私の研究日記(映画編)

ここは『智に働けば角が立つ』の姉妹ブログ。映画の感想や、その映画を通してあれこれ考えたことを紹介しております。

『トランスポーター2』(TV)

2009-09-29 09:39:25 | た行
 自宅にて鑑賞(2009年8月16日)

 あらすじ「契約厳守。名前は聞かない。依頼品は開けない――運び屋フランク・マーティン(ジェイソン・ステイサム)はこの3つのルールの下、高額な報酬と引き換えにワケありの依頼品であろうが正確に目的地まで運ぶプロ中のプロ。引退を決意した彼は例外的な依頼を引き受けた。それは金持ち一家の7歳になる息子・ジャックの送迎だ。いつも寡黙なフランクだったが、次第にふたりの間に愛情が生まれる。しかし、予想外の罠が仕掛けられていた…」(『映画生活』からの引用)。

 ただ純粋に楽しむことができる作品である、という点では前作と同様。華麗な運転さばきの見せ場が、前作より少なかった気がするが、アクションは相変わらず爽快である。タルコーニ警部役のフランソワ・ベルレアンが良い味出していた。個人的には、前作より本作の方が好き。

『トランスポーター』(TV)

2009-09-29 09:25:43 | た行
 自宅TVにて鑑賞(8月9日)。

 あらすじ。「退役軍人のフランク(ジェイスン・ステイサム)は、南フランスの美しい海辺の町に暮らす年金生活者。しかし、彼にはもうひとつの顔があった。それが、高額の報酬で何でも運ぶ、トランスポーター。契約厳守、名前は聞かない、依頼品を開けない。この3つのルールを完璧に守るプロの運び屋だ。ある日、預かった荷物がゴソゴソと動くのに気づいたフランクは、ルールに背いて依頼品を開けてしまう。そこには美しい女が! ルール違反をとがめるように、とんでもない危機がフランクを襲う!」(『映画生活』からの引用)。

 爽快アクションはもちろんだが、車の華麗な運転さばきが見もの。何も考えずにただ純粋に楽しむことができる作品だ。面白かった。

『DOA デッド・オア・アライブ』(CATV)

2009-09-04 23:22:48 | た行
 自宅CATVにて鑑賞(7月後半)。

 あらすじ。「人里離れた北海道の忍者村を去り、抜け忍として兄の行方を捜すかすみ。南シナ海でクルージングを楽しむ女子プロレス王者・ティナ。香港のホテルで警察に捕まりそうになるものの、警官隊を蹴散らして逃亡する強盗のクリスティー。そんな彼女たちに世界最強ファイターを決するトーナメント“デッド・オア・アライブ”への招待状が届く。3人を含めたファイターたちは飛行機で会場となる島ドアテク・アイランドへと向かうが…」(『映画生活』からの引用)。

 たまたまテレビを付けたら放映されていたので観賞。

 忍の里のお姫様って・・・。海辺にあんな巨大な大仏がそびえる島に、秘密の研究所なんて作るはずがないだろ! などと突っ込みどころ満載な作品だった。ここまで突っ込みどころが多いと、かえって潔くすがすがしいけど(笑)。

『トランスフォーマー』(TV)

2009-08-11 22:43:28 | た行
監督:マイケル・ベイ
製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ、マイケル・ベイ、ブライアン・ゴールドナー、マーク・バーラディアン
脚本:ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマン
撮影:ミッチェル・アムンドセン
美術:ジェフ・マン
編集:ポール・ルベル、グレン・スキャントルベリー、トーマス・A・マルドゥーン
音楽:スティーブ・ジャブロンスキー
製作:2007年(アメリカ)
時間:2時間24分

 自宅テレビにて鑑賞(2009年6月20日)。

 あらすじ。「探検家を祖先に持つサムは冴えない高校生。やっとのことでオンボロのスポーツカーを手に入れたものの、同じ高校のミカエラを家に送る途中に車はエンスト。 せっかくの関係を深めるチャンスもどこかしまらない。その日の夜、彼のスポーツカーが突然家から走り去った。自動車泥棒だと思い必死で追いかけるサム。その先で彼は常識を疑うような光景を目にする。それは、巨大なロボットが歩き回る姿だった…」。

