私の研究日記(映画編)

ここは『智に働けば角が立つ』の姉妹ブログ。映画の感想や、その映画を通してあれこれ考えたことを紹介しております。

『おくりびと』(Theater)

2008-09-17 16:35:03 | あ行

 海浜幕張シネプレックスにて『おくりびと』を見てきた。

【ネタばれ注意!!】
 主人公は、小林大悟(本木雅弘)。ようやく入団したオーケストラが解散し、失意のまま妻(広末涼子)と共に実家の山形に戻った元チェリストである。実家に戻った大悟が就職したのが、NKエージェントという会社。「NK」の「N」は「のう」、「K」は「かん」、「のうかん」つまり遺体を棺に納める納棺を業とする会社であった。この物語は、納棺師となった大悟の視点を通じて、最後の別れを迎えた人々の様々な人間模様を描いた作品である。

 映画を見てこんなに泣いたことってあっただろうか?と思わされるぐらい涙が止まらなかった。一般的に、お葬式の場面というと、故人を喪った悲しみの場面を想像するかもしれない。だが、この作品がこうも泣かせるのは、単に各場面が悲しいものだったからというわけではないと思う。

 むしろ納棺の場面は、作中の大悟の言葉を借りるならば、「別れの場に立会い故人を送るそれは何より優しい愛情に満ちている」。例えば、ある女性の納棺では、その夫が美しく化粧された妻を見てむせび泣く。ある青年の納棺では、その父親が息子の納棺について礼を述べながら絶句してしまう。またある女学生は、亡くなった祖母の生前の望みといって、ルーズソックスを履かせてあげようとする。別の場面では、納棺される男性の額と頬に、妻と娘、孫娘がキスマークを残していく(素敵だ^^)。こうして次から次と映し出される、最愛の人との別れ際の様子は圧倒的である。映画を見ていて涙が出てしまったのは、こうした「何より優しい愛情に満ちている」場面に、心がほだされたからだと思う。

 考えてみると、実際、故人と別れる時の悲しみというのは、故人に対する愛情の表れともいえる。愛情が深いほど、悲しみも深くなるからだ。その限りでは、そもそもお葬式というのは、愛情に満ちた場なのだといえるだろう。だとすれば、一般的に映画の中で描かれるような、ただ悲しみに満ちただけのお葬式の場面というのは、遺された人々の心情の一面だけしか表していないということになる。そういう意味で、この作品は遺された人々の悲しみだけでなく、そこに隠れた愛情をも描こうとした作品といえる。いわば、愛する人の死に向き合っている人たちの心情を、丁寧かつ丹念に描き出そうという誠意に溢れた作品といえるのではないだろうか。見終えた後、そんな風に思った。

 いずれにしても、一度緩んだ涙腺は、最後まで締まることがなかった。嗚咽を抑えられず 4、5回は声を上げたはずだ。一緒に見た方の中に、上映中不気味な声を聴いたという人がいたら、それは間違いなく私の嗚咽である(笑)。

 また、映画の舞台となった山形県酒田市の情景は、言葉が出ないほど美しかった。酒田市といえば、最上川下流に広がる庄内平野の米どころ。美しい田園地帯は、冬になると雪に覆われ雪原に変わり、そこで白鳥たちが戯れている。また、その背後に映し出される月山(鳥海山かも)の姿も、これみよかしでなく控えめな美しさが素敵だ。その他、川沿いの桜並木など、四季折々の美しい風景を存分に楽しむことができた。 

 劇中で流れるチェロの演奏は、それだけで聞き惚れてしまいそうだが、物語の雰囲気ともうまくマッチしている。美しい音楽と美しい風景、愛情と優しさに満ちた物語の調和が、大好きなジョゼッペ・トルナトーレ監督の作品のようであった。文句なしにすばらしい映画であった。邦画では、間違いなく今年のマイベストである。