正直、高齢の身で職種を選ぶ、なんてのは贅沢だと思わなきゃダメじゃないかね?
未経験だろうが経験者だろうが、とにかく金額は二の次で〝働けることに感謝〟するくらいの気持ちで就職活動しないと。
「以前は〇〇に居て××の業務をしていました」だのというプライドなんて投げ捨てて、職を選ばなければ就労先は幾らでもあるんだ。
まぁ、キツいこと書いたけど、今の自分がそうだから書けることでもある。
まぁ自分がその場に遭遇したら流石に放置はしないと思う。
①そっくりそのまま頂いちゃう
②良心の呵責に耐えかねて警察(交番)に届ける。やっぱ警察のお世話にはなりたくないし
皆さんはどうされますか?まぁ②と答える人ばかりでしょうが(^^)
ATMで置き忘れた現金「15万円」盗んだ疑いで逮捕「一瞬、考える」「忘れる方も悪い」意見さまざま
金融機関のATMに入って、前の利用客の忘れ物に遭遇したことはないだろうか? 本誌記者はキャッシュカードの忘れ物を発見し、近くの交番に届けた経験があるのだが、キャッシュカードを交番に持っていく間に、持ち主に声をかけられたら、「むしろ、こちらが変に疑われるのでは?」と、ソワソワした経験がある。 では、これが現金だったら、どうしていただろうか? 思わず、そんなことを考えさせられる事件が起きた。 昨年(2022年)12月、栃木県下野市内の金融機関のATMで、前の利用客が引き出して忘れていった現金15万円を持ち去ったとして、住所不定の自称会社員の男(46)が、8月6日、下野警察署に逮捕された。 警察の調べに、容疑者の男は「ATMを利用したが盗んでいない」と容疑を否認しているという。とちぎテレビが報じた。 この報道に、ネット上では、 《バレるに決まってるよ 今どこにもカメラあるから》 という声もあるものの、容疑者と同じような場面に遭遇した人も少なくないようで、 《自分も前に9万円入っていた事があった。数秒間ラッキーと思って一瞬悪い心が出たのを思い出しました》 《郵便局ATM操作しようとATM前に立ったら現金が5万、周りを見ても誰もいないし郵便局に入る時にも誰ともすれ違わなかった。少なくとも数分は置きっぱだったかと思われる。その現金を持って窓口に事情を説明して窓口の局員の方に渡しましたがその後、そのお金は忘れて帰られた?方の元に戻ったのか不明》 といった声のほか、 《数ヶ月前ATMによった際、近くのベンチにお金が無造作に置いてあったのを見つけどうしようかと迷った末、ATM脇のインターホンで事情を説明しました。窓口がないところだったので、近くの警察に届けるように言われ届けました。3ヶ月後、持ち主が現れなかったので全て受け取りました。やっぱり神様は見ていると思います》 など、「警察に届けた結果、全額を受け取れた」という声もあった。一方では、 《一瞬、考える》 《これさ!置き忘れた人にも責任あるよな 盗んだって言われたらそうなんだろうけど 目の前に現金あったらって思うとなんか複雑だな》 など、自身に置き換えての意見を寄せる人も……。 誰だって目先のお金は欲しいが、ほんの出来心で逮捕! なんてことにならぬよう注意されたし。
結果論だが、3回の無死満塁で上位打線に回りながら1点しか取れなかったこと、それ以外ではチャンスらしいチャンスも無かったこと、12回の
野間の5球目の判定等々、不満・腹立たしさはある。特に菊池涼と小園で1点しか取れなかった攻撃は、両者スクイズなら2点が…と思ったし。
実際、2点のビハインドだったんだ、確実に同点を目指しても良かったと思ったもんでね。ただ、先の序盤で試合が崩壊した対ヤクパターンを思えば、
祐輔の3失点は物足りなさの方が大きい反面、〝よくぞ耐えてくれた!〟という思いも湧いてくるわけで、その後の中継ぎ陣の奮闘も含めて久し振り
に「試合らしい試合」だったかなという気もね。まぁだからこそ、野間の判定が…
秋山の交代は良いと思う。最近は春先のような状態じゃない、どころか打線をぶった切る要因にもなっていたしね。スタメン&全イニングフル出場の
こだわりはあるかもしれんが、年齢を考えればもうそんな思いは捨て去る覚悟も必要。先のような大敗試合なんかは中盤で下げるとかの配慮もした方が良い。
猫宅は安芸門徒だが、記憶を辿っても一度も盆灯篭を供えたことは無い。
いま世話になっているお寺さんでも強要されたことは無いし、ゴミになるだけだしな…少子化とかは関係無いと思う。まぁ、あれでも昔は家で
「お焚き上げ」(焚火のこと)が出来ていた頃なら猫宅でもやってたかもしれんが、今は煙がどうのこうのと五月蠅い近隣住民も多いし。
まぁ、猫宅は墓所も決して広くないし、お墓には花だけでも充分だという気もね。わざわざ盆灯籠まで供える必要もないのが現実でしょうね。
広島の夏の風物詩、盆灯籠が減りゆく理由は 販売の生花店「ピーク時の半分近くに」
お盆のシーズンを迎えると、広島県西部の墓所は一斉にカラフルな「盆灯籠(どうろう)」に彩られる。浄土真宗の安芸門徒に伝わる地域特有の習慣に「何かのお祝い?」と驚く県外の人も多い。コンビニやスーパーで売られるなど、夏の風物詩として広島ではなじみの灯籠だが、お墓に並ぶ本数は年々減っているようだ。
広島市中区寺町で35年前から続く生花店エフエル・クレイン多鶴花。店頭には赤、青、黄、緑、紫、オレンジ色の6色の色紙が貼られた灯籠がぎっしり並ぶ。白は初盆用。多田多鶴子代表は「これでもピーク時に比べると半分近く減ったんですよ」と教えてくれた。
竹の棒先を六つに割り、広げた部分に色紙を貼る盆灯籠。江戸後期の広島城下で、娘を亡くした父親が石灯籠の代わりに竹をそいで、紙を貼った灯籠を供えたのが始まりという説がある。
その数が減っているのは、宗教心が薄らいでいるということか―。そんな疑問を、本願寺派圓龍(えんりゅう)寺(広島市中区)の菅隆雄住職(60)は否定する。「少子化で親戚の数が減り、付き合いの範囲も狭くなったのではないか」とみる。
そもそも色とりどりの盆灯籠の風習は、菅住職の幼少期は広島城下の旧市内に限られていたという。それが市外にも広がり、販売業者も増加。1990年代にはお墓が見えなくなるほどの本数が立ち並んだ。
バブル崩壊後は一転。企業の虚礼廃止の動きもあり、お中元やお歳暮など形式的なあいさつを控える風潮に。次第に作り手も減った。約40年前から盆灯籠を扱う江田島市の二間興産は、同市大柿町の住民に生産を委託。二間康嗣社長(54)は「作り手のほとんどはお年寄り。一部の人からは『もう来年は貼れんかな』と言われる」という。
障害者が利用する作業所もスーパーなどに納品しているが、関係者の間では「パン作りなど他の作業が増えたし、手間の割に工賃も低い。以前より扱う量は減った」との声もある。
世相を映すかのような夏の盆灯籠の光景。エフエル・クレイン多鶴花の多田代表は数が減っていくことに一抹の寂しさを覚える。「家族のお墓参りって記憶に残る。小さい子から大人まで、それぞれの思い出の場面を広島では花と盆灯籠が彩ってきた。それが今、減っているのかもしれませんね」