接骨院閑話 Ver.2024_01

「しれは迷ひしらねは迷ふ法の道
 なにかほとけの實になるらん」
至道無難禅師の句は健康にも通じるのです。

ササヤカな闘病記⑥総括

2024年02月12日 | 経験談

結局、私は健康のゴールは分からなかったのかもしれないし、
今迄に体感した事がない程の良好な体調(絶好調)になれた事から、
これが今の私には健康のゴールだったのかもしれません。

今回の一件を振り返って思う事は、
モシ当時の私の体調不良(肉魚酒アレルギー)が、
仕事に支障が出る程の辛いモノでなかったら、
モシ私の身体を心配した周囲の身近な人達の、
善意の助言に素直に従っていたら、
モシ体調不良(肉魚酒アレルギー)になった原因を、
単純に「加齢」「ストレス」「ハウスダスト」「原因不詳」等と、
曖昧なもので納得していたら、
モシ医療機関を受診して業者(お医者)サンの指示に従って、
薬の一つでも使い始めていたら、
今でも私の体調不良(肉魚酒アレルギー)は治っていなかっただろうし、
今迄のケガや病気で治し損ねて身体に燻らせていたモノも、
(私はコレを「ツケ」とか「古キズ」と言っています。)
一つとして治せていなかったと思います。

確かに薬を使えば、
症状(全身の腫れと痒み)は一時的に軽減消失するとは思いますが、
然しそれは治った事ではありませんから、
今でも不快な症状(全身の腫れと痒み)が出るのではと、
毎日ビクビクしながら(症状が出る事を警戒して)生活して、
症状(全身の腫れと痒み)が出る度に、
仕事の合間を縫って医療機関を受診して、
実の伴っていない検査結果に一喜一憂して、
業者(お医者)サンの指示通りに、
治る事のない薬を使い続けて、
誰かに勧められた(テレビやネット等で知った)、
治るアテのない代替療法やサプリメント等に手を出して、
肉魚酒アレルギーを治す事とは全く関係ない、
業者(医療福祉従事者)サンによる生活習慣(「食事」「運動」)の指導を、
回復する(治る)事を半ば諦めながらも、
「コレもヤラないよりはマシか・・・」と思ってソコソコ真面目に実践して、
今でも不自由な生活をしていたと思います。
モシかしたら変な宗教に入信して、
怪しい儀式を受けていたかもしれません。

そんな「治る」がないという意味で無駄無意味な事を、
手間暇費用をかけて続けていくうちにも、
その環境に身体は慣れてイッケン平和な毎日が送られたとしても、
も私の身体の働きは着実に弱化していきますから、
以前の体調不良(ケガや病気を含む)を治し損ねて、
身体に燻らせた儘にしているモノ(古キズ=ツケ)が抑え切れなくなり、
些細な事をキッカケとして再発したり、
それ(古キズ=ツケ)が起因した新たな体調不良(病気を含む)に、
翻弄されていったと思います。

そんな事を思いますと私の場合は、
幾つもの幸いに恵まれました。
特に体調不良(肉魚酒アレルギー)になる迄は、
私の欠点(短所)だと思っていた、
そして周囲の身近な人達からも度々指摘されていた、
「不精」「怠け者」「短気」「頑固」等といった、
本来ならば変えた方がいいと考えられている厄介な性格も、
今回の体調不良(肉魚酒アレルギー)を治す時には、
大いに役立ってくれたのです。

それは私の体調不良(肉魚酒アレルギー)が、
緊急性がない些細な不調だったとしても、
普段の生活や仕事に支障がでる程に辛かったのが幸いして、
どんな尤もらしい理由を考えても(言い訳をしても)、
実際に体調不良(肉魚酒アレルギー)が治らずに元の生活に戻れなければ、
そんな理由(言い訳)は全く無駄無意味な事を知り、

元々が不精で怠け者だったのが幸いして、
些細な体調不良(ケガや病気を含む)が緊急性がない場合は、
医療機関を受診して治療を受ける(薬を使う等)といった、
手間暇のかかる面倒臭い事を考えられなかったから、
自然に自分の生活を観察するようになり、
普段の生活の中で少しでも楽になる工夫をするようになり、

元々が健康に無頓着だった事と、
私の体調不良(肉魚酒アレルギー)が緊急性がなかった事が幸いして、
「ササヤカな闘病記①~⑤」(2024/01/08~2024/02/05)
で説明したような、
イロイロな事を何の先入観もなく自由に試す事ができて、

元々が人の言う事を聞かない(聞けない)厄介な性格が幸いして、
自分が試した事の結果が、
それが身体が楽になった事でも、
逆に身体が辛くなった事でも、
誰かに聞く(縋る)事はせず、
分からない事は全て本やネット等で調べて自分で判断して、
その結果が業者(医療福祉従事者)サンが言っている事と違っていたとしても、
全て自分が出した答え(仮説)を優先させてヤッてきた結果、
私の体調不良(肉魚酒アレルギー)は治ってしまった(完治)のです。

これで私は健康(病気を含む)には、
自分で判断する事(自力)の大切さを知ったのです。

このように私が今回の些細な体調不良(肉魚酒アレルギー)を治す時には、
自分の欠点(短所)だと思っていた性格(性分)が、
大いに役立ってくれたのですが、
これで私は、
「ヒトの性格に悪いもの(短所)は一つもない。
 適材適所で活かされれば全てが長所。」
というゴク当たり前の事を知ったのです。

これも諺では「禍を転じて福と為す」といっていいのでしょう・・・。

禍を転じて福と為すとは、自分の身にふりかかった災難や失敗を上手く利用して、逆に自分の有利になるよう工夫する。
「故事ことわざ辞典:禍を転じて福と為す」より
https://kotowaza-dictionary.jp/k0130/

ところが以前に私の身体を心配して善意の助言をしてくれた、
私の周囲の身近な人達はミンナ違っていました。

この人達は普段から健康(病気を含む)にソコソコ関心を持ち、
体調が悪くなると、
スグに医療機関を受診して検査を受けて、
検査で異常が見つかれば、
(人によっては異常がなくても万が一を考えて、)
業者(お医者)サンの指示通りに治療(薬を含む)を始めたり、
その他にも「健康の為に(病気にならない為に)」と、
本やネットで知った何等かの事を
自分なりに工夫して始めたりしていたにも係わらず、
十年経った今でも、
当時の体調不良(ケガや病気を含む)は治っていないばかりか、
新たな体調不良(病気を含む)が追加されて、
通院する医療機関や飲んでいる薬の量が増えていく人とか、
体調不良(病気を含む)が進むのを止められず、
辛い闘病生活(寝たきり等)が始まった人とか、
身近な人の顔や昨日今日ヤッた事を忘れるようになり、
介護のお世話になっている人ばかりなのです。

中にはそんな努力の甲斐もなく早々と寿命を前倒しして、
この世からいなくなった人も多くいたのてすが、
寿命を前倒しして死んでいった人の死に様は皆サン一様に悪く、
見ていてもこれ程憐れで悲しいものはないのです。

ナゼ健康(病気を含む)に無頓着な私が元気でいられるのに、
健康(病気を含む)に対して真面目に取り組んでいた人が、
何時迄も体調不良(ケガや病気を含む)を回復させられず、
着実に身体を弱めていったのでしょうか?

