接骨院閑話 Ver.2024_01

「しれは迷ひしらねは迷ふ法の道
 なにかほとけの實になるらん」
至道無難禅師の句は健康にも通じるのです。

ササヤカな闘病記②

2024年01月15日 | 経験談

体調不良(肉魚酒アレルギー)になる迄は、
肉や魚は生きていくうえで必要不可欠なモノと、
酒は一日の疲れを取る為に必要不可欠なモノと、
信じて疑わなかったのが、
不本意にも次の日からは一切止めてしまったのです。

確かに穀物菜食(ヴィーガン)生活を始めてからは、
全身の腫れも強烈な痒みも減ったのですが、
だからといって身体がスグに新しい環境に慣れる筈もなく、
私は何時でも常に、
「肉が食べたい・・・魚が食べたい・・・酒が飲みたい・・・。」
と禁断症状に悩まされるようになったのです。

この時の禁断症状がどの程度のものかといいますと、
ある日、近所のスーパーの食品売り場を歩いていた時の事です。

(私は一時期は奥サンが作るモノも安心して食べられなくなり、
 自分が食べるモノは自分で選ぶようにして、
 昼からスーパーの食品売り場を歩くようになったのです。)

何処からか、
「美味しいから買っていきなさいヨ。」と、
私に話しかけてくる声がするのです。
私は声のする方を見てみますと、
そこには棚一面にハムやソーセージが並んでいて、
そのハムやソーセージ達が、
私に(日本語で)話しかけていたのです。

私は何気(無意識)にその棚に近付き、
「今、お前達を食べると大変な事になるから絶対に食べない。
 これからは誘わないでくれ。」
と実際に声に出して答えていたのです。
それを隣で不思議そうに見ていた見知らぬオバサンの顔は今でも覚えています。
~2024年追記:当然の事ですが今ではオバサンの顔は忘れました。~

こんな事がスーパーの食品売り場を歩く度に起きるようになり、
暫くしたらマグロの刺身とも(日本語で)話しができるようになりました。

そんな辛い日が続き、
何時棒を折ってもおかしくない穀物菜食(ヴィーガン)生活だったのですが、
それでも全身の腫れと全身の強烈な痒みは確実に減り、
夜が寝られるようになった事と、
逃げ道であるタバコが普通に吸えた事から、
私は「肉が食べたい魚が食べたい酒が飲みたい」という気持ちを、
何とか抑える事ができました。

「棒を折る(ぼうをおる)」の意味
(「棒」はつっかい棒)手を引く。中途で投げ出す。棒が折れる。
「コトバンク:棒を折る(ぼうをおる)」より
https://kotobank.jp/word/%E6%A3%92%E3%82%92%E6%8A%98%E3%82%8B-2081646

昼は近所のスーパーで買った、
(有機無農薬ではない)生野菜に塩を振って食べて、
夜は(有機無農薬ではない)玄米と(有機無農薬ではない)生野菜に、
塩と醤油で味をつけて食べ続けたのです。

そんな減塩無視の超偏食(ヴィーガン)生活を始めて、
2ヶ月ほど経ったある日の朝の事です。

私は朝起きたら階段を降りて一階の居間に行くのですが、
この日は階段を降りている時に「アレッ」と思いました。
何時もは両方のフクラハギが重く攣ったような状態で、
階段を降りていたのですが、
この日はフクラハギが異様に軽いのです。

そして居間に行ってから次にヤル事は、
トイレに入ってウンコをするのですが、
排便後にトイレから出てくる時に再び「アレッ」と思ったのです。
今度はお腹がカラッポになったようなスッキリとした感じがして、
異様に気持ち良かったのです。

私は(有機無農薬ではない)玄米と、
(有機無農薬ではない)生野菜だけを食べ続けて、
「何時、栄養失調で倒れるのか?」
ばかりを考えていたのですが、
一向に倒れる事がないどころか、
この日は謎の爽快感を感じてしまったのです。

今でしたらこの時の謎の爽快感は、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復を始めた時の、
身体の反応の一つだと分かるのですが、
食事(食養)に関して全く知識も経験もなかった当時の私は、
この時の謎の爽快感が、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復を始めた時の、
身体の反応の一つとは考えられず、
諺で「灯滅せんとして光を増す」というように、
「これでイヨイヨ倒れる時が近付いてきたのかもしれない・・・。」と、
身体の反応を真逆に解釈してしまったのです。

