身体の一部分を酷使する運動(スポーツ)や、
激しい運動(スポーツ)を熱心に行う子供ほど、
その環境に身体が適応する事です。
その代表的なモノには、
●●●・●●●●・●●●●●●●●●●●●●等の骨変形があります。

このような骨変形に対して業者(お医者や代替療法の施術者)サンは、
単純に使い過ぎ(酷使)が原因だと考えているようですが、
これは半分がウソで、
使い過ぎ(酷使)だけが原因とは考え難いのです。
その根拠は同じ運動(スポーツ)をして、
同じような練習をしている子供でも、
骨が変形する(少数の)子供と、
骨が変形しない(多数の)子供がいるからです。

それでは骨変形が始まるのは、
使い過ぎ(酷使)以外に何が原因として考えられるのか?

考えられる事は、
骨変形が始まる子供は、
既に下地(以前に治り損ねたモノを含む)ができていて、
そこに激しい運動(スポーツ)や、
身体の一部分を酷使する運動(スホーツ)を始める事で、
その子供の弱っている部分にも大きな負担をかけるようになり、
その負担を少しでも減らそうと、
身体が歪み(クセ)を作り(歪みを増大させて)痛みを消し、
歪み(クセ)を作った儘で運動(スポーツ)を続けるから、
身体が歪み(クセ)を作る(増大する)のも限界となり、
マズは酷使する部分に痛みが生じた・・・というストーリーが考えられるのです。

特に現在では運動(スポーツ)の良い面だけが強調されて、
健康の為にと運動(スポーツ)が奨励されている状況で、
運動(スポーツ)をする子供の親が考えなければならない事は、
使い過ぎ(酷使)に注意するのではなく、
運動(スポーツ)後のケアを考えなければならないのです。

然しこれに関しても問題があります。
運動(スポーツ)後のケアといいますと、
セイゼイストレッチに時間をかけたり、
酷使して熱を持った部分を氷や冷却スプレーで冷やしたり、
酷使した部分をテーピングやサポーター等で保護する事だと思いますが、
これは身体が未熟な時期(筋骨格の成長期前)で、
以前に治し損ねたモノが燻っている子供には、
全くケアにはなっていない(見当外れです)のです。

これは業者(お医者や代替療法の施術者)サンが、
症状だけを診て(消炎鎮痛だけが目的の)治療をしていますから、
分からないのも仕方がない事ですから、
それだけに親が理解して子供を守らなければ、
本人も含めて親も知らないうちに子供の身体は弱っていき、
軈て今迄受けていた治療の効果がなくなったり、
それでも誤魔化しながら(症状だけを消して)運動(スポーツ)を続ける事で、
身体は拗れて(更に弱って)新たな体調不良(病気を含む)が出てきたり、
それが運動(スボーツ)を熱心にする子供の骨変形だったりするのですが、
これ程迄に身体を拗らせてしまう(身体の働きを弱めてしまう)と、
業者(お医者や代替療法の施術者)サンにも為す術はなく、
時には手術を勧めたり、
子供が好きで始めたスポーツの引退を勧告したりするのです。

マタ運動(スポーツ)をあまりしない子供も、
「最初の一つ」が身体に潜んでいる(燻っている)と、
身体の弱化は着実に進んでいますから、
普段の生活の中の何気ない事でも、
身体には大きな負担になる事もでてきて、
(大した)原因がなくても(些細な事をキッカケにして)、
身体的・精神的を問わず体調不良(病気を含む)になり易いのですが、
ヤハリ症状(検査結果も症状の一つ)だけを指標に、
病名を付けて治療を始める業者(お医者や代替療法の施術者)サンには、
症状を軽減消失する事はできても、
適切な対応はできない(回復させられない)のです。

このようにして身体を弱めてしまった子供が、
高校に通うようになったり、
就職して社会で働くようになると、
どうなるのかは次に説明します。

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体調が悪くなる経過①

2024年05月13日 | 私見

急性の体調不良(ケガや病気を含む)を治し損ねると、
不快な症状は消えて(軽減して)身体は楽になります。
それは身体に備わっている防御反応によるもので、
治り損ねた部分を固めて動きを止めて(筋肉の凝り等)、
治り損ねた部分に負担のかからない姿勢(疼痛逃避姿勢)を作り、
少しでも治し損ねた部分を安静にして(守って)、
不快な症状を感じないようにするからです。
この状態を慢性といいます。

これは幾ら身体が楽になったとしても治った事にはならないのですが、
症状(検査結果も症状の一つ)の有無・程度だけを目安に、
治療(施術)や生活習慣の指導が行われている現在では、
業者(医療福祉従事者)サンを含めて私達は、
これも良くなった(治った)事にしているのです。

