接骨院閑話 最新version

「しれは迷ひしらねは迷ふ法の道
 なにかほとけの實になるらん」
至道無難禅師の句は健康にも通じるのです。

病気基準の健康

2024年03月18日 | 現状

人間は病気をしないもの
・・・今日の人は、生理学、医学、親から、人間は病気をするものと教えこまれている。これがいけない。自然科学は発達の途中で、未だ分からぬものがいろいろある。たとえば人間とは何か。そのほんの一面が分かっただけで、本当の姿は分かっていない。だから一面では自然治癒力の存在を認めながら、これは一体何か、どうとり扱ったらよいかが分からぬままに、自然治癒力を第一義とした治療を行う者がいない。だから病気は治せない。
「スピリチュアルな生き方原典 日本神霊主義聴聞録」P180より

これは日本のスピリチュアルの第一人者であった脇長生先生の言葉です。
この言葉から私達が知っておく事は、
宗教(スピリチュアル)も人の健康を考える分野だという事です。

脇長生は兵庫県飾磨(現在の姫路市)生まれ。少年期は岡山県和気で過ごし、山中で仙人に会い、数々の奇跡体験をする。二十二歳の時肺結核になるが、単身で無人の家島に渡る。途中船から医薬を捨て数か月間修業。その間に見神の体験をして病気は消える。京都府立医大研究室で医学を修し、Y製薬会社の顧問を務める。他方、浅野和三郎の「心霊科学研究会」で審神者となり和三郎を補佐。心霊の科学研究に努める。浅野の没後(昭和十二年)より、事実上心霊科学研究会を引き継ぎ、昭和五十三年七月一日没(八十八歳)まで、月刊「心霊と人生」誌を発行し続け、日本に正統な心霊研究の灯を守り通した。
「スピリチュアルな生き方原典 日本神霊主義聴聞録」より

これは以前にテレビで観たのですが、
未開の地では今でもシャーマン(呪術師)が病気を治していましたし、
日本でも現在の科学的な医療(医学)が入ってくる迄は、
お坊サンや神主サンや祈祷師が普通に病気を治しをしていたのです。

そして現在の医療(医学)の歴史を調べても、
医療と宗教(スピリチュアル)は元は同じ・・・といいますか、
宗教(スピリチュアル)の一部が医療だったのが、
19世紀から宗教的な考え方を排斥していったのが、
現在の科学的な医療(医学)の流れなのです。

中世・近代初期ヨーロッパ医学
中世ヨーロッパではギリシア・ローマの学問の成果の多くが失われた。中世初期の医学知識の主流は、主に修道院などに保管されて現存していたローマの文献だった。これらの施設にはしばしば病院が併設されていた。また、医学知識を代々伝承し、地域的な民間療法が行われた。
近代医学
化学や研究技術・施設の発展により、医学は19世紀以降に大変革を起こした。伝染病についての旧来の考えは、微生物学とウイルス学に取って代わられた。
「Wikipedia(ウィキペディア):医学」より

ですから脇長生先生が宗教家の立場から、
「人間は病気をしないもの」と発言したのは当然の事で、
これは基礎的な生理学の教科書を読んでも、
脇長生先生の発言を裏付ける部分が多くある事でも分かるのです。

私達の身体は外界からの刺激や有害な物質から、
身を守る為の様々な仕組みを備えていて、
その仕組みの一部を、
「免疫」「恒常性(ホメオスターシス)」「自然治癒力」といっているのですが、
その仕組みは24時間年中無休で働いていますから、
それが正常に働いている限り、
私達は一生を通して健やかな(元気な)生活が送られるのです。
(但しこれは身体がどんな状態でも症状を感じない事ではありません。)
これが脇長生先生流の言葉では、
「人間は病気をしないもの」になるのです。

恒常性(こうじょうせい)ないしはホメオスターシスとは、生物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のことである。
「Wikipedia(ウィキペディア):恒常性」より

マタ身体に備わっている仕組みが正常に働いていれば、
私達が健やか(元気)な生活が送られる事は、
先人の残した文献からも何となく知る事ができます。

例えば貝原益軒先生は「養生訓」に、

・・・ひとの健康についても同様で、養生の術を学び持続して実行すれば、身体壮健にして病むことはなく、天寿をたもち長生きをして、長く楽しむことは必然であろう。これは自然の理であって疑ってはならないのである。
「養生訓 全現代語訳」P30~P31