 何を隠そう私も子供の頃、玩具のトランスフォーマーで遊んだ世代。滑らかな変身や戦闘シーンを見ては、子供の頃のような興奮を覚えた。

 物語の絶妙な構成や人間関係の妙味で観衆を魅了するというより、緻密な映像技術や滑らかさ、あるいはダイナミックさだけをひた押ししたような作品。ある意味こういう作品も名作と呼べるのかもしれない。でも140分は長かった・・・。


『ターミネーター4』(Theater)

2009-07-20 00:41:52 | た行
監督:マックG
脚本:ジョン・ブランカート、マイケル・フェリス
撮影:シェーン・ハールバット
美術:マーティン・レイング
編集:コンラッド・バフ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:クリスチャン・ベール、サム・ワーシントン、アントン・イェルチン、ムーン・ブラッドグッド他
製作:2009年(アメリカ)
時間:1時間54分

 シネプレックス幕張にて鑑賞(2009年6月6日)

 あらすじ。「時は2018年。核戦争で荒廃した世界は、人工知能搭載のスーパーコンピューター“スカイネット”に支配されていた。生き残った人々は抵抗軍を組織し、機械との最後の戦いに備えていた。部隊のリーダーであるジョン・コナーは、“スカイネット”がやがて自分の父親となるカイル・リースの命を狙っていると知り、彼を探し始める。一方、ターミネーターがさまよう荒野をたくましく生き抜く少年カイルは、核戦争のことも、今が何年かさえもわからない屈強な男・マーカスと出会う」(『映画生活』からの引用)。

 個人的には『T3』がいまいちだったので、余り期待せずに鑑賞したのだが、なかなかどうして。前作までと異なる新しい物語は、十分楽しむことができた。この先どうなっていくのか?期待大である。

『天使と悪魔』(Theater)

2009-07-19 23:47:51 | た行
監督:ロン・ハワード
原作:ダン・ブラウン
出演:トム・ハンクス、ユアン・マクレガー、アイェレット・ゾラー、ステラン・スカルスガルド他
撮影:サルバトーレ・トチノ
美術:アラン・キャメロン
音楽:ハンス・ジマー
製作:2009年(アメリカ)
時間:2時間18分

 シネプレックス幕張にて鑑賞(多分5月終わり頃)。

 あらすじ。「教皇が病死し、次の教皇を選出するコンクラーベが行われようとしているヴァチカンに、400年前に弾圧された秘密結社「イルミナティ」が復讐を開始する。彼らは4人の教皇候補を誘拐。科学の四大元素“土”“空気”“火”“水”を表わす焼き印を胸に押しつけ、一時間ごとに惨殺すると予告する。さらに街を吹き飛ばすほどの破壊力を持つ反物質を、ローマのどこかに隠したのだった…。この恐ろしい計画を阻止するため、ヴァチカンは宗教象徴学者のラングドン教授に助けを求める」(『映画生活』からの引用)。



 一度原作を読んだ身からすると(⇒日記ブログ「立春×『天使と悪魔』×そしてローマへ!」)、宗教と科学の関係に関する説明の薄さに、もったいなさを感じる。そこが原作の面白いところだったのに・・・。素直にアクション映画として楽しむことはできたが、原作のように、触れられない歴史の闇に触れるドキドキ感やワクワク感は感じなかった。
 ただ、個人的には、ヴィットリア役のアイェレット・ゾラーとカメルレンゴ役のユアン・マクレガーの存在感に注目。アイェレット・ゾラーは、思わずうっとりしてしまうくらいきれいな女優さん(単に自分の好みだったというだけかもしれないが・・・(笑))。それもそのはず、イスラエルを代表する女優さんなのだそうだ。ユアン・マクレガーは好青年の印象が強かったが、なかなかどうして。悪役もちゃんとこなせるじゃないですか(って、ここは余り言わない方が良いところか・・・)。どちらもトム・ハンクスの存在感に負けていない。二人の今後の活躍を期待させるような作品だった。