急性の体調不良(ケガや病気を含む)を治し損ねて、
症状(特に痛み)が消える(慢性化する)と、
最早、自然に治る事はありません。
身体は治そうとしないのです。
それは症状が消えてしまうと、
身体には緊急事態ではなくなるからです。
これに関する私見は後述します。

この場合は治し損なったモノは、
焚火の残り火が何時迄も燻ぶっているように、
治し損ねた部分に残っている炎症が、
何時迄も身体に残ってしまう(潜んでしまう)のです。
そして川に石を投げた時に水面にできる波紋のように、
治し損ねた部分を起点にして、
時間の経過と伴に広い範囲(全身)に影響を及ぼしていくのです。
ここで全身に影響を及ぼすといったのは、
それは急性期で適切に回復させられなかった(治せなかった)事で、
暫くしたら(数年後が多い・・・)、
身体の様々な部分に不調(病気を含む)が出る事です。

然しこれが何時になったら何をキッカケにして、
どこの部分にどのような不調(病気を含む)が出るのかは、
その人の体力気力・仕事・趣味嗜好・生活習慣(信条)・既往歴によって違い、
(年齢は関係ありません。)
決まった傾向はないのですが、
唯一共通しているのは、
体調不良(ケガや病気を含む)になった原因が曖昧(妥当ではない)だったり、
原因に思い当たるフシが無かった場合は、
以前に治し損ねたモノが押さえ切れなくなって、
騒ぎ出した(不快な症状が出た)と考えられるのです。

それを図示したのが次の図です。

急性の体調不良(ケガや病気を含む)を治し損ねて、
身体に残してしまったモノを、
私は「最初の一つ」と言っています。
(名付けの意味は特にありませんタダの語感です。)

「最初の一つ」があっても身体の防御反応により楽になりますが、
何れ様々な体調不良(不快な症状や病気を含む)を引き起こします。

私が接骨院に来るお客サンを観た範囲で説明しますと、
早い時期に作る「最初の一つ」には、
斜頸や先天性股関節脱臼等の出産障害や、
早期歩行を目指して歩行器を使って足を傷めたり、
ハイハイや掴まり立ちで転んで筋肉を傷めたモノや、
間違った離乳食で身体(お腹)を弱めたモノが考えられます。

出産障害(斜頸や股関節脱臼)のような明らかなモノは、
適切な応急処置ができれば後は日にち薬で治っていき、
仮に治らなくても身体に馴染ませてしまえば、
それがその人の基準となりますから、
その状態で上手に成長期を過ごせれば、
見栄えや動きは一般的なヒトとは違っても、
あまり悪影響を及ぼさなくなるのですが、
今では親や周囲の大人の間違った生活習慣や信条により、
この時に作った体調不良(ケガや病気を含む)が治らずに・・・かといって、
身体に馴染ませる事もなく中途半端な状態にしてしまい、
火種を残してしまう子供が多くいるのです。
これが「最初の一つ」になるのですが、
然しこの時の症状(違和感)は本人に聞いても分からないし、
この時に「最初の一つ」にしてしまっても、
大した問題になる事もなく過ぎていくようです。

~2024年追記:
これに関して私の接骨院では、
生後6か月の子供が来院した事がありました。
(マダ歩けないのでお母サンとお婆チャンが連れてきました。)
この子供は全身が強張っていて、
業者(お医者)サンは、
先天性の病名(成長障害)(病名は忘れました)を付けていたのです。
然し私が観たところ足が捻挫していたのですが、
(どちらの足かは忘れました)
「マダ歩かない時期なのに足の捻挫・・・?」と思い、
私はお母サンやお婆チャンに出産時の状況を尋ねますと、
お婆チャンが「逆子での出産だった」と答えたのです。
多分、業者(お医者)サンが、
出産時に足を引っ張った時に捻挫をしてしまったのでしょう。
そこで私は足の捻挫の治療(施術)をしたところ、
その場で子供の全身の強張りは取れてしまったのです。
その後も成長障害もなく普通に小学校に通学したのです。

これは全ての先天性の病気に当て嵌まるという事ではありません・・・が、
業者(お医者)サンが先天性の病名を付けた人の中には、
実は先天性ではなく、
出産時の障害(ケガを含む)が原因だったという人もいる・・・という話しです。~