この疑問に対する私の答えは幾つもありましたが、
その答えの一つが先にも述べましたように、

私は全て自力だったのに対して、
私に善意の助言をしてくれた人達は、
全てが他力(業者サン任せ)で、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復ばかりか、
健康に関する一切を、
業者(医療福祉従事者)サン(の考え方)に依存(丸投げ)している。

事だったのです。
(御他力(業者(医療福祉従事者)任せ)サンの弊害は後述します。)

このように自分の事である筈の健康(病気を含む)を、
全て他人任せにしてきた人達の経過を観て、
健康(病気を含む)にはマズは自力が大切だと確信したのです。

私に善意の助言をしてくれた人達が、
如何に業者(医療福祉従事者)サン(の考え方)に依存(盲信)していたのかを、
少し説明します。

それは私が生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しだけで、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復した(それも完治)時に、
以前に私に善意の助言をしてくれた人達が、
「どうやって治したの・・・?」
みたいな事を聞いてくるようになりましたから、
私は「少しは自分の健康(病気を含む)を考える参考になれば」と思って、
私の経験を話した事が何回かありました。
然し私の話しを聞いた人はミンナ、

「今は良いかもしれないがそんな事を続けていたら病気になるゾ!」
「万が一の事を考えて一度検査を受けなさい。」
「その方法はタマタマあなたに合っていただけ。」
「それが効いた理屈(理由)を説明しろ。」
「お医者サンはそんな事は言っていない。」
「お前は変わり者だ。」
「お前が言っている事は全く分からない。」

等、
自分から聞いてきたクセに、
自分の体調不良(ケガや病気を含む)がチットも治っていないのは棚に上げて、
実際に体調不良(肉魚酒アレルギー)を回復(それも完治)させて、
絶好調になった私の話しには、
全く興味を示さないどころか否定までしたのです。

私の周囲の身近な人達が、
誰一人として私の経験談に聞く耳を持たなかった理由は、
不精で怠け者の私に信用がなかったのかもしれません・・・が、
実際に体調が良くなった私の姿をも否定したのは、
私が業者(医療福祉従事者)サンと違う考え方や方法で、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復した(治った)のが、
理解できなかったのだと思います。

つまりこの人達はミンナ、
現在の科学的(エビデンス重視)な医療(医学)の考え方だけで、
健康(病気を含む)を考える事が、
唯一の正解だと思っていて(勘違いして)、
そこに現在の科学的な医学(医療)以外の、
健康(病気を含む)の考え方を知らない事も加わり、
体調が悪くなればスグに「万が一」を考えて、
(殆どの場合が取り越し苦労ですが・・・)
自分で考えるよりも先に医療機関を受診して、
業者(医療福祉従事者)サンの指示指導に従うのが、
最善の方法(唯一の正解)だと思ってしまった(勘違いしてしまった)のです。
それが自分の事である筈の健康(病気を含む)の一切を、
業者(医療福祉従事者)サンに依存(丸投げ)している人の盲点なのです。

「エビデンス【evidence】」の解説
1 証拠。証言。
2 医学で、臨床結果などの科学的根拠。その治療法がよいとされる証拠。
「goo辞書:エビデンス【evidence】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%93%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B9/

科学的な根拠(エビデンス)だけを重視した、
現在の医療(医学)の考え方や方法だけで健康(病気を含む)を考える事が、
今では無理があるのは、
少し調べて自分の周囲を観れば誰でも分かる(気付く)筈なのですが、
旧態化した現在の医療(医学)の考え方だけで、
自分の健康(病気を含む)を考える習慣を身に付けてしまった勘違いサンは、
そんな僅かな事を興味を持って調べる事も、
自分の周囲の人を意識して観察する事もしないのです。
(これに関しては後述します。)
~2024年追記:
「今では無理がある」というのは「行き詰まっている」という意味です。
それは一部の体調不良(病気を含む)では、
業者(医療福祉従事者)サンの治療は全く実績がないからです。~

私達は乳幼児期からの(親からの)刷り込みや、
現在の医療(医学)の恩恵を十分に受けている事や、
(恩恵とは薬の即効性等を経験してきた事です。)
健康(病気)問題を業者(医療福祉従事者)サンに丸投げをしている人は、
自分の健康(病気を含む)にも無関心だったり、
仮に関心を持ってイロイロと勉強したとしても、
それは業者(医療福祉従事者)サンの考え方だけを詳細に調べるだけで、
そこにテレビや雑誌やネット等による、
業者(医療福祉従事者)サンのタユミナイ啓蒙活動も加わり、
健康(病気を含む)に関心を持って勉強している人ほど、
自分が今迄に身に付けた健康観(健康や病気の考え方)の見直しではなく、
自分がヤッてきた事を正当化するだけのものになっているのです。
然しヤッテイル感は十分に得られますが・・・。

そんな勘違いサンには、
私が何を言っても聞く耳を持たないのは当たり前・・・。
逆に私が説得されたのも当たり前だったのです・・・が、
そんな人達に囲まれても私は、
孤軍奮闘しながらもよくも自力で、
体調の立て直しができたものだと思ったのです。

この時に私は、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復は、
義理や人情は邪魔になる(回復を妨げる)だけで、
多数決や話し合いや交渉でも、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復はできない事を知ったのです。

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ササヤカな闘病記⑤

2024年02月05日 | 経験談

私の身体に起きている事をネットで調べてみますと、
業者(お医者)サンは、
●●●●●(昔は●●●●●)と診断しているようです。
これでは健康を維持増進するとか、
健康のゴールを知るどころの話しではなくなってしまいます。

マタ日に日に私の厭世観も強くなってきて、
仕事に集中できなくなってきました(嫌気が差してきました)から、
何時迄も放っておく事もできません。

~2024年追記:
接骨院に来るお客サンの影響を受け始めた時に私は、
接骨院に来るお客サンはミンナ、
傷んだ生モノだと思えるようになりました。
それで触るのがイヤになっていたのです。
然しその後に改めて気付いた事は、
肉や魚は傷み始めたら腐敗が進むだけなのですが、
ヒトの場合は傷んだ部分は修復される事でした。~

そこで私は自分の身体に起きている事を調べる事にしたのです・・・が、
医療(医学)の分野で調べると、
私はキチガイ(病人)になってしまいますから、
それ以外の分野で調べるしかなく、
それが宗教(スピリチュアル)だったのです。

宗教(スピリチュアル)の分野で、
私の身体に起きている事を調べてみますと、
これも私の健康状態が向上していく過程の一つと考えられ、
仏(ブツ)用語の「身心一如」で解釈できるものだったのてす。