『ドーン・オブ・ザ・デッド』(TV)

2009-06-06 23:29:29 | た行
監督 ザック・スナイダー
撮影 マシュー・F・レオネッティ
製作 アメリカ(2004年)
時間 100分
出演 サラ・ポーリー

自宅CATVにて鑑賞(2009年3月末頃)。

 あらすじ。「看護婦のアナは一日の仕事を終え、夫のルイスが待つ自宅へと帰る。いつものように愛を確かめ合い、幸せな翌朝を迎えたそのとき、寝室のドアが静かに開く。それが始まりだった。ドアの向こうに立っていたのは、死人のような顔をした隣家の娘。彼女はルイスの喉を食いちぎり、その血肉を貪り食った。驚愕の事態に呆然とするアナ。次の瞬間、死んだはずのルイスが起き上がり、アナに襲い掛かる。間一髪で屋外へ逃げ延びるアナだったが、そこに広がっていたのは、隣人が銃を向け合い、方々に火の手が上がる、信じ難い光景だった!」(『映画生活』からの引用)

 映画館で1度見ているので、今回は2度目の鑑賞。

 いわずと知れた名作『ゾンビ』のリメイクだが、リメイク前の『ゾンビ』(1978年公開)とくらべて、ゾンビたちが飛んだり跳ねたり走ったりと、やたらと活発。
 まー、ホラー映画もだいぶ洗練されているので、この作品がそれほど怖い映画だとは思わないが、女の子のゾンビが襲ってくる冒頭の場面は恐かったな~。ホラー映画というより、脱出劇として楽しめる作品である。

『ダイアナの選択』(Theater)

2009-04-14 23:05:44 | た行
監督 バディム・パールマン
原作 ローラ・カジシュキー
脚本 エミール・スターン
撮影 パベル・エデルマン
美術 マイア・ジェイバン
音楽 ジェームズ・ホーナー
出演 ユマ・サーマン、エヴァン・レイチェル・ウッド、エヴァ・アムリ
製作 2007年(アメリカ映画)
時間 90分

 シネスイッチ銀座にて鑑賞(2009年3月15日)。

 あらすじ。「コネチカット州郊外の小さな町の高校で銃乱射事件が起きたとき、17歳のダイアナ(エヴァン・レイチェル・ウッド)は親友のモーリーン(エヴァ・アムリ)と女子トイレでたわいないお喋りに興じていた。そこへ銃を持ったクラスメイトのマイケルが現れ、『どちらかひとりを殺す。どっちにする?』と非情な選択を迫り、ダイアナは『殺さないで』とつぶやくのだった…。15年後、教師をしながら夫と娘と閑静な住宅街に暮らすダイアナ(ユマ・サーマン)は事件の悪夢にいつも苦しんでいた」(『映画生活』からの引用)。



 ネタばれになるので、ストーリーを説明することはできないが、ラストでは、「えっ! そういうことだったの!?」と素直に驚いた。余りにも切なく悲しい。胸の痛む場面だった。ある意味、ものすごく優れたファンタジー映画だといえるのではないだろうか。こういうラストは、評価が賛否両論に分かれそうだが、私個人としてはありだと思う。これまでユマ・サーマンというと、私のイメージは『キル・ビル』から抜け出ていなかったが、この映画を見てようやくイメージが変わりそうだ。映像の美しさも申し分なし。良い映画だった。


『トゥームストーン』(CATV)

2009-03-17 01:01:38 | た行
監督 ジョージ・P・コスマトス
出演 カート・ラッセル,ヴァル・キルマー,サム・エリオット,ビル・パクストン
製作年 1993年
製作国 アメリカ

 自宅CATVにて鑑賞(2009年3月6日)

