練習にしても、食事にしても、試合にしても、気温、環境、にしても、自分の苦手なことや嫌なことにだけ苦痛や嫌感を最初から表にだしたり、途中から大袈裟に見せびらかす子が増えている…
構って欲しい
気づいて欲しい
心配して欲しい
助けて欲しい
周りが動くまで見せ続ける
そして心配されたらその事から逃れ
次のやりたい事には何事も無かった様に動き出す。
まるでお菓子を買ってほしくてお菓子ゾーンで座り込んだり見つめ続ける幼児の様に…
これをするということは
今までにそれをしたことで難を逃れたり、逃してくれたり、心配してもらえたりした経験があるからで、経験は学びとなり頭を使い習慣化され、体質まで変えていくと感じる。
自分にとって厳しいなと感じることより、楽な方が良いに決まっている。
気づいてあげる
心配してあげる
手を差し伸べてしまう
諦めで終わらせてしまう
人に優しくて人を助けれる人に将来なって欲しい!と願うなら
どんなタイミングでも、どんな環境でも、どんな苦難の最中でも、人を気づかい、手を差し伸べれるだけの、自分自身の強さをまず身につけれなければ大人が願う子どもたちにはなれない様に感じます。
心配される側の行動が当たり前の人間は心配する側にはならない。
ならば、子どもたちへの心配や気づかいは未来の自立に繋がるのでしょうか。
アピール習慣に慣れた子はいつ人を支える人になれるのでしょうか。
チームは助け合いが基本
ならば強さを身につけるが先で
その先に気づかいや優しさがあるべきで、優しいだけは弱さのすり替えかもしれない。
強さをもって周りの為に率先して行動していました↓
優しさをもって礼儀を忘れていませんでした↓
自分の辛さを悟られず周りに配慮していました↓
『強くて!』優しい!でした🤝🏻💮
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