しょどん節2(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 128) 2019年02月28日 | 日記 さて、この「緒鈍」 地名ですが、その場所は鹿児島県の加計呂麻島にあります。(奄美大島のすぐ横) つまり、当時は琉球王国ではありますが、今は沖縄県ではない場所なのです。 こういうことからも、琉球・沖縄の複雑な歴史が見えてきます。
しょどん節(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 127) 2019年02月27日 | 日記 しょどん節ですが、「シュドゥンブシ」と読みます。 漢字で書くと「緒鈍」です。地名のようですね。 もともとは「緒鈍長浜・・・」や「緒鈍美童(シュドゥン ミヤラビ)・・・」などの歌詞で始まって、緒鈍節と付いたようですが、中巻で通常歌う歌詞は「枕並べたる 夢のつれなさよ 月や西(イリ)下がて 冬の夜半」となっており、これはもうほとんど日本語です。言葉が琉球でないですね。(西だけが「イリ」という発音で、ここだけ琉球です) 古典で歌う歌詞は「琉歌」といいつつも、こんな感じが多いですね。 さて歌詞の意味は、 「枕を並べたあの頃の事が夢に出てきて 思わず目が覚めました 今ではあの人もなんとつれないことか 外を見ると月も西に傾いている 冬の夜明け前はとても寒く とても寂しい思いです」
クダミ6(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 126) 2019年02月27日 | 日記 「クダミ」の言葉の意味はとりあえず分かったのですが、「当」(アティ)とよく似たこの技法を、どうやって区別するか。 お手本となるCDを聞くと、「当」の場合は「突き当てる感じ」のアクセント。 一方の「クダミ」の方は「急激な下げ」とあるにも拘わらず実際の音は下がらないので、それを表現するイメージとしては、犬の鳴き声の「キャン」という感じではと思ってます。(あくまでも私個人の感想です)
クダミ5(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 125) 2019年02月26日 | 日記 前回「赤山節」という民謡系の曲の歌詞で、「あしゃぎ クダミし(踏石)や たとい朽ちるとも 愛(かな)し い言葉の いちゃす朽ちゅが」と書きましたが、その内容は アシャギ(離れ屋敷)の踏み石ほどの頑丈な石が、朽ちるなどという、とても長い年月が経っても、いとしい人の 言った言葉は どうして朽ち果てるでしょうか(決して忘れられません)
クダミ4(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 124) 2019年02月24日 | 日記 「クダミ」という言葉自体は、実は以前から知っていた「はずの」言葉でした。 それは、「赤山節」という民謡系の曲の歌詞で、「あしゃぎ クダミし(踏石)や たとい朽ちるとも 愛(かな)し い言葉(イクトゥバ)の いちゃす朽ちゅが」という歌でした。 クダミシ=踏石と書いてあるので、その時点で意味も分かっているはずです。 なんという不覚。