>「車内の奥のほうが空いているのに、詰めないで突っ立っている人が邪魔」 「降りないで出口で踏ん張っている人は何なのか」
うん、ほんとにそう思うから、この筆者がいう
>心が乾ききっているのか、電車において、押されるのは当たり前、状況に合わせられないほうがおかしい人としている。問題なのは、邪魔な人は押してもかまわないという気持ち、その気持ちが少々憂さ晴らし的な押し方になることだろう。
これにはちょっとどころじゃなく反感覚えてしまう。満員の車内では「押されるのが当然」だし、その中で何とかしようと思わない方がそもそも非常識なのは当たり前ではないか?そういう配慮、気配りすらしようとしない連中になんの遠慮が必要というのだろう?「いつまでも入り口付近に止まるな」「まだ乗ろうとしている人が居るんだ、もっと空いてる奥に行けよ」「自分の降りる停留所(駅)でどれくらい移動があるかを考えれば、自分がどの辺に居ればいいかくらい分らんのか!?」…これ等は、この筆者が言う筋金入りの「押スナー」の一人である猫の本音でもある。あと、ムカついたのが
>SNSで効果的とあったのが、 「吐きそう」 とつぶやくことであった。これは、以前も、満員電車でスペースをつくりたいときにいうとサーっと人がはける
正直、満員の車内でこんなことやられたら迷惑以外の何物でもない。むしろ猫的にはこんなことやる奴が居たら思いきり軽蔑する…汚れたくないという人間の心理を突いた嫌がらせだと思うから。むしろホントに「吐きそう」な状態なら最初から満員になりそうな電車やバスには乗るな、少しは落ち着けるタクシーで移動しろと書きたい。
隣に座る「トナラー」より迷惑? 電車でやたら押してくる「押スナー」という現代の闇
満員電車の蛮行
コロナ禍でリモートワークが広まったが、満員電車での通勤・通学が再び当たり前の社会に戻った。
「以前より空いた電車」 「通勤しない生活」 を一度体験してしまったがために、以前にも増して、満員電車にストレスを感じるようになった人は少なくない。
それに加え、この暑さである。真夏のプラットホームで熱風に吹かれ、背中を汗がつたう。自販機で飲み物を買えば生ぬるい。電車に乗る頃には、殺気立っている。
混雑した電車内では押されることが常態化しているが、自身の意思で動くのではなく、 「動かされる」 ので、人々はそこに大きなストレスを感じる。ドアの開閉に合わせ、前の人を押すことになる。しかし多くは仕方がない人たちだ。流れに合わせるために動いている。そうではなく、問題なのは、どさくさに紛れて、 「人を押すことでストレスを解消していそうな人たち」 だ。あえて強めに押したりする。ダチョウ倶楽部のメンバーだった故・上島竜兵氏の 「押すなよ!押すなよ! 絶対に押すなよ!」 は“フリ”だったが、本気で押してほしくない気持ちから、変に押してくる人を 「押スナー」 と名付け、彼らの行動について考えてみたい。
憂さ晴らしの実態
電車において、人が人を押すシチュエーションには次のようなものがある。 ・混んだ電車に乗り込むため ・席に座るため ・自身のスペースを確保するため ・もっと奥に移動するため ・下車するため 席に座るために押すのはあさましく感じられやすいが、どれも電車を利用する行動としては当たり前のものだ。 後ろに押スナーがいて、その結果、自分が前の人を押すことになって、押スナーと勘違いされるのが嫌という人たちもいる。
一方で、押スナーはもっとドライである。 「車内の奥のほうが空いているのに、詰めないで突っ立っている人が邪魔」 「降りないで出口で踏ん張っている人は何なのか」
実際、流れを止めている人たちがいる状況であれば、その人たちに動いてもらわないと、自分自身、そして後ろの人たちが、乗れなくなる、降りられなくなる。そういう意味では、動きをつくらなければいけないこと自体はたしかである。間違っていない。
押スナーたちは、ある意味、“満員電車のプロ”である。毎日毎日、何年も何十年も満員電車を利用してきて、その仕組みに慣れきっている。
「押されて怒るような人は電車に乗らないほうがいい」 慣れきっている分、心が乾ききっているのか、電車において、押されるのは当たり前、状況に合わせられないほうがおかしい人としている。
問題なのは、邪魔な人は押してもかまわないという気持ち、その気持ちが少々憂さ晴らし的な押し方になることだろう。
無言の押しに潜む不快感
SNSで多く見かけたものに、押スナーのせっかちな行動がある。
確実に下車したいという気持ちからか、ドアが開く前からぐいぐい押してくるというのだ。前の人たちはドアが開いていなければ、ドア方向に押し付けられるだけできつい。満員電車で痛い思いをした人々の体験談に 「若い女子の紙袋の角が痛い」 「男子学生のスポーツバッグが痛い」 が多いのだが、彼らは無自覚なので押スナーではない。押スナーは、腕で押してくる人、バッグで押してくる人、どちらも多いのだが、なかには、 「おばあちゃんが指の関節で背中をぐりぐり押してきて痛い」 「中年女性がお尻でボンって攻撃してきた。ぼよんとした感触が気持ち悪い」 といった変化球もある。せめて押すときに、「すみませーん、降りまーす」といいながらだったら、周囲の不快感が減ると思うのだがどうだろうか。
無言だからこそ陰気で怖い。
ただ東京は特に、ぶつかっても謝らない人が多い土地。あまり声をかけるのもかえって不自然なのか。押す回数が多すぎて、いちいち声を出してられないのか。
またこちらも声をかけられる回数が多いと、疲れるし不快になるなんてこともあるのだろうか。
満員電車での効果的な対処法
多くの人々は、朝夕の通勤通学だけで大きなストレスがかかっている。押スナーに遭遇すれば、肉体的な痛みもあれば、メンタルも削れる。数年前に、リュックサックを押された人が、相手に頭突きして前歯を折り、傷害容疑で逮捕されるという事件があった。そういった衝動に駆られながらも、多少の不快には、 「耐えるしかない」 「乗り遅れるわけにはいかないから我慢」 として、心を押し殺している人々が大多数ではある。しかし、押されてどうしようもないときもある。例えば、 ・前に子どもがいてこれ以上詰められないとき ・前にリュックサックがあって、おなかを押されてつぶされそうなとき である。人々が対処しているのは、 「無理です」 「これ以上行けません」 などSOSを出すことだ。後ろからのプッシュがやわらいだりする。相手もこちらの状況が分からずに押していることもある。そこはやはり、コミュニケーションである。
もうひとつ、SNSで効果的とあったのが、 「吐きそう」 とつぶやくことであった。これは、以前も、満員電車でスペースをつくりたいときにいうとサーっと人がはけると書いてあるのを見かけた。
こういった魔法の言葉も、いざというときのために覚えておきたい。