と書いていますし、
ルイジ・コルナロ先生は「無病法 極小食の威力」で、

わたしはこれまで、老年というものが、
これほど素晴らしいものとは知らなかった
「無病法 極少食の威力」p1より

と書いていて、
何れの先人も、
加齢が原因で体調不良(病気)になるとも、
体調不良(病気)か年(加齢)が原因で治らないとも、
書いていないのです。

貝原益軒(1630年12月17日(寛永7年11月14日)~1714年10月5日(正徳4年8月27日))は、江戸時代の本草学者(現代で言う薬学者)、儒学者。 50年間に多くの著述を残し、経学、医学、民俗、歴史、地理、教育などの分野で先駆者的業績を挙げた。
「Wikipedia(ウィキペディア):貝原益軒」より

ルイジ・コルナロ(1464~1566)は、ルネサンス期のイタリアの貴族で、ヴェネツィア共和国パドヴァ市の行政長官などを務めました。彼は暴飲暴食にあけくれた結果、30代でさまざまな成人病を患い、40代で生死の淵をさまよいました。12 彼の健康法は、極少食に徹することでした。彼はパン、卵の黄身、少しの肉、スープのみを摂取し、1日の総量は約350グラム(炊いた米1合ぶんに相当)でした。2 このシンプルな食事法が彼の健康長寿の秘訣となり、102歳まで生き、自然死の天寿を全うしました。
「Copilot(コパイロット):ルイジ・コルナロ」より

ところが現在は違っていて、
脇長生先生が言っている、
「人間は病気をしないもの」を前提に健康を考えることをせず、
「人間は病気をするもの」と病気になる事を前提に、
健康(病気にならない事)を考えるようになったのです。
これを私は病気基準の健康と言っています。

病気基準で健康(病気にならない事)を考えますと、
健康は訳の分からない難解なものになってしまいます。
それは体調不良(ケガや病気を含む)が回復した(治った)時が、
分からないからです。
これに関しては後述します。

これは私達が体調が優れない時に、
医療機関を受診すると分かります。
(私は医療機関を受診した事がありませんから、
 ここからは私の接骨院に来るお客サンの話しです。)
この時には自分の症状を、
お医者サンに訴えた後に検査を受けるようですが、
この時の検査に明確な異常が見つかればマダマシです。
それはお医者サンは、
体調が優れない理由を明確に説明してくれて、
正しいのか間違っているのかは別として、
病名を付けて治療を始めてくれるからです。
(然しこれも幾つかの問題はありますが・・・後述します。)

問題なのは検査で(大した)異常が見つからなかった時です。
この場合にお医者サンは、
「検査の結果は(大した)問題はありません。」
「医学的にはどこも悪くありません。」
みたいな事を言って、
この時の体調不良の原因を、
その人が体調不良になった原因かどうかは分からない、
「加齢(更年期)」「ストレス(疲労)」「運動不足」「食べ(飲み)過ぎ」
等の曖昧なものにして、
「暫く様子を観ましょう。(実際の放置)」
「念の為に(万が一を考えて)薬を飲みましょう。」
「これからは病気(痛み)と上手に付き合っていきましょう。」
みたいな見当外れな事を言われる人が多いようです。

そして検査結果で病名が付いて始めた治療(この場合は特に薬)でも、
検査結果が良くなってからも、
「念の為」「万が一」みたいな事を言われて、
何時迄も治療(この場合は特に薬)が続く人が多いようなのです。

これはお医者サンが、
健康がどのような状態なのか良く分かっていないから、
便宜上「検査に異常がない=病気ではない=正常(健康?)」と、
考えているからなのでしょう・・・が、
この考え方(公式=上の赤字)で健康(病気を含む)を考える事は、
お医者サンが病気の治療だけを行っていた頃(高度経済成長期)迄は通用しても、
(それでも調べてみますと少しずつ綻んできていましたが・・・)
時代が平成になり、
厚生労働省が病気を治療から予防へと方針を変更してからは、
明らかに旧態依然の考え方(公式=上の赤字)になってしまったのです。
(旧態依然とはこの考え方だけで、
 健康(病気を含む)を考えるのは無理があるという意味です・・・後述します。)

それは平成以降の考え方は、
少なくとも体調不良(ケガや病気を含む)の回復を含めて、
病気予防や健康増進を考えるのであれば、
マズは検査に(大した)異常が見つからない、
些細な体調不良(ケガや病気を含む)を適切に回復させて(終わらせて)、
中途半端に状態で残さないようにする事が大切だからです。