 あらすじ。「アリゾナ・トゥームストーンの町は無法者たちに支配されていた。その地へやってきた元保安官のワイアット・アープは、結核に冒されていた旧友ドク・ホリディと再会。ふたりはワイアットの兄バージル、そして弟モーガンとともにOK牧場で悪党たちと対決し、勝利を収める。しかしその後、兄弟が報復の凶弾に倒れてしまう。ワイアットとドクは復讐を果たそうとするが……」(『映画のことならeiga.com』からの引用。

 アメリカで西部劇といえば、ハリウッドの一大ジャンル。でも、私はほとんどといって良いほど、西部劇を見たことがない。この映画も、もともと見るつもりはなく、チャンネルを回したらたまたま上映されていたという作品。興味が湧かなければ、すぐチャンネルを替えるつもりだったが、カート・ラッセルとヴァル・キルマーの格好良さや、派手な銃撃アクションの痛快さについつい引き込まれてしまった。若干ストーリーが雑に感じたものの、なかなか楽しめる作品であった。

『チェンジリング』(Theater)

2009-03-16 20:58:31 | た行
監督 クリント・イーストウッド
製作総指揮 ティム・ムーア,ジム・ウィテカー
製作 クリント・イーストウッド,ブライアン・グレイザー,ロン・ハワード,ロバート・ロレンツ
脚本 J・マイケル・ストラジンスキー
出演者 アンジェリーナ・ジョリー,ジョン・マルコヴィッチ
音楽 クリント・イーストウッド
公開 フランス(2008年5月),アメリカ(2008年10月),日本(2009年2月)
映時間 142分

 シネプレックス幕張にて鑑賞(2009年2月28日)。

 あらすじ。「1928年。ロサンゼルスの郊外で息子・ウォルターと幸せな毎日を送る、シングル・マザーのクリスティン。だがある日突然、家で留守番をしていたウォルターが失踪。誘拐か家出か分からないまま、行方不明の状態が続き、クリスティンは眠れない夜を過ごす。そして5ヶ月後、息子が発見されたとの報せを聞き、クリスティンは念願の再会を果たす。だが、彼女の前に現れたのは、最愛のウォルターではなく、彼によく似た見知らぬ少年だった」(『映画生活』からの引用)。



 実話をもとにした物語。消えた息子との再会を願うクリスティンの悲劇が縦糸だとすれば、ロス市警の腐敗は横糸。物語は2つの糸によって紡がれていく。

 良い作品だが、悪くいうと、どっちつかずだったようにも思う。消えた息子が帰ってきたと思ったら別人だった、という悲劇はストーリーとしてインパクトがある。だが、この事件を利用して自らに対する社会的な批判をかわそうとし、都合が悪くなると蓋をしてしまおうとするロス市警の腐敗のインパクトも、同じくらいに強烈。上に書いたように、作品のテーマが母の愛だっとしても、そう言い切れるほど物語がそこにコミットしていなかったように思う。一方で、ロス市警の腐敗が目だって、問題意識をどちらに向ければ良いのか戸惑った。言い換えると、映画ジャンルとしてヒューマンドラマに入れるべきか、社会派ドラマに入れるべきか迷う作品である。

 もう一つどっちつかずの原因となっていたように思われるのが、クリスティンの人物像が不鮮明で、感情移入しずらかったということ。消えた息子を諦めずに探し求めたという母親としての芯の強さは分かるが、それ意外のクリスティンの人物像が欠けていたのでは・・・。せめて、どういう経緯でシングルマザーとなったのか、職場での地位や人間関係がどういうものだったのかといった点にもう少し触れてもらえれば、人物像がより明確になり感情移入しやすくなったのではないだろうか。いまさらながらにクリスティンはどんな人だったの?と思ってしまう。難点を挙げるならば、そんなところだろう。



 とまぁ、読み返すと厳しいことを書いてしまっているが、あえて申し上げておくと、個人的な批判の対象はあくまでストーリーであって、しかもテーマに限られている。全体としてみれば、良い映画だな~思ったことは間違いない。