仏教で、肉体と精神は一体のもので、分けることができず、一つのものの両面であるということ。「身心」はからだと心。「心身」とも書く。「一如」は真理はただ一つである意。「一」は不二、「如」は不異の意。異ならないこと。「心」は「しん」とも読む。
「goo辞書:身心一如」より
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/身心一如/m0u/

これを私の経験で少し説明しますと、
私の身体はある程度回復しましたから、
次は回復した身体が、
一番負担のかからない感覚・精神(心)・身体の働き等、
目に見えない(曖昧な)部分が修正を始めたと考えられるのです。

私はホンの少しだけ「身心一如」を経験して、

体調不良(ケガや病気を含む)が、
どのようなモノ(精神的な病気)だったとしても回復を目指すのであれば、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しは必須である。

事を知ったのです。

私は自分がキチガイではないと分かると、
更に体調を良くしようと欲が出てきました。

そこで次は水曜日も食べない日にしたのです。
(他に実践した細かい事は省略します。)
これで私の食事回数は1週間に4食になり、
1食の内容は相変わらず、
茶碗1杯の玄米とお碗1杯の味噌汁とドンブリ1杯半の生野菜という、
非常に簡素な食事を続けたのです。

今回は空腹を全く感じないし、
私の感覚はマスマス冴えて澄んできました。

感覚が冴えて澄んできて何が起きたのかは、
一般的に考えられている健康とは大きく違っていますから、
このブログには書きませんが、
それよりも今回私が言いたい事は、
この時から起こり始めた困った事です。

このようなムチャクチャな(食)生活を始めて1ヶ月程経ちますと、
次のような事が起き始めました。

・手足が一日中冷たく感じるようになり、
 日中仕事で身体を動かしていても、
 身体が温かく感じられなくなってきた。
・体重が72㎏±1㎏で横這いになり、
 体重が減らない事で常にイライラするようになった。
・以前にも増して厭世観が強くなってきた。

事です。

一日中身体が冷たく感じるのは初めての事です。
これが良い事なのか悪い事なのかが分からない儘に、
1ヶ月程経ったある日の事。

(身体にとって良い事か悪い事なのかが分からなかったのは、
 ①私にとって初めての事。(経験不足)
 ②症状が体調の良し悪しを判断する目安にはならなくなっていた事。
  これは私の健康観(健康や病気の考え方)が変わっていく時で、
  健康状態を判断できる新しい基準がマダできていなかった。
 の二つの理由によります。)

仕事中に突然、
頭の働きが止まった・・・としか言いようがない状態になってしまったのです。

それは仕事の段取りが分からなくなり、
お客サンが何を言っているのかが分からなくなり、
お客サンや事務員サンが私に話しかけてきて、
私は自然に受け答えをしていても、
相手が何を言っているのか、
マタそれに対して答えている私が、
自分が何を言っているのかも分からなくなってしまったのです。
それでも身体は普通(何時も通り)に仕事をしているのです。

これを例えますと、
自分の中にいる誰かサンが、
勝手に私の身体を動かして仕事をして、
お客サンや事務員サンと話しをしているのを、
私は傍でタダ眺めているだけ・・・という感じです。
~2024年追記:今思えば貴重な経験でした。~

多分、これは私が短期間に食事を減らしていった事で、
身体がそのスピードについてこれず、
(スピードについてこれないとは、
 一つの事をヤッて身体がその環境に慣れる前に、
 次の事を始める事を繰り返したという意味です。)
栄養失調(特に糖不足)になったと思われます。
これを諺では「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というのでしょう。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の解説
過ぎたるは猶及ばざるが如しとは、度が過ぎることは、足りないことと同じくらい良くないということ。
「故事ことわざ辞典:過ぎたるは猶及ばざるが如し」より
https://kotowaza-dictionary.jp/k0300/

私はスグに事務員サンに●●●●●●●もらい、
毎日、●●●●●●●仕事をして2週間程で回復できました。

この経験で私は、

現在の日本では虐待とか過激なダイエット等の特殊な事情を除いて、
栄養失調(栄養不足)で体調不良(病気を含む)になる人はいない。
だから食事を見直す時にはマズは食べ過ぎから考える。
~2024年追記:
最近では「新型の栄養失調」という言葉を聞くようになりましたが、
これは昔(昭和時代)は偏食といわれていたものです。~

事を知ったのです。

新型栄養失調(Malnutrition)は、食事によるエネルギーは十分に摂取しているにもかかわらず、たんぱく質、ビタミン、ミネラルなどの身体に必要な栄養素が不足している状態を指します。この状態は、風邪を引きやすくなったり、疲れがとれにくくなったりするなどの体調不良を引き起こすことがあります。新型栄養失調になる原因として、偏ったダイエットやファストフード中心の食生活が挙げられます。栄養バランスの良い食事を心がけることで、新型栄養失調を予防しましょう!
「Copilot:新型栄養失調」より

そしてここ迄の経過(肉魚酒アレルギーになってからの経過)で私は、

・健診検査は体調不良(ケガや病気を含む)の回復では、
 一時の指標として使えるが、
 体調不良(ケガや病気を含む)の回復を判断する指標にはならないし、
 病気予防や健康増進の指標としては全くアテにならない(使えない)。

・健康には段階がある。
 体調不良(ケガや病気を含む)を回復する(治す)事は、
 健康を考えるうえでは初級(入り口)で、
 今、体調不良(ケガや病気を含む)の人は、
 その体調不良(ケガや病気を含む)を回復させない(治さない)限り、
 病気予防も健康増進もない。

・現在は健康(病気を含む)を勉強して難しく考えてしまい、
 取り越し苦労をするあまり四面楚歌になっている人が多い・・・が、
 トウの本人は取り越し苦労をしている自覚はないし、
 四面楚歌に陥っている自覚もない。

事を知ったのです。

「しめんそか【四面楚歌】」の解説
周囲がすべて敵や反対者で、まったく孤立して、助けや味方がいないこと。また、そのさま。孤立無援。
「goo辞書:四面楚歌」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%9B%9B%E9%9D%A2%E6%A5%9A%E6%AD%8C/

今回、私は栄養失調(特に糖不足)になった事で、

・十分過ぎるほど体調が良くなっている事。
・感覚が冴えて厭世観が強くなり仕事に支障が出ている事。
・慢性の体調不良が回復する過程を身を以て経験できた事。
・この儘続けた時の身体の変化を初めて怖いと思った事。
・この儘続けると接骨院ではなくなってしまう事。
 (私は接骨院が好きなのですから・・・)

から今迄ヤッてきた事を、
最小限(普段の生活や仕事を邪魔しない程度)のものだけを残して、
他は全て止める事にしたのです。

それは食事を一日に二食に戻して、
極端な穀物菜食(ヴィーガン)生活を軽いものにして、
週2回の銭湯での温冷浴を、
家で入浴した最期に、
短時間水(シャワー)で全身を冷やす程度にして、
疲れた時には夜は早く寝るようにして、
他に実践していた事は全て止めたのです。
(ダメならもう一度始めればいいだけの事です。)

