毎週 江ノ島でセーリングを愉しみ 人生を愉しむ♪

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多岐にわたる知識が必要ですがマダマダ

堀江謙一さんの話を聞いて想い出した事

2009年09月15日 | Weblog
横浜は今日、朝から今にも降り出しそうな・・・・

というより、今朝は雨!
と言う予報でしたが、今は降っていません

昨夜・・・・11時過ぎ・・・
のりこちゃんと生ごみを出しに行きました・・・・

指定日より一時間早く・・・・

そしたら・・・・急に右のひざが痛くなって
まあ、一晩寝れば直るだろう
と、タカをくくっていたのですが
けさ、布団から起き上がろうとすると

あ、そうだ、昨日足が痛かったんだ

ということをイヤというほど思い出されました・・・・

情けない・・・。

どうしちゃったんでしょう?

日曜日に自転車を漕ぎすぎた?

それが、翌日の夜に出た??

こんなの初めて。





日曜日に自転車で行った
堀江謙一さんの講演会

初めてご本人を目の前にしたのですが
意外と小柄な方で

そういえばお亡くなりなったヨットマン
多田雄幸さんも小柄な方だったとか

お会いした事ないのですが偉そうに・・・・


1975年 沖縄海洋博のときに
アメリカのサンフランシスコから
沖縄まで
シングルハンドヨットレースを戦ったのが・・・・

確か・・・・

多田雄幸さん
戸塚 宏さん
武市 俊さん
小林則子さん
そして
堀江謙一さん

らが、参加

優勝は、ずーーーーーーと寝ないで舵を握り通した
と言う話です
食事はあらかじめ用意したチューブに詰めたものを胃に流し込んで
41日で太平洋を渡った
戸塚 宏さん
のウイングオブヤマハ

確か、プラモデル作ったな~

プラモデルはもうありませんが
戸塚さんの本を読んで
息子の夏休みの宿題に作らせた
脳幹を刺激する!!



これがその、椅子

様はボールのように
不安定な椅子



この13年前に太平洋を渡った堀江さんは3ヶ月かかったのですが
半分以下にした

まあ、ヨットの大きさが全然違いますが

これを店頭においておくと
お年を召したお客様が座ろうとして・・・
急いで、これは安定が悪いので・・・・
と、違う椅子を勧めます

ボールに座る感覚です
常に脳幹を刺激する

そう、戸塚ヨットスクールの
かざくるまクラスヨット
と、流れを一にする椅子です




以前も書いたかな?
チョット向こうの港から回航して来た
というような
飄々とした姿・・・・
今でも、写真が頭に浮かぶな

短パンに白い靴下・靴
上はTシャツだったかな

僕が夏に普段着ているカッコウ

武市俊さん


リブ号
と言う船を駆って出場の
小林則子さん
その当時本読んだけど・・・・・羨ましいな~と、思っただけで
後は覚えてないや・・・・
失礼なのでもう一度読み返します


タクシードライバーで
ヨットにお金をつぎ込んでいつも
オケラ
で、ヨットの名前もオケラ
その後の世界一周ヨットレースで優勝

そのレースに何年かぶりで出場し
艇の性能、怪我
を苦に自ら命を絶ち
僕にスポンサーが付くとそれだけで足かせプレッシャーになるのかな
それなら、どんなに小さなヨットでも
自分の財布でまかなえるヨットを持とう
と、思わせた
多田雄幸さん

その後オケラネットを引き継いでいるのが
今や超有名、若手ヨット冒険家
白石康次郎さん


そして、確か・・・・
連絡が取れなくなって遭難???
と言うニュースが踊ったのち
無線機が故障して
と、沖縄のアクアポリス・・・だったかな?
に入港・着岸した
堀江謙一さん

そのご、堀江さんはレース
って、出てるのかな?

海洋冒険家として活躍されているので
レースは出ていないのかもしれません



僕が小学生の時に?
6歳の時??

僕の友達が
何で 洋一 って名前なの?

と、僕の父に聞きました

すると、
太平洋を日本人で始めて一人でヨットで横断するようにだよ


って、いったんです

僕は、へーーーと思ったのですが
その友達は

もう、いるよ

と、言った。
僕はウソ!!

と、思った。
父がそんなミスを言うわけがない

と思ったから・・・・

生まれたときはいなかった

とも、言っていた



それで、夜父に聞いた

太平洋を渡った人がいるんだよ

と、新聞を見せられた

単にその話題に乗って説明しただけだった

本当の所は
ようか(八日) の 一時に生まれたから

というのが本当で間違いないようだ

それにしてもタイムリーな僕の友達の質問

だから、印象に残った1962年の出来事




その後・・・・かなり経って

太平洋ひとりぼっち

を読み

映画を見


大阪からわざわざ横山晃先生の
キングフィッシャーの設計図を買いにいらした

と言う話を知り


やっぱり、ヨットの設計家は日本中で横山晃先生が一番!!最高峰!!

最初に乗ったのヨットが
横山晃先生のシーホース

という縁もあり
横山晃先生をお尋ねしました

そこから、ヨットとの生活がより太くなっていきました


設計図は 1960年頃の当時
1万円

と、本に書いてあったよな・・・・

ヨット本体が20万円
これはかなり値切った様ですが

設計図を値切った
と言う話は本に書いていなかった

だからキット言われる金額・・・定価で買われたんだと思います
というより、それだけの価値があると、認めていらっしゃったのでしょうね

この辺の質問も面白かったかも・・・・残念



今、足の痛いのを我慢して高い所にしまってある設計図の箱を取り出し・・・
現在・・・と言っても15年位前のですが
キングフィッシャーの設計図はいくらか見ようと思ったのですが
この箱に入っていない

何処にしまっちゃったんだろう

代わりに・・・別の所からこんな葉書を発見しました



切手代41円でした、いつ頂いたんだろう

この葉書の内容は

http://www.fbishiguro.com/sonnkeiTop3.html

ここに書いてある
畏れ多いことを言ってのけた後に頂いた葉書です



堀江さんは大阪でヨットをつくり
方向探知機を半日粘って何百円か値引いてもらった
と、本に書いてありました

行く前に横浜に寄って、最終の打ち合わせ
と言う話もあったようですが、出発する時期を狙っていたのでそのまま出かけられた
と言う話も何かで読みました

西宮から出る

というのは、こだわりもあったのではないでしょうか?




その後、アメリカに到着してから
一ヶ月も領事館にいた

その時の新聞に
3つの物を持っていない

と紹介され

その一つお金

と新聞に書かれ
床屋さんに行くと無料で散髪をしてくれて・・・・
その上
帰りに5ドルくれた

などというさすが大阪人!!
というような、本に書いていない話まで聞けて
本当に嬉しかったです


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