私の研究日記(映画編)

ここは『智に働けば角が立つ』の姉妹ブログ。映画の感想や、その映画を通してあれこれ考えたことを紹介しております。

『フラガール』(TV)

2008-10-24 20:29:40 | は行

監督 李相日
脚本 李相日
    羽原大介
出演者 松雪泰子
    豊川悦司 
    蒼井優

 テレビにて観賞(2008年10月11日)。

 この作品は、公開当時に一度見ている作品なので、これが2度目の鑑賞となる。

 多少映画を見る人なら恐らく誰もが知っている作品であろうし、今回は物語のあらすじ紹介を省きたい。

 私は福島県出身である。今はどうか分からないが、私が子供の頃の福島では、常磐ハワイアンセンターのCMがよく流れていた。上京したばかりの頃、大学の友人にハワイアンセンターの話をすると、誰も知っている人がおらず、カルチャーショックを受けたことがある。でも、福島県民なら当然知っている場所なのだ。

 特に福島県の子供達にとっては、ちょっとした憧れの地といえるかもしれない。首都圏の子供達、若人がディズニーランドに憧れるように(少し言い過ぎか?)。少なくとも幼い頃の私にとっては、そんな場所だった。だから、子供の頃、常磐ハワイアンセンターには何度か連れて行ってもらったことがあるし、フラダンスも直で見たことがある。幼い子供ながらに、その大迫力に圧倒されたのをよく憶えている。

 さて、とりとめもない昔話を長々と書いてきのは、私にとってこの作品が、幼い頃の憧れの場所の誕生物語だからであり、それと関連して、他の作品と比べて少しばかり思い入れの深い作品だからである。
 
 ご承知のように、第二次大戦後の世界では、エネルギー革命が進み、かつて黒いダイヤと呼ばれた石炭の地位は、急速に低下していく。特に日本では、価格の高い国産石炭の消費が減り、価格の安い外国産石炭が輸入されるようになる。夕張市の破産問題と関連して、夕張炭鉱の歴史が一時ニュースなどで頻繁に取り上げられていたことがあるが、夕張に限らず、1960年代の日本では全国各地のどの炭鉱も経営危機に陥っていたのだ。物語の舞台である常磐炭鉱もその一つ。常磐炭鉱が危機を切り抜けるため、乗り出したのが常磐ハワイアンセンター事業だったというわけである。

 子供の頃の私は、いわき市がかつて石炭の産地だったということを、福島県民として当然知っていた。だが、それは漠然と知っていたという程度で、その実情を知ったり、歴史的な流れの中で考えてみたことなど一度もなかった。もちろん、それをハワイアンセンターと関連付けて考えてみようはずもなかった。だから、炭鉱労働者のリストラの場面や、リストラされた父と一緒に夕張に移っていく友達との別れの場面は、私にとってショッキングな場面だった。憧れの地の誕生過程にこうした悲劇があったとは、思いもよらなかったからである。

 作品を見て、もう一つショックだったのは、生まれ故郷について、自分には余りに知らないことが多いと気づかされたことである。ハワイアンセンターのこともそうだったが、実家のある福島県のことは、知っているようで何気に知らないことばかりだったのだ。今暮らしている千葉県については、どういう場所なのかを歴史的地理学的に調べたことがあるが、福島県のことはそのように調べたことがなかった。だから、福島県のことで私が知っているのは、生まれ育っていく中で経験的に知ったということばかりだった。

 こうして、私は福島県に関する本を買い込み、ひっそりと福島研究をするようになった。だから私の本棚の一角には、福島関連のスペースが設けられており、余裕がある時にゆっくりとだが研究を続けている。主演の松雪泰子や蒼井優はもちろん、豊川悦司や岸部一徳などの脇役達も好きな俳優ばかり。作品そのものも面白いし、2度目の鑑賞となった今回も、新鮮な気持ちで楽しむことができた。でも、何より、私にとってこの作品は、生まれ故郷のことを深く知るきっかけを作ってくれたという意味で、思い入れの深い作品なのである。

『宮廷画家ゴヤは見た』(Theater)

2008-10-19 00:00:04 | か行
監督 ミロス・フォアマン
脚本 ミロス・フォアマン他
出演者 ハビエル・バルデム
    ナタリー・ポートマン
    ステラン・スカルスガルド