つまり私は今度は体調を悪くする努力を始めたのです。
この時の努力も大変でしたが、
ブログのテーマとは違いますので気が向いた時に説明します。

そんな努力の甲斐もあって、
私の体調は、
以前の絶好調の時と比べると確実に悪くなり、
それに合わせて感覚も相当鈍くなったのです・・・が、
それでも体調不良(病気を含む)になる事はないし、
薬やサプリメントを飲まなくても、
特定(メタボ)健診や予防接種を受けなくても、
規則正しくて面倒臭いエサのような食事や、
大嫌いな運動(スポーツ)をヤラなくても、
禁煙・減塩・糖質制限をしなくても、
(酒は平成17年(2005年)に卒業しました。)
毎日、元気に生活(仕事)する分には十分に良好な体調が維持できているし、
厭世観もなくなったのです。

厭世観が無くなった事で私は、
「ヤッと娑婆に戻ってこれた(ヤッと里に下りてこれた)」と思いました。

「しゃば【娑婆】」の解説
《(梵)sahāの音写。忍土・堪忍土などと訳す》
①仏語。釈迦が衆生(しゅじょう)を救い教化する、この世界。煩悩(ぼんのう)や苦しみの多いこの世。現世。娑婆世界。
②刑務所・兵営などにいる人たちが、外の自由な世界をさしていう語。
「goo辞書:しゃば【娑婆】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A8%91%E5%A9%86_%28%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%B0%29/

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ササヤカな闘病記④

2024年01月29日 | 経験談

私は生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)をホンの少し見直しただけで、
体調不良(肉魚酒アレルギー)を治せたばかりか、
今迄のケガや病気で治し損ねたモノの幾つかも治す事ができました。

今回の経験で私が言いたい事は、
私が自ら「治すんだ」と決意して、
積極的に治したモノは一つもなかった事です。
「長生きしたければ朝食を抜きなさい」(甲田光雄監修/東茂由著)
を読んで直ぐに「治った」と思った時でも、
本に書いてある事で自分がヤレそうな事だけを始めただけですから、
「肉魚酒アレルギー」にしても、
以前のケガや病気で治し損ねたモノにしても、
積極的に努力して治そうと始めた事は一つもなかったのです。

つまり私は体調不良(肉魚酒アレルギー)の症状(全身の腫れと痒み)を、
ナンとかしよう(症状を消そう)とアンナ事やコンナ事をしたのではなく、
普段の生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)を一つ一つ見直して、
アレルギー症状が出たら、
身体に何か間違った事(大きな負担になる事)をしたと、
アレルギー症状が出なかったら、
身体に間違った事(大きな負担になる事)はしなかった(=身体の機嫌を取った)
・・・というように全て結果だけで判断して、
少しでもアレルギー症状が出ない生活を工夫していった結果、
私は敢えて努力しなくても身体が勝手に、
「肉魚酒アレルギー」になった原因を治していったという事なのです。

そこでもう一つ今回の一件で私がいいたい事は、
「肉魚酒アレルギー」の不快な症状(全身の腫れや強烈な痒み)は、
身体の異常を知らせる警告信号であり、
身体が回復していく経過を判断する指標であり、
直接、治療(施術)で消すモノではなかった・・・という事です。
これに関しては後述します。

本来ならこれでメデタシメデタシで終わる話しだったのですが、
私はこの時に余分な事を考えてしまいました。

それは医療(医学)の素人で、
健康(病気を含む)に無頓着だった私でも一念発起すれば、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)をホンの少し見直しただけで、
体調不良(肉魚酒アレルギー)を治せたのですから、

・モシ体調が悪くない人が、
 生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)を見直したらどうなるのか?
・健康とはどのような状態をいうのか?
・健康のゴールはどこにあるのか?

とバカな事を考えてしまったのです。
~2024年追記:この3つの疑問は(自分なりにですが)解決しました。~

私がこんなバカな事を考えた理由は二つあります。

一つは私が今回、
体調不良(肉魚酒アレルギー)を治す為にヤッてきた事は、
最初から治す為にヤッてきた事は一つもなく、
少しの時間でも楽になりたいと思って始めた事ですから、
確かに結果は良く体調不良(肉魚酒アレルギー)は治ったのですが、
然しこれは偶然とか「瓢箪から駒」というもので、
次に私が体調不良(ケガや病気を含む)になった時に、
今回、私が身に付けた考え方や方法が通用するのかは分からないのです。

「瓢箪から駒」の解説
瓢箪から駒とは、思いもかけないことや道理上ありえないことが起こること。また、冗談半分で言ったことが現実になること。
「故事ことわざ辞典:瓢箪から駒」より
https://kotowaza-dictionary.jp/k2338/

~2024年追記:
この時に身に付けた健康観(健康や病気の考え方)は、
令和3年(2021年)にチョットした油断から、
些細な足(左側第一趾)の捻挫を拗らせた時や、
令和5年(2023年)にチョットした慢心から、
食アタリでアナフィラキシー症状がでた時にも、
十分に通用して自力で早期に回復させられました。
この二つに関しては後述します。~

もう一つは体調不良(肉魚酒アレルギー)になる前の、
私の健康観(健康や病気の考え方)は、
私の身体には間違っている(大きな負担になる)事が多く、
私が健康を意識して何かをヤレばヤル程、
実は私の身体を疲れさせて身体の働きを弱めていった
・・・事までは分かったのですが、
それでは今回新しく身に付けた健康観(健康や病気の考え方)が、
どれ程の病気予防ができるのか、
どこ迄の健康増進ができるのかは分からないのです。

そんな事から私は、
この二つの課題を解決する為に、
今迄にヤッてきた事はその儘続ける事にして、
これからは更に一歩進めて、

・火曜日も食べない日にした。
・週2回は銭湯で温冷浴の実施。
・●●●●●の●●●●の実践。
・●●の使用。

を始めたのです。

体調不良(肉魚酒アレルギー)が治り、
身体に燻らせていた治り損なったものも幾つか治せて、
その分だけ弱った身体の働きを回復させられた私には、
身心共に余裕がありましたから、
新しく始めた事は、
「今度はどんな変化があるのだろうか?」と、
今後起こるであろう身体の変化を楽しみに待ちました。

今回はあまり空腹は感じませんでした。
そしてこの時に私の身体に起きた事(身体の反応)は、

・身体のどこにも痛い・痒い・重い・張る等の違和感がないばかりか、
 身体の各部分がそこにある事も意識しない程に身体が軽くなった。
・何事も躊躇する事がなくなり、
 頭で考えるよりも先に身体が動くような軽快な感じになった。
・睡眠時間が4時間を切った(3時間半程度)が、
 日中は全く眠くならず、
 朝の目覚めも良く、
 目が覚めたら即全力で動けるような感じになった。
・頭は常にスッキリとして一点の曇りもなくなった。
・何事も楽しく思えてきて悪い事や辛い事を考えられなくなってきた。
・感覚が異常に敏感になってきた。

