おはようガンバ
今日は、母の日
昨日も、子ども達がお花をくれたり、お顔のマッサージの券をくれたり、感謝感謝だったよ
この日、まさちゃんは、いつも大好きだった母のことを思い浮かべる
まさちゃんのお母ちゃんは、明るい人だった
京都の街に生まれ育って、兵隊さんで自分の兄の軍隊で一緒になった父が、家に遊びに来て、そこからお互いにいいな~って思うようになり、手紙の交換が始まったそうな
京都の街から、丹後の街にお嫁の行くのは、今でこそ、そんなに遠くはないだろうけど、あの当時、随分遠い田舎へ嫁ぐ感じだったらしいよ
嫁いで来たら、ご病気の妹さんもいらっしゃったりして、そんなに裕福でもない家庭でやりくりしていくのも、なかなかの苦労だったらしいけど
「OO家の人は、みんな人がよかったから~」って、よくまさちゃんに話してくれた母は、父と二人三脚で、力を合わせながら、あったかい幸せな家族を作ってくれた
まさちゃんが幼稚園に入ったばかりの頃、家に帰っても、おかあちゃんが居なかった
多分、初めてのことだったのか、まさちゃんは、大きな声で、「おかあちゃぁ~ん!」って何度も叫んだ
不思議にそのことを、今でもはっきり覚えているよ
何度も叫んでいたら、長屋の隣に住んでた優しいおばちゃんが
「まぁ~ちゃん、今日はね、お母ちゃん、編み物の教室に行っておいでるよ」って教えてくれた
まさちゃんが、幼稚園に入るのを待って、お母ちゃんは内職を始めようと、このころから編み物教室に通ってくれたらしい
手先が器用で丁寧な仕事をする母は、先生の資格まで取って、街の手芸店を通して、たくさんのお客さんの注文を受けるようになった
まだ既製品の少ない時代だったから、重宝がられたんだろうね・・・
自分の内職で稼いだお金は、全て子ども達のために、蓄えていったと、いつか母が話してくれたことがある
注文が、次々にくるのは有難いけど、その分、お母ちゃんは、とっても忙しそうだった
まさちゃんが夜寝るころに、布団に入る母を見たことがなかったよ
へたすると、朝まで徹夜して、期日までに頑張って仕上げてた母を何度も見たことがある
そんな思いをしながら、一生懸命、まさちゃん達を育ててくれたんだよね~
大好きだったお母ちゃんは、4年前に、89歳で天国に旅立ってしまったけれど、
まさちゃんの心の中には、いつも母が居てくれる
頑張り屋さんだった母に、恥ずかしくないように自分でも、出来る限りのことはしてみようと思うし、自分でどうしようもない時には、
「お母ちゃん、どうか、力を貸してください・・・」って、いつもお願いしているよ
お母ちゃんは、よく笑う人だった
まさちゃんも、どちらかと言うと、よく笑う方なのかな~
こないだも、英会話の教室で、なんかとっても可笑しくて
一緒に勉強してるMさんに、「OOさん、ツボにはまってるね・・・」なんて言って笑われた
お母ちゃんに似たのかもしれないな・・・
お母ちゃん、いつも見守ってくれて、ありがとう
また、これからも、あなたの娘として恥ずかしくないよう頑張るよ
さ~ぁ!今週も笑顔でガンバ
みんな元気出して頑張ろうぜ
いつも来てくれて、ほんとにどうもありがとう