 京成ローザにて観賞(2008年10月11日)。

 物語の舞台はスペイン。時代は18世紀末から19世紀初頭。フランス革命とそれに続くナポレオンの盛衰により、ヨーロッパ中が混乱していた頃の物語である。


 ゴヤというと思い出すのは、今も手元に置き時折使っている高校世界史の資料集(『総合世界史図表』第一学習社)。この資料集には、ゴヤの二つの作品が載っている。一つは『裸のマハ』。思春期を終えたか終えないかの高校生には、刺激の強い絵である。もう一つは『魔女の夜宴』。山羊の姿をした悪魔の周りに集まる醜い魔女たちが、とても不気味な絵だ。

 この二つの作品に限らず、ゴヤの絵は刺激に満ちている。一目見ただけで、一生忘れられないようなインパクトの強い絵ばかり。そういう絵を描く人だから、常人には理解不能な変わった人なのだろうと思っていた。だが、この作品のゴヤは、きわめて冷静かつ常識的な人物。考えてみれば、宮廷画家にまで上り詰めるほどの人だから、変人であろうはずがない。


 この物語は、そんなゴヤ(ステラン・スカルスガルド)の目を通じて、時代に翻弄される男と少女の運命を描き出した作品である。

 宗教改革以後も、揺るぎない勢力を保つスペインのカトリック教会。物語の主人公ロレンソ(ハビエル・バルデム)は、その一神父として、異端審問の責任者という重大な任務を任される。

 ある日、審問所に1人の美しい少女が囚われる。富商トマス(ホセ・ルイス・ゴメス)の娘イネス(ナタリー・ポートマン)である。トマスは娘を救おうと、異端審問の責任者であるロレンソを自宅に招き、娘を助けるよう脅すのだった。ロレンソは拷問に屈し、「自分は猿である」と書かれた告白書にサインしてしまう。弱みを握られた彼は審問所のイネスを訪ねるが、あろうことか彼女に欲情し手篭めにしてしまった。トマスはロレンソの告白書を、国王カルロス4世に提出。教会はロレンソを捕らえようとするが、既に彼は国外へと逃亡していた。

 15年後、フランス革命軍がスペインへ押し寄せ、ナポレオンの弟ジョゼフが王位に就く。自由・平等・博愛の理念を旗印に掲げる新政府は、異端審問を行ってきたカトリック教会を断罪しようとする。そして、その担当大臣として姿を現したのは、行方不明の身であったあのロレンソだった。一方、廃止された審問所からは、異端として囚われていた人々が次々と解放されていく。その中には、醜く変わり果てたイネスの姿があるのだった。


 スペインの異端審問といえば、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の名場面「大審問官」が、まさにスペインの異端審問を舞台にしているのではなかっただろうか。「大審問官」は、思わず気が滅入ってしまうような重苦しい場面。でも重苦しさでいったら、この映画も負けてはいない(笑)。何しろ、見る人はゴヤの観察を通じて、ほんのわずかの間に異端狩り、拷問、捕囚、革命、戦争、略奪、暴行、処刑などなどを見ることになる。見るのに覚悟がいる作品だ。

 その覚悟さえあれば、すばらしい作品を楽しめること請け合いである。まず、物語の展開が非常に良くできている。ダイナミックな歴史の動きに、ロレンソとイネスは、まさに弄ばれるかのよう。とてもドラマチックである。二転三転していくストーリーには、全く飽きることがなかった。

 そして、出演者の迫真の演技。まず、ロレンソは、身の安全と出世のためなら、裏切りをもいとわないという人物。神を裏切り、祖国を裏切り、イネスを裏切る。革命時代の裏切り者といえば、フランスの実在の人物、ジョゼフ・フーシェが有名だが、この人物ももともとは教会の僧。後に神を否定し、革命に身を投じた後も裏切りを繰り返し、ナポレオンの補佐役にまで上り詰めたという人物である。この人物とロレンソの境遇は似ているような気がするが、ひょっとしたら、ロレンソのモデルはフーシェなのかもしれない。

 ロレンソは野望と欲望、ずる賢さ、弱さといった、人が誰しも少なからず持つような悪い要素を、全て象徴しているかのような人物である。それを表現するバルデムの人を蔑すむような視線、見るからに腹に何か持っていそうな薄笑い、威圧感を与えるような重たい物腰など、彼の演技は、この俳優が本当にそういう人物なのではないかと錯覚するほど。臭ってきそうなほど存在感溢れる俳優さんであった^^。