事でした。

これは言葉にしたらタダそれだけの事ですが、
実際には体感した人でなければ分からない程の爽快さ軽快さです。

然しその反面で少し困った事も起こり始めました。
それは感覚が異常に敏感になってきた事で、

・厭世観が出てきた。
・朝、目が覚めた時に●●●●を詳細に覚えているようになった事と、
 ●●●●●になった事。
・体調不良(病気を含む)の●●●●●と、
 私も●●●●●●●●に●●●●●●●●●●●ようになった。
・絶えず●●●●●●●●ようになり、
 時には●●●●●●でも●●●●●●●●ようになった。

のです。

「えんせいかん【厭世観】」の解説
1 この世の中では幸福や満足を得られず、積極的な価値は認めがたいとする人生観。また、そのような人生観に基づく哲学上の立場。厭世主義。ペシミズム。⇔楽天観。
2 物事の成り行きを悪い方向にばかり考えやすい傾向。悲観主義。
「goo辞書:えんせいかん【厭世観】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8E%AD%E4%B8%96%E8%A6%B3/

ここからはこの少し困った事を説明していきます。

普段の体調は良好(絶好調)になった私が、
仕事中に突然に身体の一部分が痛くなったり重くなったり、
時には咳込んだり熱っぽくなったりするようになったのです。
最初は理由が分からず、
「マタ以前に治し損ねたモノが騒ぎ出した(再発)かな?」と思ったのですが、
この時の症状の出方や消え方は、
以前の再発とは違っているように思いましたから、
私は暫く自分の生活(仕事)を観察する事にしたのです。
すると今回の謎の症状は、
体調不良(ケガや病気を含む)の●●●●●●●●、
(調べてみたら●●●●●●●●●●●に近付いた時でした。)
体調不良(ケガや病気を含む)の●●●●●●●●●時だと分かったのです。

特にそんな●●●●●●●●●で、
これは以前にあった事ですが、
●●●●●●●●●時には、
私の●●●●●●●●●●●●●●●●●●●事もありました。
この時に●●●●●●●●●●●私は、
「今、何かの治療をしていますか・・・?」と、
その人に聞いてみますと、
このお客サンは、
「3日前から●●●●●●を始めました。」と答えたのでした。
こんな事が仕事中に何度も起こるようになったのです。
つまり私は接骨院に来る●●●●●●●●●●●ようになったのです。

これでは仕事どころではありません。
「どうしたものか」と考えている間にも、
私の感覚はマスマス冴えていき、
ヤガテ周囲の景色のチョットした載る●●●●●●●●●●にも、
普段食べているモノのチョットした●●●●●●●●にも、
我慢できなくなり、
その環境にいる事自体がイヤになってしまったのです。

マタ●●●●●●●●●事自体は、
良くも悪くもなくドッチでもいい事ですが、
問題なのは●●●●です。
それは●●●●●●●●時の●●●は良く、
その日一日は気分良くいられるのですが、
これが●●●●●●●時は大変で、
それは●●●●は、
大体が●●●だったり、
誰かに●●●●●●●で、
こんな●●●●●の●●●●●●、
その日一日は身体が重く頭は朦朧として、
その差があまりにも大きい事から、
私は「何時も●●●●●●●●にはどうすればよいのか?」と、
考えるようになり、
ヤハリ仕事に集中できなくなってしまったのです。

そうこうしているうちに、
●●●●●●でも●●●●●●ようになったり、
●●●●●●でも頻繁に●●●●●●●●ようになったり、
夜●●●●●●●●●●●●●●●●●事も起き始めたのです。

こんな事が頻繁に起きるようになって、
私は「とうとうキチガイになってしまった・・・」と思ったのです。

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ササヤカな闘病記③

2024年01月22日 | 経験談

超少食菜食(超偏食)生活を始めて2ヶ月程経ったある日の事です。
突如として脈の異常(頻脈と不整脈)と、
胸が締め付けられて息ができなくなったり、
背中を錐で刺されたような鋭い痛みが、
日に何度も起きるようになりました。

夜、寝ている時にこの症状が起きれば、
「ウ~ンウ~ン」と唸りながらでも寝ていれば、
自然に収まっていきますからマダいいのですが、
日中にコレが起きると大変です。

それは仕事どころではなくなるからです。
そんな時は仕事を中断して接骨院の外に出て、
人がいない所でウズクマリ、
症状(背中の痛みと息ができない)が収まるのをジッと待つしかないのです。

こんな事が日に何度も起きるようになりますと、
流石に私も気弱になります。
「もうダメかな・・・限界かな・・・この儘続けたら死ぬかな・・・?」
と思ったのです・・・が、
その反面で、
「この儘、辛い思いをして生きていくなら、
 今死んだ方が楽かもしれない・・・。
 それだったら本当に死んでしまうか、
 この儘続けて様子を観てみよう。」
と思いナゼか開き直ってしまったのです。

この時の開き直りは良かったと思いました。

それは開き直ってから症状に対する恐怖は幾分減り、
「この症状は明日はどうなるのだろうか?」とビビリながらも、
症状を楽しむ(客観的に観る)余裕が少しずつでてきて、
今迄にヤッてきた事を何一つとして止める事なく続けられたからです。

実際に今回の症状は1ヶ月程でウソのように消えてしまいました。
そのうえ症状がでる前よりも、
私の背中や身体(全体)が軽快になってしまったのです。
~2024年追記:因みにこの時の症状は19年間一度も出ていません。~

今回の謎の症状が消えてから、
発症前よりも背中や身体(全体)の調子が良くなった事で、
私は「今回、私の身体に何が起こったのだろうか?」と思い、
謎の症状について考えてみたのです。
すると今回の謎の症状は、
以前にもチョクチョクあった事を思い出したのです。

私は20年程前に交通事故で酷いムチウチになったのですが、
それ以来、何度も今回のような症状(+頭痛)で相当辛い思いをしたのですが、
暫くしたら症状が消えてしまう事や、
仕事が忙しかった事や、
この数年間は症状がでなかった事から、
スッカリと忘れていたのです。
つまり私の今回の症状は再発だったのです。

マタ今回の症状(再発)が治って暫くすると、
次は何の理由もなく突然に右股関節が痛くなりました。
この時の痛みは強くビッコを引かなければ歩けません。
私は胸の締め付けと背中の痛みの時と同様に再発を考えたのですが、
然し今回は幾ら考えても明確な原因は思い出せません。
唯一疑わしかったのは幼児期に受けた手術(私は覚えていません)ですが、
それが原因かドウかは(現時点では)分からないし、
それ以外に覚えている事といえば、
学生の頃に部活やアルバイトをしていた時にも、
右股関節や右お尻がチョクチョク痛くなった事ぐらいですが、
これは原因ではありませんから、
原因として思い当たるものはなかったのです。