灯(とう)滅(めっ)せんとして光(ひかり)を増(ま)す の解説
《「法滅尽経」から》ともしびが消えようとするとき、一瞬その光を増す。物事が滅びる直前に、一時勢いを盛り返すたとえ。
「goo辞書:灯滅せんとして光を増す」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%81%AF%E6%BB%85%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E5%85%89%E3%82%92%E5%A2%97%E3%81%99/

私の頭は身体の反応を真逆に解釈してしまったのですが、
私の身体はそんな頭の解釈に御構い無く(関係なく)次の日からも、
朝の目覚めは良く、
階段を降りる時の足取りも軽く、
快便も続いたのです。

然しそんな快適な日が続いても、
私はマダ「倒れる前ってこんなものなのかなァ・・・?」と、
実際に起きている身体の反応(快適な状態)を疑い、
「何時、倒れるのかなァ・・・?」と、
毎日ビビリながら過ごしたのです。

何れ倒れるとしても、
私は今回の謎の爽快感の理由が知りたくなりました。
そこで遅れ馳せながらヤッと菜食に関して調べてみたのです。

調べてみると次の事が分かりました。

・菜食は動物愛護の人や一部の宗教家だけのものではなく、
 今では老若男女問わず多くの人が実践している。
・アスリートにも菜食者がいる。
・菜食は一部の体調不良(病気)には明らかな効果を出している。
・菜食者が栄養失調で倒れる事はない。

これで私は、
「モシかして倒れる事はないのかなァ・・・」と思ったのですが、
然しそれは「コレで大丈夫」と確信できる程でもなく、
幾ら菜食(ヴィーガン)が身体に良いと頭(理屈)で分かっても、
そして私の今迄の食習慣が身体に大きな負担になっていた事が分かっても、
一度、身に付けた食習慣や嗜好(肉魚酒好き)を急に変えられる筈もなく、
「確かに身体は楽になっている・・・かもしれない・・・然し・・・」と、
身体が楽になっている現実を素直に認められず(認めたくなくて)、
頭は相変わらず、
「肉が食べたい・・・魚が食べたい・・・酒が飲みたい・・・」と訴えていて、
スーパーの食品売り場を歩けば、
相変わらず肉や魚が私に(日本語で)話しかけてくるのでした。

これは穀物菜食(ヴィーガン)で身体が楽になっている現実を経験しても、
今迄に身に付けた食習慣(肉魚酒好きの大食漢)が、
身体に大きな負担になっていた(間違っていた)と分かっても、

一度身に付けた習慣や嗜好を変えるのはトンデモナク難しく、
余程の事情がない(余程懲りない)限り変えるのは無理。

という事です。

特に私の場合は、
自ら望んで穀物菜食(ヴィーガン)生活を始めたのではなく、
不本意に成り行きで始めた穀物菜食(ヴィーガン)生活ですから、
幾ら身体が楽になってきたとしても、
寧ろ身体が楽になればなる程、
今迄に美味しいと感じたモノ(好物)が食べたくなり、
本来ならば何時迄も続けられるものではないのです。
そんな状況(好物が食べたいけど食べられない状況)を打開する為に、
私が考えた事は、
「どうすれば肉や魚から無理なく卒業できるのか」でした。
そこで私は以前にインターネットで見つけた、
「生きたままミンチになる牛」という動画を、
毎日何度も観る事にしたのです。

因みにこの動画は、
当時、私の接骨院の事務員サンに観せたところ、
次の日に事務員サンから、
「あれから牛の鳴き声が耳から離れなくなってしまった。
 もう二度と観せないで下さい。」
と言われてしまった程の衝撃的な動画を、
私は毎日何度も観たのです。
その後、インターネットで見つけた
「生きたままシュレッダーにかけられるヒヨコ」という動画も、
毎日何度も観るようになりました。

そんなバカげた努力が報われたからなのでしょうか、
私は以前ほどは肉や魚を食べたいとは思わなくなりました。
マタ物菜食(ヴィーガン)生活を始めた時には、
99.8㎏だった体重は3ケ月程で85㎏に減り、
全身の腫れや全身の強烈な痒みは出なくなりました。
マタ夜もよく寝られるようになり、
睡眠不足も何時の間にか解消されていました。

この時に私は試しに肉を食べてみました。
結果は腫れは起きないし痒くもならないのです・・・が、
ホンの少しだけムズムズするのです。
~2024年追記:
この時のムズムズはゴク僅かで、
一般的には「治った(良くなった)」と判断してもいい程だと思います。~