 もう1人見事だったのは、ナタリー・ポートマン。肌を露出させたり、顎の曲がった醜い姿をさらけたりと、文字通り体を張った演技をしている。また、ロレンソの裏切りなど目に入らず、ただひた向きに彼に付いていこうとするイネスの狂信的な愛が、涙ぐましく切なかった。トマス役のホセ・ルイス・ゴメスも忘れてはなるまい。娘を救おうというトマスはまさに鬼気迫るものがあった。


 ど素人の私がこんなことをいうのも恐縮であるが、今でこそ映像技術や映像美、音楽などが重視されるが、映画の基本はやはりストーリーと俳優の演技力だと思う。この作品は、魅せられるような映像や音楽はなかったが、映画の基本という点で完成度の高い作品だと思う。秀作だといえるだろう^^。エンドロールで、ゴヤの作品を見ることができたのは、サービスとして◎。

『人生は、奇跡の詩』(DVD)

2008-10-14 02:19:01 | さ行
監督 ロベルト・ベニーニ
脚本 ロベルト・ベニーニ
    ヴィンセンツォ・セラミ
出演者 ロベルト・ベニーニ
    ニコレッタ・ブラスキ
    ジャン・レノ

 自宅DVDにて鑑賞(2008年10月5日)

 『ライフ・イズ・ビューティフル』(以下、「前作」)のロベルト・ベニーニが監督、脚本、主演を手がける作品。また彼の妻ニコレッタ・ブラスキは、「前作」同様、この作品でもヒロインを務めている。

 物語の舞台は、2003年のローマ。主人公は大学教授で詩人のアッティリオ(ロベルト・ベニーニ)。彼はある女性に心を奪われている。女性の名前はヴィットリア(ニコレッタ・ブラスキ)。二人の間には二人の娘がいるが、アッティリオの浮気が原因で別居中。
 それでも、彼は、彼女との結婚式の夢を毎晩のように見てしまうほど、彼女にぞっこん(死語?)である。だが、ヴィットリアはそっけない。「ローマに雪が降って、その中で虎を見たら、一生あなたと暮らすわ」などとはぐらかされてしまう。
 ある日、そんな彼女が、遠い異国の地バグダッドで負傷し意識不明の重体であるとの連絡が入る。取材でバグダッドを訪れている間にイラク戦争が始まり、その犠牲となったのだ。愛する彼女を救うための、赤十字の医師団に紛れ込み、何とかイラクへ入国バグダッド入りしたアッティリオ。薬も設備もない病院で待っていたのは、余命数時間という危篤状態のヴィットリアだった。

【ネタばれ注意!!】
 本作を語る上では、どうしても「前作」に触れずにいられない。「前作」は、主人公グイド(ロベルト・ベニーニ)の命を懸けた「嘘」が息子の命を救うという物語。物語の最後に起こる「嘘から出た実」に、心底感動させられてしまう作品である。
 アッティリオのハイテンションな喋りと、ハチャメチャぶりはグイドそのものだし、ヴィットリアに対する彼の一途な愛は、ドーラに対するグイドの愛に似ている。主人公の愛が嘘を現実にするというストーリー展開も、「前作」と同じ。そういう意味で、「前作」を見ている人は、新鮮さの欠けた作品と感じるかもしれない。

 にもかかわらず、少なくとも私自身は、本作に引き込まれずにはいられなかった。
 まず、上手いなーと思ったのが導入場面。幻想的な古代遺跡を模した庭園での結婚式の場面である。下着姿のアッティリオが現れ「な、何だ?」と驚き、初っ端から物語へと引き込まれていく。

 また、サーカスでラクダに乗ったことがバグダッドで役立ったり、検問でのアメリカ兵とのやりとりがあったおかげでイタリアに帰国できたりと、物語の中の何気ないセリフや場面が、後の場面の重要な伏線になっているというのが、この作品の面白いところの一つとなっている。
 特に、それまで張り巡らされたいくつもの伏線が、まとめて結び付いていくラストは見事という他ない。娘の憎らしいボーイフレンドの話、アッティリオの小鳥の話、ヴィットリアが出した条件、強盗から取り返したネックレスは、全てこの場面のためにあったのかと、思わず膝を打ちたくなった。

