日々是気の向くままに

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古典は厳しい(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 131)

2019年03月07日 | 日記
古典の厳しさは、何といっても師匠をはじめとした先人の皆さまの完全コピーの必要性です。
少しでも音が違っていたり、節回しが違っていることは許されないのです。
野村流であれば「野村安趙様」の歌っていたとおりにコピーする必要があるのです。
他の流派であれば、その始祖の方の歌のとおりにコピーするわけです。
でも例えば「恩納節」一つとってみても元は同じ歌なのに、野村流と安冨祖流とでは全く別の曲になってます。
これが疑問なのです。当時の野村さんも安冨祖さんもその師匠は同じではないにしても、元をたどれば同じ「恩納節」を習ったはずなのに、しかも古典は完全コピーが原則なのに。いつの間にか違う歌になっているのは何故?
まあ、当時は現代のような工工四も未整備で、録音などあるはずもなく、耳コピーだけでしたから仕方無いのかもしれません。
でも、もしかしたら題名は同じで最初から2種類あったりして。