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「ササヤカな闘病記」その後②現状

2024年02月26日 | 私見

私がリアルに経験した事や、
その経験で分かった事の全てが、
私の周囲の身近な人達や、
接骨院に来るお客サンにコトゴトく否定された事で、
私はウスラボンヤリとですが「何かオカシイ・・・」と思いました。
そこで私はこの違和感の理由を知る為に、
現在の健康(病気を含む)問題が、
どのような状況なのかを調べてみたのです。

それが次回から掲載する、

「国民総不健康時代」(2024/03/04)
「曖昧な健康と病気」(2024/03/11)
「病気基準の健康」(2024/03/18)
「家畜の健康管理」(2024/03/25)
「歴史から健康を考えた①」(2024/04/01)
「歴史から健康を考えた②」(2024/04/08)

です。

ここで最初に申し上げる事は三点あります。
それはこの記事は古いブログにも掲載した記事で、
引用した資料が古くなっている事です。

一つ目は、
「国民総不健康時代」(2024/03/04)
で厚生労働省のホームページから引用したグラフで、
「平成20年度国民医療費の概況:国民医療費と対国民所得比の年次推移」が、
最新版(令和3年(2021年))では次の様なグラフになっています。

このグラフでは令和2年(2020年)にも、
一時的に国民医療費が減少していますが、
これは新型コロナウイルス感染騒動で、
多くの人が医療にかかれなかった、
マタは自ら受診を控えた事が理由で、
国民保健が向上したからではありません。
ですから古いグラフを使用しても、
記事の内容に問題はないと思いましたから、
今回、再度掲載する、
「国民総不健康時代」(2024/03/04)では、
敢えてグラフを差し替える事はせず、
当時の記事(平成30年(2020年)投稿)を掲載する事にしました。

二つ目は、
「曖昧な健康と病気」(2024/03/11)で、
Wikipedia(ウィキペディア)から引用した病気の解説です。
現在のWikipedia(ウィキペディア)では病気を、

定性的に定義しようとする立場
逆に、質的な記述あるいは定性的な記述で病気を一般化して定義しようとする試み・立場がある。
ひとつには本人の認識している状態(あるいは本人の主観的経験内容)を重視し、病気の定義を「本人が心身に不都合を感じ、改善を望むような状態」、あるいは「本人あるいは周囲が心身に不都合を感じ、改善を望むような状態」とすることがある。
医師が疾患だと診断した人であっても、本人は生活上の問題を感じないことなどを理由に「自分は病気ではない。健康である」と述べていることがあり、あるいは「身体障害は障害(広い意味で疾病の一種)ではなく個性である」と言われることがあり、これらはその意味でも一理あることともいえる。また、医療従事者の立場でも、本人または周囲が治療の必要性を感じなければ病院を受診に来ることも無いので、このような定義でも実際上の問題は生じにくい。
ただし、これも突き詰めて考えてみると、医師が依存症・嗜癖や骨粗鬆症などと診断するようなケースでも上記のような認識のズレが生じていることがあり、医学研究の立場では本人や周囲の判断・価値観に関わらずに病気を定義し診断できるようにすることへの要求は存在する。
「Wikipedia(ウィキペディア):病気」より

とヤヤコシイ解説がされていました。
これは今でも明確に病気の解釈はできない、
つまり病気には定義がない・・・という事ですから、
それならば、
「曖昧な健康と病気」(2024/03/11)
を以前に掲載した時に引用した、
Wikipedia(ウィキペディア)の病気の解説の方が分かり易いので、
これも敢えて差し替える事はせず、
当時のWikipedia(ウィキペディア)の解説を引用しました。

三つ目は、
「家畜の健康管理」(2024/03/25)で、
平成22年(2010年)の日本人の平均寿命を、
男性79.64年(健康寿命70.42年)で、
女性86.39年(健康寿命73.62年)で説明している事です。

これに関して厚生労働省の最新の資料では、

1 主な年齢の平均余命 
令和4年簡易生命表によると、男の平均寿命(0歳の平均余命のこと。以下同じ)は 81.05年、女の平均寿命は87.09年となり前年と比較して男は 0.42年、女は0.49 年下回っている。平均寿命の男女差は、6.03 年で前年より 0.07 年縮小している。また、主な年齢の平均余命をみると、男女とも全年齢で前年を下回っている。
「厚生労働省:令和4年簡易生命表の概況」より

令和4年の男の平均寿命(0歳の平均余命のこと。以下同じ)は 81.05年、女の平均寿命は87.09年となり前年と比較して男は0.42年、女は0.49年下回りました。平均寿命が前年を下回るのは、令和3年に続き2年連続で、下回り幅はR3年よりも拡大しています。
厚生労働省の分析では、平均寿命の前年との差を死因別に分解すると、男は悪性新生物<腫瘍>などの死亡率の変化が平均寿命を延ばす方向に働いているが、男女とも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)、心疾患(高血圧性を除く。以下同じ)、老衰などの死亡率の変化が平均寿命を縮める方向に働いているとのことでした。
「サービス付き高齢者向け住宅情報提供システム:ニュース」より