 こうした物語の構成上の上手さもさることながら、愛する人への命懸けの献身という「前作」同様のテーマは、切なくやはり魅力的である。アッティリオはハイテンションな喋りで、ヴィットリアに一方的に愛を説き、彼女のそっけない態度にもめげず、彼女の行く所をついてまわるという、若干ストーカー気味の人物。だが、彼女を救うための、アッティリオの奔走は文字通り命懸けである。イラク戦争中のバグダッドは、強盗や爆撃、検問、地雷など至る所で危険が待ち構えている。「前作」がハッピーエンドとは言えない終わり方だっただけに、奔走する彼の様子は、まさに命懸けの綱渡りを見ているようで、必要以上に冷や冷やさせられた^^。

 何より、「前作」を見た私としては、どのような嘘からどのような実が飛び出すのか、期待せずにいられないかった。この作品は、そうした期待へもちゃんと答えてくれている。物語の最後にサーカスの火事が偶然生み出した嘘は、幻想的かつロマンチックで、思わず目頭が熱くなる場面でもある。

 逆に、難点を挙げると、いくつか分かりにくい点があったことである。まず、アッティリオとヴィットリアが夫婦関係にあるのか、それより緩やかなパートナー関係にあるのかが分からなかった。それに、フアド(ジャン・レノ)が自殺した理由も、結局のところ何だったのかが最後まで明らかにされていない。
 また、個人的な好みでいうと、タイトルは、邦題の『人生は、奇跡の詩』よりは、原題の「虎と雪」(La Tigre E La Neve/ The Tiger and The Snow)のままの方が良かったのではないだろうか。

 というように、悪い点も挙げることはできるが、総じていうなら素晴らしい映画であるといえるだろう。見た後の余韻がとても心地良かった。自信を持ってお薦めできる作品である。

『ウォンテッド』(Theater)

2008-10-11 13:44:24 | あ行
監督 ティムール・ベクマンベトフ
出演者 ジェームズ・マカヴォイ
    アンジェリーナ・ジョリー 
    モーガン・フリーマン 

海浜幕張シネプレックスにて鑑賞(10月3日)。

 物語の舞台はシカゴ。主人公ウェスリー(ジェイムズ・マカヴォイ)は、この町の経理事務所で働く職員。冒頭で自ら語っているように、仕事、恋愛、友人関係の何もかもにウンザリしているという青年である。ある時、たまたま立ち寄ったコンビニのレジに並んでいると、すぐ横でセクシーな美女が彼をじっと見つめている。彼女の名はフォックス(アンジェリーナ・ジョリー)。彼女は、ウェスリーに一流の暗殺者だった彼の父親が殺されたことを告げるのだった。平凡な人生を歩んできたウェスリーは、フォックスによって古代から続く暗殺組織フラタニティへと誘われる。

 父を殺した組織の裏切り者を倒すという復讐劇として物語は展開していくが、終盤でどんでん返しが起こる。が、ウェスリーの暗殺指令が出た当たりで、何となく先が読めてしまっているので、どんでん返しがどんでん返しとなっていなかったように思われる。この点が少し残念。

 だが、アクション映画としては十分に見ごたえのある作品である。日記にも書いたが、何より存在感を発揮しているのは、やはりアンジェリーナ・ジョリーである。彼女の演技は、華麗かつダイナミックである。映画を見ながらつられて体が動いてしまった^^。頼りない弟の面倒をよく見るが、厳しくたくましい姉といった感じのフォックス役が、とてもはまっており好感。この役は、彼女以外には演じられないのではないだろうか。悲しい最後の場面で、RollingStonesの「Angie」を流してほしいと思ったのは、私のわがまま^^?。

 『マトリックス』を超えるという映像技術は評判通りである。ガラスを体当たりで粉々に砕き、そのまま隣のビルに飛び移る冒頭のシーン、フォックスと暗殺者とのカーチェイス、ウェスリーと暗殺者との追走シーン、ウェスリーの復讐と、CG映像の美しさは徹底しており、最後まで飽きさせることがなかった。