 どっちつかずとはいえ、ストーリーを構成する2つのテーマは、人間の真理や歴史的な教訓を含んでいる。事件の展開は驚きの連続だったし、特にロス市警には腐敗した権力の恐ろしさを感じた。自分のように細かいことを気にしなければ(笑)、十分に楽しめる物語といえよう(それだけに、消えた息子との再会を願うクリスティンの悲劇が、もう少し強調されても良かったのではないだろうか、などと思ってしまう)。

 もう一つ良かったのは、クリスティン演じるアンジー。アンジェリーナ・ジョリーといえば『Mr.& Mrs.スミス』や『ウォンテッド』などのように、どちらかというと動的な女優という印象があるが、作品のクリスティンは静的な人物。見る前は、動的な印象から抜け出せるんだろうか?などと考えていたが、なかなかどうして。静かに、でも諦めずに熱心に息子を探し続ける芯の強い母親という役どころを見事に演じていた。アンジーの新境地とよべる作品になるのではなかろうか。少年時代、久し振りに会った近所の不良のお姉さんが、きれいなお姉さんになっていてドキドキしてしまったという経験があるが、アンジーを見てそんな甘い少年の日の思い出が甦った(なんのこっちゃ?ですね)。

 ちなみに、アメリカは先進国の中でも政府に対する国民の信頼感が薄い国などとされている。この映画を見て、それが何となく分かるような気がした。ロス市警の腐敗のような経験があったら、私だって政府や自治体に税を納めることに戸惑いを覚えると思う。政府に対する国民の不信感の背景には、こうした歴史的経験の蓄積があるのだろう。



『大統領の理髪師』(TV)

2009-02-24 13:57:58 | た行
監督 イム・チャンサン
脚本 イム・チャンサン
出演者 ソン・ガンホ、ムン・ソリ、イ・ジェウン
公開 2004年5月(韓国)、2005年2月(日本)
時間 116分
製作国 韓国


 自宅NHKBS2にて観賞(2009年1月29日)。

 あらすじ。「1960年代の韓国。軍事クーデターを経て、新しい政権が誕生する。大統領官邸のお膝元の町で理髪店を営むソン・ハンモ(ソン・ガンホ)は、ある日、大統領の理髪師という大役を仰せつかる。緊張を強いられながらも誠実に務めを果たし、やがて、町でも一目置かれる存在になるが、北朝鮮武装ゲリラ侵入事件が起きて、状況は一変する。彼らが下痢をしていたため、同じ症状の国民は「マルクス病」とされ、スパイ容疑で次々と逮捕される破目に。運悪く、ハンモの長男・ナガン(イ・ジェウン)も下痢を訴えて…」(『goo映画』からの引用)。

 真面目で純朴な理髪師ソン・ハンモをソン・ガンホが好演している。特に期待して見たわけではなかったが、なかなか面白い映画だった。今まで見た韓国映画の中では一番面白かったかも。

『チアーズ』(CATV)

2009-02-06 19:37:04 | た行

監督 ベイトン・リード
脚本 ジェシカ・ベンディンジャー
出演 キルスティン・ダンスト、エリザ・ドゥシュク、ジェシー・ブラッドフォード
公開 2000年8月22日 アメリカ合衆国の旗
   2001年8月4日 日本の旗
時間 100分
製作国 アメリカ合衆国

 自宅CATVにて鑑賞(2009年1月16日)。

 「高校生のトーランス(キルスティン・ダンスト)は、チアリーディング・チームの新キャプテン。運動神経抜群のミッシー(エリーザ・ヂュシュク)をメンバーに迎え、練習に余念がない。ところが、前キャプテンが他チームの振付を盗作していたことが発覚し、全国大会間近で新しい振付の練習に取り組むことに。恋人とミッシーの兄との間で揺れる恋心を抱え、悩みの尽きないトーランスはチームを優勝に導くことができるのか?」(『映画生活』からの引用)