マア思い当たる原因がなかったとしても、
「これも再発だろう」と思い、
今ヤッている事は何も変えず暫く様子を観ていましたら、
ヤハリ前回同様に知らないうちに症状は消えてしまい、
ヤハリ前回同様に右股関節の調子は、
痛くなる前よりも良くなってしまったのです。
多分、これも以前に治し損ねた何かの再発だったのでしょう。

~2024年追記:
慢性の体調不良(病気を含む)の回復では、
再発は避けては通れない厄介な問題です。
私は再発が始まった事をツケ払い(清算)といっています。
そして私が接骨院に来るお客サンに言っている事は、
「どんな些細なケガや病気でも治し損ねたら一生モノ」です(後述)。~

この二つの事から、
私は何十年も前に傷めた(弱めた)モノでも、
それが今では症状がなかったとしても治っていない事があるのか、
今では症状がなく治ったと思っている(お医者サンに言われた)ものでも、
再発する事があるのか調べてみました。
そして分かった事は、

①体調不良(ケガや病気を含む)でも急性と慢性は全くの別モノ。
②一度治り損ねたモノは、
 何時迄も炎症が燻り続けてしまい自然に治る事はない。
 これを慢性といいます。
③ケガや病気を治し損ねて慢性化させると、
 症状(特に痛み)は軽減消失して身体は楽になってしまうので、
 症状(特に痛み)だけで体調の良し悪しや、
 体調不良(ケガや病気を含む)の回復を判断する事はできない。
④症状がなくても慢性化したモノは何れ再発したり、
 新たな体調不良(病気を含む)を引き起こす。
⑤慢性化したモノの回復には長い時間がかかり、
 急性とは違う回復の経過を辿る。

だったのです。
~2024年追記:①~⑤は業者(医療福祉従事者)サンには無い考えです。~

つまり私の胸の締め付けや背中の痛みや右股関節の痛みは、
過去に傷めて(弱めて)治り損なったモノの再発か、
マタは過去に傷めて(弱めて)治し損なったモノに起因して痛み出したモノで、
今迄、症状がなかったのは治ったからではなく、
治し損ねた分だけ身体が防御反応をとって症状を消していた・・・
と考えられるのです。
(これに関しては後述します。)

これに関して少し補足しますと、
現在は急性慢性を問わず対症療法が治療(施術)の主流になっています。
然し対症療法は症状(検査も症状の一つ)を消すだけの治療(施術)ですから、
本来ならば応急処置として行われる治療(施術)で、
体調不良(ケガや病気を含む)を治す(回復する)のとは別なのです。
然し実際に業者(医療福祉従事者)サンは、
慢性の体調不良(病気を含む)でも対症療法(応急処置)を行い、
それで症状(検査も症状の一つ)が軽減消失すれば、
良くなった(治った)と判断(勘違い)して、
対症療法(応急処置)を受けている人も、
その治療で症状(検査も症状の一つ)が軽減消失すると、
良くなった(治った)と思う(勘違いする)のですが、
実は、

対症療法(応急処置)で症状(検査も症状の一つ)を消した場合は、
単に症状(検査も症状の一つ)を消した(抑えた)だけの事で、
体調不良(ケガや病気を含む)が治った(回復した)のとは全く関係ない。

なのです。
(これに関する私見は後述します。)

私が超少食菜食(超偏食)生活を始めた時には85㎏だった体重は、
この半年程で72㎏に減り、
以前に着れなくなった服が余裕で着られるようになりました。

私はこの時に試しに、
サンマの塩焼き弁当と●●●●●●●●●●チキンを食べて、
日本酒を飲んでみました。
今回は全身の腫れも全身の強烈な痒みは出ないし、
出る気配(少しムズムズする感じ)も全くありません。
私はこの時に肉魚酒アレルギーをはじめとした、
以前のゲガや病気を治し損ねて身体に燻らせているモノの幾つかも、
自力で治せたと実感した(判断した)のでした。

然しこの時に少し困った事が起こりました。
それはこの時に食べたサンマの塩焼きと●●●●●●●●●●チキンが、
そしてこの時に飲んだ日本酒が、
とても臭くて不味くて食べられなかった(飲めなかった)事でした(残しました)。

因みに日本酒は安いモノではありません。
当時、小学生の娘に匂いを嗅がせたところ、
「木の香りがする」と言って飲もうとした本物の酒です。

どうやら私は、

体調不良(肉魚酒アレルギー)を自力で回復させていく過程で、
今迄に身に付けていた健康の基準(今回は味覚)が、
何時の間にか修正されていた。

ようです。

それが今迄は美味しいと思って食べていた、
そして「肉魚酒アレルギーが治ったら真ッ先に食べよう」と思っていた、
サンマの塩焼きと●●●●●●●●●●チキンと日本酒が、
不味くて食べられなかった・・・という味覚の変化だったのです。

そしてこの味覚の変化(味覚が修正された事)で私は、

美味しいモノが身体を良くするのではなく、
身体に必要なモノが美味しく感じられる事が食事の基本。

というゴク当たり前の事を知ったのです。

これも少し補足しますと、
最初は不本意にイヤイヤ始めた穀物菜食(ヴィーガン)生活だったのですが、
続けているうちに、
毎日食べている、
(有機無農薬ではない)玄米と(有機無農薬ではない)生野菜が、
抵抗なく食べられるようになったばかりか、
「野菜はこんなにもハッキリと味がするモノだったのか」と、
今迄はあまり感じられなかった野菜の味がハッキリと分かるようになり、
塩と醤油の使用量が減った時があったのです。

今思えばこれは濃い味に慣れていた私の味覚が、
食事を見直した(玄米生菜食(ヴィーガン)になった)事で、
本来の私の身体(体調)に適した味覚に修正されたと考えられるのです。
すると毎日の、
(有機無農薬ではない)玄米と(有機無農薬ではない)生野菜だけという、
単調で貧しいエサのような食事が、
美味しくて安心して食べられる御馳走に変わり、
逆に濃い味付けのモノや、
複雑な味付けのモノ(手の込んだ料理)が、
不味く感じられるようになったのです。

然し体調不良(肉魚酒アレルギー)を治している時には、
この時の味覚の変化が、
身体が回復を始めた時の反応の一つとは知らなかったし(無知)、
この程度の些細な変化を感じ取る余裕もなかったから、
分からなくても仕方がなかったのかもしれませんが、
今思えばこの時の味覚の変化も、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復していく時の、
身体の反応の一つだったのです。

この時に修正された私の味覚は、
その後の私の体調を維持する基準になりましたから、
これで私は、
敢えてカロリーや栄養のバランスを考えた規則正しい食事をしなくても、
無理にガンバッて禁煙や減塩や糖質制限をしなくても、