 ところで、この物語に登場する「フラタニティ」は、古代ギリシャの時代から、神の意思として暗殺を行ってきたという暗殺組織である。物語中、フォックス(違ったかな?)が1人を殺して1000人を救うと組織を正当化している。この点は、未来の犯罪者を現時点で逮捕し、将来の犯罪を防ぐという『マイノリティ・レポート』にも似ている。1人が死ぬことで他の人たちがハッピーになるというのは、確かに合理的かもしれないが、理解はできても納得できない部分である。相手の尊厳はどうなるのか。

 言葉巧みには反論できそうにないが、少なくとも自分が殺される当人だったり、それが愛する家族だったりしたら、とても納得できそうにないし選ばれたことを不幸に思うだろう。1人を殺して1000人を救うといっているが、これは、一方で新たな不幸を作り出すという矛盾をはらんだ方法でもあるのではないだろうか。

 とはいえ、歴史ミステリー好きの私としては、こういう秘密結社めいた組織には、思わず興味をそそられてしまう。歴史ミステリーに登場する秘密結社というと、最近は『ダ・ヴィンチ・コード』の影響で、シオン修道会や、テンプル騎士団などキリスト教関連の組織が花盛りだが、古代ギリシャから続くという点で、フラタニティはそれらとは異なる系統といえるだろう。マンガ『イリヤッド』にも、「山の老人」という古代ギリシャ以前から続くという暗殺組織が登場する。年代的には、「山の老人」と同じ系統といえようか。まあ、こちらは人類の歴史の真実を守るために作られたという組織なので、「フラタニティ」とは組織としての目的が違っているのだが。
 
 ちなみに、「フラタニティ」という言葉を調べてみると、実存した組織であるということがわかった。ただ、全く暗殺組織などではなく、14世紀から16世紀にかけてのイギリスで見られた、民衆の信仰団体であるそうだ。なるほど^^。

『スパイダーマン』(TV)

2008-10-10 22:52:03 | さ行
 9月26日に放送された「金曜ロードショー」にて鑑賞した。

 物語の舞台は、ニューヨーク。主人公はピーター・パーカー(トビー・マグワイア)。伯父夫妻に育てられたピーターは高校生である。幼なじみの同級生メリー・ジェーン(キルスティン・ダンスト)に密かに思いを寄せているが、人一倍奥手の彼は、彼女に思いを告げることができない。そんなある日、見学に来ていたコロンビア大学の研究施設で、彼は遺伝子を操作されたクモに噛み付かれ、超人的な身体能力とクモのような特殊能力を身につける。

 日記にも書いたように、この作品を見るのは今回が初めてである。『スパイダーマン2』と『スパイダーマン3』は見ているのに。2を見た時、ピーターとMJとの微妙な関係や、伯父さんに対するピーターの想いが謎の部分だったのだが、ようやくその謎が解け、とてもすっきりした気分である。

 ところで、ハリウッドでは浮名を流すキルスティン・ダンストだが、笑顔が素敵なので、好きな女優さんの一人である^^。作品のことやキャストを調べているうちに、彼女が『インタビュー・ウィズ・バンパイア』にクローディア役で、『若草物語』にはエイミー役で出演していたことを知った。どちらも、10年以上前に見た作品だが、妙に存在感のある子役だったので記憶に残っていた。ちょっとした驚きである。まさか、こんなに笑顔が素敵な女優さんになっていたとは・・・。ハリウッドの子役は大成しないというのが私の認識だったが、よく考えると、ドリュー・バリモアやナタリー・ポートマンなど、女の子の場合は別のようだ。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(CATV)

2008-10-04 16:14:21 | わ行
 CATV「ムービープラス」にて鑑賞。

 有名な作品なので、「ムービープラス」の月間タイムテーブルでこの映画のタイトルを見つけて以来、絶対に見逃すまい楽しみにしていた。実際見てみると、評判に違わぬ素晴らしい作品。結局、9月中に何度か上映されていたので、約4時間という長編だったが、繰り返し2度も見てしまった^^。

 監督は『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』で有名なセルジオ・レオーネ。主演は、ロバート・デ・ニーロである。公開されたのが1984年。ロバート・デ・ニーロは1943年生まれということなので、彼が40代に入った頃の作品だ。

 物語の主な舞台は1920年代から30年代のニューヨーク。主人公は、そこで育った一人のギャング、ヌードルス(ロバート・デ・ニーロ)である。物語は、基本的に彼の追憶を辿っていく形で展開していく。物語冒頭でヌードルスは、3人の仲間を警察に売ったという濡れ衣を着せられ、組織の裏切り者として追われる。