 ハリウッド版『ウォーターボーイズ』という感じの体育会系青春ドラマ。ストーリーは単純だしありがちともいえるが、ある意味王道でもあるので十分面白かった。チアーズのパフォーマンスもダイナミックで迫力がある。そこそこ楽しむことができる作品だ。でも映画館では見ないだろうな~。

『トゥルーマン・ショー』(DVD)

2008-11-24 00:35:59 | た行

監督 ピーター・ウィアー
製作総指揮 リン・プレシェット
脚本 アンドリュー・ニコル
出演者 ジム・キャリー
    エド・ハリス
    ローラ・リニー
公開 1998年6月5日 アメリカ
時間 103分
製作国 アメリカ

 自宅DVDにて鑑賞(11月8日)。
 中学、高校時代に見た映画の中で、印象に残った作品を片っ端から挙げていったら、恐らくピーター・ウィア監督の『いまを生きる』や『グリーンカード』は、かなり早い段階で挙がるはずである。そのピーター・ウィア作品ということで、『トゥルーマン・ショー』は公開当時に絶対見よーと思っていた作品だった。だが、そのうち見ようと何度も先延ばししつつ、ついには公開から10年も経ってしまった。月日が過ぎるのは速いものだ(笑)。念願かなっての鑑賞である。

 物語の舞台は、アメリカのとある離島シーヘブン。主人公トゥルーマン(ジム・キャリー)は、そこで保険会社のセールスマンをしながら、妻メリル(ローラ・リニー)とともに毎日を明るく平和に暮らしている。
 だが彼には、自分でも気づいていないもう一つの顔がある。世界中で放映されている人気テレビ番組「トゥルーマン・ショー」の主人公というのが、それである。生まれた時から、彼の日頃の生活は常にテレビ局のスタッフに監視され、テレビカメラを通じて世界中に放送されている。「トゥルーマン・ショー」とは彼の人生そのものなのだ。また、彼は気づいていない。彼の住むシーヘブンの町のあらゆるものが、ハリウッドに作られた巨大なセットで、そこで暮らす人々はメリルも含め全員が俳優であるということを。彼はそれらのことを何も知らず、30年を生きてきたのだった・・・。

 この世の中は、誰かが見ている夢の世界で、自分はその中の単なる登場人物に過ぎないのではないか。子供の頃、そんな他愛もない想像をして、とても怖くなったことがある。この作品を鑑賞して、そんな昔の経験を思い出した。そういう他愛もない想像の何に怖くなったのか、幼い頃の自分は考えようともしなかったが、この映画を見て何となく分かった気がする。


 鑑賞後に改めてこの映画について調べてみた。
 上に書いているように、この作品の監督はピーター・ウィア。だが、当初、脚本を書いたアンドリュー・ニコルが監督を務める予定だったそうだ。アンドリュー・ニコルは『ガタカ』の脚本を書いた人物である。『ガタカ』は、何年か前に友人のタケシに紹介され鑑賞した映画だが、遺伝子操作によって優れた知能と体力を持った適正者が、不適正者を支配する差別社会を描いた作品。遺伝子操作技術によって将来起こりうる社会問題が描かれた、いわば社会派SF作品である。

 同様に『トゥルーマン・ショー』もまた、社会に対する彼の問題意識から織り上げられたような作品といえるだろう。企業の一つであるテレビ局が、番組の面白さや視聴率を追求する余り、法や社会的規範をたびたび踏み越えてしまうことは、近年の過剰報道や番組の捏造などの問題を持ち出すまでもない。「トゥルーマン・ショー」のように、ある特定の人間の一生をリアルタイムに撮影し放送するような番組が将来作られたとしても、可能性という点で決しておかしいことではないと思う。

 そういう番組があること自体怖いことだが、もっと怖いのは、主人公が番組のために作られた仮想の社会で生きてきたということである。自分が何者なのかということに苦悩した経験は、誰でもお持ちだろう。いわゆる個人のアイデンティティの問題である。仮想社会で生きてきたということが怖いのは、そうしたアイデンティティの問題と関わりがあるからである。