それが私達の身体への余分な負担を軽減して、
医療費(個人分も国分も含めて)も軽減できて、
本来の意味での病気予防や健康増進につながるのですが、
然し私達にしても、
旧態依然の考え方(公式=上の赤字)に慣れ親しんで、
その恩恵(薬の即効性等)を十分に受けてきましたから、
病気予防が大切だと考えられるようになった今でも、
旧態依然になってしまった健康観(健康や病気の考え方)を見直す事ができず、
今の体調不良(ケガや病気を含む)が治らないのは棚に上げて、
病気予防や健康増進を目指して、
何等かの事を先走ってヤッているのです。

マタお医者サンは、
定期的に健診検査を受けて、
病気を早期発見早期治療する事が、
病気予防と考えている(?)ようですが、
幾ら検査の結果では早期と考えられる程度の(些細な)異常でも、
その状態に至った原因と時間が分からなければ、
本当に早期発見なのかは分からないのですが、
実際には健診検査で(大した)異常ではない体調不良(ケガや病気を含む)は、
病気の早期発見早期治療が大切だと考えられて、
病気予防が大切だと考えられるようになった現在でも、
健診検査に(大した)異常がでない体調不良(ケガや病気を含む)は、
軽くアシラッているのです。
これは健診検査に(大した)異常がでない体調不良(ケガや病気を含む)に関して、
お医者サンは「分からない」・・・という事になるのです。
ですから検査結果に明確な異常がでる体調不良(ケガや病気を含む)には、
自信をもって対応してくれるお医者サンが、
(それでもイロイロと不都合な話しはありますが・・・後述します。)
検査結果に(大した)異常が出ない体調不良(ケガや病気を含む)には、
曖昧な対応になってしまうのでしょう。

お医者サンが、
実際の健康がどのような状態かを知らないのは、
仕方がない事だと思います。
それは現在の科学的な医療(医学)が日本に入ってきたのは、
今から150年程前の明治時代ですが、
以来一貫として病気(当時は主に感染症)だけを研究して、
病人だけを診てきた当時の医療(医学)は、
実際の健康がどのような状態なのかは研究していないのです。
(戦争時代の「731部隊」とか「九州大学生体解剖事件」は除きます。)

731部隊(ななさんいちぶたい)は、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。
正式名称は関東軍防疫給水部(関東軍防疫部から改称)。731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満洲第七三一部隊の略。なお、1941年3月に通称号が導入されるまでは、指揮官であった石井四郎の苗字を取って石井部隊と通称された。
概要
満洲に拠点を置き、兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった。そのために人体実験や、生物兵器の実戦的使用を行っていたとされる。
「Wikipedia(ウィキペディア):731部隊」より

九州大学生体解剖事件(きゅうしゅうだいがくせいたいかいぼうじけん)は、第二次世界大戦中の1945年に福岡県福岡市の九州帝国大学(現九州大学)医学部の解剖実習室で、アメリカ軍捕虜8人に生体解剖(被験者が生存状態での解剖)が施術された事件。相川事件ともいわれる。8人は全員死亡した。
大学が組織として関わったものではないとの主張もあるが、B級戦犯裁判ならびにその後の関係者の証言、関係者の反倫理的行為への意図的な隠蔽と否認などから、医学部と軍部の両方による計画的実行であったとする見解もある。
「Wikipedia(ウィキペディア):九州大学生体解剖事件」より

それでも昭和の中頃(高度経済成長期)迄はケガや感染症も多く、
対症療法でも十分でしたから、
実際に健康が分からなくても通用していたのですが、
昭和も後半(バブル期頃)になり、
生活習慣病(当時は成人病=慢性の体調不良)が無視だきない程増えてきますと、
それ迄の考え方や方法が通用しない事が明らかになってしまったのです。

慢性の体調不良(急性期のケガや感染症を除く)が、
どのような病気であった(病名がついた)としても、
原因は日常生活で何か間違った事をしていたり、
急性の体調不良(ケガや病気を含む)を回復し損ねたり、
身体に負担をかける生活を続けてきたりして、
身体の働きを弱めてしまったのを適切に回復させられず、
身体の働きが弱った儘で生活してきた結果、
症状(検査も症状の一つ)が出たものだと私は思っています。

