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蜷川 幸雄(Yukio NINAGAWA)氏がイスラエルで『トロイアの女たち』を上演したらしいが

2012-12-30 21:27:59 | パレスチナかイスラエルか
今月11日から20日にかけて、蜷川 幸雄(Yukio NINAGAWA)氏が演出を手掛ける『トロイアの女たち(The Trojan Women)』が日本で上演されてた。
日本とイスラエルが外交関係を結んでから60年になるのを記念するもので、イスラエル政府の支援を受けている・・・らしい。


で、昨日からこの劇のイスラエル公演が始まったのだが・・・。
・蜷川さん演出劇 イスラエルで上演(2012年12月30日 nhk.or.jp)
・Ninagawa stages Trojan Women in Tel Aviv(2012年12月30日 nhk.or.jp)

色んな意味で笑うに笑えないこの話。
以下、2012年12月30日分 nhk.or.jp『蜷川さん演出劇~』を全文(略

---- 以下引用 ----
日本とイスラエルが外交関係を結んでことしで60年となるのを記念して、演出家の蜷川幸雄さんが平和の大切さを訴えようと演出したギリシャ悲劇が、イスラエルで上演されました。

イスラエルの中心都市、テルアビブの劇場で上演されたのは、戦争の悲惨さを描いたギリシャ悲劇「トロイアの女たち」で、日本とイスラエルが外交関係を結んで60年となるのを記念して、蜷川 幸雄さんが演出したものです。
舞台では、日本の俳優とイスラエルのユダヤ系とアラブ系の俳優が共演し、それぞれが日本語とヘブライ語、アラビア語でせりふを読むユニークなかたちで演じました。
先月、日本で稽古が行われたときには、パレスチナのガザ地区でイスラエル軍とイスラム原理主義組織ハマスの大規模な戦闘が起きましたが、そうしたなかでもユダヤ系とアラブ系の俳優たちは互いを気遣いながら稽古を続けたということです。
3時間近くにわたる上演のあと、蜷川さんが俳優たちとともに舞台に上がると、観客から惜しみない拍手が送られました。
観客の女性の1人は「表現のしかたは違っても戦争による苦しみは同じで、平和を思う気持ちも同じだと感じました」と話していました。
中東和平が暗礁に乗り上げるなか、舞台を通じて平和の大切さを訴えたいとしていた蜷川さんも「共同作業で作り上げたものが支持してもらえてうれしいです」と話していました。
---- 引用以上 ----

戦争による苦しみは同じ、か。
イスラエル政府が期待してる「模範解答」の感想だわな。
こういう発言ってのは、イスラエル(やアラブ諸国や米国など)が常に行ってるパレスチナの人達への攻撃とか抑圧を見えにくくする効果があるしね。
長年イスラエル(やアラブ諸国や米国など)により数え切れない人権侵害を受けてるパレスチナの人達と、不定期に起こる爆弾テロや(イスラエル軍への反撃という意味がある)ロケット弾攻撃などによるイスラエルの人達が受けてる苦しみが等価とは言い切れないのにさ・・・。

上の記事における女性についてはいいとして・・・(良くねぇよ)。
一番問題なのは、この舞台の演出を引き受けた蜷川氏が、イスラエルの状況をどこまで把握してるのかってことだ。
とりわけ、『トロイアの女たち』を「日本語とヘブライ語、アラビア語」で上演することの問題点を踏まえれば、これは避けて通れない問いだし。
↓は、蜷川氏に『トロイアの女たち』の舞台演出を辞退するよう求めた書簡。
・公開書簡:テルアヴィヴのカメリ劇場での上演に反対を表明して(2012年1月29日 boycottil;再紹介申し訳)

以下、2012年1月29日分 boycottil『公開書簡~』から、その部分を(略)

---- 以下引用 ----
(中略)
アラビア語は、表向き、イスラエルの公用語となってはおりますが、公文書はヘブライ語のみで記され、アラビア語は意図的に、道路標識からさえ消されつつあり、右派政党を数多く抱えるネタニアフ政権では、声高に、アラビア語を公用語から外す議論がなされています。
そのような状況下で、ヘブライ語とアラビア語、日本語の3言語による舞台に、どのような意味が付与できるというのでしょうか。
深夜、ベッドから拉致され、虐待を伴う尋問で、覚えない投石を自白させられ、パレスチナの子どもたちが署名を強いられるのが、彼らに読むことのできないヘブライ語のみの「自白調書」です。
(以下略)
---- 引用以上 ----

イスラエル政府高官の方々は、「アラビア語は公用語」という建前を舞台の上で強調してくれた蜷川氏に足を向けて寝られないぞ(謎)
見事なまでに、イスラエルで起きてる実態を隠してるわけで・・・。

っていうか、蜷川氏はそうしたことをロクに考えてないようだが。
・A play for peace(2012年12月26日 jpost.com)

上のインタビューの中で、蜷川氏は舞台の演出を行う際の苦労話をあーだこーだ語っていた。
以下、2012年12月26日分 jpost.com『A play for peace』から、後半部分を(略

---- 以下引用 ----
(中略)
Why did Ninagawa want to participate in this project?
“We have worked in many theaters in Europe but not in the Middle East.

This is a new experience for us. We are learning about this way of making theater and also learning more about our own culture and to respect each other more,” he says.

Asked about his impressions of Israeli actors, both Jews and Arabs, the director responds, “They are very expressive and very fierce, far more than in Japan. We in Japan do not have the kind of conflict you have here. And also, by nature, we don’t like to break order. If it goes well, we want to keep it. That is the Japanese mentality.”

What about the Israeli mentality?
“It is a very fighting spirit, very fierce."

"For me, it will be hard work to stage the play with Israeli actors,” he says.

Why did he choose this particular play?
“The play is about the conqueror and the conquered. But also here – conqueror and the conquered go together on stage.”

In regard to the difference between Jewish and Arab actors, Ninagawa says, “The Jews are calmer. That said, they both are far fiercer than us.”

As for how he chose the actors during the auditions, he says, “I do not understand the language, so for me the only criterion was their ability to express feelings. That is all.”

So how will he put together fierce Israeli actors with their introverted and conservative Japanese counterparts?
“That will be quite a task, and an interesting one!” laughs the director.
---- 引用以上 ----

・・・蜷川氏が、イスラエルとパレスチナの人達のことをどこまで見てるのか疑わざるを得ないのは何故?


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