 間一髪の所でニューヨークから逃げ落ちたヌードルス。彼が再びニューヨークへ戻ったのは、それから30年後のことだった。30年間隠れて暮らしてきた彼に、殺された3人の仲間の墓を移転したという、送り主の名前のない手紙が届いたからである。

 かつてのアジトであるモーの店に立ち寄った彼は、手紙の送り主が誰なのか、また本当の裏切り者が誰だったのかを考えながら、この町で過ごした頃の思い出を振り返る。それは、少年時代から青年時代にかけての、親友マックス(ジェームズ・ウッズ)との出会い、友情、葛藤、挫折の思い出だった。

 うまく表現できるかどうか自信がないが、人間生きていれば、思わず絶望してしまうような過ちや後悔、苦悩が誰にでもあるものだ(私などその繰り返しである^^)。何だか達観しているようで恐縮だが、この映画の凄いところは、そうした側面を見事に描き出しているところだと思う。特に、愛するエボラ(エリザベス・マクガヴァン)を欲望のままに汚してしまい、さらに3人の親友を見殺しにしてしまったヌードルスの後悔と絶望は、自業自得とはいえ見ていられないほどである。「あーーーーー、あの時なぜ俺はあんなことをしてしまったのだ。もーーーーっ」などというセリフはないが(笑)、ロバート・デ・ニーロの表情や態度からは、そんな絶叫や苦悩が読み取れる。この作品は、そういう、取り返しのつかない過ちを背負う一人の男の物語である。

 また、物語の雰囲気に絶妙にマッチしている音楽もとても良かった。妙に哀愁とノスタルジーを感じる音楽を聴きながら、どこかで聴いたことがある曲風だな~と思っていた。後で調べてみたら、何てことはない。ジュゼッペ・トルナトーレ作品(『ニュー・シネマ・パラダイス』など)でお馴染みのエンニオ・モリコーネの曲だった。気に入ったので、早速ituneで購入。

 上にも書いたように、この作品は、取り返しのつかない過ちを背負って生きてきた男が、古き良き日を振り返るという、ノスタルジックだが、どことなく苦味のある物語である。そんな大人な雰囲気の映画だったが、今年見た「ムービープラス」の中では、今のところ最も素晴らしいと思える作品である。

【以下、雑考】
 話は変わるが、自分は、基本的にギャング映画が余り好きではない。人の尊厳を無視して殺し合うことに共感できないからだ。だから、やくざ映画も余り見ない。例外を一つだけ挙げるとすれば、『ゴッド・ファーザー』である。この映画は、家族や仲間たちがアメリカ社会の中で生き残り、かつ自分たちの尊厳を守ろうと奮闘し苦悩する、シチリア系移民たちの物語でもあるからだ。いわば歴史映画の感覚で見ることができるのだ。

 そういう意味でこの映画も、「Once apon a time」(むかしむかし)というタイトルの示す通り、まさに古き良き時代のアメリカの断面を描いた歴史映画として楽しむことができた。

 1920年代から30年代というと、悪法の代名詞ともなっている「禁酒法」時代(1920年から33年)でもある。「禁酒法」にギャングとくれば、『ゴッドファーザー』のようなマフィアを思い浮かべるが、この作品に登場する人物達は、主人公ヌードルスを始めとしてほとんどがユダヤ人である。

 学部時代に履修していた歴史学ゼミの先生が、ファシズム研究の権威だった繋がりで、ユダヤ人関係の本は色々読んだつもりだったが、この映画を見て、自分がアメリカのユダヤ人についてほとんど知らないことに気づかされた。

 まず、彼らは、ニューヨークのユダヤ人ゲットーで暮らしているが、ゲットーというと、スペインやドイツにあったようなユダヤ人の強制居住地が思い浮かぶ。アメリカユダヤ人は、各自が自由に別々の場所で暮らしているというのが、私の認識だった。だが、調べた所、アメリカにはニューヨークやサンフランシスコなどに、今でもゲットーが存在するそうだ(『ウィキペディア』)。ただし、アメリカのゲットーは、ヨーロッパのような強制居住地というものではなく、単なるユダヤ人街、あるいは共同体程度のもののようである。

