監督 クリント・イーストウッド
製作総指揮 ティム・ムーア,ジム・ウィテカー
製作 クリント・イーストウッド,ブライアン・グレイザー,ロン・ハワード,ロバート・ロレンツ
脚本 J・マイケル・ストラジンスキー
出演者 アンジェリーナ・ジョリー,ジョン・マルコヴィッチ
音楽 クリント・イーストウッド
公開 フランス(2008年5月),アメリカ(2008年10月),日本(2009年2月)
映時間 142分
シネプレックス幕張にて鑑賞(2009年2月28日)。
あらすじ。「1928年。ロサンゼルスの郊外で息子・ウォルターと幸せな毎日を送る、シングル・マザーのクリスティン。だがある日突然、家で留守番をしていたウォルターが失踪。誘拐か家出か分からないまま、行方不明の状態が続き、クリスティンは眠れない夜を過ごす。そして5ヶ月後、息子が発見されたとの報せを聞き、クリスティンは念願の再会を果たす。だが、彼女の前に現れたのは、最愛のウォルターではなく、彼によく似た見知らぬ少年だった」(『
映画生活』からの引用)。
実話をもとにした物語。消えた息子との再会を願うクリスティンの悲劇が縦糸だとすれば、ロス市警の腐敗は横糸。物語は2つの糸によって紡がれていく。
良い作品だが、悪くいうと、どっちつかずだったようにも思う。消えた息子が帰ってきたと思ったら別人だった、という悲劇はストーリーとしてインパクトがある。だが、この事件を利用して自らに対する社会的な批判をかわそうとし、都合が悪くなると蓋をしてしまおうとするロス市警の腐敗のインパクトも、同じくらいに強烈。上に書いたように、作品のテーマが母の愛だっとしても、そう言い切れるほど物語がそこにコミットしていなかったように思う。一方で、ロス市警の腐敗が目だって、問題意識をどちらに向ければ良いのか戸惑った。言い換えると、映画ジャンルとしてヒューマンドラマに入れるべきか、社会派ドラマに入れるべきか迷う作品である。
もう一つどっちつかずの原因となっていたように思われるのが、クリスティンの人物像が不鮮明で、感情移入しずらかったということ。消えた息子を諦めずに探し求めたという母親としての芯の強さは分かるが、それ意外のクリスティンの人物像が欠けていたのでは・・・。せめて、どういう経緯でシングルマザーとなったのか、職場での地位や人間関係がどういうものだったのかといった点にもう少し触れてもらえれば、人物像がより明確になり感情移入しやすくなったのではないだろうか。いまさらながらにクリスティンはどんな人だったの?と思ってしまう。難点を挙げるならば、そんなところだろう。
とまぁ、読み返すと厳しいことを書いてしまっているが、あえて申し上げておくと、個人的な批判の対象はあくまでストーリーであって、しかもテーマに限られている。全体としてみれば、良い映画だな~思ったことは間違いない。
どっちつかずとはいえ、ストーリーを構成する2つのテーマは、人間の真理や歴史的な教訓を含んでいる。事件の展開は驚きの連続だったし、特にロス市警には腐敗した権力の恐ろしさを感じた。自分のように細かいことを気にしなければ(笑)、十分に楽しめる物語といえよう(それだけに、消えた息子との再会を願うクリスティンの悲劇が、もう少し強調されても良かったのではないだろうか、などと思ってしまう)。
もう一つ良かったのは、クリスティン演じるアンジー。アンジェリーナ・ジョリーといえば『Mr.& Mrs.スミス』や『ウォンテッド』などのように、どちらかというと動的な女優という印象があるが、作品のクリスティンは静的な人物。見る前は、動的な印象から抜け出せるんだろうか?などと考えていたが、なかなかどうして。静かに、でも諦めずに熱心に息子を探し続ける芯の強い母親という役どころを見事に演じていた。アンジーの新境地とよべる作品になるのではなかろうか。少年時代、久し振りに会った近所の不良のお姉さんが、きれいなお姉さんになっていてドキドキしてしまったという経験があるが、アンジーを見てそんな甘い少年の日の思い出が甦った(なんのこっちゃ?ですね)。
ちなみに、アメリカは先進国の中でも政府に対する国民の信頼感が薄い国などとされている。この映画を見て、それが何となく分かるような気がした。ロス市警の腐敗のような経験があったら、私だって政府や自治体に税を納めることに戸惑いを覚えると思う。政府に対する国民の不信感の背景には、こうした歴史的経験の蓄積があるのだろう。