毎週 江ノ島でセーリングを愉しみ 人生を愉しむ♪

ヨットを自作し帆走♪
中古ヨットを買って直しながら帆走♪
多岐にわたる知識が必要ですがマダマダ

父の思い出・・・・♪

2011年11月02日 | Weblog
横浜は 今日も良い天気になりました♪

夜明けも大分遅くなり・・・・・・・

昨夜 就寝前のミルクティーが効いた??


夜中 トイレに行きたくて目が覚めた

トイレに行こうかどうしようか ひとしきり布団の中で思案


この思案は難しい

トイレに行って目が完璧に覚め すぐに起きる時間
となったのでは辛いし・・・・


寝ている部屋の時計は見難い
頭のすぐ上

こっちに付けようよ

と言うと のりこちゃんは どうせ見えないから

そう、のりこちゃんはメガネをかけないと時計が見れない

見れないなら 何処についていても同じ



夜中 と思って目が覚めるも
国道16号を走る車の音がひっきりなしに聞こえる


でも、まだ外は暗いのに・・・・・・・・

バイパスの工事かなんかで夜中でも交通量が多いのかな?


と思い 意を決して・・・・・・大袈裟・・・・・


トイレに立った


時間が気になり 目が覚めるのを覚悟で電気をつけて時計を見た

もう少しで6時

夜中じゃない 明け方だ


随分 陽が明けるのも遅くなった



布団に入って国道を通る車の音を聞いていた






僕が小学生の時に 熱だか 火傷だったか・・・・

とにかく寝られない夜があった

そのとき 父が朝まで僕の横で話し相手になってくれていた

小学生も低学年の頃一晩中起きているわけではなく
熱にうなされ フッ と目が覚めると
常に 父が話し相手になってくれた

そのとき母はどうしていたんだろう?

同じく熱を出していたのかな?


とにかくその日は父が一晩付き添ってくれた

あんなこと その一晩きりのことだ

他の時は 必ず母だったのだから


夜中に目が覚めると
父は 妙な節を付けた歌を歌ってくれた

歌詞は

夜中の明けるのを最初に教えてくれるのは 牛乳配達でガチャンガチャン
次にやってくるのが 新聞やさんで チリンチリン
夜が明けてやってくるんは 豆腐屋さんで プーフォープーフォー


確かそんな歌詞だった



父は俳句・川柳をやっていた
賞もかなり取っていたようで
息子が言うのもなんだが 秀逸な作品が結構ある

息子にその才能が遺伝しなかったのが残念ですが




ですからもしかしたらその歌も自作なのかもしれないのですが・・・・


ほら 牛乳屋さんの音だよ
夜はもう明けて朝が来る


ほら 今度は新聞屋さんだ
もう少しで明るくなるんだよ

ほら もう豆腐屋さんだ 起きる時間はもう少しだ



いつもは 熱を出すと
気がたるんでいるから熱を出すんだ

と言う父だったので
もしかしたら 父が用意した持ち手の長いお鍋で
僕が引っ掛けて火傷をしてしまった時かもしれない・・・・




キット 母は火傷をさせたのは
父のせいだ!!!

とでも言ったのだろう

でも、直接それにぶつかったのは姉なのに・・・・・




今から 50年近く前の思い出・・・・

この時の歌を思い出し



アレ この歌に登場する交通機関は
総て 自転車だ

車の音じゃない

その頃我が家にはオンボロの車があった
仕事で使う為の・・・・・


でも、今の僕と同じで
近所は自転車で回っていた



どれくらい オンボロかというと
母が八王子に行って横浜線の中山駅まで迎えにいって
帰り道にがたがた道を走っていたら
バッテリーが床から落ちて
母はお出かけ用の着物を着ていたのに それを抱えて帰ってきた


と、ずっと面白おかしく話していた


それくらいの ボロ


でも、車があるだけ良かったのかもしれない




父は僕が生まれてすぐに
オートバイで生死が危ぶまれるほどの事故を起こし

車を買った


車が珍しい時代
まだ車が普及して間もない時代に

なんであんなオンボロが世の中にあったんだ??

それから 車の中古はダメだ

というレッテルがふたつやでは貼られた

でも、あんなオンボロそうはないのに・・・・・



・・・・・・・・・・・・・・・・なんだっけ・・・・

先の歌を久しぶりに思い出した
という話だ



実はこの歌を・・・歌詞を
25年ほど前にも思い出し歌ったな~

と、思い出していたんです

長女が生まれ
長男が生まれ
次男が生まれ

次男は病気がちで毎日のように熱を出していた

近所の病院では
悪い病気じゃない

といわれ続けたのだが

子供医療センターに行ったら
その日に入院
即 手術

そんな頃 長男が熱を出し
のりこちゃんは次男の看病で大変・・・・


だから 僕が一晩そばに付き添って
目が覚めたときに
父がしてくれたように話をしていた

もっともその頃は自転車ではなく
車でしたが・・・

車・オートバイで効率が良くなったけど
お豆腐やさんの朝のプーフォー
は消えてしまいましたね




今 近所のお肉屋さんのおばさんに話しかけられて

父の話になりました


ふたつやさんのお父さんは優しくていい人だったわね

と、突然言われ

僕がブログに父の話を打ちかけているのを知っているのか??

と思ったほど タイムリーでした



曰く
お肉屋さんが買い物に行っているときに母が美容院から帰ってきたときの話・・・・


私が美容院から帰ってくると
お肉屋さんのおじさんは いつまで掛かっているんだ

という言い方しかされたことがなかった



でも、ふたつやさんのご主人は

おっ 綺麗になったね

といっていた

という 続けて
うちとは全然違う


と、言っておられた


僕にとっては 結構 厳しい父だったが


優しさと 厳しさを持った父でした

その父の享年まであと 3年


僕はそんな風になれるのかな~








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