 普通アイデンティティは、家族や会社、学校など社会との関わりの中で確立される。だが、それまで築いてきた社会との絆が偽りのものだったら、一体どういうことになるのだろうか。あらすじに書いたように、親子関係や恋愛、友情、仕事、近所付き合いなど、これまでトゥルーマンが築いてきた社会的なあらゆる絆は、仮想のものである。映画では、それに気づいた主人公が、現実の世界へと旅立っていくというハッピー・エンドに終わる。だが実際にこういうことがあったら、このようなハッピー・エンドには終わらないであろう。

 というのも、彼が築いてきた社会との絆が仮想のものだったら、彼のアイデンティティも仮想のものだったということなるからだ。愛する妻や両親、友人、同僚がいるからこそ、トゥルーマンはトゥルーマンでいられたのに、それらが偽りものだったならば、彼は何者でもなくなってしまう。立場を換えていうならば、自分が何者なのかを完全に見失ってしまうのである。いわば完全なる孤独の状態。果たして人はそれに耐えられるだろうか。自分ならきっと絶望するだろう。作品ではその点にほとんど触れられておらず、少し楽観的、非現実的な物語になってしまっている気がする。

 とはいえ、アイディアに溢れ、物語も全体としてみれば十分楽しめる。まとめるとお薦めできる良い作品といえるだろう。

『ドラゴン・キングダム』(Theater)

2008-08-25 21:11:02 | た行
 『ドラゴン・キングダム』を鑑賞してきた。場所は京成ローザ。

 この映画、カンフー映画ファンには生唾ゴックンものの映画である。なぜなら、カンフー映画の大御所二人、ジャッキー・チェンとジェット・リーが共演しているからである。まさに夢の共演。7月25日の上映開始前から、これはもう見に行くっきゃないと思っていたが、だらだらしていたら、いつの間にか8月終わりになってしまった。

 映画の主人公は、ボストンで暮らしているジェイソン(マイケル・アンガラーノ)。カンフーオタクの気弱な青年である。そんな彼が、ひょんなことから、チャイナタウンの雑貨屋の主人(ジャッキー・チェン)から伝説の武器「如意棒」を託され、突如、時空を飛び越え古代中国世界へとやって来てしまう。

 そこで彼を救ったのが、酔拳使いの学者ルー(ジャッキー・チェン)。ルーによれば、ジェイソンが現代へ帰るには、伝説の武器「如意棒」を孫悟空に返さなければならない。だが、孫悟空は、邪悪なジェイド将軍の城で石にされているという。ジェイソンは、ルーとともに孫悟空を解放するための旅に出る。というのが、物語のあらすじはである。

 この映画の見所、かつ、カンフーファン必見の場面といえば、ジャッキー・チェンとジェット・リーの戦う寺院の場面。時間を計っていたわけではないが、1対1の戦闘シーンとしては、かなり長い時間がかけられていたような気がする。それだけ製作陣が力を入れていたということであろうか。

 それはともかくとして、酔拳、蟷螂拳、虎拳、鶴拳と次々に技を繰り出す二人の戦いは、彼らの往年の作品を見るよう。感動ものである。スパロー(リュー・イーフェイ)と白髪魔女(リー・ビンビン)の美女同士の華麗な戦いも、別の意味で魅せられたが(笑)、ジャッキーとジェット・リーの戦いは大迫力。見ていて鳥肌が立ったほどである。まさに歴史的な場面といえるだろう。
 ちなみに、上の画像は一見『ロード・オブ・ザ・リング』のバルログを思わせるが、白髪美女のリー・ビンビン。おきれいな女優さんである。
 それにしても、ジャッキー・チェンの舞のような酔拳は、芸術作品ものである。『酔拳』、『酔拳2』よりも酔拳っぽく、美しかったのではなかろうか。