マタ健康寿命に関しては、

健康寿命の延伸と平均寿命との差の縮小が重要
平均寿命と健康寿命の差は日常生活に制限のある「不健康な期間」を意味しますが、これは、2010(平成22)年から男女とも、徐々に縮小傾向にあり、2019(令和元)年では男性8.73年、女性12.06年となっています。
「厚生労働省:e-ヘルスネット:平均寿命と健康寿命」より

と説明されているのです・・・が、
ここで問題だと私が思う事は、
「平均寿命が伸びたのはメデタイ事だ」と思うのは、
昭和時代の古い考えで、
今では通用しない旧態化した古い考えだという事です。
それは健康寿命という考えが加わってからは、
生きている期間の内容(LOQ)を第一に考えるようになり、
それは「平均寿命と健康寿命の乖離」を解消する事だからです。
然し実際には、
健康寿命という言葉が使われ始めてから20年以上経ちますが、
平均寿命と健康寿命の10年程度の乖離は解消されておらず、
この10年程度の乖離期間が、
国民医療費や介護費が高騰する大きな一因になっているし、
それから派生した様々な問題を引き起こしている状況を考えますと、

本来ならば平均寿命に健康寿命が近づくのが理想の形なのでしょうが、
それが無理ならば,
平均寿命を健康寿命を近づける事もアリかな・・・と思えてしまうのです。
その極端な例が「●●●山(現在は●●●●●●●●●)」なのでしょう・・・。

クオリティ・オブ・ライフ(英: quality of life、略称:QOL)とは、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた『生活の質』のことを指し、ある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。驚くべきことに、規律性の高い人は長生きする傾向があるが、規律性の低い人よりも生活の質が低くなる可能性がある。
「Wikipedia(ウィキペディア):クオリティ・オブ・ライフ」より

健康寿命(けんこうじゅみょう)とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと。
解説
WHOが2000年にこの概念を提唱した。平均寿命から日常的・継続的な医療・介護に依存して生きる期間を除いた期間が健康寿命になる。
平均寿命は寿命の長さを表しているが、健康寿命は日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間を表し、健康寿命が高いほど、寿命に対する健康寿命の割合が高いほど、寿命の質が高いと評価され、結果として医療費や介護費の削減に結び付く。
「Wikipedia(ウィキペディア):健康寿命」より

このような事から、
特に古い資料でも問題はないと思いましたから、
敢えて修正する事なく、
「家畜の健康管理」(2024/03/25)
を掲載する事にしました。

以上です。

今回ここで挙げた三点を「問題がない」と思ったのは、
引用した資料が古くても記事の内容を変えなくても済むという意味です。
然し実際に健康(病気を含む)に関する状況は、
以前にも増してマスマス厳しくなっているように私には思えるのです。

それでは始めます。

【参考資料】
「厚生労働省:令和3年度国民医療費の概況」
 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/21/dl/kekka.pdf
「Wikipedia(ウィキペディア):病気」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%97%85%E6%B0%97
「厚生労働省:令和4年簡易生命表の概況」
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life22/dl/life22-02.pdf
「サービス付き高齢者向け住宅情報提供システム:ニュース」
https://www.satsuki-jutaku.jp/journal/article/p=2325#:~:text=%E5%8E%9A%E5%8A%B4%E7%9C%81%EF%BC%9A%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%AF%BF%E5%91%BD%EF%BC%882023%EF%BC%89%E3%81%8C%E7%94%B7%E6%80%A7%2081.05%E5%B9%B4%E3%80%81%E5%A5%B3%E6%80%A787.09%E5%B9%B4%E3%81%AB%EF%BC%81,2%E5%B9%B4%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%81%A7%E5%89%8D%E5%B9%B4%E4%B8%8B%E5%9B%9E%E3%82%8B%20%E5%85%AC%E9%96%8B%E6%97%A5%EF%BC%9A2023%E5%B9%B47%E6%9C%8831%E6%97%A5
「厚生労働省:e-ヘルスネット:平均寿命と健康寿命」
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/hale/h-01-002.html
「Wikipedia(ウィキペディア):クオリティ・オブ・ライフ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95
「Wikipedia(ウィキペディア):健康寿命」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%AF%BF%E5%91%BD

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