ですから幾ら健診検査で(大した)異常でなかったとしても、
明確な理由もなく不快な症状が出てきた時は、
マタは一度出た不快な症状が消えなくなった時は、
身体が自力で症状(検査も症状の一つ)が消せないほど弱ってしまった
つまり身体の働きが相当弱ってしまったと考えられるのです。

この事から検診検査の結果が大した異常でなかったとしても、
本当に「大した事がない」のか、
本当に「早期発見の段階」なのかは分からないのです。

慢性の体調不良(病気を含む)の場合は、
その人の生活習慣(生活信条)や仕事や趣味嗜好等を事細かく聞き、
身体の働きを弱めているもの(原因)がナニか、
弱った身体の働きの回復を邪魔しているものはナニかを考えて、
そこで分かったモノ(原因)が、
一過性のものなのか継続的なものなのかを考えて、
大したものではないのか大したものなのかを判断するしかないのです。

これに関してお医者サンは、
既往歴や今飲んでいる薬は聞いても、
それを今の体調不良(病気を含む)に関連は考えず、
「加齢(更年期)」「ストレス(疲労)」「運動不足」「食べ(飲み)過ぎ」等、
その人が体調不良(病気を含む)になった原因かどうかが分からない、
当たり障りのない原因(らしきもの)でお茶を濁してしまうのです。

「御茶(おちゃ)を濁(にご)す」の解説
いいかげんに言ったりしたりしてその場をごまかす。
「goo辞書:御茶(おちゃ)を濁(にご)す」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%BE%A1%E8%8C%B6%E3%82%92%E6%BF%81%E3%81%99/

マアお医者サンの治療法は、
今でも体調不良(病気を含む)は、
急性慢性を問わず症状(検査も症状の一つ)を消す事だけですから、
お客サンの生活習慣(生活信条)や既往歴(治療歴)を、
根掘り葉掘り聞く必要はないのでしょう・・・が、
ここで私達が知っておいた方がお得な事は、
症状(検査も症状の一つ)は基本的(緊急時でなければ)に、
消すものではないという事です。

それは症状は、

①身体の異常を知らせる警告信号。
②症状自体が傷めた(弱った)身体を治す。

という意味もあるからです。
これに関しては後述します。

「ねほりはほり【根掘り葉掘り】」の解説
《「葉掘り」は「根掘り」に語調を合わせたもの》徹底的に。しつこくこまごまと。「わけを—尋ねる」
「goo辞書:ねほりはほり」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%A0%B9%E6%8E%98%E3%82%8A%E8%91%89%E6%8E%98%E3%82%8A/

症状を警告信号という意味で考えますと、
治療と称して薬で症状(警告信号)だけを消してしまう事は得策ではありません。
それは仮に症状(検査も症状の一つ)が消えて身体は楽になったとしても、
原因が野放しになってしまうからです。
そして体調不良(ケガや病気を含む)になる度に、
治療(対症療法)で症状(検査も症状の一つ)を消す事を繰り返すと、
体調不良(病気を含む)になったモノ(原因)を、
幾つも身体に残してしまう事になりますから、
身体の楽は続いても、
実際に身体の働きが弱っていくのは当然なのです。

マタ身体は症状を感じる事で修復を始めるのですが、
治療(対症療法)で症状を消してしまうと、
身体は異常を判断し難くなってしまう事です。
つまり疑いながらも正常と判断してしまうのです。
当然、回復する事はありません。

この二つの事を考えますと、
治療(対症療法)で症状(検査も症状の一つ)だけを消してしまう事は、
その治療自体が、
体調不良(病気を含む)の回復を邪魔する原因にもなっている・・・と考えられるのです。

以上の事から慢性の体調不良(病気を含む)に対して、
対症療法で症状(検査も症状の一つ)だけを消す事は、
諺でいう「臭いモノに蓋をする」とも言えます。

「臭(くさ)い物(もの)に蓋(ふた)をする」の解説
悪事や醜聞などを、他に漏れないように一時しのぎに隠そうとするたとえ。
「goo辞書:臭い物に蓋をする」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%87%AD%E3%81%84%E7%89%A9%E3%81%AB%E8%93%8B%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B/

そして体調不良(ケガや病気を含む)になる度に、
対症療法で症状だけを消す事を繰り返しますと、
何れ蓋をしきれなくなり臭いモノが溢れてくるのです。
それが身体の場合では、
今受けている治療(施術)の効果が薄らいできたり、
その原因が起因した、
新たな体調不良(病気を含む)を引き起こしていくのです。
その時を私は「ツケの清算が始った」と言っています。