食べたいと思った時(空腹時)に、
食べたいと思ったモノ(美味しく感じるモノ=身体が必要とするモノ)を、
美味しく食べられる量(適量)だけ食べている限り、
食事(食品や食習慣)が原因で体調不良(病気を含む)になるリスクは減った。

のです。

私は肉魚酒アレルギーが治った時には、
腹一杯食べてやろうと思っていた肉や魚に、
マタ浴びる程飲んでやろうと思っていた酒に見事に裏切られて、
「こんなに不味くて臭いモノを食べたい一心で、
 今迄アレルギーを治すのにガンバッてきたんだ・・・」と少し呆れたのですが、
然し今迄は「体調不良(肉魚酒アレルギー)を治す為に」と、
我慢して食べなかった肉や魚や酒が、
何時の間にか「不味いから食べない」に変わっていて、
知らないうちに肉や魚や酒から卒業していたのです。

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ササヤカな闘病記②

2024年01月15日 | 経験談

体調不良(肉魚酒アレルギー)になる迄は、
肉や魚は生きていくうえで必要不可欠なモノと、
酒は一日の疲れを取る為に必要不可欠なモノと、
信じて疑わなかったのが、
不本意にも次の日からは一切止めてしまったのです。

確かに穀物菜食(ヴィーガン)生活を始めてからは、
全身の腫れも強烈な痒みも減ったのですが、
だからといって身体がスグに新しい環境に慣れる筈もなく、
私は何時でも常に、
「肉が食べたい・・・魚が食べたい・・・酒が飲みたい・・・。」
と禁断症状に悩まされるようになったのです。

この時の禁断症状がどの程度のものかといいますと、
ある日、近所のスーパーの食品売り場を歩いていた時の事です。

(私は一時期は奥サンが作るモノも安心して食べられなくなり、
 自分が食べるモノは自分で選ぶようにして、
 昼からスーパーの食品売り場を歩くようになったのです。)

何処からか、
「美味しいから買っていきなさいヨ。」と、
私に話しかけてくる声がするのです。
私は声のする方を見てみますと、
そこには棚一面にハムやソーセージが並んでいて、
そのハムやソーセージ達が、
私に(日本語で)話しかけていたのです。

私は何気(無意識)にその棚に近付き、
「今、お前達を食べると大変な事になるから絶対に食べない。
 これからは誘わないでくれ。」
と実際に声に出して答えていたのです。
それを隣で不思議そうに見ていた見知らぬオバサンの顔は今でも覚えています。
~2024年追記:当然の事ですが今ではオバサンの顔は忘れました。~

こんな事がスーパーの食品売り場を歩く度に起きるようになり、
暫くしたらマグロの刺身とも(日本語で)話しができるようになりました。

そんな辛い日が続き、
何時棒を折ってもおかしくない穀物菜食(ヴィーガン)生活だったのですが、
それでも全身の腫れと全身の強烈な痒みは確実に減り、
夜が寝られるようになった事と、
逃げ道であるタバコが普通に吸えた事から、
私は「肉が食べたい魚が食べたい酒が飲みたい」という気持ちを、
何とか抑える事ができました。

「棒を折る(ぼうをおる)」の意味
(「棒」はつっかい棒)手を引く。中途で投げ出す。棒が折れる。
「コトバンク:棒を折る(ぼうをおる)」より
https://kotobank.jp/word/%E6%A3%92%E3%82%92%E6%8A%98%E3%82%8B-2081646

昼は近所のスーパーで買った、
(有機無農薬ではない)生野菜に塩を振って食べて、
夜は(有機無農薬ではない)玄米と(有機無農薬ではない)生野菜に、
塩と醤油で味をつけて食べ続けたのです。

そんな減塩無視の超偏食(ヴィーガン)生活を始めて、
2ヶ月ほど経ったある日の朝の事です。

私は朝起きたら階段を降りて一階の居間に行くのですが、
この日は階段を降りている時に「アレッ」と思いました。
何時もは両方のフクラハギが重く攣ったような状態で、
階段を降りていたのですが、
この日はフクラハギが異様に軽いのです。

そして居間に行ってから次にヤル事は、
トイレに入ってウンコをするのですが、
排便後にトイレから出てくる時に再び「アレッ」と思ったのです。
今度はお腹がカラッポになったようなスッキリとした感じがして、
異様に気持ち良かったのです。

私は(有機無農薬ではない)玄米と、
(有機無農薬ではない)生野菜だけを食べ続けて、
「何時、栄養失調で倒れるのか?」
ばかりを考えていたのですが、
一向に倒れる事がないどころか、
この日は謎の爽快感を感じてしまったのです。

今でしたらこの時の謎の爽快感は、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復を始めた時の、
身体の反応の一つだと分かるのですが、
食事(食養)に関して全く知識も経験もなかった当時の私は、
この時の謎の爽快感が、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復を始めた時の、
身体の反応の一つとは考えられず、
諺で「灯滅せんとして光を増す」というように、
「これでイヨイヨ倒れる時が近付いてきたのかもしれない・・・。」と、
身体の反応を真逆に解釈してしまったのです。

灯(とう)滅(めっ)せんとして光(ひかり)を増(ま)す の解説
《「法滅尽経」から》ともしびが消えようとするとき、一瞬その光を増す。物事が滅びる直前に、一時勢いを盛り返すたとえ。
「goo辞書:灯滅せんとして光を増す」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%81%AF%E6%BB%85%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E5%85%89%E3%82%92%E5%A2%97%E3%81%99/

私の頭は身体の反応を真逆に解釈してしまったのですが、
私の身体はそんな頭の解釈に御構い無く(関係なく)次の日からも、
朝の目覚めは良く、
階段を降りる時の足取りも軽く、
快便も続いたのです。

然しそんな快適な日が続いても、
私はマダ「倒れる前ってこんなものなのかなァ・・・?」と、
実際に起きている身体の反応(快適な状態)を疑い、
「何時、倒れるのかなァ・・・?」と、
毎日ビビリながら過ごしたのです。

何れ倒れるとしても、
私は今回の謎の爽快感の理由が知りたくなりました。
そこで遅れ馳せながらヤッと菜食に関して調べてみたのです。

調べてみると次の事が分かりました。

・菜食は動物愛護の人や一部の宗教家だけのものではなく、
 今では老若男女問わず多くの人が実践している。
・アスリートにも菜食者がいる。
・菜食は一部の体調不良(病気)には明らかな効果を出している。
・菜食者が栄養失調で倒れる事はない。