私はこの僅かなムズムズに納得できませんでした。
「これが穀物菜食(ヴィーガン)の限界か・・・。
 これからもコワゴワ食事をしていくのなら、
 これからは何も食べずに光合成で生きていこう。」
とバカな事を考えて不食を目指す事にして、
不食に関してインターネットで調べるようになったのです。

インターネツトには不食に関する多くの記事や本が紹介されていました。
そこで何冊かの本を購入したのですが、
その中の一冊の本が私の目に留まりました。
「長生きしたければ朝食を抜きなさい」(甲田光雄監修/東茂由著)
という題名でした。

本の題名を見て私は、
「ナントいい加減な事を・・・。
 私は小中学生の頃から朝食を食べていないのに、
 今はこんなに辛い思いをしている。
 モシ朝食を抜いただけで長生き(元気でいられる)ができるのなら、
 誰も体調不良(病気を含む)で苦労するものか。」
と思いました。

私は小中学生の頃から朝食は食べていないし今でも食べていません。
それは当時は虐待(育児放棄)を受けていたからではなく、
朝、少しでも長く寝ていたかったからです。
それなのに今では体調不良(肉魚酒アレルギー)が治らず、
辛い思いをしているのです。
私は「いい加減な本があるものだ」と呆れたのですが、
ところが何日経っても、
この本の題名が頭から離れなくなってしまったのです。
そこで私は一度冷やかしのつもりで、
この本を買って読んでみたのです。

冷やかしのつもりで読んだ本だったのですが、
読んで良かったと思いました。
それは私が体調不良(肉魚酒アレルギー)になった理由が自分なりに分かり、
不本意ながら暗中模索して試行錯誤しながら自分なりにヤッてきた事が、
大雑把でしたが間違っていなかった事が分かり、
私が体調不良(肉魚酒アレルギー)になる前に、
身体に良いと思っていた事やヤッてきた事の殆どが、
実は身体に大きな負担になっていた事が改めて分かったからです。

つまり私が健康を意識して(健康の為にと)、
身体に良い(と思っている)事をヤレばヤル程、
実は身体に負担となり(身体を疲れさせて)、
そんな生活(身体に負担になる生活)を続けてきた事で、
身体の働きは着実に弱っていき、
弱化がある程度進んだ時に、
タマタマ些細な事(大恩人の死)がキッカケとなり(原因ではありません)、
その時の私の最も弱っていた部分に症状が出た。
それが肉魚酒アレルギーだった・・・という、
大雑把なストーリーが分かったのです。

つまり私は、

十分な準備期間を経て肉魚酒アレルギーになった

という事です。

私は自分の身に起きた体調不良(肉魚酒アレルギー)が、
自分なりに解釈できた(大雑把なストーリーが分かった)事で、
私はナゼか早くも「治った」と思いました。

~2024年追記:
この時に「ナゼか治った」と思ったのも、
マタ一冊の本の題名が頭から離れなくなってしまったのも、
ナニも根拠もありません。
これを私は「ムシの知らせ(第六感)」と考えて、
私はこれも体調不良(弱っている身体)が回復していく時の、
目安の一つにしています。
「ムシの知らせ(第六感)」に関する私見は気が向いた時に書きます。~

そこで私は目標だった不食を、
「肉魚酒アレルギーを治す」という明確な目的に切り替えて、
「長生きしたければ朝食を抜きなさい」(甲田光雄監修/東茂由著)
という健康本(一般書で医学書ではありません)だけを頼りに、
次の日からは、

・食事を一日に一食(夕食のみ)にした。
・一食の内容は茶碗一杯の玄米とドンブリ一杯半の生野菜だけ。
・調味料は塩と醤油だけ。
・飲み物は水だけ(お茶もコーヒーも飲まない)。
・月曜日は何も食べない日にした。
・週に1~2回は銭湯で温冷浴の実施。

を始めたのです。

多分、1日の摂取カロリーは700~800㎉程度だと思います。
当然、次の日からは強烈な空腹感に悩まされるようになり、
特に何も食べない月曜日は、
空腹のうえに何か頼りない不安を感じるようになったのです。

【参考資料】
「長生きしたければ朝食は抜きなさい」(2002年)
甲田光雄監修/東茂由著  河出書房新社刊

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