 また、カンフーアクションだけではなく、ビジュアル部分も十分目を楽しませてくれた。まず、古代中国のエキゾチックな雰囲気のある酒場の場面。美女たちが琵琶を奏でる酒場は、妖しげな美しさがあり絵画的である。実際、こんな絵画を見たことがあったような気がするので、世界史資料集を取り出して唐代、宋代の文花を調べてみたが見つからなかった。何で見たのだろう?気になる。
 その他、緑一色となる竹林、広大な砂漠、三峡下りを思わせる山河、桃園など、中国の豊かな自然の景色には、思わずうっとりとさせられた。

 まとめると、痛快さや面白さ、ビジュアルなどの点では、十分満足できる作品。ただ、それ以上のものを望むのであれば、当然、物足りなさもあるだろう。まあ、カンフー映画を見に行って、痛快さや面白さ以外のものを望むのもおかしな話であるが・・・。いずれにしても、カンフー映画が好きな人なら、死ぬまでに一度は見ておきたい作品の一つといえるだろう。

『題名のない子守唄』(DVD)

2008-06-03 12:33:20 | た行
 日本で、昨年9月に公開された『題名のない子守唄』のDVDが、ようやくリリースされたので、即購入し早速鑑賞。

 大好きなジョゼッペ・トルナトーレ監督の作品である。

 舞台は、北イタリアのトリエステ。高校世界史では、「未回収のイタリア」などと説明される都市。作品では、美しい町並みの様子を見ることができる。

 あらすじは次の通り。「北イタリアのトリエステにやって来た異国の女イレーナが、金細工の工房を営むアダケル家のメイドに雇われる。それは周到に策を講じて手に入れた念願の職場だった。完璧な仕事ぶりですぐに主人夫妻の信頼を得ると、最初こそ手を焼いていた彼らの4歳になる一人娘テアの心も確実に掴むのだった。しかし、テアを慈しむイレーナの本当の目的を知るものは誰もいない。さらに、忌まわしい過去の黒い影が忍び寄る」(⇒goo映画)。

 物語は、いかにも秘密めいた部屋で、仮面をつけた裸の女の品定めが行われるという、主人公イレーナの回想シーンから始まる。インパクトのある描写に、冒頭から度胆を抜かれる。
 しかも、これ以上にどぎつい回想シーンが、物語の随所に織り込まれており、『ニュー・シネマ・パラダイス』や『海の上のピアニスト』からは、とても想像がつかない。回想は、特に女性が観るには辛いものばかりだと思うが、イレーナの背負う過去が、いかに暗いものだったかを物語っている。

 ちなみに、こうした回想シーンは、断片的かつ時系列もばらばらに織り込まれており、その時点では何を意味しているのかとても分かりにくい。回想を一つ一つ繋ぎ合わせて行くと、物語の中盤を過ぎた辺りで、ようやくイレーナの過去の全貌が見えてくる。
 謎は他にもある。なぜイレーナがアダケル家に忍び込んだのか、なぜイレーナは無理をしてまでアダケル家の家政婦になったのか、理由はなかなか明らかにされない。
 そもそも原題の“La Sconosciuta”(見知らぬ女)からして、ミステリアスなネーミングであるが、これまでのジュゼッペ作品とは違って、ミステリー性の濃厚な作品であるといえよう。

 とはいえ、全ての謎を解くカギはすぐに見つかる。アダケル家の一人娘テアである。テアに対するイレーナの眼差し、優しさ、厳しさを見ていれば、謎は自然に解けてくる。イレーナとテアの関係には、トルナトーレ監督の作風が良く現れている。

 最後の15分間にはやはり圧倒された。全ての謎も明らかになり、ようやくイレーナにも幸せの兆しが見えてきたと思われたのが、途端に大どんでん返しが起こる。
 この15分間は、涙を止めることが出来ない。結局幸せを掴むことができなかったイレーナがテアに別れを告げるシーン、さらに成長したテアとの再会のシーンは思い出しながらも目頭が熱くなる。きつい描写が多かった分、こうした場面が非常に際立ち感動的である。
 
 2度目の鑑賞であったが、1回目と同様全く飽きなかった。とても良い作品である。