急性の体調不良(ケガや病気を含む)は、
マダ原因が分かり易いのですが、
慢性の体調不良(病気を含む)は原因が分かり難いものです。
然しそれは原因がないという事ではありません。
必ず原因はあるのです。
(これに関しては後述します。)

然し脇長生先生が言ったように、
「今日の人は、生理学、医学、親から、人間は病気をするものと教えこまれている」と、
病気基準で健康(病気を含む)を考えるようになってしまいました。
病気基準で健康を考えますと、
慢性の体調不良(病気を含む)の原因は分からなくなるし、
体調不良(病気を含む)になった原因を誰も考えなくなってしまうし、
体調不良(ケガや病気を含む)が回復した時も分からなくなってしまうのです。
そして一度治し損ねたモノは中途半端な状態で身体に残ります。
清算しない(治さない)限り一生残ります。
ですから何年経ったとしても、
「ツケの清算が始まった(体調が悪くなった)」時には、
それが慢性の体調不良(病気を含む)だつたとしても、
回復する(治す)のであれば原因を特定しなければならないし、
原因を特定して適切に解消できなければ、
病気予防や健康増進もないのです。

今ではテレビやネットや本(雑誌)等で、
お医者サンを含めて医療福祉の専門家は、
私達にイロイロな事を教えてくれています。

体調不良(病気を含む)になった原因を、
「加齢(更年期)」「ストレス(疲労)」「運動不足」「食べ(飲み)過ぎ」
にしてしまうのもその一つですが、
それで治療や生活習慣(「食事」「運動」)の指導が始まる人もいるのですが、
その治療や生活習慣(「食事」「運動」)の指導は、
何時迄続けなければならないのでしょうか。

これも私の接骨院に来るお客サンの話しを聞いてみますと、
「正しい生活習慣を身に付ける。」
「病気を予防する。」等の大義名分により、
ズーッと続けるものだと思っている人が多くいました。
(できるかできないかは別問題です。)
これはお医者サンを含めた医療福祉の専門家が、
体調不良(病気を含む)が回復した時(ゴール)が分かっていないから、
回復したと思われる状態(検査結果が良くなった状態)を続ける事が、
正解だと思っている(勘違いですが)からだと思われます。
(これに関しては後述します。)

「たいぎめいぶん【大義名分】」の解説
人として、また、臣として国家や君主に対して守るべき道理・本分や節義。ある行為のよりどころとなる正当な理由や道理。▽「名分」は身分などに応じて、守るべき本分。
「goo辞書:たいぎめいぶん【大義名分】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A4%A7%E7%BE%A9%E5%90%8D%E5%88%86/

これが「病気基準で健康を考えた」時に起きる困った事で、
この記事を読んでいる人は、
何が書いてあるのは分からなくなってきたと思いますが、
記事を書いている私もヨク分からなくなってきました。
これも病気基準で健康を考えると、
説明が難しくなり訳が分からなくなる理由の一つです。
(良い悪いが逆転してしまうからですが後述します。)

そこで医療福祉の素人である私達に大切な事は、
マダ娑婆で動ける(普通に生活できる)体調不良(ケガや病気を含む)の時期に、
(重病だったら誰もできませんから・・・)
お医者サンの健康観(健康や病気の考え方)以外の、
もう一つの健康観(健康や病気の考え方)を知り、
体調不良(ケガや病気を含む)になった時に、
どの方法で回復させていくか取捨選択できる事なのです。

【参考資料】
「Wikipedia(ウィキペディア):医学」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E5%8F%B2
「スピリチュアルな生き方原典―日本神霊主義聴聞録―」
脇長生講述/桑原啓善 筆録 でくのぼう出版 刊
「Wikipedia(ウィキペディア):恒常性」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%92%E5%B8%B8%E6%80%A7
「養生訓 全現代語訳」
貝原益軒 著/伊藤友信 翻訳 株式会社講談社 刊
「無病法 極少食の威力」
ルイジ・コルナロ著/中倉玄喜 編訳・解説 php研究所
「Wikipedia(ウィキペディア):貝原益軒」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9D%E5%8E%9F%E7%9B%8A%E8%BB%92
「Wikipedia(ウィキペディア):731部隊」
https://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A
「Wikipedia(ウィキペディア):九州大学生体解剖事件」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E4%BD%93%E8%A7%A3%E5%89%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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