これで私は、
「モシかして倒れる事はないのかなァ・・・」と思ったのですが、
然しそれは「コレで大丈夫」と確信できる程でもなく、
幾ら菜食(ヴィーガン)が身体に良いと頭(理屈)で分かっても、
そして私の今迄の食習慣が身体に大きな負担になっていた事が分かっても、
一度、身に付けた食習慣や嗜好(肉魚酒好き)を急に変えられる筈もなく、
「確かに身体は楽になっている・・・かもしれない・・・然し・・・」と、
身体が楽になっている現実を素直に認められず(認めたくなくて)、
頭は相変わらず、
「肉が食べたい・・・魚が食べたい・・・酒が飲みたい・・・」と訴えていて、
スーパーの食品売り場を歩けば、
相変わらず肉や魚が私に(日本語で)話しかけてくるのでした。

これは穀物菜食(ヴィーガン)で身体が楽になっている現実を経験しても、
今迄に身に付けた食習慣(肉魚酒好きの大食漢)が、
身体に大きな負担になっていた(間違っていた)と分かっても、

一度身に付けた習慣や嗜好を変えるのはトンデモナク難しく、
余程の事情がない(余程懲りない)限り変えるのは無理。

という事です。

特に私の場合は、
自ら望んで穀物菜食(ヴィーガン)生活を始めたのではなく、
不本意に成り行きで始めた穀物菜食(ヴィーガン)生活ですから、
幾ら身体が楽になってきたとしても、
寧ろ身体が楽になればなる程、
今迄に美味しいと感じたモノ(好物)が食べたくなり、
本来ならば何時迄も続けられるものではないのです。
そんな状況(好物が食べたいけど食べられない状況)を打開する為に、
私が考えた事は、
「どうすれば肉や魚から無理なく卒業できるのか」でした。
そこで私は以前にインターネットで見つけた、
「生きたままミンチになる牛」という動画を、
毎日何度も観る事にしたのです。

因みにこの動画は、
当時、私の接骨院の事務員サンに観せたところ、
次の日に事務員サンから、
「あれから牛の鳴き声が耳から離れなくなってしまった。
 もう二度と観せないで下さい。」
と言われてしまった程の衝撃的な動画を、
私は毎日何度も観たのです。
その後、インターネットで見つけた
「生きたままシュレッダーにかけられるヒヨコ」という動画も、
毎日何度も観るようになりました。

そんなバカげた努力が報われたからなのでしょうか、
私は以前ほどは肉や魚を食べたいとは思わなくなりました。
マタ物菜食(ヴィーガン)生活を始めた時には、
99.8㎏だった体重は3ケ月程で85㎏に減り、
全身の腫れや全身の強烈な痒みは出なくなりました。
マタ夜もよく寝られるようになり、
睡眠不足も何時の間にか解消されていました。

この時に私は試しに肉を食べてみました。
結果は腫れは起きないし痒くもならないのです・・・が、
ホンの少しだけムズムズするのです。
~2024年追記:
この時のムズムズはゴク僅かで、
一般的には「治った(良くなった)」と判断してもいい程だと思います。~

私はこの僅かなムズムズに納得できませんでした。
「これが穀物菜食(ヴィーガン)の限界か・・・。
 これからもコワゴワ食事をしていくのなら、
 これからは何も食べずに光合成で生きていこう。」
とバカな事を考えて不食を目指す事にして、
不食に関してインターネットで調べるようになったのです。

インターネツトには不食に関する多くの記事や本が紹介されていました。
そこで何冊かの本を購入したのですが、
その中の一冊の本が私の目に留まりました。
「長生きしたければ朝食を抜きなさい」(甲田光雄監修/東茂由著)
という題名でした。

本の題名を見て私は、
「ナントいい加減な事を・・・。
 私は小中学生の頃から朝食を食べていないのに、
 今はこんなに辛い思いをしている。
 モシ朝食を抜いただけで長生き(元気でいられる)ができるのなら、
 誰も体調不良(病気を含む)で苦労するものか。」
と思いました。

私は小中学生の頃から朝食は食べていないし今でも食べていません。
それは当時は虐待(育児放棄)を受けていたからではなく、
朝、少しでも長く寝ていたかったからです。
それなのに今では体調不良(肉魚酒アレルギー)が治らず、
辛い思いをしているのです。
私は「いい加減な本があるものだ」と呆れたのですが、
ところが何日経っても、
この本の題名が頭から離れなくなってしまったのです。
そこで私は一度冷やかしのつもりで、
この本を買って読んでみたのです。

冷やかしのつもりで読んだ本だったのですが、
読んで良かったと思いました。
それは私が体調不良(肉魚酒アレルギー)になった理由が自分なりに分かり、
不本意ながら暗中模索して試行錯誤しながら自分なりにヤッてきた事が、
大雑把でしたが間違っていなかった事が分かり、
私が体調不良(肉魚酒アレルギー)になる前に、
身体に良いと思っていた事やヤッてきた事の殆どが、
実は身体に大きな負担になっていた事が改めて分かったからです。

つまり私が健康を意識して(健康の為にと)、
身体に良い(と思っている)事をヤレばヤル程、
実は身体に負担となり(身体を疲れさせて)、
そんな生活(身体に負担になる生活)を続けてきた事で、
身体の働きは着実に弱っていき、
弱化がある程度進んだ時に、
タマタマ些細な事(大恩人の死)がキッカケとなり(原因ではありません)、
その時の私の最も弱っていた部分に症状が出た。
それが肉魚酒アレルギーだった・・・という、
大雑把なストーリーが分かったのです。

つまり私は、

十分な準備期間を経て肉魚酒アレルギーになった

という事です。

私は自分の身に起きた体調不良(肉魚酒アレルギー)が、
自分なりに解釈できた(大雑把なストーリーが分かった)事で、
私はナゼか早くも「治った」と思いました。

~2024年追記:
この時に「ナゼか治った」と思ったのも、
マタ一冊の本の題名が頭から離れなくなってしまったのも、
ナニも根拠もありません。
これを私は「ムシの知らせ(第六感)」と考えて、
私はこれも体調不良(弱っている身体)が回復していく時の、
目安の一つにしています。
「ムシの知らせ(第六感)」に関する私見は気が向いた時に書きます。~

そこで私は目標だった不食を、
「肉魚酒アレルギーを治す」という明確な目的に切り替えて、
「長生きしたければ朝食を抜きなさい」(甲田光雄監修/東茂由著)
という健康本(一般書で医学書ではありません)だけを頼りに、
次の日からは、

・食事を一日に一食(夕食のみ)にした。
・一食の内容は茶碗一杯の玄米とドンブリ一杯半の生野菜だけ。
・調味料は塩と醤油だけ。
・飲み物は水だけ(お茶もコーヒーも飲まない)。
・月曜日は何も食べない日にした。
・週に1~2回は銭湯で温冷浴の実施。

を始めたのです。

多分、1日の摂取カロリーは700~800㎉程度だと思います。
当然、次の日からは強烈な空腹感に悩まされるようになり、
特に何も食べない月曜日は、
空腹のうえに何か頼りない不安を感じるようになったのです。

【参考資料】
「長生きしたければ朝食は抜きなさい」(2002年)
甲田光雄監修/東茂由著  河出書房新社刊

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