 また、アメリカのユダヤ人というと、ロスチャイルドやアインシュタイン、はたまたスピルバーグといった、経済界や学会、ハリウッドの成功者達が取りざたされるが、庶民がどういう暮らしをしているのかは知らなかった。少年時代のヌードルスが暮らしているゲットーは、お世辞にも豊かな人々が暮らす町には見えない。現代のスラムを想像させるような町である。

 それに、ギャングというと、上にも書いているように、イタリア系移民を連想するが、ユダヤ系移民とはどうにも結びつかなかった。だが、考えてみると、1920年代から30年代というと、大陸ヨーロッパでユダヤ人に対するホロコーストが始まる前後の時期である。今でこそ信じられないようなユダヤ人差別が、どの国でもまだ罷り通っていた最後の時期といえる(ユダヤ人に対する差別というと、われわれはドイツをイメージしてしまうが、この頃はどの国でも行われていたのだ)。

 また、第一次世界大戦や世界恐慌など、この頃のヨーロッパは経済的に疲弊し尽くしている。そのため、この当時アメリカでは、やはり悪法として名高い「移民法」を制定せざるを得ないほど、ヨーロッパ移民が増えた時期でもある。

 ユダヤ人への差別が残り、移民に対するか風当たりの強まる1920年代から30年代のアメリカにおいて、自分達の生活や家族、仲間を守るために犯罪に手を染めていったとしても、おかしいことではない。マフィアの発生と同じ構図だからだ。

 このように、映画を見ていると、アメリカにおけるユダヤ人の歴史を垣間見させてくれる。大学学部時代に私が学んだ歴史学の先生は、2年前に亡くなったが、映画を見ていて、歴史に対する昔の興味関心が戻ってきたようである。マフィアにしても、ユダヤ人にしても、この頃のアメリカの移民社会の歴史というのは、実に興味深い。戦前のアメリカで、彼らは社会の鬼っ子として扱われながら、なぜか、戦後はアメリカ経済の担い手となっていく。この辺は面白そうなので、ちょっとずつ調べてみようと思う。

『ハンコック』(Theater)

2008-10-03 00:26:01 | は行
 海浜幕張シネプレックスにて鑑賞。

 物語の舞台は、アメリカロサンゼルス。主人公のハンコック(ウィル・スミス)は、銃で撃たれても弾丸を全てはじき返し、走ってきた鉄道を片手で止め、高速で空を飛ぶことができる。しかも歳をとらない。そして、その超人的な力を使って、ロスの町で起こる事件や事故を解決してくれるヒーローである。が、性格が粗暴なため、却って人々に迷惑をかけたり、被害を大きくしてしまう厄介者であり、嫌われ者もである。

 ある時、彼は、踏み切りで身動きが取れず列車に衝突されかけていたレイ(ジェイソン・ベイツマン)を救出する。PR会社で働くレイは、救ってもらった恩返しにと、ハンコックのイメージアップ作戦に乗り出す。

【ネタばれ注意!!】
 という物語の前半部分で、一人だけ物語での位置づけが不明なのが、レイの妻メアリー(シャーリーズ・セロン)である。ハンコックに対し冷ややかな態度を取る割に、いかにも意味ありげに彼を見つめるメアリー。でも、イメージアップ作戦に積極的に絡んでくるわけでもない。謎の女である。

 だが、イメージアップ作戦が成功した後の物語後半では、物語の最前面に出てくるメアリー。彼のルーツの鍵を握る人物であることが判明するのだ。ここからは、ハンコックとメアリーとの絡みを軸に場面展開していく。

 物語そのものは単純でテンポも良く、ハンコック(とメアリー)の圧倒的なパワーも、見ていて爽快であった。気晴らしとして楽しむには良い映画であると思う。

 が、一つだけ最後まで疑問のままだったのが、ハンコックの超人的な力の由来である。この点について、物語では、創生の時、神が「保険」としてハンコックを作ったと説明されている。突然出てきた旧約聖書の話に、物語の重厚さを感じるが、これ以上の説明がない。

 ある会話の中にも、歴史的なターニングポイントで、彼らが重要な役割を果たしてきたことを感じさせる部分があったが、肝心の役割については説明がない。結局のところ、「保険」と説明されただけでは、抽象的過ぎて何を意味しているのかがわかないのだ。ハンコックはアダムってこと?じゃーイブは・・・? 解答は得られないままである。こうなったら続編を作って、その中でぜひ謎解きをしてほしい。